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地下鉄などでみかける上記の方は一人でもテキパキとご自分の周りを的確に捉えて移動されています。
私はある程度、様子を伺ってから、あまりにも「危ない!!」と思うようなことが無い限り、あえてお手伝いしないようにしています。

それは、やはりテキパキされてる方の自尊心を傷つけたくないし、「自分でできるよ!」と反感も持たれたくないからです。

なのに先日、白い杖でテキパキされてる方に、「あのぅー大丈夫ですかあ?よければ手をつないでいましょうかあ?どの駅でおりるんですか?」→下車後、「あ、ここに点字ブロックありますけど、ホームに近すぎて危ないですよねー、もう少しこちら側で歩きましょおー」となんだか見当違いな口調とセリフでよっていった女性が回りから「おー、この子はエライ」とゆうような眼差しで周りから見られていました。

そして近くにいた彼女と同年代の私には「だのに、お前ときたら」とゆうような視線が見え隠れした気がしたのです。

考え方は千差万別、当たり前。
それはわかるのですが、なんでもかんでもそうやって障害のある方に様子もみないですぐに手伝いにいくのは「なんだかなあ・・・」と思うのですが皆さんはどうお考えでしょうか?

A 回答 (6件)

以前に新聞で、同様の記事が載っていたことがあり、そこで全盲の方で


いつも利用する駅などで、歩数を数えながら歩いているから(何歩でどの辺りに自分がいるのか見当をつける)急にしゃべりかけられると何歩だったか分からなくなると言われているのを読んだことがあります。私も見守り派です。お困りになってる時はいつでもお手伝いしますが、かえって迷惑になってはいけないと思うので。
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この回答へのお礼

この場を借りまして皆様、貴重なご意見、有難う御座いました。

障害の方に「どうしたら役に立てるだろう?」と一人で勝手に悩んでないでコミニュケーションをすればいい・・・・。

それは障害も何も関係なく、普通に考えればいいというシンプルな価値観に一つ成長できました。

お礼日時:2006/07/13 22:58

こんにちは


「ボランティア精神の相違」なのかもしれませんね。
私は聴覚障害の方々と共にボランティア活動してます。

ボランティアって自分が障害者に対して何かを与えることだと思っていました。
手を貸すとかお金を募金するとか。

ボランティア活動して気がついたことは
「障害者とは障害者って区別されてるだけで同じ人間なんだ」
という当たり前のこと。

相手が障害者だとしても健常者だとしても困っていると自分が感じれば声をかけるのが人情かもしれません。

障害者の自尊心を傷つける と言えば話がこんがらがってしまうんですが
例えば、電車に乗った時、明らかにご年配の方が立ってて、
自分は座ってて席を譲ったら「年寄り扱いするな!」って思われちゃうかなぁ…という心境と同じなんだと思うんです。

ヘレンケラーは見えない、聞こえない、話せないの三重苦を持っていました。
「最大の障害はなんですか?」という質問の答えが印象的でした。
「最大の障害は社会的障害です。身体的障害は障害とは思っていません」

手話で言うボランティアは「お互いが歩み寄って、手を取り合って歩んでいく」という形を現します。

相手を障害者とみるな!とは思いませんし
障害者だから助けろ!とも思いません。

ですが、同じ人間だもん。
一緒に生きていこうよ って思えば、
ボランティア活動とは健常者が障害者に何かを与える行為のことじゃないんだ。
人間対人間だからだれでもできるんだと私は感じてます。

元気なお年寄りが若い妊婦さんに席を譲る
そんなことがあってもいいんじゃないかなぁと思いました。
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全盲です。

私はどんな状況であれ声をかけていただけるのは大変有り難いことです。平静を装っていても実はどこまで歩いているのか不安だったり、駅のホームは大変怖いです。誰かに助けを求めるにしてもどんな人が歩いているかわからないのに、声をあげて「すみません」と言うのも何だか恥ずかしいです。そんな時に「お手伝いしましょうか?」と一言、声を掛けてくれるのは大変嬉しいです。
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こんにちは。



眼科でロービジョンケアを専門とする者です。

こんな我々でさえ、通常街中で視覚障害者を見かけても声をかけたりはしません。一般人よりも当然気にはなりますが。

 突発的な事故などでイレギュラーな状況に遭遇した場合は真っ先にその方を助けるでしょうが、街中に一人で出られない初心者の視覚障害者ならば付き添いの方が必ずおられます。一人で電車に乗るというレベルの方は相当訓練を積んでます。よって逆にいえば安心出来るということです。

 一般的には視覚障害者の方を街で見かけたら助けた方がよいと考える人と、必要としていれば助けるべきだと思う人と半分半分だと思いますが、現実的にはkouyamaさんのような考えの方が多いと思われますし、そのこと自体、視覚障害者の方がよく分かっておられます。

 おそらくその女性はごく最近でも福祉の勉強でもかじられたのではないでしょうか(話の内容からして)、それでその知識を役立てたいと思い、がんばった、と考えるのはどうですか。そういうことは良くあることですよね。法律の勉強をしていたら法律用語を使いたくなる、、みたいに。

 >そして近くにいた彼女と同年代の私には「だのに、お前ときたら」とゆうような視線が見え隠れした気がしたのです。

 これは気にしすぎですよ。大丈夫です。

 視覚障害者を見かけた場合、気になるようでしたらとりあえずその方の横に立ち「お手伝いしましょうか?」と優しく声をかけて下さい。「大丈夫です、ありがとう」「お願いできますか」と返事があるでしょう。
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お手伝いしないのと声かけしないのは違いますよ。


見知らぬ場所では誰かが声をかけてくれただけで安心するものです。お手伝いはいらなくても見守ってくれている他人がいるだけで気持ちが安らぐと思いますよ。

もちろん、へんくつな方もいますのでよけいなお節介と思われることもあるでしょう。
ですが、障害者と健常者としてでなく人間として声かけができたらすばらしい事だと思います。

「おー、この子はエライ」なんて他人に思われる必要はありません。自分で気になるからするのです。
気にならないのなら黙っているほうがましです。
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私もあえてお手伝いしない派です。


でも、様子を見ていて助けが必要そうな時は
お手伝いします。

以前電車で、視覚障害者の方を空いている席にと
思ったのですが、「自分でどこに座ったのか
わからなくなるから」と遠慮されたことが
あります。
全く頭になかったことなので、そういうのも
あるんだなぁと勉強になりました。

福祉の勉強をかじった時も、視覚障害者が
健常者と歩く場合の距離のとり方、
手のかけ方が違うだけでかなり恐怖を感じる
ことを学んだので、変に手を出すと逆に危険ですし
障害者の方に負担が掛かってしまいます。

わからない人にはわからないと思いますので、
冷たい目で見られても気にしません。
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