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プラトンが言いつづけた「正しく生きることがためになる」ということをイデア論からみて理論付ける、ってどうしたらいいのでしょう??来週の試験を前に焦ってます。まじめに授業を聞いているべきでした、って今ごろ後悔しても遅いのですが・・・単位やばいです。どうか教えてください。

A 回答 (3件)

以下引用ですが


●Aが自分の情報を周囲に放出する
●BがAの情報を受け取る
●Bが「Aの情報を受け取った」という情報をAに送る
●AがBからの情報を受け取る
●以上の行為を互いに連続的に繰り返す
これによりこの世界の物体は成り立っている、というのが”イデア論”です。
つまりあなたが正しく生きることが周りによい影響を与え、あなた自身にもよい影響として帰ってくると言うことです。
「情けは人のためならず」の本来の意味に近いですね。
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この回答へのお礼

端的でわかりやすい回答をありがとうございます。
まったく勉強していないのでイデア論が何かさえわかっていない私にとってはかなりわかりやすくて助かりました!字数の制限にも合うようにほかの方にいただいた回答をたして、何とかテストに備えたいと思います。
ぱんきょうで苦しむとは・・・って感じですが。頑張ります!!ありがとうございました。

お礼日時:2002/01/20 19:15

 


  これは、わたしの見解ですので、間違っているかも知れません。プラトーンのイデアー論について、簡単にでも記している文章を参照すればよいのですが、ここでは、わたしがそう理解した(または勝手にそう考えていた)イデアー論を考えます。これがプラトーンのイデアー論かどうかは、自分で確認してください。検索で、「プラトン イデア論」とすれば、説明が出てくるのでしょうから、比較できます。
 
  プラトーンのイデアーとは何かです。アリストテレースの形相(エイドス)や、後の「概念」とどう違うのかです。エイドスも、より広い内容のエイドスへと上昇する階梯はありますし、概念はより普遍的な概念へとやはり上昇階梯があります。イデアーは、上昇するというだけでは、エイドスや概念と区別が付きません。イデアーの特性というのは、イデアーのイデアーがあり、それらが普遍的上昇を行い、最終的には、超越的外在的(神秘的)な「善のイデアー」へと上昇収束するということが重要です。
 
  また、上位の純粋的なイデアーは、この世とは別に、「イデアー世界」を造っており、この世の事物や生物や人間は、イデアー世界のイデアーを、劣った形で、不完全な形で分有しているのだということになります。人間は、イデアー世界の映像(エイコーン)であるというのは、こういうことです。この世界全体もまた、影像(エイコーン)であるのです。「真の世界=イデアー世界」と、「仮の世界=この世」があり、真実の存在は、イデアー世界だというのが、プラトーンのイデアー論で、これ故に、観念論とされるのですし、プラトニック・ラヴとは、肉体(この世)の愛ではなく、イデアー世界の肉体を超えた愛となるのです。
 
  人の魂の本来の故郷、すなわち、「不死なる魂」の故郷は、イデアー世界にあるとされます。この世は、エイコーンで仮象だからです。魂は、イデアー世界に戻れるように、生きているあいだにも準備をせねばならないということです。その準備とは、善の実践ということになるでしょう。魂がより善のイデアーに近づくにつれ、魂の永遠世界への帰還は容易になるとも言えるからです。
 
  善であるには、善なる行為を他者に対し行い、自分自身も、善なる生活を心がけねばならないでしょう。「正しき生き方」とは、結局、「善なる生き方」になります。善を志向する生き方は、この世的には、「正しい生き方」になるからです。「正しい」とは、社会共同体に対し善で、自分自身にとっても「善」であるような生き方が正しいのです。正しい生き方とは、共同体のなかの自己の分を知ることで、自己とは何かという問いにおいて、善なる規範に従い、善なる行為、善なる自己への対処をなすということでしょう。
 
  このように正しい生き方は、善へと魂が近づくステップであり、正しい生き方を通じて、人は、永遠世界=イデアー世界への魂の帰還の準備をしているとも言えるでしょう。正しく生きることは、魂の本来の帰還に意味を持ち、魂がより純化され、高次な境位になれることを意味するでしょう。それ故、正しく生きることは、人の魂にとって有益であり、ためになると言うことでしょう。
 
  なお、これはわたしのいまの記憶に基づく見解で、これが間違っていても、責任は取れません。イデア論とか、正しく生きるなどを、調べてみて、確認され、自分で考えてください。以上に述べたことは、何か大きな錯覚を犯しているかも知れません。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。試験ではなんとかまとめて答えることができました。ホンット助かりました!!

お礼日時:2002/01/23 08:09

現在めちゃ多忙なのでここには立ち寄らなかったんですが、


気の毒なので少し^^
なお若輩のため、専門からは突っ込みが入るかもしれません(汗)

まずイデア論から確認しますね。
イデアっていうのはそのものをそのものたらしめてるものです。
たんぱく質に犬のイデアが内在してたら犬(笑)
綺麗なものが綺麗なのは綺麗のイデアを持ってるからです(美のイデアっていうけど)
で、昔人間は魂だけでイデアばっかのイデア界にいたんですが、
何らかの事情で、地上におっこって肉体にとじこめられるわけです。
そうなるとかつてのイデア界のことをすっきりさっぱり忘れちゃうんですが、
イデアを持ってるものを見ることによって、ふとイデアのことを思い出したり
するわけです。これが想起です。

で先にミュトスについて話してしまうんですが、ミュトスというのは作り話とか神話の
ことで、イデア論がでてくる中期にはいっぱいあります。
で、主に語られるのは生前の行いの死後での応報なわけです。
ようするに生きてるうちにいいことしとくと、死んだ後、もしくは生まれ変わって
いい思いができるよ、というやつです。有名なのは国家篇の最後、エルの物語ですかね。
これは魂の不死と深く関係してます。ということはイデアとも関係してるわけです。
いい行いというのは、まぁイデアに近づくこと、あるいはイデアを見ることです。

でも輪廻転生を土台として善い行いをすすめるというのはおまけ的なものだ
という解釈もあります。のでミュトスを省いて考えると、
イデアと倫理というと真っ先に思いつくのが国家なわけですが
国家の構成としては、まず個人の正義について論じられ、その考察の手段として
類比的な国家論に発展します。で、善のイデア論をはさんで、最後に個人の善との
照らし合わせ+ミュトスという感じです。
そこでは正義とは何か、について論じられるのですが、こわごわ言い切ってしまうとそれは徳だとされてます。
この徳は人間の魂の向きが正しい方に向いてることなわけですが、これを引き起こすものは知ること、教養であります。
でその知の対象はというと真実であり、イデアです。

余談ですが正しくすることがためになる(ためになるって微妙なことばですね^^;)という
ことについては国家論冒頭ケパロスとの対話にもあるように、正しい事を為す=幸福
という考えがあると思います。
国家において考えると、国家のうちの一部の人間を幸せにするのではなく、みんなを幸せにするのが正義です。不正だと一部だけになっちゃいますから。
で国家のうちにおいてそれぞれの人がそれぞれの持ち前にあったことをするのが
いいわけです。これは節制、勇気、知恵の3つに分類されますが、これが行われている
状態が正義とされます。
で、これを魂にスライドさせていわゆる魂の3分説となるわけです。
魂において3つの部分がそれぞれ自分の仕事をしてるとOkですが、この3つが知性の制御によらず
内乱しているのが不正なわけです。
実は不正が幸福かについては僭主に関して議論があるんですが、まとめにくかったのでパスを・・。


乱暴にしますと、正しいということを知っている人は正しいことをする、
という主知主義的な側面もプラトンは持つので、イデアを知ることによって正しいことを
なすことができ、それは幸せである、とも言えますし
イデア界を見ること自体が幸せであるともできます。
イデアは善のイデアによって統括されるように善いものですから、これに近づくことは自分自身が善くなることなわけです。
正しく生きることはイデアを知ることによって為され、またその目的もイデアであるということになります。

また善のイデアに限っては「このイデアに関わる人のあり方そのものを根拠づける力であり、イデアへと人々を向かわせる根拠でもある」とされることがあります(加藤信朗先生より^^)

以上だーらだら書きましたが、適当にピックアップしてください^^
実は問題が、善ではなく正であり、ためになる、という言葉のためにかなりやりにくいものでした^^;
ので趣旨が違ってしまっていたらごめんなさい。国家を読み返してしまいましたし。
まぁ可くらいとれるんじゃないかと(汗) ではでは。些細な参考にでも。
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この回答へのお礼

ご多忙のところをありがとうございました。
助かりました。テストまでぜんぜん勉強しなかったので・・・

お礼日時:2002/01/23 08:16

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