アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

タイトルどおりです。
罪の反対語はなんでしょう?
自由なご意見お待ちしています。

A 回答 (22件中1~10件)

罪の反対語は、innocent(イノセンス、罪のないこと)善良。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます。
英語の語感がちょっと分からないのですが、
「罪がない」の反対は、「罪がある」だと思います。
単独の「罪」の反対は思いつくでしょうか?

お礼日時:2006/03/16 19:52

功罪という言葉がありますが、、功ですかね?




gooの国語辞書の記載事項です。
いさお いさを 0 【▽功/▽勲】
国家・民族・社会などに対する功績。手柄。いさおし。
「―をたてる」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

功ですか。なるほど。
ある意味かなり近い気がします。

でも、
功は功利的な匂いがして、
罪は道徳的な匂いがする気がします。
功は人の口に登る評判のようであり、
罪は人の心に捺される烙印のように感じます。

私たちはたった一度の過ちを心の中で何度でも何度でも責めてしまいます。
罪は一生背負っていかなければいけないもののようです。
償い続けなければいけないもののような気がします。
功はなんだか持続性が弱い気がします。

なぜ社会は、「罪」という言葉にこんなにも大きな、
深く食い入るような力を与えてしまったのかなと思いました。

お礼日時:2006/03/16 20:26

何が反対なのかで分かれるでしょうね。


取りあえず恥とかどうですか。
罪は自分の中に欠点を見出し、自分に試練を課す言葉。
恥は周りの人からの視点を借りて、自分を戒める言葉。
後僕は、昔ならともかく、現代において、罪の反対が無知(innocent)だとはとても思えません。今の世の中では正しく生きるためには知ることが不可欠だということは、すでに何人もの方々が訴えかけていることだと思います。無知こそ悪の権化だと思います。今こそこの言葉の差異は取り払うべきです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

興味深い回答ありがとうございます。

罪とは行為に対する評価のように思っていましたが、
個人の属性に対する評価とお考えなのでしょうか?

他人の罪を問う場合はどうでしょうか?
「これがあなたの罪」で、「これがあなたの・・・・」

お礼日時:2006/03/16 19:58

国語カテの方が適してはいないでしょうか。



悪行に対する善行という意味なら、徳という対義語があります。「罪を犯す/重ねる/背負う」「徳を積む」などと使います。

この回答への補足

辞書の答えではなく、まず、あなたにとって、罪とは何でしょう?
よろしかったらお聞かせください。

補足日時:2006/03/17 20:48
    • good
    • 0

そうですね、まず罪だと思うものを連想してみました。



無防備なもの
健気なもの
無邪気なもの
気のあるそぶり
いじらしさ
美しさ
儚さ
切なさ



愛すべきものばかりな気がします。
反対語は永遠とか普遍かもしれません?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても面白い回答をありがとうございます。

小悪魔的、妖精的な感じの「罪」観ですね。
心が揺らぐことに対する恐れ、
魅了されてしまうことに対する恐れ
微妙に揺さぶられて足元がぐらついてしまうことにに対する恐れ
とかを思い出しました。
少し固まって生きていたのかもしれません。

永遠、普遍・・・混沌や不安定なものを恐れる心が根底にあるのかもしれません。
罪の反対は防衛?とちょっと思いました。

すごく広がりました。ありがとう。

お礼日時:2006/03/17 20:48

罪の反対語 罰



罪をしたら罰を受けます。罪をして悪い方向にいったのを罰をうけることによって良い方向にいくことができます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
むかし太宰治の小説か、小林秀雄の評論かなんかで、
同様の意見を聞いたことがあります。
そして、「やっぱりドストエフスキーは凄い」みたいになっていました。
そのとき私は納得できず、罰の反対は報酬ではないかと思いました。
でもあなたの回答を読んで、
罰も報酬もよい方向を目指してのものだと考えることもできると気づきました。
もしも罰を受けることによって犯した罪が贖われるならば、罪の反対を罰と言うう風に見ることもできると思いました。

罪悪感は、悲しみの最大の要因のひとつだと思うのです。
人の成長過程で様々に植えつけられた罪悪感を解消する力になるような
パワフルな対立概念はないかなと思って、この質問をしてみました。
参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/17 21:03

「宗教上のタブー」や「社会的な法」や「人倫」に背く行為は、罪と呼ばれます。


守るべき掟(おきて)に背いた状態が罪である、とすれば掟を守っている状態が罪の反対語でしょう。
とすれば、一文字で書けば「正」か「真」になりますでしょうか。

(こう書くと「正」の反対は「誤」で「真」の反対は「偽」ではないか?と反問されそうですが、
「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく「無関心」の場合があるように、表意文字である漢字には多角的な解釈が可能なので、字面にはこだわらないで下さい。)
    • good
    • 0

罪(悪行)の反対語は善行つまり「徳」でしょう

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
最初、私もそう思ったのです。
でも、
現代では徳という言葉は死後に近い気がします。
その一方、罪をなじるような風潮は盛んです。
なじり、不満を言い、嘆いていますが、
目指すべき、例えば教育の方向が見えません。
徳育、道徳教育・・・それは分かるのです。

そこであなたにとって、徳とは何でしょう?
ちょっと最初の質問からは掘り下げすぎているかもしれませんが、
よろしかったらお聞かせいただけますでしょうか?

お礼日時:2006/03/17 21:44

再度回答いたします。


罪とは行為によってその発見が始まると思いますが、これがあなたの罪である、という言い方をする時、われわれは本人にその善悪を問うていることになります。一方恥というのは、行為と周囲の評価の両方が明るみに出なければいけません。このとき、仮に自分が悪いと思っていなくても、相手が悪いと思っているとき、そういうまなざしを向けている時、これは恥と呼びます。
つまり本人が「これは罪だ」と考える時、これは本人の心の重圧感に依拠しているのに対し、「これは恥だ」と考える時、これは本人の心の重圧に関係なく、むしろ他人の顔に依拠していることになります。
他人に罪を問う場合も、これは個人の善悪判断に依拠していると思います。つまり、「あなたはあなたの心を持ってこの行為を悪とみなせるはずだ」という意味です。これに対し、恥の場合、「あなたの心はどうでもいい。問題はここで他人のために頭を下げられるかどうかだ。」という意味合いを含みます。
両方とも内在している場合もあるでしょう。実際に自分でも悪いと思うし、他人も悪いと思うということもあると思います。他人が悪いと思うことこそ悪いことだ、と自分で思っている場合もあるでしょう。
ただ、対比的に考えた時、自分の内側に悪を感じるか、自分の外側に悪を感じるかという区分けが、罪と恥には存在すると思います。
一応述べておきますが、この二つのどちらかが正しい判断方法だということではないと思います。判断はその状況によって細やかに変化させなければいけないでしょう。
    • good
    • 0

「罪」は多義ですが、なそうとしてなす場合となすまいとしてなしてしまう場合があるように思います。


ところが、どちらの場合であっても共通しているのは必然的であったということです。
つまり、どちらも人ゆえの弱さが露呈しているという意味での必然です。
犯した罪は決して個人のものではなく人間全体のものです。
だから個人に罪は無い、という意味ではなく、そういう視点で捉えなければ罪の本質を明かすことはできないのではないかということです。
意図した結果であったり、何気無い言動の結果であったりしますが、本人が意識するしないに拘わらず、罪は人の内部に必然的に萌芽し、やがて自らを苛む。

人の内部に必然的に萌芽し、やがて自らを(結果として周囲を)慈しむもの。
という観点から『愛』という視点も末席に加えてみてはいかがでしょうか。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A