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映画「ビルマの竪琴」(モノクロ)を観ました。
ビルマ人が全員日本人に親切でした。
フィリピンでは嫌われていたとききましたが、
この違いは何でしょうか?
映画の虚構でしょうか、それとも善政を行っていたのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

基本的には当初ビルマに対してその独立を支援する態度をとっていました。


従って英国領の植民地から脱却したいと願っていたビルマの人々にとっては日本軍は解放軍であったわけです。

有能なビルマ人には軍事訓練を施し、ビルマ国軍の編成を援助していました。
これは来るべきインド侵攻作戦に備えて後方支援を図るためでした。
日本軍の思惑はどうであれ、ビルマにとっては解放軍ですから協力的であったのです。

フィリッピンについては既にアメリカから独立の約束がなされていましたから、日本軍は侵略軍と見なされたわけです。

この回答への補足

ありがとうございます。
宗教(神道)を押し付けたり、日本語を強要したりしなかったのでしょうか?
ビルマ人は徴兵されてイギリス軍と戦ったのでしょうか?

補足日時:2007/05/21 16:03
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日本は「ビルマの軍人」と特に関係が深かったようです。


しかし、仏教に対する考えには大きな開きもあったとか…。

「ビルマの戦い」
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%D3%A5% …
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ビルマには、何れ白人の植民地支配からビルマ人を解放する英雄が現れる、と言う民間伝承があったようで、これを日本軍が利用したようです。

これが図に当たり、熱狂的に受け入れられた日本軍はその後解放者の建前で統治を行う為にビルマを独立国として扱い、陸軍中野学校のメンバーなどが派遣されてビルマ民族による国軍を編成し訓練しています。このビルマ軍は独立した国軍として扱われており、終戦間際に日本軍が撤退して行く段階では独立を守る為に日本軍と交戦する状況もあったようです。
基本的に日本の兵隊として徴兵されるのは「日本人」のみですので、戦争による占領地の住民が日本軍の兵士になる事は制度上ありませんし、実際にもありません。当然ビルマ人が日本軍に兵士として徴用され、日本軍の作戦行動に投入される事はありませんでした。

フィリピンの場合、No1の方が仰るように既に独立が約束されていた事情もありますが、日本軍が実際に占領出来たのはルソン島のマニラ平野部と主要な都市のみで、バターン半島の米軍が降伏した後徹底した掃討作戦をする余裕が無く、すぐに兵力の多くを蘭印(インドネシア)攻略に転用してしまいました。ルソン島でも山岳部などに米軍の残置部隊が潜伏している状況で、日本軍にこれ等のゲリラ部隊を討伐する兵力の余裕も無く、この米軍ゲリラ部隊が現地のフィリピン人をゲリラに組織したので、終始治安が安定しなかったようです。

住民の日本人に対する態度は、このような事情で明暗が分かれたようです。
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 ビルマに仕事で1年以上生活していましたが、とても親日的でした。



 基本的にビルマの人々は、敬虔な仏教徒で争いを好みませんし、他者の不遇な境遇に対しては、大変な同情を寄せ助けます。
 釈迦が子供の居る飢えた母虎に自分の身を与えたというような仏教説話の精神を尊重します。

 ですから、何十年にも渡るイギリスの植民地支配を終わらせた日本軍が、ビルマの支配権を確立する間もなく、イギリス軍の反撃で壊走したとき、補給物資もなく飢え死に寸前の日本兵に食べ物をこっそり与え、逃げる手助けをしたビルマ人が大勢居ました。

 ですから、映画の虚構ではなく、善政を行ったわけでもありません。
 日本のビルマ統治の期間が短かかったために、ビルマ人は「日本人が長い期間ビルマを支配したイギリス軍と餓死寸前まで戦ってくれた」という印象だけを持っているのです。

 フィリピンの場合は、アメリカからの自治獲得・独立への方向が既に政治スケジュールに乗っていましたし、軍政下にあった期間が長く、軍需物資の不足した日本軍による統治は、軍票による食料の召し上げなど、アメリカの統治より現地の人々の生活を圧迫したのです。

 ビルマの現地で聞いた話では、風呂好きの日本軍人が、無人となった家の(日本軍の侵攻で、イギリス統治に関係した人々は逃げ出しました。)家具やドアを壊して薪にして、風呂を沸かしていたそうで、結構無茶をしています。(現地の人は水浴びをする習慣で、風呂には入りません。)
 フィリピンのように軍政が長期化していれば、嫌われる要素がビルマの人の印象の中に残ったかもしれません。

 尚、ビルマ人を徴兵して軍を編成するほど、ビルマ駐留日本軍に武器・弾薬の余裕はありませんでした
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追加の質問にお答えします。


ビルマは仏教国であり神道の押しつけはさすがにできませんでした。

しかし軍事訓練などでは日本語の号令が使用されていたようです。
これは訓練に従事した日本軍兵士の便宜上のためとビルマ語の命令に不慣れで促成に不向きだったからです。

ビルマ国軍の養成は急がれ幹部となる人物例えばアウンサン将軍(スーチー女史の父)などは日本の士官学校で促成教育した程です。

武器弾薬が不足していたとの指摘がありますが訓練は木銃でも可能ですし日本軍自体白兵を重視していました。
同じ事情であったインド解放軍がイギリス軍の遺棄した武器弾薬で装備されたようにかなりの遺棄装備はかき集められました。
ビルマ国軍は志願制で徴兵はしなかったと思います。

日本軍の一員として戦ったことはなく、日本軍が敗退の際にビルマ国軍に援助を要請しましたが、アウンサン指揮官は逆に日本軍への攻撃を命じた位です。
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