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 今年結婚しようと思っていますが、彼女が派手嫌いで人前に出るのも、二人のラブラブを見せつけるような映像や、教会での宣誓やキス、涙涙の両親への手紙朗読はゼッタイにイヤだと言い張っています。

 実は私は、いままで出た結婚式で彼女が嫌いな上記の部分にこそ感動を覚えていました。

 でも相手がイヤだというので、上記は全てやりません。

 そうすると、参列してくれた人たちには感動を与えられないと思うのですが、上記のような気恥ずかしい演出無しで、感動を与えられる披露宴というのは可能でしょうか?
 その場合、具体的にはどうすればいいでしょうか?
 全く勝手がわかりませんので、どなたか教えてください。
なにとぞ、よろしくお願い致します。

A 回答 (12件中1~10件)

結婚おめでとうございます。


私も彼女さんとほぼ同じ考えです。それは彼女さんが「地味好き」というのとは違うと思います。
特に二人のラブラブの映像なんていうのは「感動」というものからはかけ離れている感じがします。
当人達の自己満足であり傍目から見れば恥ずかしげもなくよくやるなぁと感じてしまいます。

教会式であれば宣誓や誓いのキスは必ず付いてくるものだと思います。キスはともかく神様の前で誓わなければ式になりませんもの。
それが嫌なのでしたら教会式ではないお式にするということになりますね。

私も花嫁の手紙も読みませんでした。
感謝の気持ちの手紙を読むというのは質問者様の仰るように感動的なのかもしれませんが、私もそして両親もそれはとても気恥ずかしいし、
感動の涙よりも笑顔の披露宴にしたいという思いがあったので。
その思い通り、出席者の皆さんからは、新郎新婦の笑顔がとても幸せそうで、楽しくすがすがしく本当に気持ちの良い素敵な披露宴でしたと言って頂けました。

彼女さんは花束の贈呈も嫌でしょうか?
私は花束贈呈もやりませんでしたが代わりに旅行券をプレゼントしました。一応箱入りにし包装紙とリボンは吟味して華やかなラッピングにしました。
花束よりは小さく目立ちはしませんが、贈呈儀式が寂しくなったという感じはありませんでした。
花束贈呈の時と同じく音楽が鳴り照明も工夫されますし、司会の方はこれこれこういう思いで両親に旅行券をプレゼントをしますという上手いコメントを言ってくれましたので、全く問題はなかったです。

手紙は旅行券の箱の中にこっそり忍ばせました。
後で母に聞いた話ですが、家で箱をあけたら思いがけず手紙が入っており、夫婦二人だけで娘の手紙を読んだ時はとても感動した。
これまでのことが色々と思い出され涙が止まらず、会場で読まれるよりも何倍もの感動があったと言ってもらえました。

確かに長い披露宴で何がしかの演出がないと、メリハリに欠けだらだらと間延びした宴になってしまいます。
しかしその演出が必ずしも彼女さんの嫌がる「気恥ずかしい演出」でなくてもいいのではないでしょうか?
感動を与えようとせず、新郎新婦の幸せな姿を見て頂き、美味しいお料理と心のこもった細やかなサービスで、
上品で気の利いた気持ちのよい時間を過ごして頂く。そうすることが感動に繋がるのではないでしょうか?
その点をプランナーさんにしっかり伝えれば、何かよい提案をして下さると思います。

素敵なお式、披露宴になるといいですね♪
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結婚式って何なのでしょう。


日本の結婚ショー、世間体で渋々包むご祝儀、何か一番満足してるのは式場だけ、なのではないかと思ってしまいます。

私はイタリアで結婚しました(夫が伊人)。宗教心のない夫とカトリック信者ではない妻の結婚でしたので、教会ではなく市役所での「人前式」でした。私側の親族は無し、数人の友人のみ。夫側も姑と一部の兄弟、数人の友人でした。
で、一番感動したのは誰か、といいますと....私です。
宣誓の後 (結婚したいですかの問いに「はい」と答えないと結婚届にサインが出来ません)、市長から「二人の婚姻を認めます」という宣言があり、指輪交換。キス強要はありません。(ごく自然にする場合が多いです--私達はしました)その後、結婚承諾書(結婚届)にサインをし、市長から「おめでとう」の言葉を貰うまで泣きじゃくっていました。

その後レストランでの会食(披露宴)でした。こちらではお色直しなんていうこともしません。式での服装のままです。
日本でのショーのような司会者も映像も手紙の朗読も、つまり演出なんて一切無しです。スピーチなどもありません。新郎新婦は一応テーブルの真ん中に着きますが、食事の合間には出席者の間を回りおしゃべりもします。知らない人を紹介しあったりするのも新郎新婦がそれぞれ個人的にしていきます。
私たちは予算の関係でそこまで出来ませんでしたが、小楽団を招いてダンスパーティーとなる様な披露宴も多いです。
感動させる作り物の披露宴でなく、みんな一緒に楽しむ披露宴。新婦も着せ替え人形ではなく、シッカリ飲み、食べ、お喋りし.....

演出効果を狙った "見せつけラブラブ" はありませんが、何しろ周りはイタリア人。当然のように「バーチョ、バーチョ(kiss)」と囃し立てるリクエストが入り、こちらもサービス精神でリクエストには応えますが (その為にもシッカリ飲む必要あり(^_^))、もしここに司会者がいて「それでは、ここで新郎新婦に....」なんてアナウンスが入り、台本通りにキスをしなくてはならないとしたら、イタリア人だって思いっきり引きます。

新郎新婦が心から楽しみ、幸せに思う結婚式ならば、それは出席者にとっても心に残る式となります。
新郎新婦が余程の役者でない限り、演出された式進行を白けた目で見つめている出席者もいます。
自然にあふれ出る幸福感に対して、出席者は心から祝福を送りたくなりますし、感動もします。
お二人が一番「自然体」でいられる式をご自分達で盛り上げてください。
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私も彼女さんと同じ考えです。

「なぜ人前でわざわざイチャイチャする必要があるのか?それを見せ付ける結婚式って必要なのか?したくないな~」とまで考えていました。
でも、最近はそういう考えの人が多いようですね。「アットホームな式にしたい」という意見をよく見ますし、私が参加した式でも教会式で誓いのキスがないものもありました。
私は結婚していませんが、最近いろいろなサイトを見ていると、結婚式の演出にもいろいろあるんだなーと思いました。おそらく、彼女さんは「自分のプライベートなことをみんなに見せる」ような演出がいやなのであって、すべての演出がいやなのではないと思います。
音楽の生演奏とか、花火とか、新郎新婦も一緒に楽しめるような演出を探されて見てはいかがでしょうか。
NO.6さんのように、私も「料理をゆっくり食べたい派」ですー!
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私も質問者さんの彼女さんのように、誓いのキス、手紙は絶対嫌!!!な性分でした。

結果、やりませんでした。
キスや手紙は配偶者や両親と一緒の時で十分。
ひと様に見せるものではないと思うし、それが普通に演出に組み込まれている事自体不自然だと思います。
(私はほぼ強制的にやらされそうになりましたが、断固拒否しました)

そもそも結婚式、披露宴に感動の場面は必要ないと個人的には考えています。
お葬式ではないのだし、おめでたい席で何故涙を?と思い、結婚式出席でも、自分の結婚式でも一切泣いた事はありません。
その辺の価値観は人それぞれなので何とも言えませんが、
感動を与えるより、嬉しさ幸せを分かち合う結婚式を目指すのはいかがですか?
涙顔より、笑顔の新郎新婦の方が絶対素敵だと思います!
結婚披露宴はゲストに「これまでお世話になった事を感謝し、
これからもよろしくお願いします」という意味合いや、
文字通りお互いの友人、親戚同士に新郎新婦を披露し知ってもらうためのものです。
それを忘れないでいただきたいと思います。
考えすぎず、シンプルにいけばいいと思います。
あまり頑張りすぎると、新郎新婦もゲストも疲れてしまいます。

ちなみに私はゲスト一人一人に寛いでいただけるアットホームな披露宴を目指しました。
それでも私も後悔している部分はありますし、全員が満足したとはいえないと思いますが。
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私達と同じ考えの婚約者さんですね。


私達も何もしなかったです。あんなやらせみたいなことをしなくても新郎新婦が幸せそうにしているだけで充分ですよ。
実際テーブルフォトだけしかしなかったですが、後日お料理も美味しかったし、何より二人とゆっくり話をしたりできて良かった。久々にいいお式だと思える結婚式だった。挙式も感動して泣いてしまった。という電話をたくさん貰いました。

格式あるホテルでゲストにかけるお金に糸目をつけなかったのが成功の秘訣だと思います。私達が特にこだわったのが、料理・引き出物・ゲストへのサーヴィスの質です。
比較的結婚式に出なれているゲストもこんなホテル初めてと感激してくれました。中には「伝説になるよ」と言ってくれた人も。
いい意味で「伝説」になる結婚式が出来るよう、祈っています。
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新婦さんの感覚のほうが、自然だと思いますよ。


きっと、あなたは素直な感激屋さんなんでしょうね。

結婚式というものは、会場側の言いなりにオプションつけて、
演出するものじゃないでしょ? 
あんなヤラセを見せられて拍手はしても、やれやれと思ってる客のなんと多いこと。

感動を与えようとすればするほど、滑稽になります。
大切なのは、「お忙しい中、私達のためにお集まりいただいて本当にありがとうございます。」という感謝を表すことです。

美味しいお料理とお酒、短いスピーチ、気の利いた小さな引き出物。
そのへんからではないでしょうか?

賢い花嫁さんで良かったですね。
きっとあなたの女性を見る目が
正しかったんですね。  
お幸せに。。
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質問者様の婚約者様程ではありませんが、私も相当派手嫌い。


挙式披露宴もできれば双方両親のみで行いたかったし、二次会もしたくなかったんです。
でもね、親孝行・夫孝行だと思ったので普通にしました。
二人だけの結婚式という手もありますが、私の場合はもしも普通の披露宴を決行する場合の話をさせていただきます。

私は今まで披露宴に出席して、スライドショーやキャンドルサービスのような演出を見てきましたが正直な感想は「ゆっくりメシを食わせてくれ」です。
あれこれやられると料理を堪能できなくてうっとうしいです。
新郎新婦だってそんなんじゃ料理食べれないですよ。
お金払っているのにもったいない。

だから自分の時は凝った演出はしませんでした。
花嫁の父にスポットを当てる為、教会式でバージンロードを一緒に歩きました。
披露宴は余りにも演出がなさ過ぎて間が持たないので友人スピーチとテーブルフォトと花嫁の手紙はしましたが(しなくてもいいんですよ~)、歓談メインのシンプルで落ち着いた披露宴でしたよ。
感動を与えたかったらかえってあれこれしない方が印象に残るんじゃないかな。
披露宴って自己満足に走りすぎると、親族などの年輩は確実に引きます。婚約者様も嫌がっているしね。
参列者の殆どは料理の内容しか記憶に残らないと思いますので、頑張るなら料理のグレードと味。
私達はここをしっかり押さえたので「いい結婚式だねー」と親族・職場の上司から絶賛されました。
司会者の方にも新郎新婦のプロフィールは簡単にしてもらいました。どうせ誰もまともに聞いちゃいないし(笑)

感度を与えるとしたら、即物的ですが
*設備が立派なホテルの宴会場である事
*ホテルマンの対応が素晴らしく良い事
*料理がとてもおいしい事
*ゲストにゆっくり食事をさせる時間を設ける事
*交通の便が良い事
・・・とゲストが当日寛いで過ごせるように最大の注意を払う、つまりおもてなしをするという気持ちで計画すれば、目立った演出はしなくてもとても喜ばれると思いますよ。

婚約者様にもこのようにお話すれば、協力してくれるんじゃないかな。
派手嫌いでも花嫁衣裳に憧れがあれば、一通りやりたいと思うので。
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来客者の方に感動を与えるのではなくて。

式は身内か2人のみ。
披露宴にが大事なのでは?招待客も2人が幸せなのはわかっているので、お礼や今までのお世話になった気持ちを表したらいいと思います。大きいのは料理ですね^^感動は個人の感情なので。2人の関係が大事ですよ。
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結婚式&披露宴は花嫁のためにあるようなものなので、彼女がイヤだと思うことはやらなくて正解です。

では具体的にどうすればいいかというと、伝統と格式のある上品な式&披露宴にしてはいかかですか。ズバリ神前式です。私自身も去年結婚しましたが、東京・赤坂にある乃木神社で式と披露宴を行いました。神前式は普通親族だけの参列ですがここは来賓者も式に参列(見守る)出来るし、なんといっても神殿が立派で厳かで式の段階でみんなに感動したと絶賛されました。気恥ずかしい演出なんかより、ずっど心に響きます。両親への手紙も、お涙頂戴系ではなく、これからの目標をのべて最後の締めにお礼の言葉を添える凛とした感じでいいと思います。これなら彼女も手紙を読むのでは。私自身も彼女と同じで気恥ずかしい演出がイヤだったので彼女の気持ちがよくわかります。とにかく乃木神社の式&披露宴は本当にすばらしので一度HPでも見てみて下さい!!

参考URL:http://www.nogikaikan.jp/
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人に感動を与えようとはしなくて良いでしょう。


大事なのは新郎新婦の気持ちです。
そういうパフォーマンスが嫌いなら、しなくてよろしい。
でも新婦にとって「結婚式」とは何だと思いますか?
一生の誓いを立てるのは人に見せるためではありません。
手紙の朗読はしなくても良いけど、何らかの方法で両親への挨拶は必要でしょう。
何のため、誰のための結婚式かという事をよく考えることだと思います。
両親を喜ばせるための式ならそのように割り切ることです。
気持ちの区切りをつけてよきスタートを切るための式であるはずです。
それが自分達にとってどう表現するのがふさわしいのかお二人で考えるべきでしょう。
ただ、形だけを見てあれも嫌、これも嫌と言っていては、ただのワガママです。
そうするのが嫌なら自分達なりの形を表すべきではないでしょうか。
そしてセレモニーというのは形式にこそ意味があります。
やるべき手だてを踏んで一通りの形式を踏襲することにこそ意味があるというものです。
例えは悪いですが、お葬式が故人をしのび遺族が気持ちの区切りをつけるためのセレモニーであるなら、
結婚式も、両親や列席するお世話になった方々への表敬の形であり、自分たちの気持ちに区切りをつけ、新たな生活への覚悟を決めるためのものでしょう。
そういう気持ちさえきちんと表せればどんな形式でもいいわけです。
やみくもにイヤだイヤだと言う前に、自分の考えを示すべきですね。
責任ある大人として家庭を築いていくのだという心がけが大切です。
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