プロが教えるわが家の防犯対策術!

直感を磨くためには何が必要でしょうか?
この場合いわゆる第六感などのような深層心理のようなものではなく、個人のオリジナルなものをお伺いしたく思います。
例えば経験から学んだスタンスや価値観などなど。

私個人としては、学習能力がないため(苦笑)「これってヤバイかも」とその直感?を感じることはしばしあるのですが、結局は予想通りになってしまい後悔することが多いので、危機感に対してブレない強い意志が欲しいのです。そのための参考にさせていただきたく思い、このようなトピを立てさせていただきました。

色々なご意見をお待ちしております。

A 回答 (14件中1~10件)

6番です。



哲学と直感は関係がある、もしくは深い関係にあるというのは、そうかもしれません。しかし、その関係が最初から構築されているわけではないだろうし、それに至る過程で、哲学を志向するものは試行錯誤が多いということを、私は書いたのです。東洋と西洋を出したのは、東洋では最初から直感への没入という方法をとる(ものがある)と書いたまででのことです。
低レベルな回答になってしまったようですね。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:-0001/11/30 00:00

「気づき」がもっとも大切だと思います。



それが無かったら・・・・

失敗しまくりです。

あと道徳に反していても失敗しまくります。

欲怒りの感情で動いても失敗しまくります。

この逆をいけば成功しまくる事でしょう。

僕のオススメは八正道です。
全部のトレーニング法が詰まってます。

一つ一つ当たり前の事だらけであっけに取られるかも知れませんが、当たり前のことを当たり前にやれば当然結果は出ます。

仏教国じゃ無かったのか日本!
と思う事請け合い。

おためしあれ

参考URL:http://www.j-theravada.net/
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色々な意見の一つとして提案します


「直感を深く追求することも方法ではないかと思います」

以下参考
「直感と意志」 西田幾多郎:著
私は昔、プロチノスが自然が物を創造することは直観することであり、
万物は一者の直観を求めると云つた
直観の意義を、最能く明にし得るものは、我々の自覚であると思ふ。
自覚に於ては、我が我を対象として知るのであり、
知ることは働くことであり、創造することである、
而して此の知るといふことの外に我の存在はない。
.........
併し作用が作用の立場に於て反省せられた時、時は更に高次的な立場に於て
包容せられて意志発展の過程となる。
而して乍用の乍用自身が自覚し、創造的となる時、
意志は意志自身の実在性を失つて一つの直観となる。
而してかゝる直観を無限に統一するものが一者である、
一者は直観の直観でなければならぬ。
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こんにちは、frauさん。



ちょい、おじゃまさせてもらいます。毎度!(^O^)/


いまなんか呟きませんでした?「これってヤバいかも」


ありゃ?これはわたしの空耳でしたか???


まあまあ、それはそれ、こちらへおいておいてと、


問いの前に、みました?検索ボックス活用して過去問を。ありゃ?まだみていない?そですか、ほではこのページの上にある検索ボックスに『予定調和』と、キーワードをひとつ放り込んで検索ボタンをクリックしてみてください。ドゥエ~っとたぁーんと、お話があがってきます。いろんな人がいろんな語り口でお話を書いてくれてます。結構、学ぶこと多いです。見逃すなかれ!お見逃しなく。



で、ひと通り眺めてきていただいたならば、ここからがアドバイス。うーん、手っ取り早いところで関西にしばし留学しませんか?なぜかといえば「…後悔することが多い」というからにはドッキリ?!ビックリ?!に慣れておられないのではないでしょうか?先ずは身をもって体得しましょう。で、なぜそれと関西がどう関係しているかといえば…関西といえばお好み焼き、たこ焼き等のメッカ。くるり、くるくる。ドンデン日常茶飯事。お笑いも、なんで?ここで?と思いもよらないところで音ハズれる。こどものころより、この環境に浸ってますと音ハズれずにはこころ悪なります。シューッと、物事がスムーズに運ぶことに逆に身構えてしまいます。用心深くなりもします。時として、石橋叩きすぎて渡る前に叩き割ることもしばしば。この点は、気をつけなあかんなと思うことしばしば。ほでも、全国的にみて「オレオレ詐欺」の被害にあいにくいのも地域性の現れではないかと思うところです。



予定調和に陥らないというまえに…たこ焼きの鉄板を買ってきてくるくるくるりと返す練習されてみては?生地こねるところから。おもてのカワ、パリパリ。なかはグジュ~
はほぅ、はほぅ、あひぃ、ひぃ
ビックリすんでぇ=☆


注)一口で口にほうばると火傷します。


はほぉ、はほぉ、あひぃ、ひぃ=☆

(^-^*)/
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この回答へのお礼

littlekissさん、こんにちは。
お礼が遅くなりすみません。

>『予定調和』

ああっこれは!

>関西
自分の性格は関西の方があっているんですよ。いつも新しい仕事の(笑)面接には、つい、いかめしい面接官たちを笑わせてしまう。
なので

>ドッキリ?!ビックリ?!に慣れておられないのではないでしょうか?

ビンゴ!です。もうこれは哀しいサガだと自分で諦めてます。ですがシリアスはシリアス。大切な場面ではアドレナリンを自慰しててはいけませんよね(反省)・・・。

>くるり、くるくる。ドンデン日常茶飯事。

どちらかというと非日常性の光を感じられる関西なのに(←あくまでもイメージ上です)、たこ焼きを焼く行為(←象徴)反復性=日常性、への密かな反抗?

>物事がスムーズに運ぶことに逆に身構えてしまいます。

逆説的にとても慎重深くなる→直感が磨かれるということでしょうね。

あぁたこ焼き食べたい!

お礼日時:2007/05/12 18:19

直感といえるかは分からないのですが、私自身は”気づく”を重視しています。


大きな事故が発生する前には予兆的な小さいヒヤリ・ハットがいくつもあった。とよく言われます。逆に言えば、その予兆に気づいていれば大事故を回避できるとも考えられますので、小さいことへの気づきは重要だと思います。

ブレない強い意志も大事ですが、危機に対する対処方法を事前に想定しておくのも大切なように思います。私たちの水晶玉はそれほど高性能ではなさそうなので。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。

>ブレない強い意志も大事ですが
訂正します。直感は意志とは遠いところにあるからです。

最近また非常に後悔することがありました。でも胸がドキドキしたんです。私は肝っ玉が座っている方だと思うのですが、その「ドキドキ」という情動ですが、その結果と参照し、学習するわけですが、このような過程を経て理性の萌芽が目覚め、きっかけ(理性)はさらに理性自身を
高めるため高度に複雑に分化されていくわけですね。
経験が「気づき」や「悟り」へ導くように、よりよい「直感」も多種多様な経験をつむこと、そしてそれをきちんと銘記すること、整理すること、「>想定」することが危機回避のための準備かもしれません。

>私たちの水晶玉はそれほど高性能ではなさそうなので。

まったくです。占い師が見えるように、こんなに学習しない私の未来予想図もわかればよいのですがやはりそれでは面白くありません。人間ミスを回避するのは不可能、というよりも人間くさくある証とのことですが、直感が全貌として姿を現してくれないのは人間が「らしく」あるがため目指されていることなのでしょうか?

お礼日時:2007/05/29 21:39

まず、質問文をよく読みましょう。


言葉で現れていない、部分がないか、
何を望んでいるのか、質問者の立場に立って考えます。

大概、勘違いが多いですから、慎重にするべきですが、
女神に後ろ髪はない、という諺もあり、
ついつい,せかされてしまう物です、
失敗は付き物ですが、失敗のパターンを覚えておきましょう。

私たちのしている事など、概ねいい加減なものだと割り切っています。
「われわれの信念に根拠がないことを洞察する、これが難しいのだ」
ヴィトゲンシュタイン

暇なので、直感に関するクイズです。
囚人のゲーム
刑務所の所長が、三人の囚人に言いました。
ここに、「白三枚と黒二枚」の、ラベルがある。
三人の背中に、一枚づつ貼り付けるが、自分の背中に白か黒のどちらが貼ってあるかを、人に聞いたり鏡を使ったりしないで、当てられたら、一番速いものを、釈放する。
さて、囚人はどんな場合も全員解決できますが、
実は、微妙で「論理的」解決ではなく、直感のようです。

囚人のゲームで、直感を鍛えてください。ヒント1人の囚人は、他の二人の背中を見て、自分の背中にあるラベルを考えます。

知ってた、こりゃ失礼。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。

いつもながらfishbowl66さんの男性的(数学的)なご回答には恐れ入っています。で、わたくしはオヤジのせいで完全完璧数字トラウマに陥っていますので「囚人のゲーム」からは数字の匂いが漂っていると感じさせた時点で辞退させていただきます(笑)。

>「われわれの信念に根拠がないことを洞察する、これが難しいのだ」
あ、こうゆうのは好きです。

お礼日時:2007/05/29 20:38

若い内になるべく多く貴方にとっての修羅場を潜る事でしょうか。


命に関わる修羅場はめったに経験する事はないかもしれませんが、困難に直面しても逃げずに、しかし、最小限の傷で済む方法を編み出されれば、否応でも直感は磨かれてくると思います。
これは、あくまでも経験則からくる私見です。
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この回答へのお礼

>修羅場を潜る事

いやいや潜りすぎもよくありません(苦笑)。なのでサバイバルしてきた人間にとっては心のある部分が麻痺しており、直感を全身で感じてもあえて感じなかったことにするようです。直感の正しさを「後悔」という形で認識するに至ります。でもやっぱり後悔するというのはいくら事後口実を設けてみても心に傷がつきます。口実という方法論は反作用的に正の力も生み出し、後悔は次のミスを回避する学習となるものですが、私の場合そのように違っているようで、例えばひとつのそうした判断ミス対し後悔はするが、やる気をみなぎらせる課題として目の前に立ちはだかるのですが、むしろ後悔の痛みを感じたい、というM的な願望(本能?)があって、同時にふたつの相反性を楽しんでいるのではないか?という気さえしてきます。でなければ、後悔は正しい警告として私に知らせるのに、なぜ同じ不快な気持ちにさせるミスを繰り返してしまうのか、ということです。
ですから何らかの心のシステムの作用によって、危機回避の回路が誤作動しているように思います。

つまり「心理学カテゴリ」に質問すればよかったのでしょう(笑)。が、これらのように高尚なご回答を沢山頂いて大変参考になったと思っています。

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりすみません。

お礼日時:2007/05/29 20:33

6です。


インドのことは少し記憶違いもあり、だいぶん端折っています。真理に至る方法論がいくつもあり、神秘的要素の強い直覚(直接知覚)と学問・論理学が平行して扱われ、その優劣が学派によっていろいろに論じられていました。これらの方法論自体が、世界観と密接につながっているからです。記憶も曖昧なので、これはこの辺にて。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>神秘的要素の強い直覚(直接知覚)
ユングの性格論で特性の一つに直感を挙げていました。もっともそのユングも神秘主義者ですけれどね(笑)。

>優劣が学派によっていろいろに
優劣はあれど、直感の存在や有効性については認めているということでしょうか??

>方法論自体が、世界観と密接につながっているからです。
なるほど、方法論の多様さは世界をリンクするというわけですね。

お礼日時:2007/05/29 20:04

うーん。


哲学にあつい質問者様にはどだい無理っぽい感じが・・(;^_^A。

哲学してしまう人は、そういう学習能力に基本的に反発しておりますからねえ。行かなくてよいところへ、行ってしまう人種ですから。

ただ哲学と申してもいろいろありますよね。人生哲学的な響きのある東洋と西洋では、哲学のアプローチも違いますし、今は問題の外に置いた第六感的なものも重視しますね。あるいは孔子の生き方に学べ的なやり方は、西洋の哲学ではなくて、東洋の人生論とも言うものです。しかし、質問者さんはこういうものは望めないでしょう。ロゴスを追求して、ものごとを深く探るという作業については、このような「人生の達人」には正直物足りない部分もありましたから、西洋的な論理追求による極め方とは相容れない部分があります。円満な老成された味はあるのですけどね。
哲学を指向するものとして、出来ることがあるとしたら、学びの方法論と姿勢を確立し、納得できない挫折ではなく、「納得できる挫折」をすることでしょうか? 結局挫折するんでしょうけどね(汗)。ロゴスを追求すると言っても、その追求にはちゃんとした方法論があるはずで、単に難しいことが好きな人というのではないはずですよね。論じるべきこと、論じたいことが明確になっていれば、無駄な議論は避けられます。世間の人々には、哲学者は理屈っぽいと言われていますし、それはあたりですが、大多数は方法論があるためにそうなっているわけですよね。その方法論はそもそも真理を探究するためのものですから、その哲学者が持っている世界観と不可分のものです。だから、形式がどうでもいいとはいえないものなのでしょうね。やっかいな人種だこと^^。

その方法論は、西洋と東洋では違いますし、東洋でもインドと中国では違っています。ここにみなさんがかかれているのはどちらかというと、中国的な響きを持った回答が多いようですが、インドのものは知識と論理体系が入ってきます。でもそれは先人の聖典を学習することによって得るもので、西洋の愛知とはまた別物です。瞑想もこのうちの一つでした。質問者さんは今はこういうものは置いておくということでしたので、深入りはしませんが、いずれにしても、方法論を確立して無用なやっかいごとまで踏んで歩くことは減らすことが出来るでしょうが、基本的に哲学をする方は、直感をもって危機回避などは出来ません。と思います。相手や状況が、全く相容れないものを持っていて、質問者さんの守備範囲を超えると判断したら引くことは出来ます。そのためにはやはり自分の方法論の確立になります。方法論が確立されているということは、もうかなり哲学のスタイルや世界観ができているということでもありますね。別に固定的というわけではなくて。

なお、インドの人々は、学問と思弁によって、直感に至りつくと考えていました。この場合の直観・直覚は、もっと宗教的に高いものです。学問と思弁だけでも直観にいけると考えているわけですが、これなども方法論にそって進めば、ものの本質が瞬時にわかるという世界観があるからのことなのでしょう。普通日本人は、学問は直感のじゃまとなると考えていますね。これはそういう世界観を持っているから。別に世界共通というわけではありません。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。
ご回答ありがとうございます。

>哲学にあつい質問者様にはどだい無理っぽい感じが・・(;^_^A。
>基本的に哲学をする方は、直感をもって危機回避などは出来ません。

なぜでしょうか?直感は哲学と切り離すことはできないと思いますけれど・・・。
現にカントは「悟性」を「悟性とは、感性的直感を思考する能力である」と言っていますし、ムーアも「善いということは直感によって捉えるほかにない」といいます。シュライマッハーは、信仰心を、宇宙に対する人間の「直感と感情」と呼びました。

このように「西洋の哲学」でも直感を重視している哲人は多いのです。確かに直感というと意識や理性を超えたもののイメージですが、美学も哲学の範疇で語られているのなら、芸術も直感あってのことならば、理性を超えた神秘的なものではないと思うのです。というよりも理性こそインスピレーションあって、より理性的な判断ができるのではないでしょうか。

>哲学者は理屈っぽいと言われていますし、それはあたりですが、
私も哲学は概念同士のパズル、言葉同士のパズルと思ってますが単に理屈だと(笑)。身近な概念すらどうして小難しく説明するのかな、と思ってます。「愛や人生」とかの凡庸テーマならさらに生きる者(=哲人)達の普遍的なテーマですのに・・・。言葉(ロゴス)を高く掲げてこれは難しい学問だと言われるから近寄りがたい・・・。私は哲学は完全に国語だと思っています(笑)。もちろんそれだけではなく「>方法論」という概念の操作の技術が加わるから、現実、哲学と国語は切り離されるわけですが。

>ものの本質が瞬時にわかるという世界観があるからのことなのでしょう。
>瞑想もこのうちの一つでした。
つまり瞑想も哲学の技術獲得方法じゃないですか。ご回答者様が「>基本的に哲学をする方は、直感をもって危機回避などは出来ません。
」とおっしゃいますが、直感という形而上的なものは、「ものの本質が瞬時に分かる」こと、つまり「悟り」ですが、瞑想、悟り、直感は哲学とは相容れないとのお考えなのですか?

うーん、私としてはやはり、理性と直感はもちつもたれつの関係にあると思います。

お礼日時:2007/05/29 20:01

すでに、他の回答者がお答えになっていることに加えて、大事なのは「欲を捨てる」ことでしょう。

「欲」こそ人間に自然に備わっている「感」を鈍らせます。欲を捨てて平静にが基本じゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみません。

例えば賭け事なんて好例ですよね。確かに「欲」がでると運が尽きてしまいます。これって一種の防衛本能なのかも・・・。賭け事といえば、「人は誰でも自殺願望がある」から、危険な行為でものめりこんでしまうともいわれます。つまり生と死の本能は同時に存在しているのでしょうね。

結局人間は「死」を免れませんから「死ななければならない」という強迫観念があり(←仮定です)、それが自殺行為に走らせるが、生への本能が「直感」として危険を知らす、と考えます。

ただ私の場合単純に学習能力がないため、ともいえます。
「ヤバイ」と感じるのは正しかった、ということは結果的に分かることなのです。なので直感の是非ということではなく、直感が直感として存在していた、ということなのですが、結論として正しい中身を検討する余裕がない、その理由はうすうす分かっていても「やっちまう」のですからそれも自傷行為のひとつ?とも思ってますが、「自殺願望」としたら私は死にたいのでしょうね・・・。ひとまず社会から抹殺されることによって自分を死に追い立てるという願望・・・?。でも実際死にたいが死ねない。でも生きたい!そのような結論は「直感はどうしたら磨かれるか?」という願いに通じていたと今思いました。

なのでこのカテゴリよりも心理学カテの方で質問を立てればよかったかなとも思っています。もちろん皆さんのご回答は参考になりますけれど。

お礼日時:2007/05/12 20:48

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