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「自分とは何者なのか」を問うことの意義は何でしょう?

A 回答 (7件)

自分が他人や組織の操り人形に陥らないための努力です。



自分は他人とは違う、自分としての価値があるんだということを、

強迫観念に近い形で形成していく。

自分が単なる“動くガラクタ”ではないことを、

心に刻み込むための努力とも言えます。

人間にはそれが必要だと思います。

もし「自分が何者か」を問う努力を止めてしまえば、

そこで人間はゴキブリと大差ないことになるだけです。
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私って何者?



ずっと有能なるビジネスマンを自認していた私ですが、今は

● ガンが見つかり現在、自宅療養中の患者です。

● 定年退職後、料理教室に通い、良き主夫を目指す初老の男性です。 でも料理は実に奥が深い。 まるで人生そのものです。

● 次ぎの旅が最後の旅であると知っています。 今、待合室で『コール』を待っています。

● OK wave を知って、若い人達との交わりが楽しくなりました。

ここ数ヶ月の変化を通して認識した私自身です。  
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 逆に、自分であることの証明は、何を持って行いますか。


 例えば、郵便局や宅急便で、不在票が入っていたので、取りに行った際、身分証明書(免許証や健康保険証など)の提出を求められます。その時、もし所持していなければ、「自分が○○だから、渡して欲しい」と言っても、渡してくれません。この身分証明書は、英語圏内では、ID(=アイデンティティ・カード)と表現します。これは、社会的な面での、自己の証明、自分が何者であるかを証明するものです。
 社会的な面の土台にあるのが、心理的な面においての「自己意識」(=自分とは何者か)です。自己意識は、成人期以降の社会的・職業的アイデンティティを確立する為にも、必要不可欠ではないでしょうか。確立していない現象の一部として、一昔前の言葉のDINKSかもしれませんね。
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「自分とは何者なのか」を問う主体は何者か? を考えて見ます。


少なくとも、他者が自己となって、自分について「自分とは何か」を問うことは不可能です。自分を一度対象化して、その対象が、考え、感じることなしには、自己が自分について考えることはできません。

リンゴは自身を対象化できません。他者から赤いだの甘いだのバラ科リンゴ属だのと対象化されるのみです。リンゴはアイデンティティを問えず、常に他者から定義され、結果を観察されるしかありません。

しかし、「自分とは何か」を問える自己は、自分で自己を観察し、定義することができます。このことは、「自分とは何か」を自己に問うた後にしか自己の主体性が発揮されないことを意味します。「自分とは何か」を発する主体の存在を証明することによって、自己の主体性を発揮できる条件が整うことになるでしょう。
アイデンティティを問う意義は、自己が主体性を持つための最低必須条件だといえるのではないでしょうか。
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あなたの好きな人が、二人いるとします。



さらに、「もし」がつきます。

そのひとりに、あなたがなったと想定して、自分のことを「どうアピールする」でしょう。

意義は、自分で考えることでしょう、多分。
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「自分とは何者なのか」を自分に問えるのは人間だけで有り、自分のこ


とを第三者の視点から眺めることは非常に高度な精神的営みと言えます
つまり人間だけが持つ客観的な思考の原点が、そこに有ると思います。
この問いを問うことの意義よりも、問えることの意義のほうが大きい
ように思うのですが。
答えになってないかな
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「問うことの意義」という以前に、「自分とは何者なのか」という疑問は粛然として我々の前に立ちはだかる疑問です。


これを「わからないから」「面倒だから」という理由でシカトてしまうか、適わぬまでも立ち向かうか、ということだろうと思います。
必ずしも結論が出るとは限らないことに関して思考の矢を射ることは重要です。
これを避ける人は、人生の重要な局面においても同様の理由で問題から逃げようとするか誤魔化そうとするでしょう。

以上が二義的なしかし現実的な「意義」です。

第一義的な答えは無いも同じで、ただ、そう問うことの理由として、
「明白な存在理由が確認できないまま生きるには、世界は余りに未成熟すぎるから」ということは言えるのではないかと思います。
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