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幼稚な質問ですが、ご存知の方、教えてください。

私は学生の時、算数も数学もあまり興味がなくて微分/積分 関数、、、なんて
理解できなくても足し算/引き算あたりがわかれば生きていくのに
困らないだろうと考えていました。
しかし当時の数学教師が「数学的思考は人生の、きっと役に立つよ」と
教えてくれました。
成人した私は、しばしば周りの人間から「数学的考えができるね」と言われます。
自分では、何のことなのか、さっぱりわからないのです。
単に合理的、理論的という意味なのでしょうか?
そもそも、数学的思考って何なのでしょうか?
実生活で具体的に表現すると、数学的思考とはどういうことなのでしょうか?

A 回答 (7件)

 


「数学的思考」と「論理的思考」はまた別なのですが、数学は論理的という考えが一般化しているようで、「違い」がどこにあるのか、なかなか理解しにくいようです。

簡単には、数学は論理的でもあるのですが、その使用する「論理」のレンジが狭いということがあります。「論理的思考力」は、もっとレンジが広く、広い世間知や経験や知識・教養などをベースにして、総合的に発揮される思考能力です。これは、数学の論理思考よりも、修得が難しいのです。

「数学的思考」とはどういうものか、とりあえず、それはデジタル的、解析的な思考法だと言えます。無論、数学的な形式論理思考は含まれます。

具体的に例で言いますと、何か会社で問題などがある時、その問題を、ステップや要素に分けて考え、問題の性質を、解析的に分析し、どう対応すれば問題が解決するか、ステップや要素の持つ意味や働きに応じて、「見通しの良い」回答が出せるような思考が、数学的思考と言えます。

「論理的思考」の場合、こういうデジタル的、解析的な思考も無論しますが、もっと総合的で、相互交差吟味などの内的検証や、無意識の直観の吟味など、非常に幅広い「思考力」を駆使して、ものごとの本質に迫ろうとする思考です。

数学的思考は、外から見ると、「問題の整理の仕方」が明晰、解決の筋道が、分かり易くステップ的デジタル的になているという風になります。実際、内部の思考処理でも、こういうことを行っていることになります。

これは自然科学の基本手法である、要素還元的な方法で問題を眺め、把握し、次に数学の問題を解く時のように、ステップ的な回答を出すような思考で、これが、数学的思考的だということになるのでしょう。

数学的な思考は、ある意味で、形式的な思考で、綺麗に問題を把握してエレガントな回答を出すように見えますが、総合的な論理思考ではないので、抜け落ちが出てきます。

数学的「形式性」の限界というか弊害があるのです。これは、あの人は、堅苦しいことを考える人だという評価にもなりますし、思考の余裕が狭いという評価にもなります。

質問者が述べている通り、「数学的思考」は、足し算引き算程度でも実は十分なのです。無論、証明のステップ的思考法というのは修得していなければまりません。しかし、訓練しなくとも、そういうステップ的思考が馴染んでいるという人もいるのです。

(金銭の損得問題で、どうすれば得か、ということを真剣に考えていると、微積分など習わなくとも、こういう思考は訓練されます。逆に微積分はできるのに、お金の損得勘定ができないという人も結構います。高校・大学程度の数学だと、答えが分かっているものがほとんどで、「解き方のテクニク」などがあります。しかし、現実世界の金銭問題は、場合場合で問題が異なり、正解のない問題もたくさんあるのです。こういう問題には、学校数学の思考法や解法テクニクはあまり意味を持ちません)。

問題について、デジタル的、つまり数字的に考え把握し、数字の計算をきちんと行っているというのが、おそらく、他の人に「数学的考えができる」と言われる根拠だと想定します。これは関係ない要素を切り捨てて、数値的に評価できる面を思考するということでもあるのです。

他の人は、人間関係の問題とか、感情の問題が入って、なかなかスパっと割り切れない問題を、数やステップで置き換えて、スパっと切って回答にするという「合理的」問題思考だと、数学的考えが得意という風に言われると思います。

数学と論理の関係は難しいです。以下の質問のわたしの回答も参照して見てください:

>No.272799 質問:(^_^.) 数学がよくできる人って、ほんとうに頭がよい人??
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=272799
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お礼がおそくなってすみませんでした。

たくさんの方からとても含蓄深い御回答をいただき、とても感謝しています。
私などが、点数をつけるのはおこがましいのですが
あえて点数をつけさせていただきました。
本当は皆様に20点差し上げたいのですが、そうもいかず、、
どうかご了承いただけますように。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 15:31

こんばんわ~。

hikaru_macです。
自信無しです。

「数学的考えができるね」というのはおそらく、矛盾なく物事を説明するとか、正確に間違いなく話すとか、例外の無いような言い方をするとか、そんなんじゃないでしょうか。
数学の証明の問題で培うような能力に長けている、と言うことでないでしょうか。

あと、深読みというか、陰険な考え方かもしれないし、そのようにマイナスに受け取っていない人にマイナスの考え方を言うのは良くないような気もするのですが、思いついちゃったら言いたくなっちゃったので言っちゃうと、
もしかして周りの人間の「数学的考えができるね」ってゆう発言は、「機械的、冷静(冷徹)だね」という意味では無かろうか。
いや、やっぱり違うね。変なこと言ってごめんなさい。

ところで「微分/積分 関数、、、なんて理解できなくても足し算/引き算あたりがわかれば生きていくのに困らない」について。
どうでしょうか。
今の社会では確かになんにも出来なくても生きては行けるでしょう。
しかし、今、我々が生きているのはいまの科学のおかげだと思います。
現代科学がなければわれわれは困ってしまいます。
それで、現代科学を持続、発展させていく人材が、この社会には必要なわけですが、そのためには、考える力や覚える力、発想力のある人材を育成する必要があるのです。(と、思います)
それで、計算が出来るとか出来ない~よりも、理解、これが大事だと思います。
やっぱり、微分積分の高校範囲での定義とか、そなへんがわかる人とわからない人とでは違うと思います。説明が悪いとかそんなんもあると思うし、何も数学がわからないからといってダメなやつだ、というわけではありませんが、理解しようとtryしてみることは大切だと思います。
さらに、数学に限らず、経済学、政治、社会常識、国語(論理力)、なんかも大切だと思います。
古典や英語でさえ、パズル的思考、論理力の養成に役立つと思います。
もちろんそれ以外の役目もあると思いますが。

---なんか関係ない話に飛んでしまいましたが
「実生活で具体的に表現すると、数学的思考とは」、相手の話が論理的に飛躍していた場合に、そこに気づく能力、相手の話に限らず、世間一般の風潮、考え方などに関して論理的に考察を加えられるということかな。
数学的とは、計算能力のことではなくて 論理的思考のことだとおもわれる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなりましてすみません。
>「実生活で具体的に表現すると、数学的思考とは」、相手の話が論理的に飛躍していた場合に、そこに気づく能力、相手の話に限らず
世間一般の風潮、考え方などに関して論理的に考察を加えられるということかな。

私自身はこれほど論理的な能力に長けている、とは思いませんが
あなたがおっしゃることは、私が常日頃心がけていることだと
気づきました。
いきすぎると、「冷たい」という印象を与えてしまうのかなあ。

お礼日時:2002/05/28 15:26

いまの時代、悪徳商法がはびこっているのは、「数学ができない」(考えられな)人が多いからです。



数学的に破綻が確実な「ネズミ講」は論外にしても、
「そんな美味い話があるのなら、なんでその人は見ず知らずの他人に教えずに身内だけでガッポリ儲けようとしないのか」ということを一つ考えれば、「あやしいぞ」と気付きます。
数学では「背理法」といいますね。ちゃんと筋道立てて考えれば見えてくることが、感情だけでは見えない。

さいきん問題になっている電話詐欺も、そもそも、ということを考えずに「うわさ」で行動している人が多いからなあ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなりました。
ネズミ講(またはそれに準ずる商売)にひっかかる人って
未だにいるんですね、信じられません。
数学的思考もさることながら、それ以前の常識とか自己責任
のレベルなのかも。。。

お礼日時:2002/05/28 15:19

■#3返礼についての回答


どちらかというと余談の話のほうが楽しくていいのです。
 わたくしは医者でもなければ、ペットショップの店長でもないのでよく判りませんが、人間の脳はかなり不思議な物体らしく、長時間思考を持続できないと聞いています。 それよりも記憶媒体の方が原始的で処理能力に秀でています。
 つまり1+2=3はと読んで答えを出すやり方(数学的)よりも1+2を記憶イメージとして脳に焼き付けてしまう、そしてあとから処理するという方法のほうがスピードが速いですね。
 これがフラッシュ計算ということです。 誰にでもできます。 つまり彼ら(彼女)は数字をすばやくソロバンに入れてしまいます。あっという間です。 計算はしていません。 玉を動かしているだけです。 脳にイメージとして結果がでています。 例えば1563:2389:・・・この数字をいかに速くそして正確にイメージ出来るかが勝負です。 
 たまに失敗している場合は何か一瞬、他のことを考えたか、イメージしてしまったかです。

>したがって、フラッシュ計算は思考ではありませんので
数学的思考にはあたりません。 まあ判りやすく言えばイメージ編集でしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 15:15

>数学的思考ですか。

 有る事象が存在するとしてそこになんらかの特定要素を付加するとどのような結果になるでしょうか。 という質問に対して必ず答えを導きだせる能力(思考性)持っているといことでしょう。 つまり現在のほとんどの事象は数学的計算方式にのっとり結果を導き出しているのが現実で、その中で生活していますので、必要不可欠な思考です。 数字は大変大事でありここに普段から注目しているかたは自分にとって不利になることはまづないといっても過言ではありません。 

>何事にも答えを出すという努力をされているかたは当然自分にとっても利益になっているはずです。 あなた自身に大きな災いが発生していないとするならばそれが数学的思考の結果といえます。 正と負の計算でどちらにもかたよった結果は信頼性かけると一般的に認知されています。
 たとえば経理上で負債と利益の関係で考えればこれほど
数学的思考の必要なものはありません。 ここに文学的思考の存在など微塵もゆるされません。 
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この回答へのお礼

目からうろこ的なご回答、ありがとうございました。

「あなた自身に大きな災いが発生していないとするならばそれが数学的思考の
結果といえます」

→ 目の前が開けた感じです。素直に共感してしまうご意見です。
余談ですが、フラッシュ記憶による、フラッシュ暗算なるものがありますが
あれは、数学的頭脳の使い方の範疇なのでしょうか?

お礼日時:2002/05/17 14:26

数学の本質は「論理」である。



これは小室直樹・著「数学嫌いな人の数学」の帯のコピーです。
以下、この本の受け売りです。

数学が成長して諸科学の根本になれたのは
ギリシャの形式論理学と結合したからだそうです。
形式論理学、などというと堅苦しくて後込みしてしまいますが
そんな人々の後込みを押し切ったのが、イスラエルの神です。
イスラエルの神は唯一絶対の人格神です。
よってこの宗教における最大の問題が
神は存在するのか、しないのか?になります。
この問題と格闘しながら、古代イスラエルの人々は
ものの考え方を「論理」にまで高めました。
彼らにとって「論理」とは「論争のための方法」です。
誰との論争か?---- 神との論争です。

十戒などを見ていると思いますが
神は民に度々命令をします。
神の命令は絶対であり、ところが心ない民がこれに背きます。
なぜ背くのか、滅ぼされたいのか?と神は論争をしかけてきます。
神との論争において、民は神を論破し説得しないと
滅ぼされてしまうわけです。

論理学の特徴としてはっきりしていることは
正しい/正しくない、つまり真/偽がキチンと決まる、つまり
矛盾やケースバイケースがないことです。
ここに数学的思考が必要になってくるのです。

あとは、よろしければ本を読んでみて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「つまり 矛盾やケースバイケースがないことです。」

わかりやすいです。
学生の頃や若いうちは何かと白黒つけたくなったりするものですが
年を重ねるにつけ、世の中は割り切れないことの方がむしろ多いのかな
と思うようになっています。
ということは、極端に言えば、年を重ねる(人生経験を積む)ほどに
数学的思考は必要なくなってくるような気がします。

お礼日時:2002/05/17 13:06

私的見解ですので、これが絶対とはいえないですが



行動・発言がとても明確で解りやすいと言った所ではないでしょうか。
数学的と文学的を例をとって言うならば、
数学的:
1 + 1 = 2
と言う風に、決まっている答えに対し
文学的:
1 + 1 = 1
(1つのものと1つのものを合わせると、より大きな1つになる)
1 + 1 = n
(1つより、大きな・多いもの)
等々、人それぞれ千差万別に回答が出ると思います。
こう言う違いから、一つの数学的と言う表現になると思いますし
chorotaroさん自身が言われる通り、合理的・理論的という表現もあります。

結論を言えば、明確でハッキリしているという事だと思います。
類似的言葉では、機械的ってのも当てはまるかもしれませんが・・・
(0,1がハッキリしていると言う表現です。)

>しばしば周りの人間から「数学的考えができるね」と言われます。
ちなみに、これに関しては合理的・理論的と言う表現だと思います。

如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答いただきましてありがとうございます。
考え方や物事に対する対応が「明確/合理的/論理的 等」ということで
あれば、足し算レベルでも充分だと思うのですが。。。

複雑で長長しく、難しそうに見える計算式などでも、ある公式を当てはめれば
簡単に解くことができる、とか 効率的に解くために最適な公式を思い付く
(選択できる)能力とかそういったことなのでしょうか。。
ちなみに私自身は、それほど的確かつ効率的な問題解決能力にはあまり
恵まれていないような気がします。

お礼日時:2002/05/17 12:27

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