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音楽理論って絶対に必要なんでしょうか?

僕はバンドをやっています。作曲もできます。ただそれは好きなアーティストの見よう見まねのようなものかもしれません。
でも曲自体はちゃんと成り立っています。

この間ベーシストに理論は必要だと言われました。

しかし僕はベースラインもメロディアスにしたり簡単に変えることはできますし、ギターも然りです。

僕は理論のような堅苦しいことは嫌いです。
本当に理論がすべてなのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

あなたはこれがいい!というような和音、フレーズなんかがきっと自然に分かるんですよね。



理論がすべてとは決して思いませんが、ただ、それを勉強すればその音をもっと深いところで理解できるようになります。こうしたいと思ったのにはこんな理由があったんだな、というような…。それを知りたいかどうかだと思います。

まぁ楽しむことが1番だと。バンドをする上でそんなに理論にこだわる必要はないと…思います…。

わたしもバンドしてますよ♪ちなみにクラシックの方も♪
頑張ってください
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たとえば、「クラシックの演奏家として」バッハを演奏するなら絶対に必要だと思います。


当時の曲は制約が多いのです。

ものすごく簡単に言うと、
なぜこの音の次にこの音がくるのか理由があるのです。
「この音の次にこの音がきてはいけない」。
つまり、作曲者が自由に音を繋いで良いわけではないのです
(とくにバッハのあたりの時代は)。

もっとも、その理由の中には
なんとなく空虚に聞こえるから、なんていうのもあったりするのですが…

とにかく、そういう制約の上になりたっている楽曲を
正確に演奏するのがクラシックですから、
必然的に理論も学ばねばなりません。

が、質問者様の場合、
すでに多くの回答にでているように
楽しむためにバンドをされているわけですから、
それほど堅苦しく考えることもないと思います。

もちろんベースの方のご意見ももっともです。
知っていて損はありませんから。

ただ単に、ベースの方が自分の演奏には理論が必要だと、
その程度のことだと思いますので、
こんなことで万が一にもベースの方と意見を戦わせるなんてことはなさらないで下さいね☆

質問者様がそのために束縛を感じるべきならそれで良いのです。
どちらも間違いではありませんし、優劣もありません。

どうぞみなさんですばらしい演奏を作り上げてください。
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理論と言えば分厚い楽典が思い浮かびますが、質問者さんはバンドを組んでいるとのことなので演奏しているのはいわゆるポピュラーと言われるもの(クラシックではない)だと思います。



いわゆる理論が全てと言うことはありません。理論をうち破って新しいものができていきます。第一、理論に縛られたものは堅苦しく新鮮味がありません。文法が「始めに文法ありき」ではないのと同様「始めに楽典ありき」ではないのです。理論と言うのはいわば昔の人が「こうするとよく聞こえる」と考えたのをまとめたものです。昔と今では感覚が違うのは当然で昔の人の感覚に縛られていては新しいものは生まれてきません。縛られずにどんどん作曲すべきです。

しかし一方で、ポピュラー(ロック、ジャズ、ポップスなど)にも「習慣」というべきものがあります。No.9の方の回答にあるII-Vのコード進行もその例です。これがIII-Vだったら新鮮ではあるかもしれないが何か「変」です。以前バンドをやっていたときこんなことがありました。同じサークルの別のバンドのギタリストがオリジナル曲を作りました。明るい感じのロックンロールでいい曲ですが1ケ所どうも引っ掛かります。(ちょっと理論の話になりますが、コード進行のことですのでいいですね?)E-D-C♯m-D というコード進行があったのですがこのようないわゆるロックンロールでは E-D-AonC♯-D というコード進行になるのがいわば「常識」なのです。このギタリストはベースの流れを始めに考えその上にギターのコードを同じ押さえ方のまま平行移動させたのでこのようになったと思われます。別に何か突飛なことをして驚かせてやろうと言う気はなかったようです。また、私のバンドも曲を作りました。これはロックと言ってもおどろおどろしい感じを出したかったのでわざと突飛なコード進行をしました。そしたら先ほどのギタリストのバンドのドラマーから「このコード進行はおかしい」と言われました。

これはどういうことかといえば、経験不足と斬新なことが受け入れられなかったことなのです。じつはこの辺が一番難しいところで、クラシックのように楽典にまとめらえていない分微妙なのです。もちろん先ほどのギタリストの例のような場合でもいつかは「常識」が破られ常識だったものが古臭くなることも将来起きないとも限りません。

結局、ポピュラー音楽では「理論」はクラシックのように「勉強」するのが全てではない。時には理論を破ることも必要。しかしジャンルや曲の感じによって「常識」とか「定番」というものがありこれは明文化するのが難しく、色々な曲を聞き、また演奏し身につけていかなければならない。これすらいつかは破られる可能性もあるがそれを破るタイミングははっきり言って難しく違和感や反発を招くこともある。

ということでしょうか。
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たぶんあなたは若いんだろうな・・・と思います。


私、半世紀ばかり生きてきて、今も時々バンドであそんでる人間ですが。
年齢とともに感覚は衰えます。また、反射神経を要するようなことはだんだん苦手になっていきます。
また一方で付き合いの関係上いろんなジャンルでやっている人と話したり、時には一緒にやったりするわけですが。
そういう時理論は必要です。たとえばジャズやっている人に、II-Vっていえば、ああ、あれね、ってわかる。クラシック専業の人にCmM7っていってもわからないから、ベース音のクリシェだとか半音進行だといって説明する、対位法も不必要とは言えません。
まあ結局教養の一部なのですが。年を食って教養が無いと音楽家としては付き合いがたい人になっちゃいます。つまり相手にされなくなるんですね。
理論がすべてではもちろんありませんが、長く続けたいのなら(プロは当然、アマチュアでも)理論が無いとつらくなります。
理論ってのはつまりいろんな人がした経験のまとめないし積み重なりなんですから。
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 ある日、めずらしいコードを発見したポールは、指を折曲げたまま、


ジョンの家まで走って駆けつけた。
 「どうした、ポール!」「ギターを出せ、いますぐ弾いてみせるから」
 
 彼らは、楽譜も読めず見よう見まねで、でたらめに弾いていた。
 彼らは天才だったかもしれないが、のちに32トラックで録音できる
ほどの理論家にならなければ、騒々しいチンピラで終っていたはずだ。
 
 楽譜が読めなくても「歌は心で唄うものだ」という音楽家がいる。
 飛行機が恐いので「列車で大陸を往復する」国家元首もいる。
 泳げない者が「泳がなくても船がある」というようなものだ。
 
 九々を覚えていなければ、レジで釣銭が計算できない。
 碁や将棋では、棋譜が読めなければ、アマチュア初段にも達しない。
 元素記号と法則を覚えていなければ、化学方程式を読み解けない。
 
 一本指でもキーボードは打てるが、文章を書くには別の能力が必要だ。
 文章らしきものが書けても、ほとんど意味が伝わらないこともある。
 そのわけは、書き手と読み手のどちらかが、文法を知らないからだ。
 
 きみが天才なら、どうにかして楽理論にたどりつくはずだ。
 いつまでたっても理論ぎらいなら、ただのチンピラにすぎない。
 それでもいいじゃないか、ジョージやリンゴにめぐり会わないなら。
 
 ついでに云うが、アマチュアで理論をひけらかす奴には用心すべし。
 彼らは、ろくに分っちゃいないから、他人をおびやかすのだ。
 いかに大切なものか分った者は、たいがい黙りこんでしまうのだ。
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理論とは特定の音楽のジャンル(スタイル)を決めるものです。


音楽そのもの自体に理論は必要ありません。

クセナキス『HELMA』
ライヒ『ドラミング』
グラス『オルガンワークス』
などの現代音楽を聴いてみてください。
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 いわゆるクラシック音楽には理論が必要でしょうね。

楽典・楽理という2本立てになるわけですが。
 この2つの捉え方は十人十色だと思いますが、私は法律と判例集のようなものだと思っています。この喩えで言えば、クラシック音楽は法曹界ですかね。つまり、判事や弁護士になろうって人が、法律や判例の勉強をしてなかったら、それは非常に困るわけです(だから勉強しないと試験に受からないようになっている)。
 では、一般人が法律をまったく知らなくて良いのか。弁護士ほどじゃなくても、知ってるに越したことはありませんが、世の中に六法全書を持ってる人がどれだけいるか。そもそもいちいち勉強しなくたって、人を殺したのがバレたら逮捕されて裁かれて刑務所に入れられるってことはみなさんご存知だ。だから、よほど無茶をやらかさない限り、善良な市民は法を逸脱することはない。
 質問者の方にとって、音楽理論(や文法)はこのようなものなんじゃないですか?ご自分で曲が成り立っていると思えるなら、それは十分立派なことだと思います。

 ただ、理論すなわち堅苦しいと決め付けてしまうのも、惜しいですよね。もうちょっと絞った喩えにしますと、運転免許を取るときにう受ける学科教習。あれで習うことを全て守っている限り、まずこっちが責任を負うような事故にはならないはず。あれの素晴らしいのは、「事故らないためにはどうすればいいか……」といちいち各人が考えなくても、前以て誰かが考えておいてくれていてご丁寧にも本にまでなってるわけです。
 音楽理論ってのも同じで、それに沿って作業するだけで何かカタチになっちゃう、というのがまずひとつ。そしてさらに、わざと理論を破ってみると、何か新鮮なのができた、という使い方も。ここが交通ルールと違うところで。

 ここで質問者さんの最後のひとことに答えると、すべてではありません。ありえません。
 でも逆に、まったくの役立たずでもありません。ありえません。
 総合すれば、嫌いなら無理に手を出すことはない。しかし嫌いなものでも、まずくても、胃に入れば栄養にはなる。こんなところでしょうか。


 私の本業は言語学で、いつも文法のことばっかり考えてる変人です。なので、#3さんへの回答に触発されてちょっと理論をかばいすぎたかもしれません(笑)
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こんばんは (^^



私は、趣味で作曲していて、理論を勉強する方です。
だからといって、理論で作曲しているわけではありません。
ただ、多いに参考になっています。

raperaperapeさんが、理論がなくても、感性だけで、自分で満足できる曲ができるのであれば、必要ないと思います。

曲自体はちゃんと成り立っています・・・とのことなので、
現在では、理論は、必要ないと感じるのも無理ないですね。

なので、必要になったら、やられたらいいのではないでしょうか?

私の場合は、感性でもちろん、作曲しますが、編曲する場合など、
さらに、工夫が必要になるので、理論で解決策を考える場合が多いです。
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こんにちは。



音楽理論とはあくまでガイドラインな訳で法律の様に何かを規制する物ではありません。
ですから本人が必要無ければ不必要です。

また、他人との共通言語としての機能も併せ持ちますが、
別に理論的に会話しなくても、有名な楽曲を例に出せばニュアンスは伝わるでしょう。
ですから必要ないと感じられるのではないでしょうか。
作曲するときも然りで、例えば作った曲を少しジャズっぽくしたければ、
理論的なアプローチと経験的なアプローチが可能だと思います。
つまり、理論に沿って進行やコードの構成音を変えてみるのか、
知ってる曲を解析(コピー)して、そうなるように当てはめるかです。
どちらでも結果的にはそれっぽくなるでしょう。

どういう意図で理論が必要と言われたのかはわかりませんが、
どうしても経験的なアプローチではその人の経験量に左右されます。
また、手持ちの経験で片付けようとなりがちです。
これに理論的なアプローチを加えますと、また別の視点から作曲について見る事ができますので、
違った展開、つまり今までよりも作曲の幅が広がると思います。
要は経験的・感覚的といった主観の見方と理論的な客観的な見方のバランスは重要でしょうね。

ジャックブルースの様にクラシック理論を逆手にとって作曲をしたような方もいらっしゃいます。
それも理論を知った上でできる事です。

以上、理論は毛嫌いするのはもったいないと思いますが、無くても問題ないでしょう。
はさみとカッターどちらか片方でも紙は切れますが、
両方持っていた方が融通が利く、その程度のものです。
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理論がすべてでは勿論ありません。

そもそもまず音楽があり、理論は後にできたものですからね。
ただ音楽と理論を切り離すことは難しいと思います。
音楽は言葉(言語)と比較してみると、よく分かることがしばしばあります。音楽理論はいわば文法ですね。
「僕は理論のような堅苦しいことは嫌いです」とおっしゃいますが、ちゃんとした日本語を書かれているところからみると、文法もちゃんと学ばれたのでしょう。
決して「文法なんてどうでもいいや、ちゃんと話すことができて、不自由さえなければ」とはおっしゃらなかった筈です。
音楽と音楽理論の関係は言葉と文法の関係に似ていませんか?

この回答への補足

うーん、僕は文法も嫌いですね。言葉も周りが話しているのを自然に自分のものにしていきましたし、本能的に自然的に発していますから。ただボキャブラリーは大切だと思います。そこらへんちょっと難しいです。

補足日時:2006/03/24 18:56
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