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借用語とはいつの時代位から日本に取り入れられるようになったのでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいますか?

A 回答 (2件)

 


>借用語とはいつの時代位から日本に取り入れられるようになったのでしょうか

借用語というものの成立を考えるには、他言語から言葉を、ある言語が借用するという場合、「他言語」と「ある言語」が、言語学的に「独立」した言語でなければなりません。「言語の独立」というのは、ある種の場合、難しいケースがあります。

日本語の起源とか成立を見極めないと、何が借用語かそうでないのか、明確に分からない場合があります。つまり、直接的・間接的な資料などで、この時代には、ある言語が独立言語として成立していて、その近縁語は何か、その祖語は何かなどが、分かっている場合は、語系統の異なる言語の固有な単語を借用した場合、借用語ですが、日本語の語系統が明確でない場合、借用ということも、難しくなってきます。

中国語は、シナ・ティベット語族の代表的な言語で、これは、正体不明の日本語や韓国語と比べて、別系統の言語だということは、少なくとも言えます。日本語や韓国語(朝鮮語)は、文法的にアルタイ語であるという可能性が高いですが、語彙の面では、とりわけ日本語は、南方・南太平洋の言語(明確に分かりませんが)の影響が大きいと推定されています。

韓国語と日本語は、文法の統辞論的構造から見ると、よく似ているのですが、(例えば、語順とか、助詞を使う処とか、母音調和というような音韻的特徴など)、語彙がどうも合いません。

日本語には、古代朝鮮語からの借用語が多数あると主張する人がいるのですが、古代朝鮮語というのは、本来、古代日本語で、古代朝鮮語と呼んでいるものは、古代日本語の派生語だとすると、それは借用ではなくなります。現代の韓国語の元の言葉と日本語の元の言葉の関係はどうなっているかで、借用関係の意味が違って来ます。

つまり、古代韓国語のなかにある古代日本語の語彙と共通する単語は、古代日本語の語彙を、古代韓国語が借用したのだとも言え、あるいは、両言語が、共通祖語から分離して、共通祖語にそのような語彙があった場合、どちらも借用ではなくなります。

日本語は、何時頃から日本語であったのかということが質問と密接に関係するのです。

紀元前数世紀に、弥生式文化が日本に起こり、この文化を維持していたのは、それ以前からの定住民であった縄文人とは違う、弥生人だとされ、弥生人と縄文人は、骨格的にも区別可能です。近年の研究で、この弥生人は、中国戦国時代末に、江南(南方中国)より日本に移住して来た中国人だと考えられています。

弥生人と縄文人が戦い、そのなかから、混血的民族としての日本人が生まれ、日本語も、この頃にまとまりが出来たのだとも言えます(弥生人の進出の前に、日本語は、縄文時代日本語としてまとまっていたでしょうが、それが弥生人の影響で変化して、もう一度まとまったということです)。

奈良・飛鳥の時代の日本語は、中国語とはすでに違った言語でした。すると、弥生人文化の言語的影響はどうなったのかということになります。弥生人が、江南語という、漢語とは違う言語を使っていたとすると、おかしいことはないのですが、漢語かその近縁語を使っていたと思えます(戦国時代の江南というと、中国の歴史では、中原の漢族文化とは少し異なるが、言葉が通じないというような地域ではなかったからです)。

縄文時代末の日本は、縄文文化に覆われていましたが、この文化は、「縄文語」という古代日本語を使っていたとすると、弥生文化の漢語は、縄文語日本語に吸収されたと考えられます。

この時点で、中国語の語彙が、縄文語としての古代日本語に借用語として入って来たと考えるのが自然です。「梅(うめ)」とか「馬(うま)」というのは、中国語の語彙から借用した言葉です。

この借用が何時起こったのかというと、弥生文化の到来と共に、語彙が入って来たとするのが自然です(もっと複雑な、抽象語彙としての漢語の借用は、更に後になるでしょうが)。

つまり、紀元前数世紀、前3世紀頃の中国江南起源の弥生人の言語から、古代日本語が色々な言葉を借用したのではないかというのが、目下確認できる一番古い例だと思えます。

古代朝鮮語との借用関係については、古代朝鮮語と古代日本語と、どう違っていたのかが明確でありません。おそらく、紀元5世紀か6世紀頃では、朝鮮半島の言語と日本列島の主用言語は、方言的な違いしかなかったのではないかと考えると、こういう言語のあいだの「借用」関係は成立にくいです(明らかに姉妹言語とも考えられる、同じ祖語から派生した言語のあいだで共通な語彙があっても、祖語にその起源があれば、「借用語」とは言わないのです)。

日本語の言語的な語系統はどうなっているのか、古代日本語は、どういう分布で、どういう風に構成されていたのか、「統一古代日本語」があったのか否か、よく分からないことです。ただ、平安時代の日本語と、奈良・飛鳥の時代の日本語は、連続していることは分かっています。

「万葉集」に出てくる言葉で意味不明のものがあったり、地名などでも、意味不明のものがあり、それに「古代朝鮮語」を当てはめると説明がつくというような推論議論があるのですが、実証性がありません。仮に、古代朝鮮語と近接した言葉だったとしても、祖語レベルの共通語彙であれば、借用ではありませんし、古代日本語から古代朝鮮語に語彙が移った可能性もあるのです。

そういう訳で、日本語の起源や展開の歴史がよく分からないという現状では、朝鮮半島の古代言語との関連では、借用関係が確定できないということが言え、南太平洋や、シベリアなどの言語における語彙と何か関係があっても、借用かどうか、はっきりしません。

天皇の古い呼び方は、「すめらみこと」ですが、この「すめら」は、中央アジアの遊牧民が信じていた世界の中心にある聖なる山「スメル」が起源だとしても、借用なのか、アルタイ語系で、その語彙が原日本語に入っていたかも知れず、借用かどうか分からないのです。

紀元前数世紀の弥生文化の始まりにおいて、中国から、色々な語彙が日本語に入り、例えば、すでに述べた「うま」とか「うめ」が漢語から借用され、日本語に残ったのだということは言えるでしょう。(これらは、「漢字」として、後代、また入ってきて、その時、「ばい」とか「ば・ま」というような、漢字音が成立します。「うめ」「うま」は、それより古く、日本語に入っています)。

しかし、それ以前の段階では、日本語という統一言語があったかどうか、疑わしくなってきます(日本語が、ある語族の特徴を顕著に持っていた場合は、その語族の派生ということになるのですが、所属語族不明の謎の言語というのが、実情です)。

それ以降でも、紀元6世紀頃になるまで、朝鮮半島の言語やその他の言語と、日本語の関係はどうなっていたのか、はっきしりたことが分かりません。
 
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この回答へのお礼

ご丁寧に色々とありがとうございました。
こんな沢山の知識が頭の中にはいっていらっしゃったので感心しました。
借用語ってとても深いもののようですね。

お礼日時:2002/07/29 07:09

借用語=外来語、つまり外国から日本に入ってきた言葉、と解釈するならば、それは漢字が日本に入ってきた時期と同じです。


日本にはもともと文字がありませんでした。それが、日本と中国のあいだを人が行き来するようになると、中国の文字といっしょに、その言語の一部も当然入ってきます。それが外来語(漢語)の始まりです。時期的に言えば、早ければ邪馬台国の時代2~3世紀、遅くとも大和朝廷の時代(3~4世紀)には漢語がたくさん入ってきていたはずです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
そんなにむかしから借用語が入ってきていたとは驚きました。

お礼日時:2002/07/29 07:04

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