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この質問は、aster が行うものです。回答文中では、呼ぶ場合は、aster を使ってください。なお、コメント欄を参照してください。
  
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そこで、質問ですが、わたしは「生きる意味」が見出せません。生きていることにかつて、夢や野望や期待があったのですが、いまや時は過ぎ去り、わたしは生きてあることに希望や未来へのプロジェクションが持てません。
 
元々、頭が悪く馬鹿だとは思っていたのですが、どういう訳か、自分自身の価値を過大評価していた若い時代がありました。いまや、自己の総合的な能力とか知性とかは、非常に低いものでしかないと実感しています。
 
もとより、わたしは社会に何かの貢献をしようというような、殊勝な考えはないのですし、きわめて利己的で、自分のことしか考えていないのが実状です。このGOOで、何か回答していることは、何か誰かの役に立っているのかとも思うのですが、あまりに失意が多いとも思います。
 
質問者のことを思って回答を書いているのではないのですが、幾分か、そういう場合もあるでしょう。
 
人は、わたしが現実的にいかに馬鹿で無能なのか、知らないとも思います。わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。生きて、何を得たのか、何を成したのか、「空しさ」しかないというのは極論かもしれないでしょう。
 
わたしは、慰めが欲しいのではなく、いかにすれば「意味」があるのか、いかに残された時を生きればよいのか、参考意見を聞きたいのです。また、貴方は、いかに自己の人生に意味を感じられるのかです。生きていることに意味がないとは思いませんが、しかし、この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです(これは「哲学的問題」になるのです)。
 
わたしについての質問は、答えられれば答えます。
 

A 回答 (40件中1~10件)

人生楽しければいいんじゃないですか?


楽しいこと探してください!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人生に楽しいことを見いだす、というのは賢明な答えです。ただ、人生が楽しいか、楽しくないかだけを問題にしているのではありません。(2002/0413/2257)

お礼日時:2002/04/13 22:59

asterさんに「寅さん」の言葉を贈ることから始めます



「自分の愚かさ、醜さに苦しむ人は、愚かでもなければ醜くもありません」
「生きてりゃあ一度や二度「生きててよかったな~」ってぇ思う瞬間があるだろう?人間って~のはその時のためにいきてるんじゃ~ね~のかい」

次に、ある本を紹介します
(1)小泉吉宏著 メディアファクトリー 「ブッダとシッタカブッダ」1~3巻
(2)ロバート・フルカム著 河出文庫 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
です。

この言葉や本をどう捉えられるかはasterさんのidentityの問題ですので私はあえてコメントしません。
もし何かに巡り合われる僥倖がありましたら返信をくださいね
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この回答へのお礼

回答たいへんありがとうございます。

ご意見、参考にさせていただきます。
お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
(2002/0419/0136)

お礼日時:2002/04/19 01:39

生きることに意味がないといけないんでしょうか?


私は特になくても良いと思うんですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「意味がないといけない」とか、「いけなくない」とかそういう話ではないのです。人間は、「意味を求める」生物であるのです。
 
譬えが少しずれるかも知れませんが、貴方が、一日食事をしなかったので、空腹感を感じているとします。その時、「別に一日ぐらい食べなくとも良い」というのは、「思考」であるのです。それに対し、そう考えると空腹感が消える人はそれでよいのかも知れませんが、普通は、「空腹感」は思考とは別に存在します。
(2002/0414/0134)

お礼日時:2002/04/14 01:38

こんばんは。


わたしは常に自己を過大評価する人間でありたいものだと思います!
(実際そうです。わたしは一生この子供っぽさを維持するでしょう)
わたしもかなり利己的ですよ。でも利己的じゃないひとはいないと
思うので、それでいいんじゃないですかね?

要は、

> わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。

というところにキーがあるのかなーと思いました。

今までのどういう状態を「孤独である」と考えているんですか?
「孤独ではない」状態というのは、あなたにとってどういう
ことを指しますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「孤独である」とはどういうことか、これは非常に難しいことです。また、比喩的に、そのことの説明は述べています。
 
>しかし、この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです
 
このような「感覚」を含めて「孤独」と述べています。外国に行けば、孤独感を感じるでしょう。友人・知人を造ればよいのかも知れませんが、それでも、孤独感は残るでしょう。ここは故郷ではないのだ、という。(2002/0414/0034)

お礼日時:2002/04/14 00:37

 asterさんに「意味は戯れのようなもの」と言っても、それすらも意味がないような気がします。


 私が私であることを確認することも出来ませんし、人生が意味に満ちることも当然ないでしょう。
 私が言い得ることは、うろ覚えの知識で申し訳ないのですが、ウィトゲンシュタインがガン(確か胃ガン)で苦しみながら死んだそうですが、「死ぬよりは、痛いのを何とかして欲しい」と頼んだそうです。勿論、安楽死への要望ではなかったようです。
 私も、死ぬときは、そうやって死ぬのだろうなぁ、と思ったとき、そうやって生きてる間は生きるんだろうなぁ、と思うと、なぜだか、安心したような気がしました。
 後年ボケたと言われているサルトルも、「友人の多くの死を見送るばかりの近頃は、恐れるよりも、やがて私もその一群の中に消えていく」というようなセリフを吐いたらしく、私は、感動を覚えました。
 私たちは、そうやって日々を堆積しているのではないでしょうか。死すらも意味のないasterさんの思考の前では、私の言葉も意味はありませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。色々と考えさせていただきましたと言いますか、お礼の言葉を記すのが難しいお答えでした(どう、感じたことを記すのか、難しかったのです)。

ヴィトゲンシュタインの話は実は意味がよく汲み取れませんでした。
(ある方のことに触れようと思いましたが、故人の霊に非礼ではないかと思い、記しません)。
ヴィトゲンシュタインの話の場合は、何に「安心」したような気になられたのかが、よく分からないのです。よく分からないので、何度か考えましたが、やはりよく分かりません。何か分かる気もするので、まったく分からないというのでないので、困ります。

サルトルの方は、「感動」に幾つかの解釈があるのですが、どの解釈でも、それなりに話が通じます。生前のサルトルをどう受け止めていたかで、そのような死の前の言葉の意味にも色々な感想が出てきます。

わたしにとって「死」はまったく無意味ではありません。実は、わたしは「死」が怖いのです。或る人は、「ユングは死の意味を尋ねて、徹底的に死に抵抗した。普通の人は、もっと気楽に死んで行けるのに」と述べていました。確かにユングは、死の不条理性と争ったのでしょう。

トルストイの『人生論』のなかに、死とは何か、死は怖れるべきものか、一概に否定すべきものなのか、というようなことが色々記されています。訳者は、トルストイは晩年に至り、自分の死を考えると、それが納得できず、徹底的に考え抜き、この本を著したとか紹介していて、そうなのか、と思っていましたが、その後、『戦争と平和』のエピローグ部分とか、『幼年時代・少年時代』とか、『イワン・イリイチの死』などを読むと、『人生論』に書かれていることが、そのまま出てきます。

『幼年時代・少年時代』はトルストイの若き日の作家デビュー作ですから、作家の処女作には、その作家のすべてが入っているという例証なのかも知れませんが、トルストイも「自己の死の意味」を生涯考え続けたのでしょう。トルストイは、じっとしていて死を待つのに耐えられなかったのか、家を抜け出し、ひそかに列車旅行にでかけ、目的先もない旅の途中で倒れ、地方の駅の駅舎で世を去ります。

カール・ユングの言葉に次のようなものがあります:「測り難いかなた、天頂に唯一つの星がある。これはその人の世界、そのプレロマ、その神性である」。

この「星」とは何なのか。それは死後の魂が辿って行く「故郷」だともユングの言葉からは読めます。これについては、ある人の記した文章が参考になるのですが、そこまで記してよいかどうか躊躇します。

(わたしは唯名論に近いはずで、イデアーが先在するという考えでしょうから、「意味の戯れ」とは現象界の見かけの事態だということになるでしょう)。
(2002/0419/0241)

お礼日時:2002/04/19 02:53

>わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。


バカで無能なのに、なんでそんなこと断言できる?
そんなことするから、自分でバカだと言わなきゃなんねぇんじゃねぇの?
>わたしは、いかに生きればよいのか
俺のように生きろ。
自他の無いように生きろ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
そうだな。消え行く伝統職業を受け継いで絶やさないって言うのはどう?がんばってよ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
公開餓死は?で、からからに干からびるの。遺言をテープにとっといて、これが現代人の生きる姿だってゆうの。
いやなら、水のあるところに生きな。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
愛です。愛に生きればいいんです。愛は与えるので、自分の人生を全てに対して捧げればいい。目の前に対して捧げればいい。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
いかに残された時を生きればよいのか、参考意見を聞きたいのです。
 
あー、そりゃやめとき。残された時なんて考えるな。
今を生きろ。君がな。今は瞬間じゃない。永遠だよ。精子の問題じゃない。

☆☆☆
また、貴方は、いかに自己の人生に意味を感じられるのかです。

あ?意味?そんなの感じてたかなぁ。意味になってんじゃないの?人生そのものが。
だから、それに意味を与えたらへんてこりんになるんじゃないですか?もうついてるんだよ、きっと。意味は。
☆☆☆☆
>何か誰かの役に立っているのかとも思うのですが、あまりに失意が多いとも思います。
 
役に立つ?どういう意味?君ってなに、自分の女に対して「役に立つ」とかゆう表現使う? おかしいぜ、それ。
「君は役に立つ人間だ」「使える人材だ」
うひょーーーー!まじくだらねぇ。
命に役立つもクソもあるかよ。
でいぇやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
↑バカ
>「空しさ」しかないというのは極論かもしれないでしょう。
それは素晴らしいな。すごい安らかだな。
「虚しさじゃないの?」
まええけどな。なんでも。
何でも受け止めるという気概で生きてけばいい。
それか、ありのままいきる。やっぱ、世界は裸足で歩かなきゃ。
街は裸で走らなきゃ(爆←やったことある?俺×ゲームでやったことある。裸で走って、折り返し地点に「ホッピング」がおいてあるの。それで帰ってくんだけど、途中いろいろネタをやらないとダメなんだよ。中一の話だ。補導されてな。
「きみねぇ、ホッピングはそうやって遊ぶもんじゃないんだよ」なんてポリに言われて(爆。ぶらんぶらんなるだろ?ホッピングしたら(爆。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
いい季節だな。季節とともに生きようか。
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冒険したい?愛人欲しい?友だち欲しい?


物語は人生で刻めってな。風景、背景は申し分ない。
あとは、君が生きるかどうかってことではないですか?
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●人生に意味なんてありません。


 意味をもたせることほど 不自由なことはありません。
 人生に意味がないから 自由だと知るべきです。

 わかいころ何か出来そうだと感じていた。←すばらしいじゃないですか。
 しかも なにもできなかった 更にすばらしいじゃないですか。
 なにかやろうとして成し遂げたひとの話ほど つまらないものはありません。
 あなたの「なにもできませんでした。」のひと言が
 どんなにか わたしのこころの支えになることか・・・。
 おはようございます。
 こんばんわ
 こんにちわ
 あなたと 交わしてみたい 言葉です。

 ご質問ありがとうございました。
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この回答へのお礼

回答たいへんありがとうございます。

独特の見解をお聞かせいただきました。参考にさせていただきます。
(2002/0422/0318)

お礼日時:2002/04/22 03:24

>それでも、孤独感は残るでしょう。

ここは故郷ではないのだ、という。
ああ、そういうことか。
おれはな、あんたの事尊敬してるよ。あんたほど自由に近い人間は、最近見たことねぇ。たまにはいるもんだと思ったな。
ただな、自由までには距離は無いんだよ。
おれらは、自由を得て、捨てた人間だ。いうなれば、しんがりだからな。
自由はな、得た後に捨てなきゃなんねぇ。これまじです。マジ本気でいってます。
人は何故孤独なのか?
いうなれば、皆がしんがりだからだよ。
皆が皆の後ろに立つ。だから、人の前に人はいないんだよ。先行く人というのは、皆なんだよ。皆、それぞれの前には誰一人いない。後ろにいるんだよ。人の目は前についてるから、その事に気付くには知るしかない。目では見えない。
だから迷っても、立ち止まっても、ただ歩いても、盲目でも、しんがりは常にいる。
だから、先に行って待て。世界に果てに。果てに行った者は、必ず戻ってくる。しんがりになるためにな。そうして、最後のしんがりが世界の果てに行った時、しんがりの目は、ひらかれる。世界の果てでしか、皆に逢えないんだよ。
世界が果てである。それが何故素晴らしいのか?
俺はな、この世界に、逢いにきたんだよ。みんなにな。
心配いらねぇ。迎えに行ってやるよ。君も来い。

俺ら、皆はすでに行って来てる。もう、行く場所も、来る場所も無い。
すでに来たのであり、すでに行っているからです。
いうなれば、世界の果てに。
>わたしは生きてあることに希望や未来へのプロジェクションが持てません。
計画するものはくじかれる。守るものは脅かされる。
何も持たないのがいい。持つ者は不自由な者だから。
自由な者に何を持つ必要がありますか?
自由な者には、自由すら必要でない。
>この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです。
俺にとってはな、なんでもいい。
さっきはな、俺ら酒気万万だったから君の質問をちゃんと読めなかったな。
バカだったよ。ごめんな。
 
いうなれば、この世界は 風車だ。
風でまわるんだよ。
俺も聞いたよ。おなじこと。
「おれはどうすればいいんだ。」
あいつ。
「納得なき創造の時代だから。」
ああそうかい。マジでなっとくいかねぇ!
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人は 血縁において繋がるのではない


人は 手において繋がるのではない
人は 関係において繋がるのではない
人は あることにおいて繋がるのではない
人は 魂において繋がるのではない
人は 霊において繋がるのではない
人は なににもおかないことで 既につながっている事を 知るのです
 
あなたは知らないから 孤独になる あなたは知らないから 
 
人は無知において 比べようのない知を得る
 
それは すでに知っていることです
  
だから 孤独を知っているのです
 
だから 全てを体験できるのです
 
だから 人は 無知になったのです
 
知とはかくものです
 
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