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(1)
英文法で、分離不定詞(to +副詞+動詞の原型)についてはその文法性をめぐって少なくない議論がなされてきたようです。例えば、
http://72.14.235.104/search?q=cache:SdgFO7SCJV0J …の18-2-6)

(2)
では、次の最終文にある ” by repeatedly visiting Yasukuni” のように「前置詞+副詞+動名詞」という構造は歴史的に議論になってはこなかったのでしょうか。
Yasukuni has been widely regarded as a symbol of Japan's wartime militarism because, besides honoring the nation's millions of military war dead, it also honors Class-A war criminals.
China demanded that at least three key Cabinet members — the prime minister, chief Cabinet secretary and foreign minister — not visit the shrine, which served as the nation's spiritual pillar of militaristic patriotism during the war.
Koizumi, who strained Sino-Japanese relations by repeatedly visiting Yasukuni, currently holds no position in the government.
(8月16日付 ”the Japan Times” の第1面、閣僚の靖国神社参拝に関する記事の一部、
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn2007081 …のほぼ半ば)

(3)
補足をします。上の最終文の ” by repeatedly visiting Yasukuni” の部分に関してですが、

(あ) ” by repeatedly visiting Yasukuni”

この表現は前置詞byの直後に動名詞句visiting …が続くのではなく、その間に副詞repeatedlyが入り込んでいます。

一方、上の表現(あ)は次のように前置詞byの直後に動名詞句visiting …を続けて、このvisit(ing) …を修飾する副詞repeatedlyをその後に置くという次の表現(い)を用いてもいいはずだと思います。

(い) “by visiting Yasukuni repeatedly”

(4)
質問をまとめます。
(a) 上に引用した(あ)のような「前置詞+副詞+動名詞」という構造が分離不定詞の形と非常に似ているにもかかわらずその文法性をめぐって議論されているようには思えません。この私の理解は正しいでしょうか?

(b) もし、私の理解(a)が正しいとすると、それはなぜなのでしょうか?どうして分離不定詞は議論の対象になってきたのに対して、上の(あ)のような「前置詞+副詞+動名詞」という構造は何の議論にもならないのでしょうか?

A 回答 (2件)

質問(a)はその通りです。



質問(b):
英語圏では最近は盲目的にsplit infinitiveがいけないとする風潮は納まりましたが、たしかにいけないとされることがあるのは事実です。古い文献を見れば分かりますが、split infinitive自体は最近の言葉の乱れではなく、何百年も前から英語で使われ続けている形です。ではなぜいけないとされるのでしょうか?

英米で発売されている英語のルールブック(日本でも日本語に関して最近たくさん発売されていますね)によく書かれていることですが、ラテン語に権威があった時代に、英語の文法をラテン語をモデルとしたものにしようとする動きがありました。ラテン語では分離不定詞は許されない(正確に言えばラテン語はto相当単語を使わずに一語なので分離不可能)ので、英語もこれに習うべきだとする学者の規範的文法書が影響力を持ったそうです。禁止される理由はここにたどれるようです。

逆に「前置詞+副詞+動名詞」の相当のものを禁止するというラテン語のルールはないので、これは問題になりません。

考えてみれば、ラテン語で禁止だから英語で禁止にするというのは愚かな話です。しかも分離不定詞は昔から使われて来た形で、これを避けると文の意味が不明確・形が不自然になることすらあります。そのためか、英語圏では最近はこれを盲目的に禁止だと唱えるのは時代遅れだと見なされていると思います。私の感覚では、(正式な文章では未だに使われることがない)日本語のいわゆる「ら抜き」ことばよりは抵抗感はかなり薄いです。ただし、文章というものは保守的なので、まだフォーマルな文章ではなるべく(あくまで「なるべく」)避けられる傾向にありますね。

ちなみに(い)は可能ですが、ニュアンスが若干変わります。原文はニュートラルに「何度も」といっているだけですが、(い)だと(執拗に)「何度も」参拝した、というニュアンスになります。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

やはりラテン語が背景にあったのですね。とてもよくわかりました。ありがとうございました。

● ひとつだけ細かなことですがお教えください。
最後のところで、

「(い)は可能ですが、ニュアンスが若干変わります。原文はニュートラルに「何度も」といっているだけですが、(い)だと(執拗に)「何度も」参拝した、というニュアンスになります」

とコメントをいただきました。

このニュアンスの違いは、情報単位の最後(つまり、句末・文末)に置かれるものが情報構造上、焦点(あるいは、新情報)になる傾向があるということの関連で捕らえてよいのでしょうか?

つまり、repeatedlyが、
・(あ)の場合は、焦点位置にないために「ニュートラルに『何度も』といっているだけ」なのに対して、
・(い)の場合には焦点位置にあるために「(執拗に)『何度も』」というニュアンスが出てくる、

と考えてよろしいのでしょうか?

お礼日時:2007/08/18 11:54

追加の質問に関してですが、(ここに投稿するので正しいのでしょうか?)



母語話者が読むと(い)はrepeatedlyにフォーカスがあると感じると言いたかっただけのですが、理論的にはその考えで正しいと思います。この場合は、最後におかなくてもよいものが最後に持ってきているからです。(ちなみに、文法的に最後におかざるを得ないものが最後にあっても何のフォーカスも生まれません。)

深く勉強されてて素晴らしいと思います。このようなレベルの高い質問を受けると、昔に英検1級を目指す生徒さんたちを教えていた時のことを思い出します。真面目にやっていた人は皆力が伸びました。これからも頑張ってください。
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この回答へのお礼

早速、追加の質問にもお答えいただきありがとうございました。とてもよくわかりました。

激励いただきました。頑張ります。

お礼日時:2007/08/18 13:10

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