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「現実から逃げていはいけない」という人がいますが、それはどういう意味でしょう?「現実から逃げるな」の逃げるてどういう定義ですか?また、現実って何ですか?

現実とは一般的な社会人として、仕事を持ち、結婚をして、子供を作るという生活のリズムのことですか?
それを、ポジティブにこなしていくことでしょうか?

「それをしない」ということもかなり、大変なことだと思います。

楽をして金を稼ぎ、生活をしたいと願っていますが、そういうことは不可能でしょうか?もし、何かアイディアがあればお願いします。
ちなみに、僕は勉強することが嫌いではないんですが、それをする理由がないとなかなか動き出せないという困った性癖を持っているのです…。理由が欲しいんです。趣味は外国語学習と、海外旅行、その他いろいろなことを知ることです。

やっぱり、ある企業に一定期間勤めたほうがいろいろなノウハウを得られるという点で有利なのでしょうかね?多分そうなんでしょうけど…。

A 回答 (16件中1~10件)

<楽をして金を稼ぎ、生活をしたいと願っていますが・・>


これは、世界中の人間が思っていることですよね。ですがそれをかなえられる人はその中のごく一部の人間だけです。

それ以外の人たちは地道に努力して、日々の生活を送っています。これが現実だと思います。

しかし、その努力を怠り、夢ばかり追いかけて、まわりに迷惑ばかりかけている人、または社会的責任、義務を怠っている人などは「現実から逃げている」と言われるでしょう。たとえ、仕事を持ち、結婚して、子供がいてもです。

<それをする理由がないとなかなか動き出せないという困った性癖を持っているのです>
「楽して金を稼いで生活する為」って言う理由があるじゃないですか。何か理由をつけないと何もしないと言うのも、「逃げ」の一つだと思います。
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この回答へのお礼

ううう。
何か理由をつけないと何もしない。というのは悪い性癖だという気もするのですが、そうでも無いような気もします。

特に理由も無いままうつろな心でがんばりつづけている人って精神的に危機に陥ることは無いのだろうか?
僕は、大学入試直前は自分がやっていることの意味を理解できず、でもただがむしゃらにがんばりましたが、大学に入って時間ができたときに、その考えを振り返り疑問とともに危機感を感じました。

だって怖くないですか?理由も無くがんばる。って、自分の現在している行動を説明できないんですよ。それは、まったく自分の頭を使わないで生きているようなもので、社会や強力なインパクトを持った人の影響力の下に無防備じゃないですか。


僕がいいたいのは、自分の生きかたに正直にそして、ある程度楽に楽しく生きるにはどうしたらいいかなぁってことです。
そのひとつとして、好きなことを仕事にするというのがあるかもしれません。

今僕はnakaichiさんのおっしゃるように「楽して金を稼いで生活。かつをする」為に生きていますてはいろいろな理想を抱いていましたが、今はそれと共存ししかも楽して金を稼ぐいい方法はないかなと虫のいいことを考えています。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/12 21:32

>「現実から逃げてはいけない」


たまに、TVドラマかなんかで、聞くせりふですね。
でも、実際には、現実から逃げるなんて、不可能です。
「現実から逃げる」=「自殺する」といったところでしょうか。
極めて、文学的で、残念ながら、私には分かりません。m(_ _)m
>楽をして金を稼ぎ、生活をしたいと願っていますが、そういうことは不可能でしょうか?
 ずばり、「やりたい事をやって、しかも、お金がもらえる。」では、ないでしょうか。
>趣味は外国語学習と、海外旅行、その他いろいろなことを知ることです。
 まさに、うってつけの職業があるではないですか。
  「通訳案内業」
  「大学教授(外国語学部)」
この職業なら、勉強がそのまま、生かせますし、勉強しなければ、到底続けられるものではありません。(勉強する理由になっている)
 いかがでしょうか?
「そんな難しいことできるか!」
もし、そう思われたなら、まさにそれが、「難しい現実から、逃げている」です。
 
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この回答へのお礼

そうですね。ちょっと陳腐で使い古されている言葉なんですが、なんか耳に残るっていうか…。というか、日々ちょっとは意識しているので心に残っているセリフなんでしょうね。簡単だし。

通訳案内業いいかも知れませんね。
僕の大好きな町として香港があるのですが、この前AllAboutJapanの香港在住の方にお伺いしてみたところ、北京語と英語が使えれば香港ではかなり高給がもらえるという話(実際の日常生活はもちろん広東語らしいけど。でも北京語と日本語と英語だけでとりあえずはいいらしい)。北京語はまだ3級くらいですが、時間をかけてもやる価値はあると思うし面白いし、中国や香港の映画や小説や哲学も好きだし、いいかも知れないですね。

大学教授はかっこいいと思うんですけど、大変そうだしひとつのことをそこまで深くやり抜く事ができるかどうかちょっと不安です…。もちろん、そういう人を僕は尊敬します。大学教授ってすごいと思いますよ!

お礼日時:2002/07/13 02:14

 言いたい事が、すごくわかる気がします。


 私は34歳ですが、大学入るまでは与えられた課題をとりあえずこなし、4年になった時とりあえず面接に行った会社に入りました。ただそんな感じでしたから、自発的に仕事をした事なかったです。それはおっしゃる所の「理由も無くがんばる」そのものでした。そのせいか、今になって、行き詰まりを感じています。その意味で、夢は必要です。

 Evianusさんが今おいくつでどういう境遇なのかわからないんであまり言えませんが、まあ仕事に就くというのが回り道に感じるんだったら、ある程度若くて自分独りのうちは、やりたい事をやっていいと思いますよ。一番いいのは趣味で仕事をしている人にくっついているうちに、知らず知らずに仕事をするようになってた、というパターンがあればいいんですが。

 ただ、ある程度年齢がいって、やりたい事に挫折したら、その時初めて最初にあった「現実を見る」事を考えればいいです。挫折を知れば、「現実」の世界で地道に生きるのにも納得できます。それまでは「楽して金を稼ぐ」道を信じて考え、実行し続けて下さい。
 なんか抽象論になっちゃいました、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

tokaさんこんにちは。
僕は21歳、大学生♂です。
多分見た目もごく一般的な大学生だと思います。
学部は当時、力を持ちたくないと言う理由から文学部を選びました(今はもっと力がほしい!!当時はかわいい高校生でした^^)。

僕の「理由もなくがんばる事を忌避する」理由についてはNo.1の回答にちょっと書きました(もう、ご覧になってますかね^^)。つまり、その空虚感に耐えられないのです。たとえば、「誰かのために」がんばるのであったら、そういう目的があったのならその誰かがもし自分に微笑んでありがとう。と言ってくれないまでも、自分の心の中に充実感のようなものが広がるでしょう。そういう風なものを感じながら生活をしていきたいのです。なんだか、僕だけかもしれませんが最近そういうかかわりを人と築く機会が少ないと感じます。

仕事をするとは何でしょうか?

僕は勉強をするのは基本的には嫌いではありません。課題が与えられれば、そしてそれに興味があれば結構長期間の間それに集中する自信もあるし、ある程度の結果を出すことも不可能ではないと思います。しかし、これは実は甘えがかなり含まれていまして(わかってしまっていると思いますけど)、条件として「興味があれば」というものが入っています。世間の多くの人は興味がなくてもそのことをとりあえず一生懸命こなしていくと思います。それはそれでとてもすばらしいことです。元来人間なんてそういうものなのかもしれません。僕は農業を行っている人をいとおしく感じます。
ですが、これが僕の場合かなり苦痛なんです。最近は何か一人出回る歯車のようにただ回りつづけてます。むむむ。伝わるでしょうか?多分一人出回りつづけていれば普通に就職してある一定の生活水準を保ちながら生き続けることができる可能性が高いですが、これ案外孤独でと言うより空虚なんですよねー。

今大学の課題はある程度適当にこなし(一応講義は出ています)、休みになると好きな美術館の鑑賞に行ったり、映画を見たり(ビデオやたまに映画館)、興味の赴くままにさまざまなジャンルの本を読んだりしています。長期の休みには海外旅行などを計画し、そのために徹底的に短期で合法的にお金をためる方法を考え(今のところ短期のアルバイトを詰め込むと言うかわいいものです)、それを実行し1,2ヶ月くらい物価の安い国を旅をしたりしながら考え事をしたりしなかったりという生活を送っています(あ、今大学3年生です)。

>一番いいのは趣味で仕事をしている人にくっついているうちに、知らず知らずに仕事をするようになってた、というパターンがあればいいんですが。

そうですねー!それが一番ですよねー。


最後に是非tokaさんにお伺いしたいのですが、tokaさんにとって仕事って何ですか?もし、手元にお金があったら仕事は生活にとって必要不可欠なものでしょうか?共感を持ってもらってうれしいしまた、ご意見を参考にしたいです。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/07/13 02:38

 この手の表現の言葉を、使用されている状況と切り離して考えているから、疑問に思うのでは?


 使用されている状況さえ押さえておけば、さほど解釈に迷うことはないと思います。様々な状況において、ある程度意味が変わるので具体例は出しませんけど…

 もう片方の質問はわかりませぬ。
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ん~~「現実」って「夢」の対比、「理想」の対立物・・・


だから「挫折」後の生き方ってことになるの?
関係する形容詞句は
「なまやさしくない」現実、「きれい事が通じない」現実
でもしたり顔でそういう大人に
(ここで・・因みに私は主婦子どもあり・・うぁ~┐(’~`;)┌ )
私も断じていいたいのは(あるいはしたり顔で)
何を「現実」とするのか、それは自分自身・・ということ。
ひっくり返せば何を「実現」するのか、それは自分自身。
”道は続くよどこまでも・・・”(「指輪物語」より)
新潮社の季刊誌「考える人」(7月4日創刊)に連載される
東工大 茂木健一郎教授の ”「仮想」と「現実」の出会い”
この論で、「現実」の対が「仮想」ということになっていますね・
人間にとっての「仮想」(=志向性によって担われるもの)の切実さについて
考えたいとのことですが
いっしょに考えてみましょうよ・・・。
そうしたら「私は逃げていない」と言える、
私にとって「現実から逃げる」の定義は、何も考えないということだから。
「楽をして金を稼ぎ、生活をしたい」という願い・・・への具体的な回答ってできませんけど・・・
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この回答へのお礼

新潮社の「考える人」ですね。
時間があったら読んでみようと思います。何分今試験中でして…。でも、近いうちに読んでみたいですね。小論でしょうからちょっと気をつければ目に留めることができるかもしれません。

子持ちの主婦の方で「考える人」を手にし、東工大の教授の書いた論文を読むなんてスーパー主婦と言っても過言ではありませんね。そういうあなたは魅力的な人なのでしょう。

回答ありがとうございます。
「楽をして金を稼ぎ、生活をしたい」という欲求への回答は自ら開拓していきたいと思います。手っ取り早い方法として自分の好きなことを見つけて、ひとつ得意分野を持つことかな。なんて普通の考えに落ち着きそうです。楽をして金を稼ぎたいと言っても、やっぱり悪いことはしたくないですし。

お礼日時:2002/07/13 08:32

AさんがBさんに「現実から逃げてはいけない」という場合、


それはAが、Aの思う「現実の規則」をBが守っていないと感じ、
それが不愉快で、Bをその規則を守るようにコントロールしたい、と
言っていることです。

Aが社会経験があっても、権利があっても、とにかく、それは
A個人の考えでしかない。
現実とか常識とかいう言葉で人を操ろうとするのは、フェアじゃないなあって
私は感じます。だからたいてい、適当にあしらって聞き流す。

ある企業に一定期間勤めたほうがいいかって?
たぶん、そうだと思いますよ。
楽してお金を稼ぐ方法を探すには、サラリードワーカーが
どういう仕組みで、どういう気持ちで毎日生きているかを知っておくことは、
身を守るためにも、金稼ぎのヒントを見つけるためにも、
とても役に立つと思いますよ。
楽して稼ぐなら、そのための計画は入念に立てないといけないんじゃないかな?
それには、いろんな知識が要ると思いますよ。
楽して、っていうことが、自分にとってはどういうことなのかも
しっかり知らないとね。

また、企業に勤めるというのが体質に合う人だってたくさんいます。
そういう人にとっては、企業に勤めることが「楽して金を稼ぐこと」
なんですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最初の部分。とてもわかり安い文で納得しました。僕が言いたかったことはこれに近いなって思いました。きれいな文章をありがとうございます。


以下の文章も参考になります。
やっぱり一回サラリーマンやらなきゃだめですね。
僕も別に抵抗感特に感じないんですよサラリーマンになることに。サラリーマンといってもいろいろあると思うけど。

楽してって事ですが、一般的な価値観の拘束から自由な立場でものを考え自分の興味の赴くままに生活して生きていけたら幸せだなぁとおもいます。自分の好きなことは国はならないわけだし、それをしているうちにその能力は自然と高まっていくのではないかなぁなんて思います。

そうですね。サラリーマンて以外に楽な職業なんですよね。でも、たまに都市対抗野球のアルバイトをやるのですが、40代くらいのいいおやじがへりくだって無理に笑顔を作り、無理に楽しそうにしているさまを見るとなんだか絶望的な気分になったりするときもあるのです。僕らの世代が大人になったときにはそういうことは起こらないでしょうが…。

いろいろ試してみて体質に合うところに落ち着くのがよさそうです。(手いってもいろいろためせないか(汗))

お礼日時:2002/07/13 10:14

まぁ、普通、大人達が言う「現実から離れるな」という言い分は、


自立せよ。という意味合いが多いと思います。つまり、通常、
自立とは、自分で稼げて、食べて行けることを言います。
それがクリアされていれば、取りあえずは、他人からとやかく言われる
筋合いはありませんでしょう・・・。

しかし、せっかく哲学の項目に投稿されたのですから、哲学的なことを一つ
私見として述べさせて頂きますと、偶然に産まれたものには、
存在目的が最初からありませんから、存在価値もあり得ません。
コップは、それが存在するようになった目的があり、はじめて価値があります。
存在している価値があります。しかし、存在するようになった目的は、
コップ自身にはありませんでしたよね。

このように考えると、偶然に産まれてきた人間に、存在目的もありえないし、
故に、本源的な存在価値もありません。創造目的=存在目的=存在価値です。
これが哲学する時の最重要な真理です。ですから、人間が自分の意思で
産まれてきたのではない以上、我々は、自分の為に産まれてきたとは、
決して言えませんし、又、偶然に産まれてきたのなら、存在価値がないのですから、善も悪という価値観もあり得ません。
尊厳性もあり得ません。自分は価値がある、自分は価値がある、と何回言い聞かせ
てみても、自慰行為でしかありませんね。

自分で価値があるかないかは、自分が決められるものではありません。
価値の尺度、ものさしを、自分自身がもっていたら、自己中心にならざるを
得ません。ですから、自分の外になければなりません。
そうなると、人間の善悪を論じるとき、又、幸福論を論じるとき、
すべて、それは、押並べて「存在価値論」なのですが、それには、人間の外に
価値基準を置かねば成らず、又人間の創造目的がなければなりません。
つまり、人間を創造した創造主を考えない限り、人間の価値論を論じても
ナンセンスだということになります。結論が永遠に出ないということになります。
十人十色になってしまいますからね。

だから、外国の憲法(基本法)の前文には、ほとんどすべて、神又はそれに代わる
創造主なる言葉が挿入されています。それでないと、人間の尊厳性を謳うことが
論理的に不可能だということを、諸外国の先人達は、知っていたからではない
でしょうかね?

そう考えてまいりますと、「現実を離れる」という場合、それは、あなたに、
人生の目的があるかないかで測られるべきものです。

あなたに、何らかの「人生の目的」(一番良いのは神の人間の創造目的に合致して
生きることなんでしょうけど・・・)があるとすれば、そこから外れた時、
「現実から離れる」ことになるのでしょうし、目的がなく生きておられるのなら、
最初から現実もないし、そこから離れるということもあり得ません。

ましてや、親ならともかく、あかの他人から、とやかく言われる筋合いは無い
でしょうね。要は、目的があるかないかです。目的が全てです。
「目的」がなければ、幸福もないし、喜びもないし、現実もありません。
私はそう思いますが・・・。
乱筆・乱文お許し下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>だから、外国の憲法(基本法)の前文には、ほとんどすべて、神又はそれに代わる
創造主なる言葉が挿入されています。

そうなんですか!知りませんでした。
でも、論理的に考えるとそういう感じになりますね。

外部からしか価値は決められない。

その神の役割が最近科学に取って代わっているようですね。科学の正確性を人間の外部に位置付け、それにより人間存在に価値を与えようとするらしいです。
これが最近の科学の偏重の原因らしいです。
これはちょっと間違っていると思うのですが、代わりになるものが現れない以上しょうがないですね。

お礼日時:2002/07/17 15:05

初めまして、こんばんは。


まず最初に・・・
頑張っている人を馬鹿にしていませんか?
「40代くらいのいいおやじがへりくだって無理に笑顔を作り、無理に楽しそうにしているさまを見るとなんだか絶望的な気分になったりするときもあるのです。」と書かれていますが、そのおじさん達だって懸命に生きているんですよ。
「楽して生きたい」「頑張るには理由が欲しい」と思われるのは個人の勝手ですが、他の人を絶望的な気分で見たりするのはいけないと思います。

では、本題に・・・
「現実から逃げるな」という風に使う場合、現実とは目の前にある辛い事ではないでしょうか?
そして逃げるというのは、楽な方へ流されることではないかと思います。
楽なほうへ流されることは、一概に悪いこととは言えませんが世間では悪いことと見なされるんでしょうね。
仕事のことですが、仕事しないと好きな海外旅行へ行くお金も得られませんしね。
そのくらいに考えればいいんじゃないですか?
まだ21歳ですし、いいですよ。
若いとはそういうことです。
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この回答へのお礼

はじめまして。

まずはじめに、もし僕の文がkuma68さんおよびこの欄を見てくださった多くの方を傷つけてしまったらごめんなさい。この場を借りて謝りたいと思います。僕の出した例はとても特別な例で、笑顔で楽しそうなおじさんをすべて嫌っているわけではありません。というより、基本的に僕は自分より年上の人を尊敬使用という姿勢をとっています。自分より少しでも長く生きている人はその人の能力や性格がどうであれ、そういう判断から外れた部分で教えられることが多いと感じるし、できるだけそういう態度で人に接しようとしています。
でも、その特別な人は大企業だったし、ちょっと見た感じも卑しいというか、なんともいえない嫌な感じを受けてしまったのです。すごい作り笑顔がうまくて、話術の豊富な人など、いつもはこの人は根っからの商人なんだなぁ、とか人間関係に気を使っているんだなぁ。とか、いろいろ経済的にも大変なんだな、また生きるのが大変な人なのかな。と感じますが、この人の場合は違ったのです。インパクトが強かった。だから、この前引用してしまったのかもしれません。
わかりきったことですが、僕は20代前半世代の代表として話をしているわけではないので、どうか先の失礼は忘れてください。

こういう問いの場合、#7の人も言われていたのですが、その言葉の使われた状況が大事ですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/14 20:20

この質問を読み、皆さんの回答とそれに対するEvianusさんのお礼を読んでいましたら、まさに今のEvianusさんは「現実から逃げています」。

つまり、現実から逃げるというのは、自分が生きていく上で、あるいは日常生活の中で、自分の責任として自分がしなくてはならないことをせずに他のことにかまけることを言うのです。

というのは、今、Evianusさんは試験中なんですよね。とすると、そこにおいてしなくてはいけないことは試験勉強であって、ここに質問し、一つ一つの回答に対してお礼をつけることではないはずです。ところが、現にそのようなことをして試験勉強をするという現実から楽な方へ逃げているわけです。きっと、こっちの方が楽しいし楽なんでしょうね。
(質問のなされた日時に対して約3日たっていますから、もう試験は終わりましたか?とすると現実から逃げる必要がなくなりましたから、お礼もつかないかもしれませんね)

また、後半の問いに対しては、与えられた(目前の)仕事を誠意を持って遂行し、不満を持たずにその仕事を楽しめば、楽をしてお金を稼ぎ生活していくことができます。つまり、心の持ち方次第だということですね。

あ、それから最後に「理由がなければ勉強しない」というのは勉強が嫌いな人の言う台詞です。本当に勉強が好きな人は、自然と勉強していますし、ふと気がついたら自分は勉強していたというぐらいに他のことを忘れて勉強するものです。
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この回答へのお礼

こっちのほうが楽しいし楽です…。

>あ、それから最後に「理由がなければ勉強しない」というのは勉強が嫌いな人の言う台詞です。本当に勉強が好きな人は、自然と勉強していますし、ふと気がついたら自分は勉強していたというぐらいに他のことを忘れて勉強するものです。

あ、そうですねぇ。確かに、勉強は…。好きなんですけど、嫌いという、矛盾したところがありますねぇ。何でだかわからないんですが、昔から学校の勉強てなんだか手がつかないんですよね…。ちょっと病かもしれません。大学入試とか、その他のもの事を覚えたりするのは得意なんですが…。でも、何とか最低限はがんばりたいと思っています。

心の持ち方とおっしゃいますが、そういう心をもつにはどうしたらよいのでしょう。
また、与えられた仕事の意味を考えず不満を待たずにその仕事を楽しむということに危険を感じませんか?もしあなたの仕事が後に多くの人々を殺す可能性のある大量破壊兵器の製造に関わった仕事だとして、それを上司から教えられず、ちょっと仕事中に生じた疑問を殺して仕事を続けるということですよね。
こんなに大げさでなくても、その仕事が他人の幸せを奪っているかもしれない。与えられた課題をただこなすというのは物事を考えない分従順で幸せを感じるかもしれませんが、少々危険をはらんでいるような感じもします。
文部科学省がこれから望んでいる人材(ものを考えず、命令に忠実に従う多くの人々)だとも感じますが…。

いや、でも確かにaminouchiさんの言うことにも一理はある。僕も勉強せねば!okwebてけっこう楽しいんですよね。

最後にaminouchiさんは専門家ということですが、何の専門家なのでしょう?

お礼日時:2002/07/16 15:36

> 現実って何ですか?


哲学的に「現実」を問う場合、その答えは、たぶん、とってもムズかしい
ことになってしまうと思います。
でも、世の大人は大抵「テキトー」な現実感をもって、したり顔で
説教とかして生きています。「現実から逃げる」というのも、
そういう文脈でられるコトバでしょうから、そういう程度の意味合いだと
捉えるのが妥当でしょう。

でも、失礼ながら、本当の問題はそこに「ない」ような気がします。
> 現実って何ですか?
と問い、
> 楽をして金を稼ぎ、生活をしたいと願っています
と言っているくらいですから、より問題なのは、ひょっとすると
「現実感自体がない」ということなんじゃないでしょうか...?

世間で語られている「現実」も、実際に目の当たりにする大人の「現実」も
とてもウソ臭く、自分の将来として身近に思い描くことができない。
でも、その一方で、大学生活をちょびっと気楽に(失礼)生きている
自分にも、確として信じられる現実感がない。
逃げるも逃げないも、始めから、微妙に「現実」自体から遊離している
ような気がするのです。(見当外れでしょうか?)

でも、これは別に責めようってわけではありません。

私は、独身のサラリーマンですが、たぶん、すでにお察しの通り、
私のもっている現実感も、その8割くらいは会社によって出来ています。
辞めれば、きっと大部分が崩壊することでしょう。
そういう意味では、私にも「本当の現実」、信じるに足る現実は
見えていないと言えます。

逆を言えば、Evianusさんも会社勤めをすれば、その「現実」を「着る」
ことになるだろうと思います。
そこには「したり顔で語れる」ような、厳しいと同時にお手軽な
「現実」があります。
もっとも、本当はそれほど「お手軽」ではなくなっていますが。
(失われた神話の世界を迷いながら生きているって感じかな)

大人が「テキトー」に言っている現実とか現実感というのも、おそらく
所詮はそういうものでしょう。
だから、逃げるとか逃げないとか、ということにあまり惑わされては
いけません。それは、まずくすると、徒に他人の現実感に従わされる
ことになってしまいます。

重要なのが「自分」であることは、たぶん、間違いないと思うのです。
「現実」という幻想は、自分で感得するものです。
(それは、他人と一緒になる/ならないには関係ありません)
逃げる逃げないは、それからの話であるべきだと思います。
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この回答へのお礼

>大抵「テキトー」な現実感
そうかもしれませんね。みんな見ている現実というのはそれぞれのフィルターによって違うものになっているはずです。

>「現実」を「着る」
「したり顔で語れる」ような、厳しいと同時にお手軽な
「現実」があります。

とてもわかりやすいです。
そうですね。「現実」というのはある一定の思考のパターンなのかもしれません。それを絶対として、それに従わないような行動をするものを、排除する傾向にある?

僕は、楽をして金を稼ぎたい。という欲求をおろかだとは思いません。だって、楽をして金を稼いでも自分にそれを使いこなすだけの教養やヴィジョンがなければその「お金」の価値も変わってきますし、また、楽をしてという要求だけを文字通り追っていくと、とても卑しい職業についてしまうかもしれません。僕はそういうものをあまり好みません。なぜならそれをすることによって他人から、さげすまれるような目をされた場合、それは元来の目的の楽しく生きるが損なわれてしまうからです。
ある程度の名誉ある「仕事」をし、それにより満足感を得、しかもお金ももうけたい。
みな思っていることですよね。

がむしゃらにその人の与えられた現実を生きるのもいいですが、それではその価値観に拾われなかった多くのものが損なわれる可能性があります。それに、少しでも気をつけて生きていきたいと思っています。

で、ちょっぴりおいしく;)

お礼日時:2002/07/17 17:17

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