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飛鳥~奈良時代に創建されたほとんどの大寺は既に消失または再建の繰り返しです
残っていても塔などの一部分とかが多いようです
唯一伽藍ごと残っているのは法隆寺のみですが何故現在まで持ちこたえたのでしょうか?
ただ単純に火災に遭わなかっただけでしょうか?

A 回答 (5件)

木造建物には寿命がありますから、火災に遭わなかっただけでは1300年も前の建物が現在まで持ち堪えることはできません。


法隆寺の伽藍が残されているのは、建物の寿命がそれだけ永いものであったからでしょう。
材料は1000年か1300年か位の樹齢のヒノキが使われ、飛鳥時代の宮大工が木の性質を見抜いて、うまく利用する知恵を持っていたからだと思います。

法隆寺はさまざまな時代に修理していますので、その時代の建物に対する考え方や特徴が見られます。
例えば、講堂は藤原時代に建てられ、法隆寺の他の建物に比べて軒が短いですし、柱を見ると目が荒く樹齢が少ないことがわかります。

近代の建物は1本の長い柱で1階から2階までつながっていますが、金堂や塔、中門では1階と2階では内側の方に少しずれています。また、1階と2階では少しだけ軒反りや屋根垂みも差があります。
こうした構造が地震に強い柔構造となっています。
1階が右に揺れると2階にそのまま伝わるのではなくて逆方向にいくので、大きな揺れを吸収できるのです。
壁は間仕切りの役目ではなく構造体として、柱や桁、梁などの構造部材と一体となって全体で建物を支えています。

釘が使われていますが、今の建築のように釘の力で木を押さえているわけではなくて、釘は木を組んでいく途中での仮支えという考え方です。建物が組み上がってしまったら、各部材が有機的に結合され機能的に構造を支え合うように十分に計算されて、今まで1350年以上ももっています。


回廊の柱と虹梁のつなぎ目を見ると、飛鳥時代のものは1本の虹梁の端を斗(ます)で受けて、そこから柱に伝えられています。そして、梁の上には屋根の荷重を支える人形束があって、建物中心の荷重を両方の太い柱に分散させてささえるように工夫されています。
斗(ます)と柱の間に皿斗(さらと)があり、斗にかかっている力を柱上面全体に分散させています。
皿斗が無いと、屋根の荷重で柱に斗が2cmも食い込んでしまうそうです。


五重塔は、この下にお釈迦様の骨があるという印で、実際に心柱の下には空洞があり、そこに舎利が入った徳利型の壺が納められています。
塔も金堂と同じように柔構造です。どんなに強い風が来てもしっかりと根を張っていて、風に揺れても元に戻る木と同じ思想で建てられています。
がっしりとしているように見えますが、隅木(塔の各階の四つの角の部分)の端を手で強く押すとゆらゆらとゆっくり揺れて、力が抜けるとまた元どおりにじっと収まるように作られています。

五重塔の隅木は作って1300年経過しても最上階までずっと一直線に並んでいました。(No.2の方が紹介されている中の、西岡常一著「木に学べ」の表紙写真)
解体してみると、この木は右に曲がる、左に曲がるというような部材となる木の癖を見抜いて、そうならないようにうまく加減して抱き合わせるように組み上げられ、構造の歪が出難いように工夫されていました。

薬師寺東塔は土台となっている基壇ごと沈下していますが、高さ約32m、総重量120万キログラムもある法隆寺五重塔が1300年以上も沈むことなく建っていたのはがっしりした基礎づくりがあったからです。
基壇がただ土を盛られたものではなくて、地面を固い粘土層の地山まで掘り下げて、その上に良質の粘土を突き固め、更にその上に砂をおいて突き固めるというのを繰り返して地上から1.5mの高さまでに作り上げられた基壇です。

ただ、構造的にしっかりしているので地震には強くても、雷にはどうしようもありませんでした。
てっぺんにある相輪が金属ですから落雷したことがあります。心柱には、落雷して2重目から火を噴き出したので、大工の与四郎が駆け登って火を消し止めたという記録が残されています。

九輪と呼ばれる相輪はただの飾りではなく、重さが約3トンもある構造体としての役割をしています。
塔の上に行くほど荷重が少なく、風に煽られやすくなります。そこで上に荷重がかからなくなる五重の上に荷重をかけて風に強くしているというわけです。

以上は、私が薬師寺宮大工棟梁の故・西岡常一氏の「木に学べ」を読んで得た知識です。

私事になり恐縮ですが、数年前に「いのちの教科書」等を著されている金森俊朗先生にお会いした時に、
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?pcd …
先生から薦められたのが薬師寺宮大工棟梁の故・西岡常一氏の「木に学べ」でした。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%A8%E3%81%AB%E5%AD …
法隆寺や薬師寺のことだけではなく、人間の生き方、人生の考え方まで教えられた一冊で、おすすめしたい本です。是非お読みください。
(もしも、既にお読みでしたら、失礼をお許しください。)
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この回答へのお礼

大変ご丁寧なご回答ありがとうございます
謎が解けた気がいたします

お礼日時:2007/02/02 01:13

あのへんの雰囲気がすきで、法隆寺は4回くらいいきました。



歴史的にはわからないのですが、法隆寺の前面はひらけていて周りは田んぼ。法隆寺の北側はすぐ小高い丘の急斜面になっています。
近隣の建物が多くないので、まわりに火災があっても、影響を受けにくいのかなという感じもします。

法隆寺まえの葛餅をたべたくなりました。
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この回答へのお礼

いいですね いい所ですね

お礼日時:2007/02/02 01:12

 奈良という政争から遠い場所にあり、さらにその奈良のなかでもほかの大寺からちょっと離れたところにあり、東大寺や興福寺のように強大な武力を持たず、政治の渦中から離れたところにあったのがよかったのだと思います。


 中程度のお寺として、ひっそりとやってきたのが幸したのかもしれません。
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この回答へのお礼

場所的にも良かったのかもしれませんね?

お礼日時:2007/01/26 21:47

こんばんは



修復がうまくいっているからだと思います
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http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handl …

西岡 常一さんの本を読んでみてください
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この回答へのお礼

なるほど!
ご回答ありがとうございます

お礼日時:2007/01/25 23:52

過去の火災の記録はあるようですが、670年以降は大火災がなくそのため現存しているようです。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2007/01/25 23:51

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