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清王朝では皇族の諱(いみな.生まれたときの名前)が、一族の間で見事に統一されています。
つまり、兄弟・従兄弟・また従兄弟は言うに及ばず、数十親等離れていても、代が同じなら諱に同じ漢字を含めています。
これは、実に見事というほかありません。
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/ …

そこで質問ですが、これほどまで見事に統一するための仕組/しきたりはどんなのだったのでしょうか?

諱は生まれたときにつけられるので、その代で最初の男が生まれた時につけた諱(の1文字)を一族に周知徹底する必要がありますが、どのようにしていたのでしょうか? (最初に生まれるのが当主=即ち皇帝家なら、指示・徹底も簡単でしょうが、失脚/没落した宮家に最初の代が生まれたらどうしていたのか...)

それとも、「次の代はこの漢字を共通に使うようにしよう」と、何年も前から(誰かが)決めることになっていたのでしょうか?

質問文では分かりにくいでしょうが、上記URLをジックリ見ると小生の疑問に同意いただけると思います。

A 回答 (2件)

何代、何十代の諱が決められているはずです。


これは清朝の皇族に限らず、中国の由緒のある家ではみんなそうで、孔子か孟子の子孫もずーっと諱が決められているということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですか、清の愛新覺羅家に限った話ではないのですか?

日本では親・子・孫の縦方向に同じ漢字を使うのが一般的ですね(徳川家なら「家」、足利家なら「義」のように)
これに対して中国では、世代(つまり横)方向で同じ漢字を使うということですね。

この辺りのことをもう少し詳しく解説したサイトか書籍をご存じなら、お教えいただけませんか?

お礼日時:2006/03/27 01:08

>日本では親・子・孫の縦方向に同じ漢字を使うのが一般的ですね(徳川家なら「家」、足利家なら「義」のように)


>これに対して中国では、世代(つまり横)方向で同じ漢字を使うということですね。

日本でも昔は(平安朝)親子で同じ文字を使うのではなく兄弟が同じ文字を使っていました。もちろん中国のように同一世代がみんな同じ文字を使うほど徹底はしていませんでしたが。
たとえば藤原氏では道長、道兼...のように。
天皇家でも皇族に残った人と源姓で臣籍降下した人は違う文字ですが、それでも同じ境遇ならみな同一文字でしたが、鎌倉時代頃から兄弟ではなく親子が同じ文字というのが多くなってきているようです。(一例として後醍醐天皇の皇子はみな良がついているますが、北朝は親子で仁を使うようになっています。)
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