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これからはますます高齢化社会になると言われていますが、親が高齢者になったら、子供は一緒に住むべきだと思いますか?

高齢者になってからはじめて一緒に住むのと、もともと子供が親と同居していて自分の所帯を持つ(親と同居)とはまた意味が違ってきますが、「子供は親が高齢になったら一緒に住んでいた方がよいか?」といういう意味合いが強いかも知れません。

私は親(母は他界したので父のみ)とは一緒に住んではいませんが、この先父と同居になるかも知れません。

以前日本の多くの世帯は三世帯同居だったと聞いています。そういう家庭では高齢になった親の面倒を見ることは特別なことではなく、ただ順番だったのだろうと想像します。

しかし今は核家族の多い時代。そして親が年老いたら・・ということは、誰にも訪れることだと思います。

この件に関して賛成・反対どんなことでもよいので、ご意見ください。
宜しくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

私は現在、正にこの問題の当事者です。

感想を書いてみます。
「一緒に住むべきか」という設問に「べきか」「べきでないか」の正解は無いと思います。それぞれの家庭事情、個人の考え方・感性、で全く条件が異なるからです。ただ一つの正解は、親が老いたときは、まずはその子が老親の養育・介護の労をとるべきであろう、ということではないでしょうか? そして、この正解を行うための方法論としてはいろいろ個々の家庭事情によって最善の方法が選択される、ということでは無いでしょうか。どういうことを考えねばならないかと言うことを、(たぶん)先輩として気付いたことを書いてみます。
1.まず第一に老親の本音を大事にしたいですね。このごろでは子供と同居して一緒には暮らしたくない、というお年よりも結構います。子供に大変な苦労をかけたくない、ということもあろうし、子供たちに気兼ねしながら小さくなって暮らすのは嫌、という方も多いです。
2.次に大切な、無視できないことはやはり家庭事情、特に経済的事情です。この分野は本当に「金があれば」何もかもが吸収されると思います。早い話、理想的2世帯住宅も可能になる訳です。私たちが社会に出た40年以上前の時代では、人生60年と言われました。今は人生90年です。老親との同居に入ってから延々と、いつまで続くか判らない同居生活は想像以上に大変です。子供側は普通なら結婚して配偶者という他人を伴っています。3LDKに毛の生えたような住条件で世代の異なる世帯が顔つき合わせて何十年も暮らすということは、ほとんどの場合無事平穏ではあり得ないと思いますが。
3.子供側の兄弟、親戚縁者の「口」ということも、これ以上煩わしく、困難なものはありません。いざ介護、という段になってもまず手は出さないが口だけは有りっ丈で出してくる、と覚悟していなければなりません。これをどう捌くか、この一点ででも嫁からの離婚話が持ち出される、ということは多くの家庭の裏側で演じられている実話劇場です。
4.大家族制度はもともと日本が農業国であり、営農のためには多くの人手が必要、という現実的な生活のニーズから自然発生した生活様式であったと思われます。つまり、農業国としては、個人→家族→親戚・縁者→村落→地方集合体→国家というように営農を通じた助け合い共同体の組織の階層として、最終的には国家全体が自然に運命共同体との了解の下に運営されていたように思います。国全体が工業国となり、生産を維持する上での共同体が意識としても、現実的にも必要性が薄れている現在、世帯階層を積み重ねた同居方式は日々の暮らし方としてはほとんど必然性を失っていると思います。一方日本人のDNAはやはり家族というものの繋がり、情(西欧的な愛という感情とは少し違うように思います)、というものを物理的な生活距離の近さと一体化して認識しないと安心できない、という感じ方をまだまだ保っているように思います。そこで出てくる考え方は、老親の面倒を見るために、子は親と「同居するべきである」という考え方でしょう。しかし今の時代、「情」以外の部分においてその必要性がほとんど無くなっている状況で、現実的には「同居」にいろいろな条件的不備が大きく、その継続が困難な実情では、老親への孝養を果たす方法として「同居」がいかなる場合でも最善である、とは考えられないと思います。
5.今、大きな社会問題になっているのは「老〃介護」という問題です。老親はもちろん超高齢者となり、介護を受ける、しかし、一方の子にしてもすでに老境に入り、気力、体力の衰えは隠しようも無い現実になってきた。介護に疲れ果て、無理を重ねた体にはあちこち故障がある。そういう家庭が結構たくさんあるようです。つまり、老親の介護という問題はいずれ一家庭内のみの努力では果たしきれない大きな負担になってきます。そのためにこれは世の中全体で対策しなければならない問題として、大急ぎで、多少の不備には目をつぶって整備されたのが「介護保険」の制度です。私の場合も現在介護保険の制度には目いっぱいお世話になっています。それによって何とか私たち自身も精神的にも落ち着き、親の側も良好な生活環境の中で健康的な生活を維持できております。実際はグループホームという制度の介護施設で暮らしておりますが、もし、これが同居で生活するとなると、とても今のような快適な生活はさせてあげる自信はありません。代償としてはやはり別居していることによる寂しさ、ということがあります。しかしこれは頻度高く面会訪問すると言うことで十分補っています。
まとめですが、今の時代、老親に孝養を尽くすのに、同居がベストではなく、それぞれの事情に応じ、「親ー子双方にとって」最良と思われる方法をとればいい、ということではないでしょうか? なぜ、「親にとっての最良の方法」と言わなかったのでしょうか? 私の言いたかった事はここにあります。お考えください。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

お話、とても多岐にわたり、参考になります。
ごめんなさい、「べき」と書いたのは、書かなくてはいけないエッセイの題名に「べき」と入っていたので、それをそのまま使用してしまいました。また違う表現にしてしまうと、ニュアンスが変わってしまってよくなかったと思いますので、「べき」が持つ語弊も同時に知ることができてよかったと思います。

今後日本の社会について考えるときに、回答とても役立ちそうです。
とても参考になります。

お礼日時:2006/09/16 00:08

 あまり、硬直的に考えずに、柔軟に考えた方がいいと思います。

一緒に住む、住まないより。痴呆等になった時に、自分だけで抱え込まずに、ヘルパー等の援助等を考えたり、自分の生活とのバランスをとりながら、親と付き合い。自分が高齢になったら、あまり、子供だけに、よりかかっても、お互い不幸と思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
柔軟に考えるようにします。
参考になります。

お礼日時:2006/09/17 16:55

私(30代女性)も、子供の頃は、父方の祖父母と同居していました。

新興住宅街ではなく、昔からの街だったので、当然といえば当然の環境でした。ご近所さんも、みんな年寄りを抱えていましたからね。

母方の祖父母も孫と同居していました。


子供の出生率が2以上だったら、「必ず親と同居」も可能な選択肢かもしれませんが、2を切っている以上、夫婦で両方の親の世話をしなくてはいけないので、まず大きなお家がないと無理ですよね。

ちなみに、私は1人っ子で、主人には兄がいますが、もし兄が急逝でもしたら、両家の親4人が共同生活を可と言ってくれるかどうか。難しいですね。

うちの母は、よぼよぼになったら、可能ならばやはり施設よりも身内のそばで暮らしたいといっています。施設は共同生活なので、年取ってまで嫌だと言っています。

でも、もし介護が必要な状態などになってしまったら、私も子育てのために仕事して稼がなくてはいけないので、在宅で介護してあげられる金銭的余裕は無いかもしれないとは言っています。その場合は、しかるべき施設に入ってねと。

一方で親は、自分で動ける間は、自分たちが親との同居で嫌な想いをしてきたので、子供たち世代に気を使いながら生活するのは嫌と言っています。

一昔前は、3世代同居が当然だったと思いますが、特別なことではないにしろ、きっと厄介なことではあったでしょうね。

うちの母は、義両親と同居していましたが、しょっちゅう、父に対して「早く、親を殺せ」とか言っていましたよ。第三者が聞けばひどい言葉かも知れませんが、まあ、本音でしょう。

また、母方の祖父が亡くなったときも、叔父(祖父から見たら婿殿)は、口にこそ出しませんでしたが、明らかに顔がニコニコしていました。これも本心でしょうね。

私のお姑さまは、まもなく定年という年なのに、いまだにお姑様に仕えています。

我が家の場合、双方の実家が北海道と関東という遠距離ですが、両方の親が地元を離れて東京で住んでも良いということなら、両方の実家の土地を売って新居購入のたしにして、大きいお家に同居しても良いですね。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
いろいろな問題があるのですね。
とても参考になります。
うちも人事ではないです。

お礼日時:2006/09/17 16:54

「べき」という言葉に危険を感じます



質問者さんの意図とは異なる意見かもしれませんが、あえて書かせていただきますね(^^;)
施設でボランティアをしていますが、あきらかに元気な頃は家族に虐待なり、暴君であったことが伺える入所者がおり
血のつながっていない、他人だからこそ冷静に面倒をみることができるのだと感じられるからです
子供の頃に虐待を受け、やっと生き延びたと思ったら介護が待っていた方(こういったケースは多いです)には
「べき」といった慣習は生き地獄だろうと想像にかたくなく
施設に入れて頂いた(あるいは介護士に任せる)だけでも責任は充分に果たしていると思います
新聞でも(憎くはなくても)介護の負担から少なくない数で殺人がおきている以上
ケースバイケースであろうとった認識が当たり前になって欲しいと切に願います
高齢者虐待は過去の虐待の因果から起こる場合もあります

この回答への補足

回答をくださっている皆様へ。
ありがとうございます。
ちょっと私のタイトルのニュアンスが原因で、かなり微妙なところで波紋を呼んでしまっているかも知れません。
すみません。
「べき」としてしまうと、本当にいろいろややこやしいことが発生してしまいますよね。

すぐにお礼をさせていただきたいのですが、今時間的に余裕がなく、もう少し後にさせていただこうと思っております。
申し訳ありませんが、もう少しお待ちください。

補足日時:2006/09/13 22:23
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
「べき」という表現で皆さんにご迷惑をおかけしております。
申し訳ありませんでした。
ケースバイケースで進めていけたらよいですね。
皆が無理をしない方法を選べる社会であって欲しいです。
参考になります。

お礼日時:2006/09/17 16:32

この問いではあたかも、子供は結婚せずに自分の親が年老いたら自分の親と同居するべきかどうか、と問うているように思えます。

この場合、配偶者の親はどうなるのでしょう?今の時代、少子化が進んでいるので、一人息子と一人娘の結婚である事も少なくないと思います。
みんな一緒に住めば良いじゃないか、と言われるかもしれませんが、昔と違って今は遠く離れた出身地の者同士(例えば北海道と沖縄、外国なんて事もあるでしょう)の結婚も多いです。昔のように地元民同士で結婚なんて事がまずあり得ないのです。
ですが、親の心情としては住み慣れた土地を離れたくない、というのも自然な事です。それは否定されるべきではありません。ですが、それは向こうの親にとっても同じ事。また、当人である子供にとってはもっと切実な問題となります。それは仕事の選択に関わってくるからです。
介護、も重要なファクターとなるでしょう。一体どちらの親を優先すべきか?こんな問いほど愚かなものもないでしょうね。どちらかだけが優先されるなんて事はあるべきではないのですよ。

現代で問題なのは、『子供はどうすべきか?』ではなく『親はどうすべきか?』だと思います。次世代よりも旧世代をより尊重するというのは聞こえは良いでしょうが、衰退を招く種です。次世代にこれからを託す以上は次世代のやり易いよう生き易いに整地されるべきであって、旧世代の骨折りを慮って旧世代の為に整地するなどは愚の骨頂です。
まずは次世代を優先する、それをした上で旧世代を労うというのがあるべき姿だと思いますがね。話が大幅に脱線して申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

そうですね、親と一口にいっても、一人っ子同士の場合はまた状況が変わりますよね。
そういうことなど細かいことを考えずに質問をしてしまって申し訳ありません。
でも皆さんから実体験を交えて本当に参考になるお話をいただけてありがたいです。
回答参考にさせていただきます。

お礼日時:2006/09/16 00:13

希望的意見です。


私は父が72才で亡くなり、母と嫁と子供たちの5人で生活しています。母は86才で痴呆の気があり、イライラします。姨捨山があったら捨ててしまいたい衝動にかられるときもあります。しかし、私を命がけで産んでくれた母です。この地球に動物でなく人間として産んでくれた母です。イラクやアフガニスタン・北朝鮮でなく平和なこの日本に産んでくれた母です。
いろいろ考えると、私は幸せなのだ、ああ良かったという感謝の気持が沸いてきて、ああ、いずれ自分も母のようになるのだ。母を邪険にすれば捨ててしまえば、いずれ私も子供たちから、そういう扱いを受けるかもしれない。人は順番に年老いて汚くなっていくものだ。順番に面倒を見ていくものだと認識すれば平和が続くような気がします。
考え方で変わります。「お互い様だからお世話してあげよう」と思うのか、「世話をしなくちゃいけない」と思うのか。「権利」で考えるのか「義務」で考えるのかで大きく変わってきます。日本は世界でも有数の平和国家ですから、日本人同士、支え合って生きていけたら素晴らしいことだなあと勝手に考えています。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
ごめんなさい、「べき」と言ってしまったことで、多くの方の気持ちを害してしまいました。
そうですね、私も親に感謝の気持ちあります。
でも時々そういう気持ちを忘れそうになることもあります。
でもそれもひっくるめて「順番」なんでしょうね。
私もいずれ子供に「面倒」だなとも思われるだろうし、「自分を生んでくれてありがとう」と思われるのかなとも思います。
平和に暮らせたら十分ですね。
回答参考になります。

お礼日時:2006/09/16 00:10

親子といえども生きていく上での価値観が違うので、ある日、突然同居をしいられて不安な状態が続いたりすると苦痛なだけで面白くもなんともないでしょう。


親子は普段から一緒に生活しお互い妥協しながら長い時間を費やし家族形成するのが一番。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
普段から一緒に・・というところ、同感です。
回答とても参考になります。

お礼日時:2006/09/16 00:04

小生が今、現実に抱えている事をお知らせします。

母は85歳です。父が死んだ20年前からずうっと一人暮らしでした。その後、高齢を心配し同居をする事を何度も説得したのですが小生との相性が悪いのか…不徳の至りですが(妻との関係はまあまあでした)、一人でやっていくの一点張りの上、世間体を重んじるあまり「介護認定申請」も拒否!そうこうするうちにこの4月、心臓細動で入院です。さあどうすると、この日から苦労の連続です。まず退院したらどこに住むか?母の家は古く介護にはとても無理。そうかといって、階段だらけの小生の家も難しい。(母が小生と住むことをこの期に及んでも拒否)。等々で施設入所を決めたのですが、これも介護認定を受けてないのでどこにも入所できません。無理を言って病院の入院を延ばしてもらいながら、大金を払う有料介護施設をようやく探し当て入所させました。
 経験から言えるのは、親の老化を早い時期に想定し、同居するにも、本当に「その時が」来たときに介護できるのか?その覚悟があるのか?をはっきりさせる必要があります。親御さんが同居を望まないこともありますので、小生のように直前にアタフタとしないよう介護関係の実態を良く掴んでおきましょう。良く纏まらないで申し訳ないのですが、同居でも別居でも結局は子が何らかの形で親の面倒を見ることになります。親と子が無理をしない関係で生活出きれば同居でも別居でも良いと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
親と子が無理をしない関係で・・というところが
とても大事だと感じました。
お話とても参考になります。

お礼日時:2006/09/16 00:03

難しいご質問ですね。

核家族という面もありますが、親の面倒を見るといっても、色々なケースがあると思います。子供が定年退職した場合、定年退職前の方がいます。親の方も、都会に住んでいる方、過疎地に住んでいる方、健康の程度も様々だと思います。

親の面倒を見るといっても、親の住んでいる環境を変化させないでストレスを与えないと考えると、親の現在の住まいを中心に考える必要があります。

親が高齢化すると、話し相手が少なくなり、悪循環の繰り返しになると思います。そこに子供が、急に戻ってきて、子供の生活ルールを押しつけても上手く行きません。可能なら、同居というより近くで別居の方がスムースに行くように思います。同居すると精神的な依存度が高まり、親が老齢化するように思います。

実の親子と言えども、離れて暮らしていると生活ルールが異なるので、一緒に生活するとなると双方にストレスが溜まります。

寝たきり状態になれば別かも知れませんが、元気な間は、スープの冷めない距離がベストのような気がします。ましてや長い間、離れて暮らしていた親を引き取ると、親のストレスが大変なような気がします。

答えになっていないかも知れません。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。
同居も今は難しい時代になったということでしょうか。
お互いの生活リズムを大切にするような時代ですから、
当然かも知れませんね。
とても回答参考になります。

お礼日時:2006/09/16 00:02

今の70代・80代は


姑にいびられ続けた親世代の人生を
つぶさに見て成長し、
成長してみると日本の高度成長期に人生がぶつかって
自分たちは同居をしないで済んだ人たちが出始めた世代です。
それで自分も子供の世話になりたくない、という
強烈な思いをもっているらしく
「子供の世話にはならない」
「子供には子供の暮らしがある」
「子供に迷惑はかけないで死にたい」
などが口癖のようです。

しかし、私はそんな生き方・歳のとり方を
幸せには思えません。所詮人間は
迷惑をかけあって生きるもの。
家族であればこそ、迷惑を迷惑とは思わずに
お世話し合えるのじゃないですか。
そうでなくては「家族」の意義がない。

それで私は(現在40代女)結婚当初から
夫の親との同居を望んでいたし、
実母が未亡人になったときは兄夫婦と同居するように
勧めました。
しかし、どちらも叶わなかった。
私も兄夫婦も望んでいたけれど
義父母と母の側が拒んだのです。
「世話にはなりたくない」と。

親世代にまだ力が残っている時には
子世代は若すぎて財力もない上に
なれない子育てと仕事・家事の両立に
へとへとです。
そんなときにこそ、親世代の知恵や経験を
貸してほしかったです。
そして時を経て親世代が老齢になり弱ったなら
子世代は働き盛りにもなりますし
子育ての時期の恩にも報いたいし
老人たちのお世話したい。
質問者さまの言うとおり、ただの順番なんだと思います。
命が生まれ、命が消える、その傍らにいつも
家族がいる、というだけのことだと思うんです。

しかしそう願い続けていたのに私は
70代・80代の親世代の頑ななまでの自立心のせいで
希望は叶いませんでした。

子育ての辛い頃、
何も実際的なことは手伝ってくれないのに
躾がなってないというようなお叱りだけはありました。
思春期の子ともがきあった苦しい時期も知らないで、進路のことでは文句しか言いません。
義父母も実母もです。
そうなると、いまさら彼らの老後だけを
私が背負うのは釈然としない。
まして、本人たちが望んでいないのですから。

実母にはケア付きマンションに移ってもらいました。
心配がないからです。
子供にさえ迷惑をかけたがらなかった人なので
ましてご近所さまに迷惑をかけるよりはお金で
解決したかつたようで
喜んで暮らしています。
義父母については、どちらかが他界して独りになったら
同様にケア付きマンションを勧める予定です。

同居をしたくて、
家を建てる折などにはその用意をしてきたのに
残念ですが仕方ない・・・。
「迷惑をかけたくない」という台詞はじつは
「わがままに生きて死にたい」という意味なのだと
最近は思います。

高齢の親はもっとかわいい年寄りになって
子供の助言に耳を傾けるべきだと思います。
そして、若い頃から自然な形で
子供世代と同居するなり接点を持つべきだと思います。
質問者さまは
子供世代の責務として・・という意味で
「~べき」を使われたのでしょうけれど。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
お礼が遅くなってしまってごめんなさい。
お嫁さん・娘さんが同居したいと考えてくれることは、
とてもすばらしいことだと思います。
お互いの気持ちが合えばよかったのでしょうね。
老いては子に従えという言葉もありますよね。
親と同居したくない子供が増えている中で、
お話とても参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/14 14:24

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