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「みなもとのよりとも」「たいらのきよもり」「ふじわらのみちなが」など、なぜ平安時代ごろの人名の姓と名の間には「の」が入るのですか?
小学校のころからすごく気になっていたのですが、知っている人は誰もいません。どなたか教えてください。お願いします。

A 回答 (7件)

これはあくまで僕の考えですが、


昔の名字は今の名字とは違ったのだと思います。

昔、名字は武士や貴族などの偉い人ではないと
名乗れなかったそうです。
そんな感じで名字っていうのは名乗れるだけで権力があったんだと思います。
だから強調(?)していたのではないでしょうか。

僕の考えですけど・・・
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氏(うじ)の後には、「の」を入れて読むのが一般的で、この「の」が氏に対する帰属を意味するということみたいです。



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F
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姓というより氏を使用してますので何々一族のだれそれと言う呼び名だと思います。


武家社会では一族を名乗りその中の名前を名のってたのでしょう
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過去に下記のような質問が出ています。


豊臣秀吉は「とよとみのひでよし」と読むのが正確らしいですね。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2228772
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日本古来の氏姓制度に由来する


本姓(朝廷より賜った本来の姓)の名乗りの場合
姓と諱(名)の間に氏への所属を意味する
『の』を入れて読みます。

いわゆる苗字(自ら名乗る家名)の
場合は『の』が入りません。

ちなみに一般的に『とよとみひでよし』と
読まれる『豊臣秀吉』ですが
本来、豊臣姓は朝廷から賜った本姓で
下賜後も苗字は『羽柴』から変わっていないので
『とよとみのひでよし』と読むのが正しいそうです。
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こんにちは。


この問いは、すでに#5さんが回答されるとおりでしょう。
大学で史学を学んだ私でも、卒業して10年強を経た今、あんまり覚えて
いないのが現実なのですよ。恥ずかしながら。

Q.なぜ平安時代ごろの人名の姓と名の間には「の」が入るのですか?

当時は強い身分制度の時代で、明確に「こいつはナニガシという姓で、
どういう身分か」ということが意識されていた時代です。
よって、姓は今の名前というよりも身分を示していたと思ってもらった
ほうがわかりやすいかと思います。
国会議員の一郎、総理大臣の純一郎、と言っているようなもんです。
姓を示すことは、先祖(と、その功績)や役職を表していると思って
もらって結構です。

これは、平安時代に限った話ではありません。
たまたま、そう名乗った人が活躍した時代が平安以前の古い時代から~
12世紀ごろに目立ったからそう感じているのだと思います。

氏姓制度と一口に言いますが、整理しにくいので説明できる人はそう
いないことと思います。私の通った大学は、名のある大学でしたが、
そこの教授も上手に説明できませんでした。
氏姓制度と戸籍制度の関係も絡んでくるので、説明しにくいのです。

法律としては、「八色の姓(やくさのかばね)」「庚午年籍(こうごねんじゃく
/こうごのねんじゃく)」「庚寅年籍(こういんの~)」「大宝令(たいほうりょう)」
といった高校の歴史の教科書で学ぶような名の知れた法律が関係してきます。
それから、藤原道長が出てくるまで200年くらい。
そのあいだに、皇子が民間人になり姓を与えられる際の例が出てきたり、
関係の無い姓を名乗る人が出てきたりして、正直言って、当時の彼ら自身でさえ
混乱してきます。「もう、誰が誰だかよーわからん。」と。
文献に残っているので、これは間違いありません。

結果的にそうなってしまったのは、氏姓によって社会的な序列が明確に
分かれていた強い身分制度の世の中だったためです。
12世紀くらいになると、同じ姓の中でも特に○○というかたちで今の名字に
相当する名乗りをする例が出てきます。
それは実力主義が台頭してくることを意味するのですが、長くなるので
もうこれくらいにしておきます。
最終的には、明治維新のころの「壬申戸籍(1872年)」まで話は続き、
このときにやっと戸籍上の記録は「姓名」ではなくて「氏名」で登録を
することに落ち着いたようです。ただし、この「壬申戸籍」については
私はほとんど知りません。
たとえば、それまでは初代総理大臣の伊藤博文は越智宿禰博文と正式には
記していたようです。大久保利通は、藤原朝臣利通だったでしょうか。
ここらへんの話は、より詳しい方に期待しましょう。
※よく「姓名判断」と言いますが、本来の「姓」は違う意味です。
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まず、これは姓と苗字の違いを明確にしないといけません。



平、源、藤原、橘、菅原、豊臣といったものは「姓」です。
姓とは天皇から賜るものです。
対して、織田、羽柴、伊達、浅井、朝倉といったものは、「苗字」です。こちらは自分で勝手に名乗るもの。

公文書や書状、また名乗りなどは姓を使います。
徳川ならば、源の後裔としていたので、姓は源となります。

で、姓には基本的に「の」を入れます。これは現在で言うところの「誰彼のせがれ」とか「誰彼の子孫」とか人のことをいうのと同じ感覚です。
つまり、自身がどの出自(血統)であるかを名乗っているのです。これは当時の慣例ですね。あくまで自分の血統を示すものです。

これが戦国時代における姓の使い方ですが、平安末にはまた少し違う様相がありまして・・・
あのころには、まだ「姓しかない」家があったのです。源氏の宗家とか、平氏の宗家など。
で、彼らには姓しかないため、それで呼ぶしかない(もちろん彼らからすれば、自分の家が賜った姓なのだから、わざわざ苗字を名乗る気はないのでしょう)。
なので、必然的に姓の慣例である、氏への所属を示している「の」の入ったものがそのまま現代でも使われます。というよりも、それしか呼び様が無いのです。



ここからは半分脱線します・・・

なお、苗字を持っていた家は、平安当時から苗字を使っています。北条や熊谷は姓は平ですが、苗字はこちら。

さて、実は苗字も元の風景としては「の」を入れている節はあります。
しかし、これはあくまで、「○○国の(苗字)の次郎」という具合でして、「○○国のどこどこの」の「どこどこ」が苗字なのです。今で言うところの「神奈川県横浜」の、「横浜」にあたるのが苗字となっています。これが苗字の出現。つまり、自分の出身地とか、住んでいるところをあらわすものなのです。

つまり、最初に姓(つまり血統を示すもの)が現れて、それが広まっていくと、苗字(住んでいる土地などを示すもの)が現れたのです。
たとえば、現在「鈴木」なんていうのはそこらじゅうにいます。で、「鈴木の子供」なんていってもどこの鈴木だかわかりません。そうすると、どうするかというと「○○の(○○にすんでいる)鈴木の子供」とかなるのです。つまり、○○が「苗字」なのです。たいていは地名が入ります(実際には、逆に姓の部分が飛ばされて名乗られますが。これは、「(屋号)のせがれ」とかと同じ感覚です)。
村上という土地にいるから村上、足利という土地だから足利、といった具合です。苗字はそういうものなのです

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/本姓
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