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当方院(細胞系)1年ですが、博士課程へ進学すべきか迷っています。正直な言い方をすると、博士課程へ進学し本来自分の就きたかった職に就きたいのですが、自分自身のレベルが低いため、博士課程への進学を断念し、修士で就職しようかを迷っています。

運が良く、一般に一流と呼ばれる大学に進学することができ、そのまま大学院へ進学しました。もちろん将来のことを真剣に考えた上での進学です。
実際に研究を進めていますが、困ったことに当方頭が悪いのです。実験はがんばっていますし、勉強もそれなりにがんばっていますが、一つの事柄に対する理解力、考察力、そして実験のアイディアのひらめきなどが同期、または1つ上の先輩に比べかなり劣っていると思います。
まして博士課程の優秀な先輩と比べるとその差は歴然です。

これでは博士課程に進学しても自分の首を絞めるだけではないかと悲観的に考えています。


やはり博士課程は頭が良くないと進学すべきではないでしょうか?

頭以外のことで、実験に関しては努力してますし、それなりに結果(論文)は出せそうです。

A 回答 (6件)

私(物理屋)で、大学の職員をしているときに、数学、化学、生物の方とも組んでました。

その経験上、研究者の属する分野によって要求される能力には若干違いがあると思います。例えば、数学屋は生まれ持った資質によるものが非常に高く、一方、工学屋は総合的な経験・後天的な能力が関与する割合が増えように感じました。バイオ系には肉体派(体力勝負で連日不眠不休で実験をする人)でなんとか食っていってる研究者がいるようです。ただ、御存知かと思いますが、ただでさえ深刻な日本のポスドク問題において、バイオ系は特に深刻なようです。つぶしが利かないので企業に転進を図るという安全策が取れないという話を知り合いから聞いたことがあります。

優秀な人でも、路頭に迷わないでいられるのは、宝くじに当たるようなものなのかもしれません。

ちょっと言いにくいですが、研究室の先輩という非常に狭い世界で頭が悪いと自覚するレベルだと、さらに非常に厳しい競争の中で、かなり不利な条件が質問者にはあるかもしれません。

自分の人生を極めて低い確率に賭ける覚悟が必要かもしれません。
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研究者といってもいろいろな人がいます。


やや年配の人だと遊んでいた結果、研究者になったという人もいます。知り合いに聞いた話ですが、「公務員に内定してたんだけど、海外に遊びに行ってて内定取り消しになって仕方なくこの大学にきたんだよ」という某国立大学教授がいるそうです。能力はそれ相応ですが、親しみやすい人柄で学生には好かれていると思います。
どういう研究者を目指すかが問題ではないでしょうか。
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そもそも、「本来自分の就きたかった職」ってのが何かによってだいぶ状況が変わってきますが、、。



変な学生を博士課程に上げて就職の世話で苦労するのも等の教授ですからあまり無茶は言わないと思いますよ。
Ano3で言われるように、博士課程進学を勧められたり「大丈夫」と言われると言うことは博士号取得はできそうだと教授が思っているだけで、そのあと研究職(大学の教員とか)に成れると、教授が太鼓判を押したわけでは全然無いです。
 細胞系だったら、博士課程を出て普通の企業の研究開発職で就職できると思いますが、、、。あなたの先輩の博士課程の学生の状況を観察してから、教授に相談してみてください。観察するというのは、あなたの指導教官が、人手ほしさにいまいち適当のない学生でも博士課程に上げてしまう、ということをしているかどうかをみると言うことですよ。
もちろん、相談の際には、「大学の教員に成れそうな場合に限り、博士課程に行く」とか「企業でも大学でも、就職があるのなら博士課程に行く」とか、条件を自分の中で決めておいてください。

さんざん悩んで進学に決めた後で、願書を出そうとしたころに教授に「君は博士課程には向かない」と言われたのでは救われません。今の教授の下で博士課程へ行くことが候補に挙がっているのなら、教授への相談は必須です。もちろん、ANo2で指摘されているように是非進学するように進められたからといって真に受けずによく考える必要はありますが。
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理系博士卒。



学生の間の結果は、やはり教官の力が大きい面がありますので、結果判断というのはするべきではありません。

私個人としては頭がいい云々よりは、結局はトライアンドエラーを繰り返す能力と覇気の問題だと思います。
オリジナリティというのは、実は誰にでもあるし、その優先順位は低いのです。問題なのは、そういったアイデアを示すことができるかどうか、が勝負の分かれ目です。
もちろん、それには卓越したバイタリティが必要になります。大学教授を見てるとわからないかもしれませんが(彼らは過去の実績が評価されているのであって現時点での研究能力が評価されているわけではなく
、研究室運営を期待されている存在なのだと私は理解しています。)、
長年、研究分野に生き残ってきた企業研究員は頭の良さそのものよりもバイタリティに圧倒されます。

ですから、あなたの頭の出来そのものよりも、自分よりも頭がいいな~と思う人を目の前にしてもさらにやる気がでるかどうか、というのが問題かと思います。
悲観的になるようなら、進まないほうがいい、と個人的には思います。

ちなみに、理系の教授というのは研究員という人手と言う面、博士号取得者を出したという実績という面からして、研究者にはなれないだろうが博士号は取れるだろうって人には強力に進学をプッシュしてくるものだと思いますので、相談しても何の参考にもならないかと思います。
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あなたの文章があなたを客観的に表しているとは思えません。


一番良いのは、指導教官に相談することです。博士課程に向かない学生に引導を渡すのも、不必要に自身のない学生を励ますのも教授の仕事のうち。
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こんばんは



頭がいいとか悪いとか、どんな基準で言えばいいのかわかりません。
わたしの考えですが、研究に必要な資質というのは豊富な知識でもないし、
稲妻のようにひらめく理解力でもないし、語学力でもないと思うんです。
こういったことは後から付いてくると思います。
好きで続けていることが最も大切だと思います。

研究者として成功するには「運と根と鈍」が重要だと言われています。
運が良ければ偶然の発見をすることができるし、失敗を成功に変えることが
できるのですが、そこには観察力とか尽きない興味とかあきらめない根性と
か「運が良かった」の下地があるのだと思います。
「鈍」とは周囲の雑音に惑わされない集中力とか信念のことをいうと思いますが、
もちろん事実や真実や他人の助言に素直であることも大切だと思います。

どんな道に進んでも苦労はあるし、挫折もあります、劣等感だって持ちま
す。同じ苦労をするならば自分の思った道を一生懸命に歩いてみるのはいい
ことではないでしょうか。
一流大学卒であるならば、研究を続けるだけの頭脳はあるはずです。
100点満点の研究者にならなくてもいいじゃないですか、80点の研究者
になって幅広く研究する人がいてもいいし、60点の研究者が共同研究で輝
くこともあるし、50点の研究者がすばらしい教育をすることもあります。
みんな好きで進んだ道だから自信を持って研究を続けられるのです。

もちろん選択肢として他にもいろいろな道があるでしょうが、そのなかで一
番進みたい道を選ぶことができるならば、幸せではないですか。
細くて暗くて長いトンネルのような研究生活が待っているかもしれません。
けれども続けていけば必ず開ける時が来ると思います。
自信を持って前に進んでみましょうよ。
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