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ラフカディオ・ハーンはどのようにして怪談話を文学と言われるまで昇華したのでしょうか?
前にテレビで見たのですが、ハーンの奥さんがよく怪談話(民話)を知っていて、奥さんが話す民話をまとめただけと、そのテレビ番組(世界不思議発見?だったかな)では紹介されていたのですが、本当のところはどうなのでしょうか?柳田國男のように各地に伝承する民話をそのまま自分の文学とするのは文学者ではなくどちらかと言えば、民俗学者のような気がするのですが、小泉八雲の作品が文学と言われる由縁を教えてください。

A 回答 (3件)

英語教師として来日した一人の外人がどうして『怪談』のような優れた作品を残したのかという質問と理解して私の見方を少し述べて見ます。



先ず小泉は普通の英語教師ではなかったということがいえます。彼はアイルランド出身の父とギリシャ人の母の間にギリシャで生まれ、幼年時代をアイルランドで過ごしています。19歳でアメリカに渡り新聞記者として、記事を書いたり評論を書いたりする傍らでフランス文学の翻訳をしています。日本にくる前にカリブ海のフランス領の島で二年間を過ごし、ここでも作品を書いています。

もうお分かりかと思いますが、彼が日本へ来て日本語が理解できるようになったとき、地元の人々から聞かされたり目で見た世界は、彼が幼年時代を送ったアイルランドに残るケルトの民話、伝説の世界に非常に似たものだった筈です。つまり、一外人が来て幽霊や妖怪の話を面白おかしく書いたのではなく、彼にとって怪談の世界はアイルランドに共通するものだったと思われます。少なくとも怪談を理解する素地を持っていたと思われます。

彼は日本で多数の著作を残していますが『怪談』があまりに有名になって他の作品が無視されている嫌いがあります。『怪談』のような作品は外人として民話の収集をするだけではうまれないでしょう。小泉の場合はギリシャ人とアイルランド人の
血を引き、民話、伝説、神話に子供のときから親しみ、日本の民話の中に故郷を重ねて見ていたのかもしれません。少なくともこれらの民話を持つ日本に愛情をもっていたことは想像できます。
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 もともとの話しと言うのが何かという事が問題ですが、地方の民話集などを見比べて見るとと分かるように、そう整った完全な話というのは珍しく、多くは後半が欠けていたり、他の話しのモチーフが混ざったりしていて、同じ話しでも地方によってまちまちです。


 でも、「怪談」のお話は多く整っていて、とても一人の伝承者に依るものだとは思えません。下に martinbuho さんが書いてくださったように小泉八雲はもとジャーナリストです。必ずや、奥さんの話を補うために類似の説話を文献からあるいは近隣から採集したものと思います。
 少なくとも、「怪談」に関する限り、できるだけもとの形を復元し、これを自己の中で十分に咀嚼した後に、その豊富な表現力でできるだけ正確に意味(あるいは日本の心)を伝えようとしたものかと思います。あるいは、martinbuho さんの言うように無意識の内にケルト的な要素が入り込んだかもしれませんが、八雲自身はやはり日本人の心にこだわったと思います。
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 民話は採集しただけでは、単なる資料であるだけで、しかも方言や訳のわからないものも多いので、注釈や翻案が必要になります。

柳田國男のものはすでにりっぱすぎる文学と呼んでも良いのです。ただ、他の研究も多かったし、時代的にもそう流行らなかっただけです。
 グリム童話なんかもそうですが、これについてはその解説なんかに大抵書かれてあります。
 小泉八雲の場合は単に記録したと言うよりも日本語の意味を十分に消化してのち、それを英文で自然に出てくるまでに暖めたのだと思います。もともとシェイクスピアなどによく通じ、日本にとっては有り難かったことです。
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この回答へのお礼

なるほど!と言う事は例えば、怪談などはもともとの話とはまた少し違っていると言う事でしょうか?ハーンの解釈が含まれると言う事でしょうか?あまり私としてもジャンルで文学と呼べるかどうか?と言う事にはこだわってはいないのですが、どうしてもハーンの創作方法について深く知りたかったものですから質問させていただきました。どうも、お答えいただきありがとうございます。

お礼日時:2002/08/13 22:15

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