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こんばんは
このサイトで心理学とかを色々見ていると、幽霊を見る方や、奇跡的体験をする方や、予知能力をお持ちだったりする方が普通にいらっしゃいます。私自身は無神論者で死んだら終わりという死生観、奇跡とかも信じていないし、占いとかも信じてません。でもそういう方がいるということはある意味アルのだろう、とも思います。
ところで、私のように霊能力も何も無い人間は死んだら終わりでごくシンプルな考えで終わりますが、いわゆる霊能力のある方は死後の世界を信じざる得ないですよね?そこで思ったのですが、そういう方は死後も生き続ける覚悟があるのでしょうか?????????
また、これはあまりにも徹底的な差というか、どう割り切ったらいいのでしょうか。怖いので幽霊は見たくないですけど、見たことがある人がいるというのに私は見えない。ゆえに死後の世界があるのかも検討しようがない。見える人と見えない人じゃ世界の捉え方やフィールドが根本から変わってくる気がするのですが、この差は一体なんなの?と思います。能力不足なりの世界を生きろということでしょうか。

A 回答 (20件中1~10件)

本当に幽霊なのかどうかわかりませんがたまに見るものです。


死生観ですか。
正直あまり考えたこと無かったです。

死後の世界あるなしに関わらず生きるということは積み重ねだと思います。
一年先、二年先のことはわかりません。
ですが一年前、二年前の後悔はできます。
努力し続けている人、怠けている人と自分を比べることもできます。
結局は経験した事柄の積み重ねが今の自分。
知識や技能であったり収入であったり。
それに対して責任を負うのも自分です。

死後の世界を見てきたという人が人類史の中に何人かいらっしゃいます。
文化や宗教が違う時代、環境に住んでいながら言っている事柄が似ている場合や
全く異なる場合があります。
また霊能者なる人が死後の世界を語ることもありますが、人それぞれ違っていることがあり
どれが正解というのは誰にも言えません。
実証されたという事実がないからです。
実証されない限り、夢を見た、空想や妄想と言われてもしょうがないです。
個人がそれをどう考えるかの問題だと思います。

個人的な考えですが
死後の世界があるなしに関わらず一生懸命に生き大往生したいものです。
もし死後の世界があるなら、その時考えます。
ないのなら考える必要もないですし(笑

死後の世界を否定したり神の存在を否定するのも良いと思います。
大事なのは目の前の事を観察し受け入れるかどうか。
もし死後の世界があった場合、死んでから否定し続けてもしょうがないです。
科学的な思考ができる人なら目の前の事柄をよく観察し要領よく向こう側で生活できることでしょう。
生きている人間には正解というものがわからないのですから、その時判断するのが良いと思います。
大切なのは冷静であることのように思います。
もちろん死後の世界がなければ死んだ後、考える必要がありません。

真っ当に生きてきた人間を神を信じていなかったからと
邪険にする神様でないことを祈るばかりです(笑

この回答への補足

ふむふむ。回答者様は幽霊を見るのに死生観については考えなかったということで、、、私は小心者ですから、とてもそのようにドッカリしていることはできません。
死んだら終わりだと思っているので、よく夜中に、自分の自我が消滅する恐怖とどう戦ったらよいのかと考え、恐ろしくて気を失いそうになります笑。「ありえない」ことを受け入れる形でしか受け入れられそうもないです。かと言ってずっと生き続けることほど恐ろしいことも無いので、死後の世界があるのも恐ろしいですね。
幽霊を見る人が自分が幽霊になった時のことをなぜ考えないのか不思議でなりません。ご自分が見る幽霊を、自分もいつかなるかもしれない、延長線上の存在として考えていない、別の存在として受け入れてるということでしょうか?

補足日時:2007/05/22 14:02
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ANo.14です、面白いですね、話題が尽きません。



話を原点に戻して・・
人類が発生してから19世紀までの非常に長い期間多くの一般人は科学的な考え方と縁の無い生活をしていました。
しかし自分に理解できない現象が起こると、起こったように見えると何とか自分に納得させようと様々な物を持ち出して来た訳ですね。
それが神、霊、前世、超能力などですがこれは人間の遺伝子にインプットされているのでしょうか、いつの時代にも顔出しします。

しかし2500年もの昔孔子は「怪力乱神を語らず」と弟子たちに説いたそうですが現代語に訳せば妖怪・幽霊・暴力・不倫・背徳、などなどこんな物は考えるにおぞましい、まともな人間の考える事ではない。と言うような趣旨でしょう。

実際昔の人は理不尽な事をされたでしょうね。
家庭内に不幸があった場合○○が前世で悪事を働いたからだとか先祖の魂が成仏出来ないからだとか。はたまたキツネが憑いたから棒で殴って追い出す、などと言う事も行われていたそうです。
現代でさえそんな事を言う人が居ますから、まして科学的な考え方が芽生えていない昔、何が有っても不思議ではありません。

そのような苦い歴史を経験してきた人類ですが幸い現代人は環境に非常に恵まれています。
物事の真偽など比較的簡単に調べられますからね、特にPCを使える人はその気になれば方法はいくらでもあります。

しかし本人にその気がなければいくら環境に恵まれていても無意味、思考停止されたんじゃあ何を言ってもムダですね。
幸い質問者さんは知的な近代人ですから少しお調べになれば何が正しいか何が荒唐無稽な話かご理解頂けると思います。

>・・・この差は一体なんなの?と思います。能力不足なりの世界を生きろということでしょうか。

違います!夢の世界ではなく現実世界を見る能力があなたには備わっていると言う事なのです。近代国家に生きる文明人という事です。
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なかなか面白い質問に興味深い返答が多いので、お答えしてみようかな。

と思います。

まず、私は霊感持ちで、ここでお答えできる事は、私の体験からくる経験です。
宗教的な修行とか幽霊退散!とかは全然解りません、日常をそれなりに普通に暮らしております。

私は死後を生き続けるという感覚ではなく、輪廻して一度、0に戻って生まれてきてます。
しかし、輪廻する前に深い絆や関係が会った人(魂)と出会うと、霊感が働き、遠い過去が見えたり、未来が見えたりします。
遠い過去(前世)を見た時は、自分がその時どんな風に考えて、どの様に
生きていたか解るので死んで自己が無くなる。という事はない様です。
(前世が異性だった時は、戸惑いましたが)
私が前世や輪廻、死生観を考える様になったのは、前世の雇い主と現世で出会ったときです。
私は助言をするお役目でしたが主人の我が侭を受け入た結果、戦争で
負けて領地を失ってしまいました。
それで、今回は上手く助言しなくては!とその時思いました。

現世では、相手は友人で、霊感なしの大酒のみ。
怖い話で盛り上がっても、一番にいびきを掻いて寝てます。
海水浴やら宴会にキャンプと遊び仲間で時々、相談事をされる程度です。
普通に人生経験から答えてます。(霊感とか関係なく)

で、私の死生観は前世は今まで生きてきた過去と同じ感じです。
昔のことはどうすることも出来ない。悪い所、後悔はしないように生きる。
案外、普通な答えで自分でもびっくりです。
能力の差については、私はその人には必要ないから無いんではないかと、酒で高いびきの友人をつくづく見て思います。
ただ輪廻転生が多い程、霊感持ちになるのかなとは思います。
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ANo.7です。

再度補足質問の返答します。

・『キリストの奇跡を鵜呑みにするのと信仰にとうじるのは別と言うような話ですね。』について、
聖人の奇跡話が実話だったらそれこそ神の実在ですが、インチキは無数にあれどそんな話かつて一度もありません。やはりそれは信仰の領域です。もちろん信仰心を否定する権利は誰にもありません。

・『他人は私にとって私と同じくらいのレヴェルで確かな存在なので、「見た」と言われれば私はそれを信じざる得ない。人間物語が嘘物語であるという保証はないので、、、。』について、
相手の話を信じるのは全然構わないですが、見たこと自体は本当でも、それが幽霊かどうかはちゃんと客観的検証をしないとわからない。
私が言いたいのはそういうことです。

・『このような立場ではなく、幽霊を見るけれども、科学的には証明できないことを承知し、かつ自分が主観で見たもの(幽霊)を疑わない勇気で、自分の死生観とがっちり絡めつつ、幽霊を受け止めることは可能でしょうか。』について、
ですから問題なく十分可能です。本来宗教とはそういうものだと思います。あくまで個人の死生観ですから。
で、繰り返しになりますが、当然それは物性論(客観性を要すもの)とは別の話です。

==========================================================

自分は世界的大泥棒の経理士をしてまして、ケチの専門家(守銭奴)ですが、それがどうしたの?
↓いちばん右の人物です。

参考URL:http://www.aoikeyasuko.com/list/eroika/425307119 …

この回答への補足

再度ご丁寧に回答感謝です。
話がハッキリし、大変参考になりました、ありがとうございます、主観と客観をハッキリさせる必要がありますね。

最後におまけをつけて下さったようで。右のお方ですか。イメージと全然違いますね.....ってガード固すぎませんか?

補足日時:2007/05/26 20:34
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なかなか面白い質問ですね。



死生観については、見える見えないは関係無く信じる信じないに関係しますね。
信じる、信じないですから、妄想をコントロールする力と自分をコントロールする力が関係するのではないでしょうか。
自分自身の中で恐怖をコントロールすることは以外と簡単なことですね。
ホラー映画を見る時に常に作り物だからと言って映画にのめり込まないように見ているとホラー映画ほどつまらない映画は無いわけですが、のめりこむように努力して見ると意外とハラハラドキドキできるものです。

この力が無ければホラー映画はつまらないものです。
それなりの映画を見て楽しむしかないでしょうね。

そこで、死後の世界を妄想して自分の中で作り出し、その世界を信じることができたなら、自分が消えて無くなる恐怖から開放されるはずです。

夜中に自分が消えて無くなる妄想をして、自分の中でその恐怖を演出していれば恐怖を感じるのはあたりまえですね。

同じことをやって見ると本当に怖いですね。^^;
下手なホラー映画でハラハラドキドキするよりも、ダントツに怖いです。

結論は、「想像力の違い」だと思います。

この回答への補足

ユーモラスな回答ありがとうございます。
死後の世界を恐れる時に、たとえば、ホラー映画を「作り物だから怖くない」と感じられるように、妄想の死後の世界を作り、信じ込んで恐怖に打ち勝てばよいということですか?(笑  面白いですが、ちょっと効用があるかどうかは疑わしいですね
なにせ、急激で感覚的な恐怖ですから、瞬間的に打ち勝つ必要があります。おそらく、漠然とした恐怖になら効用があるでしょう。

ようは、私は恐怖の演出をしなければよいのですよね

雑談ですが、ホラー映画を見るときにのめりこむように努力して観る人がいるとは驚きでした。私は「コレは作り物なんだ!」と考えながら観るので(笑

補足日時:2007/05/24 20:49
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死生観なんてその人独自のものだと思うのだが。


疑問に思うのは勝手だが人の死生観をとやかく言うのはどうかと。

死んだらどうなるってのは誰にもわからない。
わかったという人がいるかもしれないが正解とは限らない。
わかったと言う人と違うところに逝くかもしれない。
それでは言っていることが参考にならない。
だからその時考える。
考えることができるのなら死後はある。
死後がなければハイそれまで。
書いてある通りだろ?

見たものすべてが実在するということではない。
見たものすべてが真実ということでもない。
考えて答えが出る問題でもない。
ではどう生きる?
その答えを書いた。

私の回答だけ感謝されてないようなので少し拗ねてみた(爆

この回答への補足

とやかく言っているようにきこえたのであればお詫びいたします(汗
私自身は語呂合わせで生きているだけですし、全然そんなつもりはなかったのですけど、ユルシテ。
すべての人の考えが可だと思いますし、見れるものだけを信じるわけではありません。
怒らないで下さい?

補足日時:2007/05/24 15:47
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多くの回答が寄せられていて、いろいろと考える事が出来る質問だと思って読まさせていただいております。


その回答や、mintowall様の回答補足等を拝見しているうちに、自分の中で「ああ、こういう事なんだろうな」という思いが出てきました。
私も、幽霊や霊体験を感じる事が出来ないだろう人間のうちの1人なのですが、信じるか信じないかといえば、漠然と信じている方だろうと思うし興味もあったりします。
まあ、丹波さんや大川さんの言われるような死後の世界感を全幅信用しているわけでもないのですが、
ここは、死後の世界は死んだらわかるよねという事にしておいて‥‥‥。
mintowall様が仰る幽霊なんですが、よく仏教の世界でもいわれる「成仏」(亡くなった方が現世とは違う世界へ行く事だろうと思います)という観念が有りますよね。キリスト教でも他の宗教でも似た観念が有ると思いますが‥‥‥。
今まで得たつたない知識の中で照らし合せて見ると、
幽霊とは肉体が朽ちた後も成仏出来ていない状態
これはこの世・現世に悔いや未練・想いが強すぎて、もしくは、自分の死が理解できていない状態で意識体として現世に存在している状態であろうと思います。
そして、成仏とはそういった想いが余り無く、これまでの人生が自分の中で良くも悪くも消化(もしくは昇華)出来ていて意識体(通常、魂ともいえるかと)も昇華(あの世へ召される、天へ召される)された状態だろうと思います。。
mintowall様が回答補足の中で述べられている「自我の消滅」ということなのですが、私が感じた事は
死んだ後に来るのは、mintowall様の言葉を借りるなら「自我の消滅」ではなく「自我の残存」もしくは「自我からの解放」ではなかろうかと思えるのです。
前者の「自我の残存」は、思いが残って成仏できていない状態 = 意識体として残る = 幽霊
後者の「自我からの解放」は、想いがなく成仏された、意識体が昇華され天国?へ召された状態 = 幽霊として現世に存在しない。
「自我からの解放」って[自分を無くす」ことではなく「自分に捉われない」自由な状態だろうと思います。

なんとも長い前置きみたいになってしまいましたが、ここから質問への回答?へと‥‥‥。

>霊能力のある方は死後の世界を信じざる得ないですよね?そこで思ったのですが、そういう方は死後も生き続ける覚悟があるのでしょうか?????????

「霊能力のある方は死後の世界を信じざる得ないですよね?」
この部分は、おおよその方はその通りだと思いますし、他の方も仰っておられるように霊能力のない方も漠然とでも信じている方は、多いだろうと思います。
しかし、そのあと「そういう方は死後も生き続ける覚悟があるのでしょうか」
この部分に於いては、「生き続ける」という感覚ではないだろうと思います。
「魂」は不滅、輪廻転生を繰り返すだろうとは思っていても、生きている時のような悩みや苦しみ等は無いだろうと思っている方が、多いのではないかと思います。私個人の主観かもしれませんが‥‥‥。そういう感覚・認識ではないだろうと思われますので、そこに「覚悟」というものは、持ちえていないだろうと思います。
上記で述べた、「自分に捉われない自由な状態」であるならば、人間が持ついわゆる「煩悩」もないのではないかと‥‥‥。

>見える人と見えない人じゃ世界の捉え方やフィールドが根本から変わってくる気がするのですが、この差は一体なんなの?‥‥‥能力不足なりの世界を生きろということでしょうか。

人は、誰しも何かの役目を担ってこの世に生を受けるのではないか、と、いう想いもあります。
そういう力を持っていても、自分の役目というものに気付かず「なんなの?」という人も多いのではないでしょうか‥‥‥。こういう霊が見えるという能力、全員に必要な能力でもないという事でしょう。
見えたら見えたで、出来る事もあろうし苦悩もあることでしょう。
mintowall様にも、人とは違った能力が有るでしょうし、眠ったままになっているのかもしれませんね。
特殊な能力がないことを、能力不足と捉えるのはちょっと違うかなと‥‥‥。
mintowall様には mintowall様なりのこの人生での役目というものがあると思います。

上記にも、述べた意味合いにも含まれるのですが、この人生を悔いなく全うするように生きれば、
死んだ後に幽霊になる事もないだろうと思います。
なかなか、悔いのない人生を送る事は難しいだろうと自分でも思います。死に際に少なからず満足した人生だったと思えるように生きたいものです。

>感覚が静寂になってる時に死のことを思うと、冗談みたいなのですが、失神なみの本能的?恐怖に襲われます。頭に巨大な真っ黒いブラックホールがグワーっと巣食う感じです。

読んでいて、こういう感覚、中学か高校の頃、深夜、目がさめた布団の中であったな~と思い出しました。(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
長文にて‥‥‥失礼。

この回答への補足

「自我の消滅」ではなく「自我からの解放」と考えるのは中々良いですね。自分にとらわれない自由な状態。多分いきている限りは「煩悩」から解放されなれることもできず、自分にとらわれたままでしょうから、死を「自我からの解放」というように快く受け入れるのではなく「死を自我の消滅」という恐怖感をもって受け取ってしまうのかな。どっちにせよ、死んだら自我がなくなるのであれば怖がるのはナンセンスなのでしょうね、怖がる自分もいないのですから。
ブラックホール感に共感してくださる方がいて嬉しいです。だけど自分は21なのに(笑

補足日時:2007/05/24 16:04
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再度お騒がせ(^^);



>その方が霊感があると言い出して、自分の近辺の人間の未来の死に方とかが予知できるらしいのですよ。

揚げ足を取る訳では有りませんが疑う余地無く検証されましたか?
100位の事例を挙げて他に解釈の仕様が無いほど完璧に証明されましたかその能力とやらが?単にそれらしい雰囲気で話しているのと違います?

>他人の死に方を予知したりするなんて。神の領分じゃないですか。

確かに完璧に証明されれば神の領域でしょうね。
ただし人間の死に方にそれほど多くのパターンが有るとも思えず、仮に大きく5種類に分け、そのうち『重大な病に冒され惜しまれながら病院内で息を引き取る』と言った場合今の日本なら多くの人が当たると思われます。

九州に住んでいる占い師が「近いうちに東の方で地震が起こるゾヨ」と発言し28日後にマグニチュード5の地震が関東で起こったとします。いや四国でも近畿でも東北でも良いのですよ、どこでも当たった事になりますから。多くの人が驚くでしょうね、すごい!本物だ!と。

釈迦に説法でしょうけれど死に方を予言するなら
何年何月何日何時ころ、どこの県の何町で、何という病院の何号室でどのような原因で終末を迎える、とこれ位は言って欲しいです。
当てると言うのはそういう事なのです。

人間の未来は勿論空を飛んでいるトンビの羽一本、これがどこに落ちるかすら誰にもわかりません。神にもラプラスの悪魔にさえも当てられません。それはご存知カオス理論が証明しています。

たとえその方が白装束に身を包み、鉢巻をして頭にローソク3本灯し呪文を唱え専門用語を駆使しても上記の件が当たらなければ何の意味も無いですね。単なるひょうきんな人です。

この回答への補足

何度も回答していただいて感謝の限りです。
その方は近辺の人の未来の死に方のイメージを見るんだそうです。疑う余地がないのかどうかは分かりませんけども、今ままでその予知どおりのことがあったそうなので。多分本人にしか分からないイメージの話をしていると思うので、効用がないかもしれませんが。普通の人でもあると思うのですが、ある情景に出会った時、夢の中でみたのか、「あ、なんかこの光景、このイメージ知ってる、、。」ということってありますよね?凡人でもこんなことがあるんだからそういう予知能力のある人がいてもおかしくないかなぁという気もします。

補足日時:2007/05/24 11:23
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こんばんは。


答える義理も無いと思って素通りするつもりだったんですが、
下で回答しておられるドけち虫さんや物理屋さんには学ぶことが多いので、興味深く拝見しております。

死生観、ですか。

生について深く考えるのは、ぞっとするほど嫌です。たいへん恐ろしく、不可解で、キミョウキテレツ、
生はまことに神秘的な構造のうえに成り立っているもののようです。
はっきりいって観たくないものです。生を観るとなると暗中模索です。
体験できれば十分です。
習慣的に、等速運動で、やりすごしたいものです。

同じように、死について深く考えるのも、嫌です。面倒です。不可解です。
これも、体験できれば十分です。習慣的に迎えたいものです。
生も死もなんらかわりはありません。

この回答への補足

回答感謝です。本当にこんな質問に答えて頂いて、、。

私自身、生や死について深く考えるのはゾっとするのです。許されるならやり過ごしたい。ちょっと感覚が鈍い感じでやりすごせるのも好ましい。私は視界のリアリティにすら耐えられないので、視力0.02という裸眼で歩き回っているのですが、死に対しても願わくば0.02で挑みたい。

生と死、理性では隣合わせのもので恐ろしくもないのですが、私は少し異常なんだと思います。感覚が静寂になってる時に死のことを思うと、冗談みたいなのですが、失神なみの本能的?恐怖に襲われます。頭に巨大な真っ黒いブラックホールがグワーっと巣食う感じです。あまり続くと神経が切れると思うので、すぐ切り替えるのですが。こんな臆病な話聞いたことも無いです(笑)子供の時から発症してるのでこのままやりすごすこともできるのですが、こんなでいいのか?成長したら治ると思っていたがそうでもない、、、、これは死生観と別にして克服した方がいいのかもしれません?瞬間的なものとは言え尋常な恐怖感でないんで。こんな下らないことでここまで悩んだ人間は自分だけだろうなあ笑

補足日時:2007/05/24 00:42
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ANo.8です。



>自分が死んだら幽霊になることは考えますか?
死んだ後の事は余り考えたことがないのですが、自分の意思で幽霊になれるのかどうかは別にして、死後この世の中がどうなっていくのかは是非見てみたいものです。少なくとも肉体が滅んだ後、霊体として生きられるのであれば、それも受けいられると言う事です。過去の霊体験から死んだ人が何らかの形でこの世と関わっているのではないかという思いはしています。

>自分も幽霊になりえると考えるとしたら、自我の消滅とかそんな不安もなかったりするんでしょうか?
質問者様の言う「自我の消滅」の意味がよく分かりませんが、肉体が滅んでも魂が残り、その魂が生前の自我とアイデンティティを持っていると言う意味では自我は消滅しないのかもしれません。
死の不安はないことはありません。ただ、死後の不安はそれほどありません。

>幽霊になるのは怖くないですか?
幽霊になるという事がどのようなことなのかよく分かりません。幽霊として出てきた私の友人は、その後一切出て来ません。ある意味、安堵感があります。その安堵感は、私なりの解釈ですが、友人はどうしても自分の死を私に知らせたかったので、幽霊の形で知らせてきたと思っています。知らせ終わった友人はそれで安心しているのではないかと私なりに解釈して私自身が安心しているという状態です。
私が幽霊になることが怖いかどうかについては、怖いとも怖くないともいえませんが、全く見知らぬ幽霊が出てきた場合は、怖いというよりも煩わしい、いちいち関わっていられないという心境です。本当は何かを訴えたいのかもしれませんが、私には幽霊の訴えを聞く能力も素質もありませんのでごめんこうむりますと言う所でしょうか。

この回答への補足

再度回答有難うございます!
ははぁ。。幽霊を見るからといってそんなに滅茶苦茶考え込むということはないのですね。自分だったら精神に異常をきたす出来事だと思ったので、つい追求してしまいました。全く見知らぬ霊が出てきて紛らわしい、で済むなんてすごいですね。シックスセンスという映画ありますよね?私はあれを見たことを永遠に後悔し続けますよ、一ヶ月夜にトイレ行けませんでしたから(笑 失礼、俗な話になってしまいました、回答ありがとうございます

補足日時:2007/05/23 23:10
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