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武家女性の一人称というと「妾(わらわ)」が一般的だったと思うのですが、
公家女性の一人称はどのようなものだったのでしょうか?
公家言葉というと「まろ」が思い浮かぶのですが、これはどちらかというと
男性の一人称のように思います。
京都弁なので「うち」とか「わて」なども使われていたのでしょうか。
時代によって変遷していると思うのですが、主に近世の言葉に興味がありますが、
他の時代でもどのように呼んでいたのか知りたいです

A 回答 (2件)

女性の一人称はなかったというのが正解ではないでしょうか。

うちというのがありますが、一人称を女性が使うのははしたないことというのが公家社会の不文律で、現に源氏物語では女性が一人称を使う場面は皆無じゃないでしょうか。関西は今でも女性が第一人称を使わないようにするという習慣は上流階級では残っています。二人称も一人称ほどではないですが、これも稀ですよね。ですから古文では動詞の主語が誰であるかを特定する問題が頻繁に出ますね。公家社会ではそれが分らないのは教養がないとして蔑まれました。雅びの精神の一つでしょう。
 話はちょっと逸れますが、吉原や島原の花魁は二人称に『こちの人』という三人称を使いますね。これもその流れです。『あなた』はまさしくこれです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
何と一人称がなかったんですかっ!?
でも確かに古文では主語がわかんなくて難しかったですね。
「あなた」も確かに漢字を見る限り三人称だわ。
とても勉強になりました。

お礼日時:2007/01/30 15:35

 『日本の女性名』(角田文衛著)によると「まろ」は平安時代には始め男性が一人称主格の代名詞として使われたが、中期になると「男女老幼の別なく、第一人称代名詞に用いられるようになった」と書かれています。

中世以降はもっぱら男性の自称となったと書かれています。
 例として、「土佐日記」の女童、「紫式部日記」の道長、同じく源倫子をあげてます。
 これ以上は和歌などを調べるしかないのかな(^^ゞ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「まろ」は女性も使っていた時期があったんですね。
名前の字とかもそうですが、古代を見ると男女の区別があまり
はっきりとしていないですよね。

お礼日時:2007/01/30 15:39

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