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天罰、ばちがあたるってあるんでしょうか?
「ばち」とは何でしょうか?
神様が与えているそうですが、いくら神だからといって自分の判断だけで人間を好きなようにしていいのでしょうか?
また、人間以外の動物や植物にも天罰は与えられるのでしょうか?
人間だけが邪な心を持っているという人もいますが、この根拠はどこにあるのですか?

天罰は、関係のない後ろめたいことをした場合でも与えられるのでしょうか?
例えば
・道にゴミを捨てた罰でテストで悪い点を取る
・親が見ていない隙に戸棚から食べ物を盗って食べた罰でバイトの面接に落ちる
・同僚を酔わせてその場の食事代を払わせた罰で翌日妻から「あなたとはもうやって行く自信がないわ。別れましょう」と言われる(同僚は酔っていて気付いていない)
・人の家の窓を割ってしまい、誰も見ていない・家の人も気付かない(留守)のをいいことに何もなかったことにして逃げた罰で交通事故にあい大怪我する

などです。
よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

#8です。

ご返事ありがとうございます。

>天罰は心理的な作用なんですか。
:「悪いこと」は誰にでも起こるものですよね。
いいことだけしか起こらない人というのはいません。
ただ、普段からの物事に対する【姿勢】が色々な方面に現われますから、普段の(生きる)姿勢が悪いと悪いことが多く起こりやすいのは当然ですね。

勉強がちゃんとできていないから平気で道にゴミを捨てるというのは、
学校の勉強さえきちんとやることができないような性格の人は平気でゴミを道に捨てたりする人が多い、ということです。
そして、ゴミを捨てたからテストが悪かったなどと思うわけですが、それは考え方が逆だ、と申し上げているわけです。

きちんと普段から真面目に努力している人は、たとえ怪我をしてテストが悪かったりしても、怪我をして時間がとれなかったのだから仕方がない、と「論理的」に理由を考えることができます。
また、普段から何でもいい加減にやっている人が怪我をすると、何の関係も無いのに、
ひょっとして先月のアレのせいか? いや、三日前のアレが悪かったのか? など色々と自分のやった後ろめたいことを思い出して関連付けようとしてしまうわけです。
「天罰が心理的」というのは、そういう意味ですね。

苦手な分野がそれほど多いということは普段から勉強していない証拠ですから、生活姿勢に問題があると考えて差し支えないでしょう。

何かわからない天からの罰などとすることで、自分の努力不足を棚にあげて、さらになまけようとする弱い心を持った人の考え方であることは間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

普段の物事に対する姿勢が悪いと悪いこともよく起こりますね。
いい加減な性格の人はマナーを守る人は少なそうですね。ゴミを捨てたからテストが悪かったのではなく、いい加減な性格=勉強をする姿勢がなっていない
のでゴミをポイ捨てするのですね。
まじめな人は論理的に考えるのがいい加減な人よりよくできそうですね。いい加減な人は関係ないことでも持ち出して理由にしてしまいそうです。

天罰は怠けている人が努力不足を棚に上げて人のせいにしているとお考えですか。
再度回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/09 02:46

それぞれが


天や
神を
どう捉えるかで述べる内容は異なるが
又罰という言葉が適当かどうかも解らないが
もしあるとすれば
天罰は種全体が対象だ.
と私は思う.
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この回答へのお礼

神をどう捉えるかで違うんですか。
罰は適当な言葉ではないかもしれませんか。
種ってなんですか?

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/04 01:10

「自分にとって良くないこと」が起こった場合、後ろめたいことをしている人は「あれが原因か? 」と感じてしまう。


これが天罰の正体です。
誰かから与えられるものではなくて、個人の中での心理的な作用にすぎません。

しかし、実際に悪いことをすると罰としか思えないような事が起こるのは事実だ、と考える方もいらっしゃいますが、それは単なる論理のごまかしに惑わされているだけです。

・「道にゴミを捨てた【から】テストで悪い点を取る」わけではありません。
テストで悪い点を取るというのは、あまり勉強していないからですが、そのように学校の勉強すらちゃんとできないような人だ【から】道にゴミを平気で捨てたりする、ということなのです。

以下同様に
・「バイトの面接に落ちる」のは、必ずそうだというわけではありませんが、「戸棚から食べ物をこっそり盗るような陰険な性格が相手に伝わったから」です。
・「別れましょう、と言われる」のは、同僚を酔わせて食事代を払わせるような元々こすっからい性格に対して妻が嫌気がさしていたからでしょう。
そういう性格の人は他でも色々な場面でこすっからい事をしているに決まっていますから、同僚に食事代を払わせなくともいつかは性格自体に愛想を尽かされて別れを言い出されていた、ということです。
・交通事故に遭う。
これは悪いことをしていなくとも遭いますから、単なる偶然でしょう。
ただ、悪いことをして逃げた、という罪悪感があると、そのような偶然の事故でも何か関係があるように思ってしまうわけです。

つまり、天罰とは神様が与えるものではなく、
自分の罪悪感が自分自身に与える罰だ、というふうに考えれば「ある」と言っても間違いではないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
天罰は心理的な作用なんですか。
学校の勉強をちゃんと出来ていないから平気で道にゴミを捨てるんですか。
でも、その悪かったテストでたまたま苦手な分野ばかり出ていたり、前日病気や怪我をして勉強が出来なかったというのも考えられますが。
一つ一つ解説ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/04 01:01

>天罰、ばちがあたるってあるんでしょうか?



人によって、「ある」、「ない」、「どちらともいえない」となると思います。
「ある」・・・信じている人、経験した人など
「ない」・・・信じてない人
「どちらともいえない」・・・因果律は認めるが、結果を罰とは言わない。あるいは、立場上他人にはあると教えるが、本人は認めてない場合。


>いくら神だからといって自分の判断だけで人間を好きなようにしていいのでしょうか?

(存在すると仮定して)そういう存在です。神の立場では、自分の創造物だから・・・となるでしょう。
あるいは、地獄の閻魔様のようにそういう役目だから・・・となるでしょう。
裁判の被告人が、裁判官に対して「いくら裁判官だからと言って、自分の判断だけで人を好きなようにしていいのか」と言っているのと同じです。


>人間以外の動物や植物にも天罰は与えられるのでしょうか?

すずめとツバメの物語より。
神様の招集に、着の身着のまま急いで出かけたすずめには、お米を食べる権利を与えました。
身支度に手間取って、遅れてきたツバメには米を食べさせない(罰)で、虫しか食べられないようにしました。


>人間だけが邪な心を持っているという人もいますが、この根拠はどこにあるのですか?

根拠はありません。その人がそういう風に思っているだけです。
そもそも「邪な心」ということ自体が、この「天罰」と言うことと同じくらい、いろいろな解釈や考え方を含んでいますよね。


>天罰は、関係のない後ろめたいことをした場合でも与えられるのでしょうか?

これも、人によって、「与えられる」、「与えられない」、「どちらともいえない」となると思います。
「与えられる」・・・信じている人、経験した人など。
「与えられない」・・・信じてない人。
「どちらともいえない」・・・因果律は認めるが、それは結果であって罰とは言わないとする人。


たとえば道を歩いていて、
お金を拾った人は「道にお金が落ちていた」と言うでしょう。
見なかった人は(たとえ本当に落ちていたとしても)、「道にお金は落ちていなかった」と主張するでしょう。
あるいは「落ちていたか、落ちていなかったか、どちらともいえない」と言うはずです。


「天国と地獄」、「幽霊と霊魂」、「UFOや宇宙人」など、科学的に完全に証明されていないものは「信じる」か「信じない」かによって立場や考え方が人それぞれです。
これが絶対正しいと言うものはありません。
ただ、「天国と地獄」や「天罰(神罰、仏罰)」は、社会規範や幼児期の教育に深いかかわりがあります。
「ない」と言う立場の人の中には、「だから、何をやってもかまわない」と言う考え方の人もいます。
「ある」と言う人の中には、「だから、そう考える(教える)ことが必要」と言う考え方の人もいます。
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この回答へのお礼

天罰は3通り考えられますか。
神はそういう存在なんですね。
宗教の宣伝物のような気もしてきましたが・・・
そのスズメとツバメの話も人間が作ったものですからあてにはなりませんね・・・
人間だけに邪心があるというのも根拠はないんですか。

天国・地獄などの科学的に完全に証明されていないものは人それぞれで絶対正しいのはないんですか。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/04 00:57

因果の理法のうちの悪因悪果を大局的な観点から天罰ともいいますね。

個人的観点では「自業自得」ですね。
さて、天罰があるかといえばありますね。でもこれは個人に対するものではないですね。天罰というのは非常に大きな規模での悪因悪果ということですね。例えば地球規模の温暖化で日本の地方に集中豪雨があり村ごと流されるなどは、村人にとってみれば天罰としか言いようがないですね。地震などでの被害はもう少し小さな天罰といえるものですね。これもどうしようもないですね。
こういうどうしようもないのが天罰といえるものですね。個人個人については自業自得でしょう。
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この回答へのお礼

天罰はあるとお考えですか。
温暖化の集中豪雨で村ごと流されるのは何の天罰か知りませんが天罰でしょうね。
個人で悪いことをして自身の身に悪いことが起きるのは自業自得なんですか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/04 00:50

私は、天罰は「ある」と思っている人には「ある」、まったくそんなものはなく、単に不運が重なっただけだと思える人や、自分の行為が社会的倫理・通念から反していないと思っている人には「ない」のではないかと考えます。

占いを信じるか、信じないかと同じです。
なので、そのようなことを考えずあるがままに生きている動物や植物は、そのような概念を持たず、災害や不運な出来事に遭遇したとしても、「天罰が与えられた」とは感じないだろうと思います。

また、「天罰は関係のない後ろめたいことをした場合でも与えられるのでしょうか?」とのご質問ですが、私はギャクにに「関係のない後ろめたいことをした後に、不運な出来事があった」ことを「天罰があたった」というのではないかと思います。後ろめたいことをしたことに対する正当な制裁(警察に捕まる・叱責される等)が下された場合なら、「天罰があたった」とは言わないと思います。

いくつかの例挙げておられますが、「天罰はある」と考えており、自らの行為が不当行為にあたると判っている人ならば、どれも「天罰があたった」とかんじるでしょうし、「天罰などない」と考えている人なら「たまたま悪いことが重なっちゃったなあ」になるでしょう。また、道にゴミを捨てることを当然と思っている人ならば、その直後に不運に見舞われてもその二つの現象を結びつけて考えないだろうと思います。
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この回答へのお礼

天罰は占いを信じる・信じないと一緒ですか。
後ろめたいことをした後の不運を天罰といいますか。
天罰を信じる人は「あのことで罰が下された」信じない人は「不運が重なった」と考えるのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/13 18:03

 何か悪いことをした場合に いわゆる「天罰」というものが下る可能性はあります。


 ただ それは神が下すもではなく 無意識の裡に 自分自身が自らに与えるものと考えています。その実行者は「超自我」だろうと推定しています。
 「超自我」は常にその人自身を監視しており 悪事を為すとその代償として自らに報復します。これがいわゆる「天罰」といわれるものだろうと思います。
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この回答へのお礼

天罰は神が下すものではないとお考えですか。
自分自身が自分を監視していて、悪事をすると自らに与えるんですか。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/08/13 18:00

天罰というのは罰を与えた本人でなければ、罰なのか偶然なのか解りません。


それなのに「天罰」という言葉を、本来区別できるはずのない人間が使うのは、これは勝手に関連付けてそのように表現しているだけだと考えます。
(その言葉を使うことで民意を表すことも多いです。)

それから、人間からみて理屈がわかるものについては因果応報などの方が適している場合がありますね。

・道にゴミを捨てた罰でテストで悪い点を取る
たとえばこれを天罰と表現したとしても、

・道にゴミを捨てたのを、実は誰かに見つかっており、片づけを一日中させられて予習ができずにテストで悪い点を取った

ならば、自業自得になってしまいます。
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この回答へのお礼

天罰は罰を与えた人ではないと罰か偶然かわかりませんね。
与えられた人が勝手に関連付けているだけですか。
ゴミの片づけをさせられテスト勉強ができなくなったなら自業自得ですよね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/13 13:29

「天罰」なるものが信じられた方が社会防衛上好都合だというだけです。



実体の無いでまかせを掘り下げて議論しても時間の無駄です。
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この回答へのお礼

天罰を信じたほうが社会防衛上好都合ですか。
NCUさんは天罰はでまかせだとお考えなんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/13 13:27

巡り合わせはあると思います。


不特定の相手によくないことを行い続けると
当然報復の数も増えるでしょうし。

これはあくまでも人間関係の中での話で
それ以外の罰(ばち)は当人が後付で
関連づけてしまうモノなんでしょう。
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この回答へのお礼

相手に良くないことをすると、反感を多く買い、向こうからも嫌なことをされる可能性が増えますね。
人間関係以外のばちは後付で関連付けるものだとお考えですか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/08/13 13:26

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