プロが教えるわが家の防犯対策術!

今までの歴代プロ野球選手の中で、途中で故障やスランプで長い低迷期に陥り、解雇や引退寸前までいってその後不死鳥のように蘇り輝かしい成績をのこした選手にはどんな人がいますか?

現役では中日の平井投手や横浜の種田選手などが該当すると思いますが、古い選手はあまり詳しくないので、このような選手を知っている方がいれば教えてください。

A 回答 (9件)

門田博光


1979年のキャンプでアキレス腱切断し、そのシーズンのほとんどを棒にふるが、翌年以降はスラッガーとしては申し分のない活躍をし続け、特に1988年は40歳で本塁打と打点の2冠王でMVPに輝いた。名球会入りしている。

谷沢健一
1978年アキレス腱断裂のアクシデントに見舞われ、その年と翌年は試合出場数も激減したが、1980年には見事に復活し、1976年に次ぐ2度目の首位打者に輝いた。その後もアベレージヒッターとしてコンスタントに活躍し続け、名球会入りした。

村田兆治
マサカリ投法で有名な村田投手。数々のタイトルを獲得する活躍を見せたが、1982年右ひじを故障し、当時自分の体にメスを入れることはタブーとされていたいた時代に渡米し、ジョーブ博士のもと手術を行った。2年半のリハビリを行ったあと、1985年シーズン初登板以来3週連続日曜日に完投勝ちし「サンデー兆治」の異名をとるなど話題をふりまきながら開幕から11連勝し不死鳥のごとく蘇り17勝5敗でカムバック賞を受賞。以降、1990年に引退するまでに215勝をあげ、名球会入りしている。

現在、56歳になるが、全国各地、特に島しょ部を中心に野球教室など行っている。小中学生に野球のすばらしさ、プロのスピードのすごさを直接目で見て知って欲しいという思いから、現役引退後もトレーニングを続け、現在でも、現役並みの140km/h以上の速球を投げている。マスターズリーグでも、その速球を武器に活躍し続けている。名球会入り。

http://www.meikyukai.co.jp/
http://www.meikyukai.co.jp/member/member.htm
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この回答へのお礼

谷沢さんも門田さんも名前は知っていましたが、そのような大きなケガを経験していたんですね。名球会入りされている人でも、このような苦労をされている人は多いんですね。

村田さんもあの時の肘の手術は世界で初めての手術か何かだったと思います。

お礼日時:2006/07/01 14:09

本間満



ホークスが'99年に優勝して以来、常に優勝争いを続ける中、この本間選手は、レギュラーとしての活躍はあまりなかったのですが、内野ならどこでも守れ、常勝チームを支えてきました。ホームランを量産するわけでもなく、打率.250くらいの選手ですが、内野には井口、鳥越、川崎などの選手の活躍でなかなかレギュラーをつかむことができなかった。しかし、今年はセカンドのレギュラーをつかみ、何度かいい場面でタイムリーヒットなどを打つなど、活躍の場面が広がり、オールスターファン投票パ・リーグセカンド部門で第1位で選出されました。

性格的にも、プレー的にも派手な感じの選手ではありませんが、守備でのエラーなどはほとんど見たことがなく、できることは確実にこなすという感じの選手で、今年はその力量が打撃面でも多く見られるようになりました。ホークスファン以外では、もしかすると知名度はそれほど高くないかもしれませんが、オールスター出場を機に少しは名前が浸透し、さらに堅実なプレーを続けて欲しいと思います。
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この回答へのお礼

本間選手はあまりよく知らないんです。
地味な感じの選手ですよね。

でもプロ入りしてからは10年以上経っていると思いますし、今年初めてのオールスター出場を果たしたなんてかなりの苦労人ですね。

お礼日時:2006/07/06 23:06

現在、中日の監督をしておられる、落合博満さんの野球人生こそ、まさに『山あり、谷あり』です。



秋田工業時代から天才的なバッティングでしたが、監督とそりが合わず。 東洋大学でも、そのバッティングに手が入るのが嫌であっさりと退部。 折角の打撃がまったく陽の目を見ることなく,彼は東芝に入社します。 
当時、東芝本社は大変な強豪でした。 しかし、彼の入ったのは東芝府中工場の野球部。 試合などあるはずもなく、毎日、グラウンドの草取り。 さすがに将来に見切りをつけ、プロボーラーのテストを受けに行こうとしたことも。 25才でロッテにドラフトされ、頭角を現わす。 

その後は誰でも知っている活躍ですが,入団当時は、評論家から『ボロクソ』でした。 特に球界に影響力の大きかった、金田正一さんから酷評されたのは有名です。 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E5%90%88% …
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この回答へのお礼

落合監督はプロ入り前にまず大きな挫折を味わっていたのですね。

プロボーラーを目指していたのは聞いたことがあります。プロ野球の道を選んだことは大正解だったのではないでしょうか。

お礼日時:2006/07/06 23:00

大島康徳氏などはどうでしょうか?


1969年に中日に入団し、代打の切り札として少しずつ力をつけていき、レギュラーに定着。83年にはホームラン王に輝くものの、85年からは規定打数に足りなくなり、成績も低迷。87年には、落合博満選手が移籍してきたこともあってレギュラーも奪われ、日本ハムに移籍。
ところが、ここから復活して、88年、89年と全試合出場。90年には通算2000安打を達成し、94年に引退するまでに通算2204安打。プロ生活26年という長い活躍を見せました。
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この回答へのお礼

大島さんも40代半ばごろまで現役だった息の長い選手でしたね。

中日時代にはレギュラーを外されていたなんて初めて知りました。

お礼日時:2006/07/06 22:58

広島の嶋選手とか!


一昨年いきなりだいぶれーくしましたし
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この回答へのお礼

嶋選手も最初はピッチャーでしたよね。
突然に大活躍したのは私も驚きました。

お礼日時:2006/07/01 14:15

私はこの人!漫画「あぶさん」でも活躍してます。



参考URL:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B3%CB%DC%CF%C2 …
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この回答へのお礼

山本選手もかなり個性的な選手だったのを覚えています。最初に近鉄を解雇されたときは、一時バッティングセンターでアルバイトをしていたそうです。

お礼日時:2006/07/01 14:11

阪急→オリックスの佐藤義則投手が当てはまりますね。


ドラフト1位で阪急に入団し新人王を獲得しますが、数年後腰痛のため任意引退選手となり、練習生扱いから復活します。
その後は、最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得しています。

参考URL:http://www.webmie.or.jp/~m-yama/player/sportssat …
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この回答へのお礼

練習生になっていたことははじめて知りました。
43歳ぐらいまでプレーした息の長いピッチャーでしたね。
40を過ぎてから達成したノーヒットノーランは圧巻でした。

お礼日時:2006/07/01 14:02

阪神の遠山投手が思い浮かびました。




高卒新人で1年目から8勝あげるが、その後怪我で低迷。

阪神からロッテへトレードされるも成績が振るわず野手に転向。

一度も一軍に上がる事なくクビになり、また阪神へ入団、同時に投手に再転向。

中継ぎエースとして大活躍。

野手になったり投手になったり、、、面白い野球人生だとおもいます。
阪神に戻ってきてカムバック賞も取りました。
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この回答へのお礼

遠山投手は当時の巨人の松井にすごく強かったのを覚えています。
投手から野手になる選手は結構いますが、もう一度投手に戻るケースは珍しいですよね。

お礼日時:2006/07/01 14:00

 ホークスの斉藤和巳投手なんか当てはまるでしょうか。


 97年の入団以来、02年までの6年間で通算9勝だった投手が、03年に突然ブレイクして05年までの3年間で46勝しています。
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この回答へのお礼

そうですね。
斉藤投手も昔から期待されていたみたいですが、思うように働きができませんでしたからね。

お礼日時:2006/07/01 13:56

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