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フランス革命時に、メートル法などが、生まれ、
近代化を急ぐ日本の度量衡に、影響を、与えましたが、
コピー用紙のサイズも、A何とか、B何とか、いうものにも
フランスの影響を受けたのでしょうか?
その由来を知りたいので、教えてください。

A 回答 (1件)

ドイツの規格からみたいですよ。


ウィキから抜粋・・・・
A判
A判は、ドイツの工業院規格を日本が1929年に導入し、日本工業規格に取り入れたものである。規格の成り立ちは、全紙(A0判)の面積を1m2とし、用紙を横半分に順次裁断していっても縦横比が常に一定になるように寸法が決められた。
具体的には、縦:横が(白銀比)である長方形になる。面積が1m2になるルート矩形(A0判)の横の長さは mであり、縦はその逆数である。
この規格は、とても合理的で利用価値の高いものであったので、のちに国際規格(ISO規格)にも取り入れられている。
[編集]B判
B判もA判同様の起源を持っているが、日本では江戸時代に公用紙として利用されていた美濃紙に近い大きさが取れるため、独自にサイズが拡大されてしまい、今では以下のような日本独自のものという俗説がまかり通っている[要出典]。
B判については、日本独自の規格で全紙(B0判)の面積がA判の1.5倍(1.5m2)になるようにルート矩形で定められた。B判は、江戸時代に公用紙として利用されていた美濃紙に由来している。美濃紙の全紙(2尺6寸~3尺6寸で四六判原紙と同サイズ)を32分の1にしたサイズの紙が、明治、大正時代の出版物に多用されていた(現在の四六判と同サイズ)。
四六判は当時の印刷物の標準サイズであったことから、このサイズを残したい考えが強くあったが、規格の標準化を進めたいという思惑もあった。A判を1.5倍した用紙から四六判と近似した寸法(B6判は128mm-182mm)を取り出せ、A判の1.5倍という区切りの良い数字であったことからB判として規格化された。
ISO化されたオリジナルのB判は単純に面積をA判の倍にしたものである。
日本のJISのB判は面積を1.5m2にしたものであり、算数的な理由でこの大きさにしたともいわれている。
日本の公文書では、長らく美濃紙の流れを引き継ぐB判(B4、B5)が使われていたが、1990年代からISO規格であるA判(A3、A4)への移行が進められ、2000年頃からは、ほとんどの公文書はA判となっている。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答有難うございました。
ドイツの規格のようですね!
よく分かりました。

お礼日時:2007/07/25 19:13

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