部屋の中を無邪気な蚊が楽しそうに飛び回っていました。

突然私の耳元で「ブーーン」と不快な音が聞こえてきたので、
無意識のうちに耳元に手を当てたところ、その蚊は、哀れ
にも気絶してしまい、デスクの上に横たわってしまいました。

しばらくの間必死に介抱していたのですが、私の祈りは届
かず、たった今、息をひきとってしまったようです。

私はなんと罪深い事をしてしまったのでしょう。無邪気な蚊が
哀れでなりません。この先私は如何に生きて行けば良いので
しょうか‥‥‥。

A 回答 (12件中1~10件)

まじありがとう。


おれ、数学嫌いだからなぁ。
助言感謝です。
俺は名は残したくない。
名を消してしまいたい。
魚が人間になる日が、いつか来たんだよ。そうやって考えると、びっくりだね(笑。
>哲学的思考を論理展開することにおいて、きっと役に立つ事があるかも知れませんね。
 どうやろな。このまま、明日にでもなれば、パワーアップしてる気がする(笑。
季節が行けば、数段パワーアップしてる気がする。
それが、脳のバランスであろうが、命の開花であろうが、それはな、
なんでもいいぜ?(笑。俺らがパワーアップしたら、みんなラッキーだな。
>、「言いたい事の趣旨はいったい何だろうか?」と思ってしまう事があります。
なんでもいいぜ?(笑。
ありがとう。はげみになったよ。
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この回答へのお礼

これにて締め切らせていただきます。

<総括的お礼>

大宇宙の時の流れから見れば、人間の一生なんて、瞬きにも満たないものです。そんな一瞬の短い時の中に、悩み(苦しみ)があり、喜び(幸福)があります。

人間の存在とは、なんて小さいものなのでしょう。☆☆☆ありがとうございました。☆☆☆

(皆さんご心配なく、頭は一応正常です。…たぶん)

お礼日時:2002/04/30 20:47

今、ここに飛んで来る途中に、目にいっぱいの涙を浮かべた魂とすれ違いましたよ。



ず~~と、Sadnessさんのことを見つめていたようですね。

その、思いやりの心がうれしかったのでしょう。

Sadnessさんも探し物をしたいのなら、翼を広げて飛び回ってみてはいかがでしょう!
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この回答へのお礼

v8vさん、ありがとうございます。

しばらく考えていました。この手のアドバイスは、とても解釈に苦しみます。それは、「精神の開放」を訴えておられるのだろうか。それとも輪廻的思考を回避するために、アートマンとブラフマンの同一化真理を訴えようとしているのでしょうか。…いや、考えすぎかもしれません。三次元的思考にとらわれがちな私に対する戒めですよね。

v8vさんの、その思慮深い思いやりに感謝いたします。

余談ですが、私は周期的に哲学的思考が強くなる傾向があるようです。先日などは、「うさぎ」に端を発して、月まで行って帰って来たところなのですが、何せ物理的な知識が乏しいため、必然的にオンボロ宇宙船での旅行となり、そのときの疲れがまだ癒えておりません。

お礼日時:2002/04/27 18:47

一つ意見として、哲学的でも何でも無いですが。


人生に対して何を思うかは自由でですが、
私個人としては「生きることは戦い」ですので、相手が人間であろうが無かろうが
弱者が沈むと言う感覚です。
罪に関しては個人差がありますが、それを私は罪とは思いません。
「それは防衛」であり、妥当だと思います。

あまりにも味方が、敵が、中立の見物人が、無関係者が多すぎて解らないかも知れませんが
結局、生きているうちに何か捨てながら、何か殺しながら生きてきます。

「いったい誰が誰の敵なのか?」
それが解れば、楽なんですがね。
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この回答へのお礼

furuichi9さん、ありがとうございます。御礼が大変遅くなりました事をお詫びいたします。

そうですね、人間にはいくら「愛」があると奇麗事をいっても、実際には私もそうですが、目の前の事で精一杯でしょうし、社会の中で強く生きていこうと考えれば、常に他者との競争ですからね。

しかし私は思います。人間は不完全だからこそ美しい。心を磨こうと努力するならば、それだけで輝きは放たれます。私はまだ、ピカピカに輝く心を持った人を見たことがありませんが、その過程があるからこそ、人としての価値が存在するのではないでしょうか。

「敵」とは、すなわち、自分の心でしょう。他者の存在は、自分の心の持ち方如何では、味方にもなれば敵にもなります。奢り高ぶる心で他者を見れば敵ばかりになるでしょう。素直な心(思いやりの心)で他者を見るならば、敵の存在はなくなるでしょう。

ともあれ、人間の存在が他の尊い命の犠牲で成り立っている事実がある以上、常に感謝の心だけは忘れないようにしたいものです。

お礼日時:2002/04/27 12:18

>しばらくの間必死に介抱していたのですが、


どうやってんな?(笑。
>私はなんと罪深い事をしてしまったのでしょう。
そりゃ、底なしっぽく深いわ。「悔い改めよ(笑。」
 
 俺の場合は、体にトマった蚊、血を吸ってふらふらと飛んでる蚊、吸ってる最中の蚊。殺します。おもいっきし。で、蚊のはらから血が出るだろ?
「やってやったわ(笑。あーすっきり!むしょうに嬉しい。」ってかんじ。基本的に罪悪感はナシ。罪はあるだろ。
でも、時と場合と気分によるわ。目に触れば、癇に障れば、部屋にいるだけで殺す。失敗して気絶したら捨てる。外に。俺の部屋で甦ったら、殺す羽目になるからな。
わざと血を吸わすなんて絶対にせんぜ?嫌いやもん。蚊が。いじめがあったら、いじめる方やからな、おれは。ただいてもつまらん奴は、いじめられる。ネタにされるねんな(笑。
ゴキブリとかあり、くもは殺さない。いても、いなくてもいい。シロアリは、もしつけば殺す。かな。たぶんな。別に家ぐらい壊れてもええねんけどな。その場所に住む必要ないし。
で、言い訳の見解としては、蚊は種族としての蚊。蚊を殺しても、蚊は絶滅しない。嫌いな敵を倒しても、また来るんだよ。しつこいね(笑。別に絶滅してもいいけどな。しなくてもいい。なんでもええわ。
絶滅危惧種になたら、蚊に血、吸われたがる奴が絶対出てくる(笑。
うざい。蚊って基本的にはうざい。殴っていわすのはフツーやろ?
一匹の蚊の命とか、そんな問題やないねん。おれんなかで、言い訳として。
 
命は数えれない。重さもはかれない。比べれない。←これはいいワケじゃない。
罪は天下のまわりもん。金みたいなもんだよ。比べれる。
罪を貯めるからいけない。まわしていかないと、走馬灯は止まっちまうぜ?(笑。
命の心配はしなくていいよ。するんなら、罪の心配だけにしな。
 
あと、俺が住みたいところに、蚊がいたら、戦って共存すんのちゃうかな。結果的にな。戦って、蚊が絶滅する、又は住み分けされる、ならそれはそれでいい。俺が絶滅してもええけど。
結果の問題。自然に行為して、結果がどうなるかは知らんわ。なんでもええ。
それで、罪をまわして生きるのが、命の片割れちゃうかな。べつに命が欠けもんやとはゆうとんのとちゃうで?

余談ね。蚊に血を吸わせて、家にいたら殺されたり、死んでしまったりするだろうから外に逃げなさい、とか、俺がここに居座ったばっかりに、殺人鬼のすむこんなトコに君が迷うハメになってってすまんです。って行為?(笑。、でかさ(ちいささ)を感じるな。ま、大きくても小さくても、なんでもええねんけどな(笑。
とりあえず言いたい事は、そういう奴といると安心できるな。
そういう人間にはな。それで、感化されて俺も殺さんようになったりするかもしれんな。大きい引力が小さい引力を持つものを、ひきつける。小さいきっかけで、どんな事もはじまる。それを「小さい」というにはちょとおかしいね(笑。
「目立たない」とゆうてみよっかな(笑。
自分の命はやれんが、お前の生が助かるなら?俺の罪が償えるなら?「なんでもええけど片腕ぐらいやるよ」ってノリの奴が、おってもええわ。でてきてるし、でてくんだろうな、たくさんな。
現代では、へんコと呼ばれるような奴がたくさんな(笑。
蚊に血ぃ吸わせて逃がすなんて変態やろ?(笑。「フツーじゃないフツーの感覚」で感じればな(笑。
どう考えても変態って事はない。よく考えればフツー。よくよく考えれば「よい」。善。
よく考えないとフツーの感覚を得れない現代人一般ってのはさぶいな(笑。
なんでもいいんだけどな(笑。
君がこの先いかに生きればってことだが、
よく生きるってのは、「よくよく生きる」ってことにしときな(笑。
よくよく考えるとか(笑。ぷ。ちょっとひとりでうけちまったわ。
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この回答へのお礼

hiroyaさん、ありがとうございます。御礼が大変遅くなりました事をお詫びいたします。

hiroyaさんのご回答は、ユニーク(笑い過ぎて腹が痛くなる)であったり、洞察力が鋭かったり、とても感性が鋭いお言葉ばかりなので、いつも感心させられています。今回のご回答も、私にとってはとてもありがたく存じます。参考にさせていただこうと思います。

しかし惜しい、惜しいなー。なので、あえて一言。(ただの凡人の戯言ですが)

左脳をもっと活性化させて、文章の構築(例えば、起承転結など)を真剣に考えれば、さらにhiroyaさんの発言に威厳が現れて来ますよ。話し言葉で書いていただくのもよいのですが、その場合、なかなか一度では理解が出来ません。最低でも2回以上注意を払って読まない限り、私の心へは伝わっては来ません。

それも自分なりの哲学だと言われてしまえばそれまでですが、文章で人にアドバイスする場合は、決して、自己満足であってはいけませんよ。やはり、説得力に欠けてしまう場合がほとんどです。実際、個々のフレーズは確かに感心させられる事がほとんどですが、全体としてみた場合、「言いたい事の趣旨はいったい何だろうか?」と思ってしまう事があります。

是非、ご一考いただければ幸いです。また、私の経験則にしか過ぎないかもしれませんが、左脳を活性化させれば、自然と右脳も活性化されて、今よりももっとhiroyaさんの感性が鋭くなっていくことと思います。そうしたら、もしかすると、名を残す(かも知れない)ほどの哲学者の資質が備わって来るかもしれませんね。

哲学には他の学問とは違って、束縛されるものは何もありませんよね。そしてそこには、「思考の自由(精神の自由)」があります。構造的事実と論証を追求していくことは、とても大切なことです。そして、学問としての東洋哲学や西洋哲学の思想をさらに勉強されるなら、哲学的思考を論理展開することにおいて、きっと役に立つ事があるかも知れませんね。

さらなる飛躍を願ってやみません。

お礼日時:2002/04/27 12:21

 哲学的な答えではありませんが・・・蚊の駆除


が多くの人を致命的な病気の感染から守るために
必死で行われています、理由は気分的なものでは
ありません。 日本も少し前まで多くの人の命を
蚊の媒介する病気によって失い、あるいは生涯に
わたる重い障害を負うことになりました・・・。
 下のホームページは駆除成功例ですが、他でも
成功させるには闘いを続ける必要があります。 
 人類の地球にとっての役目が他の星に生態環境
(当然地球の再現)を広げることなら、多分他の
星にも蚊が住み同じような戦いが続くでしょう。
蚊には種としての成功になるかも知れませんが。

 まあ蚊にも病原菌にもゴキブリにも悪気はない
でしょう(あっても文句言えないことはしてる)
が、そういう問題ではない状況が続いています。

参考URL:http://volunteer.hus.osaka-u.ac.jp/fieldreport/n …
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この回答へのお礼

shadoworksさん、ありがとうございます。

おそらく、あえて、その事をご指摘いただいたのでしょう。
shadoworksさんの思考の深みを感じとりました。

その思いやりに感謝いたします。

お礼日時:2002/04/26 20:38

●わたしは いままで蚊に血を吸われすぎたのです。


 反射的に 蚊のプーンを聞くと パチンとなります。

 わたしが いちばん嫌悪することは ミームによる殺生です。
 蚊を殺すことは 本能レベルの行為なのです。
 無意識にできることは とても大切な行為です。
 あなたも キャンプをして たくさんの蚊の攻撃を受けてみる
 経験が必要でしょう。うちの子供達は 常に逃がそうとしている
 訳ではなく 自分に害のある場合は ちゃんと殺生してでも
 その害から逃れようとします。自分に対して害を及ぼさない虫を
 むやみに殺すことは 絶対しません。
 その害を及ぼす危険の度合いを うちの子供達は わたしより
 かなり高く設定しているみたいです。
 キャンプで多くのアブが襲ってきました。わたしは バスタオルを
 ふりふり(アブが死ぬかもしれない)にげたとき 長男はゆっくりとした
 しぐさで 血を吸うアブを逃がそうとしていました。
●わたしは そんな感覚を持つ子供達に 人類の未来を託せる幸せを
 感じています。前述しましたが。
 蚊を殺してしまい 悔いる気持ちは とても大切なことです。
 人間の文化と文明の行く先を 示唆する大切な気持ちだと思っています。
 fishbowl66さんが おっしゃるように わたしは老いたということなのかも
 しれません また 育った環境が蚊に反射的にパチンとさせるのかも
 しれません。ただ 大切なのは 危険の度合いをちゃんと把握できること。
 防衛本能を ミームで阻害してしまわないこと。
 蚊のいない環境も ちゃんと在ることを認識・体験することだと思います。

 これだけは 確かに申しておきましょう。
 あなたの蚊に対する感覚のほうが わたしのそれよりも人類の未来を向いている。
 ↑わたしの直感ですが たぶん当っています。
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この回答へのお礼

chihokoさん、再度のご回答、ありがとうございます。御礼が大変遅くなりました事をお詫びいたします。

私も子供の頃はたくさんの蚊に襲われた経験はありますので、蚊の恐ろしさに関しては、ある程度理解しているつもりです。そして、No.4の方やNo.8の方が指摘された事に関しても私自身、よく知っております。chihokoさんと同じように、私も普段は無益な殺生などしません。今回の質問の経緯はNo.6の方のお礼欄に記してある通りです。

私は自然が大好きです。出来る事ならどこかの山を丸ごと買い取って暮らしてみたいとも考えます。しかし、現状は、人間関係の複雑なしがらみの中の試練を耐えなくてはならない身分ですので、今の環境を生かしながら、自然界との共存をはからねばなりません。その過程の流れの中で、今回の質問が必要だったのです。

ご子息がアブをも血を吸わせた上で外へ逃がそうとしているなんて驚きです。私の周りなどには、そういう人物は皆無ですし、私にも到底真似が出来ません。そのような素晴らしい感覚を持つということは、すなわち、両親の影響を大いに受けておられるのでしょう。出来る事なら、私も見習いたいものです。


話がそれますが、私はこのサイトの中で数人ですが、その発言に注目させていただいている方たちが居ります。その中でも、特にある方にはいつも感心させられてしまうのですが、既成概念にとらわれる事のない、独自の思考や豊富な経験から得られるのであろうその発言には、目を見張るものがあります。察するに、その方の環境には、常に多くの人達との交流が得られる場所があるのでしょう。そうでなければ、あのような新鮮味あふれる回答が出来るわけがありません。

すでに削除されてしまっていますが、老人のファッションについて意見を求めた幻のスレッドは、回答者の方々が感情論に走ってしまい、的確な論議がなされなかったのがとても残念です。

お礼日時:2002/04/26 20:37

Sandnessさん、今日は、私も同じ気持ちを持ちました、経験者と言うことでご回答させていただきます。



殺してしまった蚊をとおして、色々な事を考えましたが、以下の2点をよく考えたいと思います。
1)直接蚊を殺す自分の行為に対する嫌悪感があっても、他人の殺した、牛さんを食べることに嫌悪感を持たないこと、結局、お金を通して、人を自殺に追い込んでも、その事実に気が付かないで幸せに暮らせます。
2)人と自然の関係、キリスト教の世界では、天地創造やノアの物語で、人の自然に対する支配を肯定していますが、日本の仏教には「輪廻」の思想があり、蚊が自分の身内かもしれないと考えてしまうこと。
私は、蚊取線香を使用して1)の方法で罪悪感から開放されました。
他に色々考えましたが、読み難くなるので止めます。
現実を否定できるのは「若さ」であり、現実を受け入れることが「老い」だとすれば、私の心は「老い」てしまったようです。
罪を背負って生きるしか有りません。
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この回答へのお礼

「徹覚蚊」のfishbowl66さん、ありがとうございます。御礼が大変遅くなりました事をお詫びいたします。先日の他の方へのウィットにとんだご回答は、とても感心しておりました。

さて、今回私は、「無益な殺生」について深刻に考えています。

まず、最初におことわりしておきますが、私は決して理想主義者ではありません。私に害を与える存在であれば容赦はしません。人としての快適な空間を阻害するのであれば、蚊取り線香の使用は妥当なものであると考えます。また、人間にとって必要であったり、害を及ぼすとわかる限りは、殺生は止むを得ないことと考えています。しかし、今回の事例(過失致死)はそうではないのです。

私の場合、「輪廻」というと、どうしても宗教的観点から見てしまうのですが、「宗教」という存在は、「信じようとする心」が無ければ成り立つものではないと考えています。私自身もこの世に生を受けてから、仏教とは深いかかわりがありましたので、「輪廻」のことも含めていろいろな押し付け的知識が根強く残っています。また、10代の後半に至っては、モルモン教を通してですが、聖書の世界にも深く足を踏み入れた事もあります。そういうことがあるためか、学生時代に哲学という学問を学んだ経験を通して、哲学的思考を多少なりとも身に付けたとはいえ、それでも、いまだに思考の方向性が偏ってしまう事がしばしばあります。

今回私と初めてかかわりをもったこの哀れな蚊は、もしかしたら、羽化したばかりで飛行を楽しんでいたのかもしれません。私の腕や足に停まったこともありましたが、別に血を吸う訳でもなく、体を休めているだけのようでした。そんな蚊のいじらしい姿をじっくりと観察していれば、愛着を感じてしまうことは、自然の感覚だとも思うのです。

しかし、私はそのような意識を持っていたにもかかわらず、蚊が耳元に飛んできたときに私が手を寄せてしまったのは、経験則による条件反射とはいえ、あまりにも身勝手な行動ではなかったかと反省しているのです。なぜなら、本当の思いやりさえあれば、防げた事故なのです。この事は、私の「エゴ」そのものです。自分自身の偽善者ぶりに呆れかえってしまいます。

仮に今回の事故をペットとして可愛がっている「犬」に置き換えた場合、皆さんの反応は、おそらく大いに違っていた事でしょう。でも、「一つの命の重さ」として見た場合、対象による優劣を位置付ける判断とは、いったい何なのでしょう。この事を考えていると、何故か思考が停止してしまうのです。思考に行き詰まってしまいます。そこで、皆さんの意見を参考にさせていただきたかったのです。

fishbowl66さんの最後の部分のお言葉は、とても感慨深いものです。参考にさせていただきたいと思います。


余談ですが、私は他にも考えていました。去年のこの時期に果たして蚊を見かけていただろうか。人間による環境破壊の結果と考えるにしても、このペースの速さは、いったい何なのでしょうか。

お礼日時:2002/04/26 20:35

 正法に帰依することでしょう。


 蚊が命をかけて、諭してくれたとして、自らが成仏して、その縁の功徳力で蚊をも成仏させましょ。
 それが、蚊に取っても供養にもなり、回向ともなるでしょう。
 食べられる魚にしても、食肉となった動物にしても同様であります。自分が成仏させていただく為の犠牲であり、糧であります。これで、自分が成仏しなければ、報われる事もないでしょう。
 如何ですか?
 真面目なご質問なら、本当に肝に銘じて下さい。
 冗談半分ならば、このような質問はすべきでありません。回答者に対して、失礼であり、侮辱することになります。
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この回答へのお礼

odd-artさん、ありがとうございます。

宗教色が感じられますが、要領よく的確にまとめられた素晴らしい
アドバイスです。odd-artさんのその繊細で美しい心を感じ取れます。

ただ、最後の2文については、とても残念に思います。正法を熱心に
勉強されている方が、何故、疑心暗鬼にとらわれてしまうのでしょう。

人間社会の中で生きていくためには、理屈を考えるよも、まず、行動
する事が必要とされる場面がままあるものです。

自分に信念があるのなら、たとえ裏切られたっていいじゃないですか。

お礼日時:2002/04/21 12:01

無意識的にあなたは蚊を殺してしまった。

なるほど。あなたの体の中には白血球があり、毎日何十万と言う細菌を殺しています。
あなたは食事の前に石鹸で手を洗う?洗わない?
怪我をしたときは消毒をせずそのまま?目に見えない細菌は殺しても苦にならない?蚊や蚤はまだしもかわいげがあるが、同じ外部吸血生物でおぞましい蛭が吸い付いていたら、悲鳴を上げて叩き殺さないか?あるいは体内に回虫やサナダムシ、日本吸血条虫がいるのがわかったら虫下しを飲まない?飲んで体内から排出されれば彼らは死んでしまう。
 だとしたらそれはなぜ?生物単体の大きさに由来する物か?あるいは生物によって無意識に差別をしていないか?
蚊を殺したことであなたは運良く(日本国内であればしばらくはマラリアが発生することはないだろうが)マラリアや日本脳炎にかからなかったかもしれない。あるいはかかるリスクを負ってまで、蚊を生き延びさせたい?
保健と医療は最先端の国にいるから、蚊やハエは大した悪さもできないが、第3国へいけば昆虫の媒介する細菌感染は命取りになる。そのようなことを考えるのは、安全で病的なまでに清潔なこの国にいるから考えてしまうことでしょう。ツェツェバエやマラリア蚊による死亡は非常に高いのです。

生き物を殺さないと生きていけないのは生体維持に必要なため。蚊に対して罪悪感を「持ちたい」のはわからぬでもないが、生物は(植物でさえ)他の生物を殺して生きている。生きるというのは他の生物の犠牲の上に成り立つと言うこと。
もし、上の質問のように蚊は殺すのは忍びなくても、内部寄生虫を殺すには気兼ねしない。というならば、どこぞの環境保護団体のように、クジラはかわいくて頭が良いから殺すな。でも家畜の牛は殺されて当然。という偏った考えになる。

当然、あなたの体内にサナダムシや回虫が見つかったとしても、殺さないですよね。姿は見えないし、仮にお尻や口から顔を覗かせたとしても、かわいいし、蚊よりも大きいし、宿主としては住み着いてる生き物の方が親近感があるでしょ。
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この回答へのお礼

1812さん、ありがとうございます。

私の質問のために貴重な時間を割いていただいたことに感謝
いたします。

お礼日時:2002/04/21 11:57

哀しきことか、人は後悔無くして新たなる一歩・道を切り開くことはできないのではないでしょうか?しかし、「後悔」をそのままただ「後悔」として抱き持つとすれば、それこそ悲劇以外のなにものでもない。

生きていく上で、生む殺生、生かし生かされている我が身。だとするならば、悲痛に苛まれるご自身のこころをご自身の手でなでてあげてください。

メディアを通して見ることのできる。様々な、「死」。これは、バ-チャルリアリティ―な出来事ではないんです。極々身近でいつ何時、いとも容易くだれでもだれかをその命を奪い取ることができるのです。感覚が麻痺してしまっているのです。戦争を知らない知っているのは映像で映し出されたもの実体のみえない語り継がれた戦争物語。命の尊さを知っているようで知らないかんじたことのない人々。正直、こわいです。知らないことをかんじたことのないのに知っているといいかんじたような気になっていることが。命の尊さ、尊ぶべき命、命の重さ、大切な命、どんな形容詞がつこうとも同じ「命」。

Sadnessさん~♪泣かないで。哀しまないで。なくなったひとつの命に訓えられたことをつぎは、あなたがだれかに伝えていくことを受け継いだのです。後悔の淵にたたずむだけでは、なくなった命への恩返しにはなりません。こころの痛みが少し治まったら、あなたが受け継いだ役目をすこしづつはじめてください。

あなたのこころが少しでも軽くなるようにただそれだけを願います。
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この回答へのお礼

littlekissさん、ありがとうございます。美しい哲学です。

「笑いあり、涙あり」の豊かな人生経験を重ねてきたからこその
貴重なお言葉のように感じます。

littlekissさんのように、感受性豊かな純真な心を持ち続けたい
ものです。

お礼日時:2002/04/21 01:16

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