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 東京書籍の「新編 新しい社会 歴史」(中学校の教科書)、山川出版社の「改訂版 新詳説 日本史」、「日本史B用語集」等で、日本史を勉強している社会人です。
国司、荘園領主、守護、地頭が農民に要求するモノについて、混乱しています。

・国司…奈良時代から。朝廷が、地方の国に貴族を派遣。
・荘園領主…奈良時代の墾田永年私財法から。
・守護…頼朝の時代から。幕府が、国ごとに警察として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。
・地頭…頼朝の時代から。幕府が、荘園・公領ごとに年貢の取り立て役として派遣。御家人に、領地とともに与えられる地位でもある。

という原則は、理解できました。(間違っていたら、指摘してくだされば幸いです。)

 室町時代になると、守護大名が国司の権力を吸収するようなので、話は少し簡単になると思うのですが、鎌倉時代における、これら4者の役割・権限分担がよくわかりません。(「領主に年貢を納める」、「地頭が兵役を課す」という記載が中学校の教科書にはあり、ますます混乱しています。)
これら4者が農民に要求するモノ、朝廷や幕府への年貢の流れ等、ご教示くだされば幸いです。

A 回答 (6件)

NO3補足の回答です。


「荘園」とは、御存知と思いますが、墾田永年私財法の適用により、公地公民の原則をはなれて、私有を認められることにより始まり(初期荘園)、これはその後衰退しますが、11C中頃に急増する、国司の収奪を免れるために、寄進されて中央の有力者(有力貴族・寺社・皇族)名義の私領となったもの(寄進地系荘園)ですから、事実上の「私領」と考えて差し支えないと思います。言葉の上でも、○○荘と呼ばれ、○○郡・○○郷などの公領と区別されるようになります。 最も、「公領」の方も、院政期以降、引退した元天皇(=上皇・院)という私人により政治の私物化が進み、知行国制などのため、有力者が収益を得るための「私領」に等しくなります。NO1で国司を公領のオーナー(のようなもの)と表現したのはこのためです。
 鎌倉時代の守護の職務なわばりは、主に軍事警察など今で言う刑事に限られており、一般行政を司る国司との棲み分けが建前でしたが、時代が下ると、在地武士クラスである国衙の在庁官人にも命令権を行使するケースが出てきます。元寇期にそれがさらに強まり、南北朝期になると刈田狼藉取締権や使節遵行権など当時は民事と見なされていた分野にも権限が及ぶようになり、半済令に及んで荘園公領の年貢半分の徴発抑留権を持つに至って、土地・ヒトに対する支配権も強め、ほぼ一国全体を掌握する守護(守護大名)も現れます。
これにより、既に形骸化していた国司の権限は、有名無実化して名誉職のようになっていきます。ただ、守護大名クラスの有力武士が国司に任命されるケースもあったりします。
 内容が本来の質問より、領域が広がりすぎてしまったので、この上は新たに質問をたてられた方がよろしいかと存じます。
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この回答へのお礼

 「墾田永年私財法の適用により、公地公民の原則をはなれて、私有を認められる」ということで、納得できました。

 また、守護大名と国司の関係も理解できました。

 ありがとございます。

お礼日時:2006/08/23 23:00

No.4です。

   御指摘の通り、不輸不入の権が適用されている場合と思います。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
納得できました。

お礼日時:2006/08/20 19:08

承久の乱以降ですが


地頭(新補地頭)について新補率法ができました。  地頭は担当地域の十一分の一の土地を貰い、その年貢を自分のものとしました。 その他の国司(国衙領)や領家(荘園など、開発領主や在地領主のものも含む)の土地からも年貢のほかに加徴米を取り自分のものとしました。   国衙領や荘園からの年貢、公事の徴収も代行していたので、農民から二重取りしていたのではなく、まとめて徴集したでしょうが、重税になったかわかりません。
守護は tosugiさんの書かれたように、年貢の徴集権はありませんが、軍事、警察権を持ち、治安維持にあたるため、人馬徴集権があり、のちに金納になったようです。  税の一つです。   これも地頭が行ったかは知りませんが、その可能性はあります。   地頭も警察権があり、守護との関係は微妙で、対等の意識を持っていたと云われています。   結局
     地頭があつめた年貢は
         国司へ年貢  一部国司、一部地頭、残り朝廷
         荘園へ年貢  一部地頭、残り領主(在地、公家、寺社など) 
         地頭へ年貢
以上は米ですが、その他の山野、海川産物の年貢は半分が地頭へ、半分が国司、領主へとなります。
公事(人馬の徴集)は地頭から守護へ

 鎌倉時代のことは不分明なことが多く、間違いもあるかも知れません。

この回答への補足

 ご回答ありがとうございます。
「荘園へ年貢  一部地頭、残り領主(在地、公家、寺社など)」とございますが、これは不輸不入の権が適用されている場合でしょうか?そうでない場合は、国司や朝廷にも年貢が流れたのでしょうか?

補足日時:2006/08/20 00:47
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補足に対する回答です。


 荘園は、例えば、肥後国の鹿子木荘とか、紀伊国の阿氐河荘などのように、いずれかの国の中に存在します。荘園領主が、不輸不入権(領主の権勢や官位等により強弱はありますが..)を獲得した時点で、該当国の国司(五位六位程度)は自分の任国内であっても、手が出しにくくなります。
 平安中期以降鎌倉期の国司は大体在京で、任地に赴かず、現地の役所(国衙)にいるのは代理派遣された目代や現地採用の在庁官人で、地頭も国衙に年貢納入するのが原則です。
 荘園領主も当然在京ですから、現地に根を下ろした地頭の支配力が優勢になります。(特に人的支配)農民に労働奉仕させたり、雑兵として徴発ということもあったでしょう。
「泣く子と地頭には勝てない。」
 ところが、京近辺の荘園では、荘園領主の支配力もそれなりですから、地頭とは別に荘官が派遣され、農民は地頭と領主の双方から搾取され、板挟みの苦しみを味わうというケースもあったようです。

この回答への補足

 再びご回答ありがとうございます。

 言葉の問題として、荘園になると公領ではなくなるのでしょうか?

 また、No.1の補足で解決していない「守護大名が国司の権力を吸収」ということですが、これは、不輸不入の権による結果そのものを表しているということでしょうか?

補足日時:2006/08/20 00:51
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日本の税制は基本的に租庸調から成り立っていました。



本来中央政府に対し納税される物ですが徴税の便宜上種々の官吏などにそれを代行させたわけです。

祖は稲、米で庸は繊維製品からその原料で布、綿、米、塩、などで後に銭納もみとめられました。

調は諸国の産物で絹、糸、布、染料、綿、麻、油、紙、などの現物からなります。

この他雑瑤という労役提供が課せられました。
これには公共工事や建築の労務、都の守護などがあったようです。

最初は国司が徴税を行い国定の税を中央政府に納めた残りは私有しました。 従って税率は国司が自由に決めたので重税になり、困った農民などは土地を荘園に寄付し荘園領主に納税するようになりました。

この為中央政府の税収が減少し制度は崩壊したのです。

武士の台頭が起こり武力の背景を有する守護が各地に任じられたのですが、武家政府が発足するにつれ、将軍職が任命する地頭が実権を握り武士の時代に移行したのです。

要するに徴税者が変わるだけで納税の実態は変わりませんでした。

この回答への補足

 ご回答ありがとうございます。

 庸は、労役(歳役)の代納物ですが、それとは別に、雑徭として国司に使用されていたのですね。

No.1の補足とも関連するのですが、「税率は国司が自由に決めたので重税になり、困った農民などは土地を荘園に寄付し荘園領主に納税するようになりました。」が疑問です。国司→中央政府(朝廷)への納税義務がなくなるのは、
(1)常にそうなのでしょうか?
(2)その理由は、不輸不入の権によるものなのか、荘園になると公領ではなくなるからなのでしょうか?

補足日時:2006/08/20 00:49
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 地頭とは、元々荘官の一種で現地に密着した、土地の管理人であって、治安維持と同時に、農民から年貢や公事・夫役を徴収して、オーナー(荘園の場合は荘園領主、公領の場合は国司)に納入しなければなりません。

地頭は徴収した年貢等の中から何割かの自分の取り分を得られるわけで、この下地(土地)管理は任務であるより、むしろ権利で、生活の糧でもあります。
 地頭は幕府により派遣されると言っても、元々、荘園領主との間に荘官としての契約を結んでいた者が、任命されるケースが多かったようです。私的管理人が公務員に任命されたようなものです。 
 幕府成立によって、地頭の任免権はオーナーから将軍(幕府)に移ったわけで、クビになる心配のない地頭は、オーナーに納入すべき年貢を横領したりして、トラブルが頻発するようになります。
 鎌倉期の守護は、国ごとの治安維持、御家人統率が任務で、土地に関する権利を有せず、収益を得られませんので、必ず一定地域の地頭を兼任しています。
 時代や地域により、地頭と領主の力関係に差があり、かつ色々なケースがあって、簡潔に説明するのは難しいですね。大雑把に説明したつもりで長くなってしましました。ご質問の一部にお答えしたところで失礼致します。

この回答への補足

 非常にわかりやすい解説、ありがとうございます。
守護が「収益を得られませんので、必ず一定地域の地頭を兼任」というのは、目から鱗でした。
だいぶすっきりしたのですが、もう少々疑問がございます。

 「オーナー(荘園の場合は荘園領主、公領の場合は国司)」とございますが、荘園には国司は派遣されないという理解でよろしいのでしょうか?
その場合、「守護大名が国司の権力を吸収」ということを、どう理解したらよろしいのでしょうか?

 農民は、領主と国司から、それぞれ何を要求されてきたのか、ということについては、中学校の教科書には、「領主に年貢を納める」、「地頭が兵役を課す」という記載がございましたら、これは、事態を簡略化した書き方なのでしょうか?

 以上、よろしくお願いいたします。

補足日時:2006/08/17 15:08
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