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戦国時代には、たくさん武将やらその武将に仕える兵士さん達がいたと思いますが、その人達は普段どこに住んでいたのでしょうか?
戦がない時には自分の家で、今でいう自主練のようなものをしていたのですか?それとも、仕えるお殿様のお城の中に住む部屋(自分の部屋)があって、そこで暮らしてやっぱり自主練などをしていたのでしょうか?
後者であれば、やはりそれなりに偉い人は一人部屋で、兵士達は数人の人たちと同室とかだったのでしょうか?
知りたいので、教えて欲しいです。

A 回答 (5件)

江戸時代になるまでの武士というのは、普段は農民でした。

だから、当時の戦争は農閑期でなければ出来ませんでしたし、農業に影響を与える長期の作戦は不可能でした。これを「半農半兵」といいます。
このタイプの軍隊の長所は土地に根ざしたしっかりした組織なので精強だということです。武田軍や上杉軍、島津軍はこういった「伝統的軍隊」でした。

一方、織田信長は金で雇った足軽兵を中心にする組織にシフトしました。この軍隊の長所は戦争専門にやる連中を雇うので年がら年中好きなときに軍事作戦を行えることです。一方、よくいわれることですが、金で雇われるごくつぶしの集団なので士気が低く「負けそうだ」となるとすぐみんな逃げてしまうのです。#1さんも書かれているように、弱かったのです。
しかし、年がら年中戦えるというのはやっぱりメリットで、戦国時代も後半になるとこういった「戦争専門の軍隊」が主流になっていきます。
武田軍や上杉軍もこの時代の流れに無関心だったわけではないでしょう。しかし、甲斐や越後は田舎なのでそんなに簡単に人が集まりません。織田軍は、人とお金が充分に手に入る都会だったからこそ足軽に不足しなかったんですね。

さて、天下統一がなされると巨大な軍隊は不要です。多くの「傭兵」たちはリストラされます。秀吉は、朝鮮に出兵することでこの雇用問題を解決しようとしました。また、島原の乱には多くの「失業武士」が参加したのです。
同じことはずっと後の明治維新でも起きます。西南戦争はリストラされた武士たちの反乱でもあったのです。
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武将の部下には2種類あって、平時の部下はいわゆる武士で、城に付属した武家屋敷または武家街に居住し、定められた職分に従い業務をはたします。

  身分の高下により屋敷の規模は異なります。
主人の身の回りの世話や、城の警備、武具の整備保管などです。 これらの武士は常備軍で自主練が義務ずけられます。
戦時になるとこれだけの部下では不足ですから武士以外の者を動員します。 これは多くは農民やもと武士であった者です。 あるいは志願者などです。 武将はこれらに武器、鎧などを支給して、軍勢としてまとめて出陣するわけです。 
農民といえ戦国時代の農民は戦争の経験もあり、戦いが優勢な間は頼りになりました。
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基本的には各自の所領で暮らしています。

ただし一部の高官とその従者は、城の近くに屋敷を置き、城下町で暮らしています。また各武将の子供(たいてい長男)は人質として城に住んでいます。ただし人質といえど仲間から来ている場合は、きちんとした処遇をされ(何しろ次期幹部候補生)、城の庶務を手伝ったり、時には戦場に出て旗本集の一員として戦っています。(これは大名直属の部隊です) あと一般兵士には所領をもらえず給料をもらい戦っているものもいます。これらは足軽と呼ばれ、城下町にある足軽長屋に住み込んでいます。足軽長屋は基本的に相部屋と思われますが、大名の威勢と財布しだいで人数の増減が激しいため、時には一人一部屋なんてこともあったかもしれません。
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ほとんどの兵士は戦争がない時期は農業、商業などをやって暮らしていましたから、


村や町に自分の家を持っている場合がほとんどです。
武士として最下級の足軽大将なども、代官としてそれぞれの村に住み、
村民をまとめるかたわら自らも畑を耕したりしていました。

大名や上級の家臣の場合は大きめの館を持っていて、
そこには自分に仕える近衆、側近などを一緒に住まわせている事が多いです。
彼らのうち側近など身分が高い人は、個人の部屋や建物をあてがわれる場合もあり
それ以外の人は集団生活を送っていたようですが、
どのように住んでいたかは館の場所や大きさにもよるので一概には言えません。
小山の上などに建てられた館の場合、大きさを確保するのが難しいので
家来達は麓の町にそれぞれ家を持って住んでいることもありました。

訓練については、多くの兵士の武器は扱いが簡単な槍です。
農閑期などには訓練が行われていたようですが、個人技よりは集団行動の
方が重要ですし、自主練のようなことはあまりしていなかったのではと思います。
多くの兵士にとって、大事なのは戦争よりも日々の暮らしでした。
出陣も「おやかた様が行くんじゃあしょうがねえ」くらいの気持ちだったのではないかと思います。

騎馬を扱うような身分の高い家来の場合は、趣味と訓練を兼ねて
鷹狩りなどをよく行っていたようです。
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武将一人一人が土地のオーナーだと考えてください。


それらのオーナーを束ねている武将を大名と言います。

武将には家来がいますが、彼らは農民です。
戦国時代までは武士と農民は分かれていません。
明確に分離させたのは豊臣秀吉(刀狩り)です。

ちなみに織田信長の軍団は傭兵(お金で雇った兵士)が主体でした。
軍制革命ですね。弱いけどいつでも戦える戦術がとれるようになりました。

普段は武装農民として生産活動に従事し、訓練と仕事が一体化していたのでしょう。
剣術道場などが一般化されるのは戦国が終わってからです。
そもそも戦国時代は槍の時代です。田畑の横に槍を刺して戦に備えていたのです。

大名に直接使える家来たちは親衛隊のような立場で城内で訓練していた人もいたと思います。
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