プロが教えるわが家の防犯対策術!

はじめまして。自分は25歳の男です。
自分と同じような人がいるのか知りたくて質問しにきました。

自分は何故か寂しがりや(恥ずかしい)なんです。
仕事が終わり、電車で家に帰る途中でも誰かと遊びたくてウズウズしてきます。別に何するってわけでもないのですが、誰かと一緒にいたいんです。
しかし、普通の人は毎日誘われればうっとうしいと思うようでだんだんみんなとも遊ぶ事が減ってきている気がします。彼女にしてもそうです。たちが悪いのは自分でも自分のことを『こんなにみんなに毎日電話すればうっとしがられてもしょうがない』とわかってる事です。ですので、やはり僕もしつこがられた人には電話しないようにしていますが、だんだんストレスが溜まってきます。「自分のいないときにみんな遊んでる」とか想像すると非常に落ち込んできます。これは彼女に対しても同じです。彼女も働いているので「2週間か3週間に1回会うのが25歳位では妥当じゃないの?高校生じゃないんだから」と言ってきます。よくわかるのですがつまらないです。 最近なんかこのような、変な事で非常に悩んでいます。自分も人並みに色々経験してきて、非常につらい事も今までの人生の中では多少ありましたが、今の悩みも結構深刻です。 毎日考えていますがやはり皆様は耐えているのでしょうか? 
このようなご経験がある方、経験はないけどなんとなく気持ちがわかる方、なにか、良い打開策がありましたら教えてください!
どうぞ宜しくお願いいたします。

A 回答 (3件)

はじめましてUGIさん



わたしはむしろ逆の経験が多いのですが、わたしの同級生にあなたのような友人がいましたので、一言。
迷惑がられても、多くの人に会いに行くことです。ただし、相手のために何をしてあげられるか、自分なりの思いで結構ですから、それを相手に示すこと。それがまじめであれば、必ず何かしら得るものはあるはずです。

でも、あなたの欲しいのは、ガールフレンドなのか、信頼できる友人なのか、相談相手なのか、ご質問の範囲ではちょっとつかみかねます。それを整理してみてください。

的を得ているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
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すいません。

先ほど回答しましたBUDHAです。
一言補足を。

電話は何度もしてはいけません。直接会いに行くこと。
楽な方法を選ぶことが相手に不快感を与えている訳ですから、自分の時間をさいて、汗を流して会いに行くことです。そういう誠実さが必要です。

それが空振りになったとしても、そういう事によってあなたは成長するはずです。
ただし、対象が女性の場合、ストーカーになってはいけません。断られたら、そのつらさを受け止めること。

まあ、とにかく身近な話し相手を作ることからはじめてみてはいかがですか?
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この回答へのお礼

わざわざ、2回もご回答頂きまして本当に有難うございます!
BUDHAさんのおっしゃっている事は的を得ていて正しいと思いました。

自分は、女性、友達、というような特定の人を求めているのではないです。
友達も今数えてみますと、常時遊ぶ友達なら7~8人はいます。
しかし、大抵仕事している友達なので遊んだり、飲み行ったりするのは週末ですよね。やはり皆は平日は仕事で疲れている様です。

学生の時は、大体週に4~5回位は友達と遊んだり、彼女と遊んだりしてました。
これは結構他の皆様も同じだと思います。(違ったらごめんなさい)
ただ単に、体力が人よりありすぎるのかわかりませんが、自分は社会人になってもまだ、遊びたいという欲望が消えません。 誰かと一緒に馬鹿話でも良いので一緒にいたいのです。  まあ、残業するとか、何か他の趣味を見つけるとか色々具体的な方法はあるのですが、この精神状態を治したいなぁと思っております。
この度は、このちょっとおかしい精神状態を直す為の知恵をご教授いただければと思い質問させて頂きました次第です。   しかし、難しすぎる質問かもしれませんね。 申し訳ございません。

お礼日時:2002/03/13 09:20

こんにちは。

私が20代の頃も同じような心境のときがありました。
ひとりでいる時間が人生の無駄のように思えて、いつも誰かに「ここに居ていいよ」と言ってもらえる場所が欲しかった。どうしてみんな、機嫌よく独りの部屋に帰って行けるのか全然わからなかった。

今わたしが思うに、このことの原因は
「自分が自分の価値を認めていない、自分が自分のことを条件付きでしか『よい存在』と思えない」
ことだったのではないか…。

それで、私はとにかく、ひとつのグループの友人たちに自分を特化させて、そのグループにとって魅力的であろうと努力しました。それでとにかく、その人たちはわたしを好きでいてくれたしちょっとなら甘えることもできた。
でも、友人たちには帰るところ、「居心地のいい自分の世界」があって、それぞれが独りを楽しんでいて、私だけそれを持っていなかった。そのことがいつもとても寂しかった。

そんな時期があって、それからある異性と強い共依存関係を作ることに成功して、その間はかなり毎日が充実していたように感じていました。だけどそれは、2人で互いに穴を埋めあってやっと立っている状態。やがてその関係が破綻して(どちらかにもっと「都合のいい」相手が見つかれば簡単に破綻します)、私にはどこにも行くところがなくなった。そのときちょうど体を壊して入院しました。

病院は周り全員が知らない他人だらけの場所だったけど、そこではみんなが、私がまた元気になって生活できるようになることを、あたりまえに願ってくれていた。それは私が私にしていなかったことだった。私は自分が寂しくないためだったら、自分がどんなに疲れてもみじめな思いをしても気にしなかった。誰かに好かれ、居てよいと言ってもらうためなら自分の状態なんかどうでもよかった。でも病院では、スタッフはとにかく私の体を治そうとしてくれるし、患者さんたちも「自分を大切にして当たり前」と思っていて、私がそう思っても、誰も私を嫌わない、むしろ、励ましてくれる。そのことがとても不思議で、ほとんど夢のように感じたのでした。
そういう風な場面、状況がこの世にある、ということを知ったことが、私の成長の始まりだったと思います。

最初はけっこう怖かった。「私が自分を大切にしたら、誰もいなくなっちゃうのではないか」って思っていた。だけど、自分の気持ちを小出しにしてみたり、ときどき思い切った行動を取ってみたりしたら、意外にも周囲は、さらっと受け流したり、さらには歓迎して受け入れてくれたりしたのです。そういう経験をいくつも重ねていって、「自分はこのままで世間に通用する、このままで居てよいのだ」という感触をだんだんと手に入れていきました。この時期に、ちょうど地域の教育センターで開催されたアサーティブトレーニングを受けられたこともラッキーでした。これはまさに、自分を大切にしながら周囲とうまく折り合いをつけるための技術を学ぶものだからです。

そんなことがあって、自分を大切に思うようになったら、独りでいることが怖くなくなったのです。
私の場合は、そんなふうでした。お役に立てたら幸いです。
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この回答へのお礼

mimosa2001さん、ご回答誠に有難うございます!

実は、mimosa2001さんの20代の頃とと全く同じ様な感覚でいます。
みんなと遊ばないとウズウズしてくるというよりも
「自分が疲れていてもみんなと遊ばないと、誰もいなくなっちゃうのではないか」
というような感覚の方が合っている事に自分で今気づきました。

「自分を大切にする」 普通のことですね。
自分にはこれが出来ないから、人に嫌われる?(嫌われるまでいってはないのだが)のだと感じました。やはり、25歳にもなれば、話していて安定している人間のほうが心地よいのでしょう。 今までの自分としての欠点を再確認した気がします。

私は、今躁鬱病になるまではいきませんがそれなりに結構悩んでいました。自分の性格が本当に嫌になっていました。嫌な性格と十分理解して生活している自分が嫌になりました。 しかし、あらためて第3者のありがたい意見をこうして聞くと、より鮮明に自分が見えてきた気がします。
有難うございました!

お礼日時:2002/03/13 12:38

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