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有名な天武天皇の肉食禁止令の意義や、制定に至った経緯・背景はどういうものなんでしょうか。なぜ五種類の肉だけを禁止したのか、なぜ半年の間だけ禁止なのか、それで何を狙ったのか・・などなど、疑問の多い不思議な法制です。

A 回答 (2件)

肉食は農耕に悪害をもたらす(穢す)と考えられたそうです。


そのため、毎年四月から九月までの農耕期間に限ったと言われています。
よく食べられていた鹿や猪が含まれないのは、肉食という以上に普通の食べものだったからではないかとのこと。
今での肉のことを「しし」という場合がありますが、「食用の肉」という意味を持つそうです。
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この回答へのお礼

>肉食は農耕に悪害をもたらす
これは興味ぶかいですね。農耕期間しか禁止しない意味も説明できますし。
鹿や猪は、禁止なんてとてもできないような、当り前の食べ物だったということでしょうか。古代の鹿は儀式で使うお供物でもあったそうですね。
問題の禁止の対象ですが、牛や馬は農耕でも使う益畜として禁止、犬や鶏は家畜として近い存在なので禁止したんでしょうか。猿は、人間に似てるとはいっても、年がら年中人間に似てるんだから、半年だけ殺さないというのもなんだかとってつけのような感じがしますが、どうなんでしょうね。

お礼日時:2006/10/28 16:38

■675年4月17日、天武天皇の詔。



  詔諸国曰 自今以後 制諸漁猟者 莫造檻穽 及施機槍等之類
  亦四月朔以後 九月卅日以前 莫置比弥沙伎理 梁
  且莫食牛馬犬猿鶏之宍 以外不在禁例 若有犯者罪之

『今後、漁猟する者は檻や穽(落し穴)、機械仕掛けの槍等を造ってはならない。また、4月1日から9月30日までの間は、目の細かい梁(やな)を仕掛けてはならない。かつ、牛・馬・犬・猿・鶏の宍(しし)を食ってはならない。これ以外は禁止ではない。もしこれを犯す者が有れば罰する。』

魚や獣の乱獲防止と、農耕期の家畜類の屠畜制限が目的という説もあります。
その後もたびたび肉食禁止令が出ています。裏返せば、それだけ肉食習慣が根強く残っていたということでしょう。江戸時代には公然と獣肉を売る店もあったわけですし。

■745年4月、聖武天皇の詔(東大寺大仏造立を発願し3年の期限付き)
  禁断三年之内天下殺一切完  (完は宍のこと)

■752年1月、大仏開眼直前の禁令(1年の期限付き)
  禁断始従正月三日迄于十二月晦日天下殺生

ちなみに「宍(しし)」=「肉(しし)」。
鹿(しし)、猪(しし)、かのしし(鹿肉)、いのしし(猪肉)などもルーツは同じです。
ふっくら肉付きのよい人を「ふとりじし」などともいいますね。
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この回答へのお礼

有難うございます。
大仏建設という大事の前にも期間限定で殺生禁断令がでるということは、やっぱり殺生することが何か社会の安寧を損ねるような感覚があったということなんでしょうね。なぜ問題の5種類が選ばれたのか、というのは今ひとつはっきりしませんが。

お礼日時:2006/10/28 16:41

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