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ヘレンケラーは3重苦と言われてますよね。
でも私は子供の頃から「元々2重苦じゃないか?本当の3重苦って声を出そうと思っても身体機能的に不可能という人に当てはまるのではないか」と思ってしまってます。

2重苦ではなく3重苦だという確固たる理論を頂きたいです。
塾講師をしておりますが、先日、塾のテストにヘレンケラーの伝記の文章が出て、「あ~、2重苦だよ~」と思いながら3重苦と解説授業するのがつらかったんです。。。私も心の底から3重苦と思いたい。
変な質問ですみません。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

なるほど、一理あるかもですね。



しかしこの場合、“三番目の苦”は「声」そのもの
ではなく、「コトバ」だという解釈もできるのでは?
ただの音ではなく、意味・意思を持ったものとして
使いこなせない…という意味での“苦”ではないかと
思いますが、どうでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もしよろしければNo2のところの補足を読んで頂いて、また何か感じるところがあればご回答下さい。
よろしくお願いいたします。

お礼日時:2002/06/28 00:27

耳が聞こえないと、自分がどんな高さの声(発音)を出しているのかさえ解らず、しゃべれないのです。


声は出せても言葉は出ないのです。
これは「苦」ではないですか?

この回答への補足

「目が見えない、耳が聞こえない、言葉が喋れない」という事ですよね・・・
でも、「目が見えない、耳が聞こえない」は身体的なもの、「声が出ない」だったら同じ身体的なものなのに、いきなり「言葉が喋れない」という「耳が聞こえない事に付随する身体的機能以外の事」が出てくるのがどうもしっくりいかないんですよ。
だから「目が見えない、耳が聞こえない、声を出せない」と全てが身体機能の事ならすんなり3重苦と思えるのですが、
「目が見えない、耳が聞こえない、耳が聞こえないからそれに付随して言葉が喋れない」という事で、これは「声が出せない」の3重苦とは違う、と思ってしまうんです。

また、「苦」というのは本人は水の事件以前は言葉の概念が無いのだから「苦」ではなく、水の事件以後はサリバン先生のお陰でどんどん言葉を習得し「苦」では無くなっている。そう思うんですよ。

補足日時:2002/06/28 00:24
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

説明不足で申し訳ありません。
もしよろしければ補足をお読み頂いて、アドバイスを頂けたら嬉しいです。
よろしくお願い致します。

お礼日時:2002/06/28 00:29

目が見えない、耳が聞こえない、よって、言葉というものが理解できない、という3重苦なのでは無いでしょうか?


しゃべることができない、声を発することができない、というのでは無いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No2の補足を書いている間にこのご回答を頂きました。
もしよろしければNo2の補足をお読み頂いて、また何か思われるところがあればご回答よろしくお願い致します。
説明不足で申し訳ありません。

お礼日時:2002/06/28 00:31

確かに発声機能には異常がなかったわけで、その点だけ見れば、二重苦と言えなくもありません。


でも、聴覚が失われると、自分で発声した言葉は聞くことは出来ず、「自分で何を言っているか分からない」状態になります。
ヘレンケラーは幼い頃に聴覚を失っていますので、言葉を音声(聴覚から)として学んでいません。
一旦言葉を学んだ方ですと、聴覚を失っても舌、口をどう動かせばどういう発声が可能か理解している(体が学んでいる)ので不明瞭ながら発声は可能です。
幼い頃に聴覚を失えば、たとえ発声器官が問題なくても、機能しないのと同じなのです。(発声は出来ても、言葉にはならない)
ですので、三重苦と言う表現は正しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No2の補足を書いている間にこのご回答を頂きました。
もしよろしければNo2の補足(特に最後の「苦」の部分について)をお読み頂いて、また何か思われるところがあればご回答よろしくお願い致します。
それでもやっぱり3重苦なら、その根拠を再度「苦」という点から教えて頂ければ嬉しいです。水の事件以後ヘレンケラーは演説出来る程喋る事が出来るようになったと聞いておりますが・・・

お礼日時:2002/06/28 00:46

おもしろい疑問ですね。


もともとどうだったのか?と思って海外でヘレン・ケラーの生い立ちがのっているサイトを見てみたら、
>She was both blind and deaf.
のように書いてありまして、これでいくと「目が見えず、耳が聞こえない」なので「二重苦」と近いことになっていますね‥‥;

ほんとに簡単に見ただけなのではっきりとは言えないのですが、「三重苦」って、日本の伝記作者がつくった言葉なのかもしれないと。苦労が多いほどえらい、という考え方は非常に日本人的な気もして、納得もいきます。(真偽のほどは言い切れませんが)

なお、そこにはヘレン本人が「周りの人間のくちびるが動いているのはわかったが、なんのためかわからず、自分のくちびるを無意味にうごかしてはわけのわからない怒りに襲われた」というようなことものっており、「しゃべる」ところに到達するまでの苦労がしのばれます。それを「みっつめ」にカウントするのは無理はないと思いますが、あまり論理的ではないかも。

確固たる理論の助けになれなくてすみません(^^;
でもこうして考えると、「三重苦」というのは非常によくできたキャッチフレーズですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No2の補足を書いている間にこのご回答を頂きました。
説明不足なのにご理解頂きありがとうございます。
>なお、そこにはヘレン本人が「周りの人間のくちびるが動いているのはわかったが、なんのためかわからず、自分のくちびるを無意味にうごかしてはわけのわからない怒りに襲われた」というようなことものっており、「しゃべる」ところに到達するまでの苦労がしのばれます。

これは水の事件以後の事ですよね。それ以前は他人の動く唇を自分の唇と同じと認識は出来なかったはずだから、「自分の唇を無意味に動かす」というのは少なくとも唇という概念(物には名前がある)が出てきてからだと思うのですが、どうでしょうか?
「水の事件で言葉を知る~喋るのに到達する迄の苦労を持って3重苦という」・・・それならなんとか納得出来そうです。(でもそれって水の事件以後なんですよね)


>「三重苦」って、日本の伝記作者がつくった言葉なのかもしれないと。苦労が多いほどえらい、という考え方は非常に日本人的な気もして、納得もいきます。

あ、なるほどですね。そういう見方、思いもつきませんでした!!
ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/28 01:04

なるほど、身体的機能だけみると、そうなりますね。


聞こえない障害が影響してしゃべれない事を克服したのだから苦ではないのだろうということですね。

でも、実際に難聴の方とお話しされたことが有りますでしょうか?

彼らの話し言葉は非常に聞き取りにくいです(人によるし、大変失礼なことを書いてしまっていますが。ごめんなさい)
それに馴れて、発声のニュアンスで会話が出来るようになるまでは、お互い大変でしたよ。

でも、ここまで克服すれば、苦ではないのですかねぇ・・・・
絶対的なものと付随したものを分ければ3重苦では無いといえるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

そうですよね、難聴の方、ご苦労なさられてると思います。

あぁ、やっぱり伝記っていい感じに書いてあるのでしょうかね。そう思えてきました。
ヘレンケラーが演説し拍手喝さいなんて読むと、さも流暢に喋ったと錯覚してしまっているのかもしれません。
それで今日実家に行った際子供の頃に読んだ伝記がありましたので読み返してみましたが、やはり演説に拍手喝さいと書いてあり、大衆が聞き取れる程の流暢さだったようです。すごい・・・奇跡です。

うーん、最後の「喋れないの苦」だけ「苦労した苦」で3重苦という事なのでしょうかね。

お礼日時:2002/06/28 18:38

>「元々2重苦じゃないか?本当の3重苦って声を出そうと思っても身体機能的に不可能という人に当てはまるのではないか」



私と同じことを考える人がいたので安心しました。
どうでもいい事なんですが、気になってしまうんですよね。

ヘレン・ケラーや中村久子の伝記を読んで、重いハンディキャップにもかかわらず、その生き方に感動しました。

私の考えでは2つの理由から「三重苦」と表現したのではないかと思います。
 
1.「三」という数字にマスコミがこだわった。
   当時の日本の新聞記事などには既に「三重苦」と紹介されていたと記憶しています。
   日本では重要なものを三つにまとめることが多い。
     「三光」      太陽と月と星
     「三才」「三極」  天と地と人
     「三勝」      三つのよい景色など

2.「見ざる」「言わざる」「聞かざる」に引っ掛けた
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>私と同じことを考える人がいたので安心しました。
私こそ安心したと同時にとっても嬉しいです。もう一人でも同じ事を思っていた人がいらっしゃったと分かって嬉しいです。

>どうでもいい事なんですが、気になってしまうんですよね。
本当どうでもいい事ですよね。。。でも気になって・・・

2つの理由、納得出来ます。やはり日本的なものなのかと思えて、そう思うと霧が晴れたように3重苦が割り切れます。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/28 18:43

#5の回答者です。



>それ以前は他人の動く唇を自分の唇と同じと認識は出来なかったはずだから、「自分の唇を無意味に動かす」というのは少なくとも唇という概念(物には名前がある)が出てきてからだと思うのですが、どうでしょうか?

というおたずねなんですが、そうですね、「くちびる」という言語化が彼女の中でまずなされていなかったのは確実ですが、「他人がなにかをしていて」「彼女にはそれができない」ということは理解していたと思います。サリヴァン先生が出会ったときの彼女(そしてじつはそれ以降も)はたいへんなかんしゃくもちだったそうですが、自分だけが阻害されているいらだたしさ、どうしようもない壁、そしてそれを言語化できないがゆえの苦しみ(言語化されないので自分でもきちんと理解できないし、ましてや他人につたえることなどできない)といったものが彼女のはげしい「かんしゃく」の原因であったと推察できます。
「腕」や「足」などの言葉を知らない赤ん坊も、大人のまねをしますし、うまく自分の手足が動かないときにはバタバタしてかんしゃくをおこします。「言語化」と「他者と同じことをしたい」欲求に、直接的な関係はないかと。(もちろんヘレンは目が見えなかったので「見てまねをする」ことはできませんが、さわることはできたので、他者と自分の相似・および差異はわかっていたでしょう)。
(話は外れますが、彼女の内側にはそうした「言葉にはなっていないが、区別できる概念」が大量にあったと思われます。でなければ、いくらサリヴァン先生との「水事件」があったとしても、そのあとものすごい勢いで「言葉を覚えて」いくとは考えられないからです。自分の内側に溜まっていた「言語化されていない概念」を水事件以降のヘレンは次から次へと「言語化」していったのでしょう。「言葉のない概念から言葉への置換」:それが彼女の内側でおこった現象だと、勝手ながら思います)←「概念」っていうのもいい言葉じゃないですが‥うまい言葉が見つからない‥
そこから「声を出してしゃべる」までにはさらなる苦労があったでしょうが。考えれば考えるほど頭がさがりますね。(偉人のことなど久しく考えたことがなかったので、非常に新鮮。子供のころを思い出します)

ええとつまり、「自分の唇を無意味に動かす」という行為の「言語化」がおこったのは「水事件」以降ですが、行為そのものは言語がなくとも生じていたと思います。周囲の他者のまねをするというのは、人間に限らず動物にもある本能ですので。

>「見ざる」「言わざる」「聞かざる」に引っ掛けた

↑これ、おもしろいご意見ですね(^^
たしかに日本人は偶数より奇数が好き。

あと少し思ったのですが、「障害」をどこでカウントするか、というのもあるかもしれません。「医学的な問題」を見ると「二重苦」だというふうにも感じますが、「水事件以前のヘレン」の状態を観察してみたとすると、「くちがきけず・目が見えず・耳が聞こえない」となって、三つカウントできるわけです。「克服されるべき肉体的障害」をカウントするか、「表に生じた障害現象(なんて言葉はない‥;)」をカウントするか、の差。(肉体的な問題を数えるか、社会的な問題を数えるか)
でも、もし「アメリカやイギリスでは二つとカウントされているが、日本では三つ」なのだとしたら、アジア圏などのほかの国はどうなのか。文化の差が見えてくるかも‥‥(って、真偽が不明なまま、言いすぎですね‥)他国ではどうなのか、いささか気になるあたりです。

おたずねのこととずれてしまってすみません。ちょっとでも参考になればさいわいですが。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「目が見えない、耳が聞こえない」を社会的な問題と取る・・・ですか。
うーん、前提はもう身体的に無理なんだから・・・というのがあってどうもそれを取り払って社会的な問題だと切り離して考えるのが難しいです。
(でも素直にそう思えば3重苦って思えるんですよね)

>「アメリカやイギリスでは二つとカウントされているが、日本では三つ」
もしこれが本当なら、もうすっきり!!という感じなのですが、どうなんでしょうね。

お礼日時:2002/06/28 19:03

障害の定義の問題です。



発達や器官の働きにより、「話す・聴く」というコミュニケーションが難しい状態を「言語障害」と呼んでいます。ライバー(米)によると、言語障害には、「聴覚障害に伴うことばの障害」「自閉症に伴うことばの障害によるもの」「脳性まひに伴うことばの障害」「構音障害」「音声障害」「話しことばのリズムの障害(吃音と速話症)」「口蓋裂に伴うことばの障害」の種類があると定義されており、「聴覚障害によることばの障害」は、障害として区別されています。おそらくげ現時点では、「聴覚障害によることばの障害」は、言語障害の一つとして認知されていると思います。ヘレン・ケラー場合は、この定義に当てはめると、「視覚障害」「聴覚障害」「聴覚障害による『言語障害』」という3つの障害があることになります。

「苦」という表現を「障害」と読み替えるならば、3重苦となります。「苦」を概念で考えるならば、ヘレン自信でないと、「3重苦」か「2重苦」か「苦しみでない」かはわかりませんね。

この回答への補足

この場を借りて皆様へ。

お付き合い下さってどうもありがとうございました。

様々なご回答を頂き、有難かったです。本当に子供の頃から疑問だったのです。
きっと海外では2重苦+それに付随する困難(3重苦とは言わない)として紹介されているんじゃないかな?と思えてきました。
でも3重苦ではないと言い切れない自分にもなりました。

どうもありがとうございました。お世話になりました。

補足日時:2002/06/28 19:31
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
平たく言うと「耳が聞こえない人がそれに付随しておこる喋れないという事も障害と認定されている」という事なのですね。

何度も申し上げて恐縮ですが、聴覚障害による『言語障害』という「付随」しておこる障害を数える時だけ「独立」させてカウントする事に納得がいかなかったんです。

でもそれも一つの障害として認定されているというなら認定数で3つですね。だったら3重苦ですね。

私としては「目が見えない、耳が聞こえない、声自体が出せない」という人を3重苦と呼びたいのですが、独立してカウントされる障害として認定されてるのであれば「付随なのに~」と思いながらも納得するのがよろしいですね。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/06/28 19:25

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