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生きたいと思っている人を殺したら法律的にも倫理的にも許されないのは解ります。でもなぜ、生きるのが辛くて死ぬことを選択した人(死にたい人)を、死なせない事は許されるんですか?

法律は人口減少による税額減少など国の都合も反映していると思うので問いません。現憲法では生きる権利は保障されているのに、死ぬ権利が保障されていないことも知っています。また宗教的な説明も必要ありません。日本には宗教選択の自由がありますし、各宗教の教理に興味はありません。
倫理哲学的に納得したいので、誰か教えてください。ちなみに自殺願望などありません。

A 回答 (27件中21~27件)

一人の命は確かにその人のものですが


その人だけのものではないからです。
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●論理的に考えた場合



質問者さんは、どういった形であれ他人の意思や自由を「奪う」行為に対して、社会的に、ある意味での窃盗罪(例えですが)は適用されないのか?ということをお聞きになりたいのですよね。

「生きたいと願う人を殺すこと=「命」を奪うこと」
「死にたいと願う人を生かすこと=「意思」や「自由」を奪うこと」

上記のように、意思や意思といった観念的なものと、絶対的な「命」をごっちゃにして考えているから、混乱するんじゃないでしょうか?
これを同レベルで整理すると、

「生きたいと願う人を殺すこと=「命」を奪うこと」
「死にたいと願う人を生かすこと=「命」を与えること」

になります。
「命」の定義は人それぞれですが、基本的に命を「尊いもの」として考えるとします。
「許す」という言葉は「罪」に対して使う言葉です。
「尊いものを与えること」に、罪は適用されないと思います。
なので、基本的に「許される」のだと思います。

●感情的に考えた場合

>他者がそれを奪うことに対して責任は負わないのか? 許されるのか?

「責任」とはどういうことでしょうか?
たとえば自殺しかけたAさんに、「死ぬな」と言ったBさんは、その償いとして、刑期や罰金が科される必要があるのではないか?ということでしょうか。

もしそうだとしたら、キツイようですが、甘ったれるなと思ってしまいます。

本気で死ぬつもりなら、Bさんのいないところでひっそり死ぬこともできます。
Aさんは「Bさんのせいで自殺できなかった」と言うかもしれませんが、生きることを決めたのは、他ならぬAさん自身なのです。
それを人のせいにするのは、恥ずかしいなぁ、情けないなぁと思います。
なので、Bさんは「許される」と思います。

この回答への補足

別のタイトルを考えるべきだったと反省しています。あと改めて自分の表現力のなさに気づかされました。
私は自殺を肯定している訳ではありません。それに自殺者を引き止めた人を責めるつもりも全くありません。それが正しいということを、宗教や法律を超えて確認したかったんです。

補足日時:2007/03/29 18:16
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>●論理的に考えた場合

命がなければ思考も意思もない、つまり「意思」<「命」という不等式が成立して同列ではないということですよね。それは理解できますが「命」≒「尊いもの」という考えを、すべての人が持っているとは限りません。その時に「あなたの考えは間違っているから(強制的に)なおしてあげる」というのは、傲慢な気がするんです。
「許す」という言葉は適切ではなかったかもしれません。しかし、そこには責任があるんじゃないんでしょうか。「良いことをしたんだから、責任も何もなくただ感謝されるだけ」と考えるのはやはり傲慢な気がします。そこに何の躊躇も疑問も持たないことに違和感を感じます。
人はそれぞれ考えを持っていますし、持つも持たないも自由です。しかし国で生活する以上その国の法律は守らなければなりません。それに社会で生きていく以上その社会の共通価値観を共有しなければ生活できません。それは宗教という形で存在しているのかもしれないし、習慣という形で存在しているのかもしれないし、それ以外の形もあります。社会とはそういうものだと思っています。ですが、共通価値観として存在している「命は尊いもの」という価値観を共有できない人がいたとして、その人が死を選んだときにそれを止める事はできるんでしょうか。そこに誰も躊躇や疑問を持たない(ように見える)んですが、それに違和感を感じます。

>●感情的に考えた場合

確かに本気で死ぬつもりならひっそりと一人で死ねば良いし、そういう場合は止めてほしいという気持ちがあるので、むしろそれを汲んで止めてあげる優しさが必要かもしれません。そういうケースは私が疑問に感じている意思とか自由は無い気がします。
責任とは具体的に何か・・・わかりません。それを探したい訳でもありません。なんていうか何も考えずその意思を無視していいんだろうか? と疑問を感じるんです。

お礼日時:2007/03/29 18:44

生きるのが辛くて、死にたいと思った人がいるとします。


でも、その人は死ぬことを思いとどまりました。
その後幸せが訪れ、生きていて良かったと思いました。

こういうことが、あるからです。
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人間は人間を殺してはならない。

自他を問わず。
という話は聞いた事がありますが。
そんなことより。
死ぬ自由も生きる自由も、
安楽死問題や臓器移植問題を自分や家族が経験してみれば見えることもあります。
その辺の学習は終わってますか。
倫理の話など掃いて捨てるほど出てきます。

この回答への補足

すみません。質問がうまく伝わっていないのでここで補足させていただきます。

生きる義務は各個人にあります。しかし、ある人が生きる義務を放棄して死ぬことを選んだとき、他者がそれを奪うことに対して責任は負わないのか? 許されるのか? という事が聞きたいんです。

補足日時:2007/03/28 22:17
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命あるものは生きることが当然だからでしょう。



死ぬことを選択した人を止めることも当然の行いです。
(お金をかけたり無理やりに延命することに対しては、また別な話。)

何故か?
そこに意味や理由はないと思います。

「生きることが辛くて」という人がいたとすれば、そう思う理由を伺いたい。
色々な選択肢がある中で死を選ぶ必要は絶対にないのだから。
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「死ぬ自由」の前に「生きる義務」があります。


誰の助けも無く、突然湧いて出た訳ではありません。
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倫理的に、人を殺すのは認められない。


その人自身が、自分を自分でどうするかは自由。
個人は自由。他人を侵害してはいけない。
他人に迷惑をかけてもいけない。
迷惑をかけないなら個人は自由。
社会は大きな組織。
個人を追及するなら、社会でない所に生きる。
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