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大阪府三島郡島本町に所在する「山崎」と京都府乙訓郡大山崎町の「大山崎」地名由来を教えてください。歴史的には、上記「山崎」「大山崎」を総称して山崎と表現されているように思えます。
ある時機に、「大山崎」が何らかの事由にて発生したのでしょうか?
また、なぜ大阪と京都に分かれているのでしょうか?

A 回答 (3件)

ANo.2の方の補足になってしまいそうで恐縮です。


Wikipediaによると、この地域は「山崎宿」という「山陽道西国街道の摂津国と山城国の境に位置した宿場町」だったのですが、「廃藩置県時、山崎の地名を大阪府・京都府のどちらが継承するかが争われ、大阪側に山崎村、京都側に大山崎村が成立した」のだそうです。
ANo.2の方がおっしゃられるように、島本町と大山崎町が市外局番と郵便番号が同一である背景もそのあたりなのでしょうね。
以上のことから平成の大合併の際に、越境合併も一時は考えられたようです。これが実現していれば、旧長野県山口村のケースとは比べものにならないくらい話題になっていたかもしれません。

参考ホームページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%9C%AC% …

この回答への補足

回答ありがとうございます。
ご指摘の「廃藩置県時、山崎の地名を大阪府・京都府のどちらが継承するかが争われ、大阪側に山崎村、京都側に大山崎村が成立した」は、非常に有意義な情報でありがとうございます。私もその後の検索で発見していて、喜ぶとともに、なぜ「Wikipedia」上にあるものを見逃していたのか恥ずかしい思いをしていました。
しかし、争うということは、廃藩置県時、山崎と大山崎を含む地域を山崎と呼んでいたのだろうか?摂津の国と山城の国の境界はなかったのだろうか?天領だったのだろうか?
ちなみに、同ページにある、「1392年(元中9年/明徳3年) 足利義満、大山崎に守護不入の権限を与える」(離宮八幡宮の門柱記載)にあるように、「大山崎」の地名は古くからあった様子。

補足日時:2007/09/30 21:17
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。もう少し自分でも調べてみます。

お礼日時:2007/09/30 21:40

大山崎は山崎から派生した地名と思いますが、成り立ちは私にはわかりません。



なぜ大阪と京都に分かれているかですが、大阪側の島本町は旧摂津国、京都側の大山崎町は旧山城国で、昔から分かれています。
ここに国境を引くのは地勢的に納得できますし、島本町と大山崎町で微妙に言葉が違うので、文化圏も違うと思います。
(こんなこと書くと私の住んでいる所がばれるな)
地勢的国境が同時に交通の要所としての立地に適していたので、2つの国にまたがる町ができたのではないでしょうか。

ちなみに、郵便番号と電話番号は島本町と大山崎町で府境を越えて一体のものとなっています。
山崎が2つの国にまたがる町であった名残でしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大山崎の地名が発生した時機を調べれば、何かわかるかも?
と、検索してみたのですが、もうひとつ、はっきりしないんですよね?
検索がへたくそなんですかね?

お礼日時:2007/09/28 17:38

昔、島本町から淀川の北側から神戸・有馬まで摂津の国と言われていましたからその以前に山崎という豪族が支配していて摂津と京が出来た時に本家・分家で支配地域を分けたのかもしれません。

あくまで憶測です。ちなみに、小田原には徳川と言う地名(現在は住所)があります。
勝手な推測で本当にすみません。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。自分でももう少し検索してみます。

お礼日時:2007/09/28 01:45

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