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毛沢東による文化大革命について質問です。文革では、思想の改革として主に儒学を否定しましたよね。それはなぜなのでしょうか?それに関係する文革の背景なども詳しく教えて下さい。加えて、儒学における「革命」に対する姿勢がどのようなものか教えて頂ければ、なお助かります。宜しくお願いします。

A 回答 (8件)

No1です


中国は今でも中国共産党による1党独裁です。
比較的最近の、気功の1派の弾圧でもわかるように、政治的結党や言論の自由は基本的にありません。
中国共産党を批判すれば、国内居住できず、海外へ亡命的に移住しなければならず、帰国できません。
毛沢東は中国共産党の始祖的大英雄です。
手段の正当性はともかく、覇権を維持しNO1のまま死にました。
だから毛沢東の失政非難は、いまでも一般人はできません。中国共産党の存立基盤を否定することになり、生活基盤を奪われ、身の危険があります。
文化大革命の正しい再評価は、中国の政治体制が多数党による民主議会制に変わらない限り、無い。といえるでしょう。

中国共産党による大陸制覇は、
軍閥・地主と悲惨な農奴という封建社会制度、極端な男尊女卑や人身売買、出自による強固な身分制度、という旧制度を大破壊しました。
これにより、
貧しいけれど、一応建前として、男女平等・身分平等・収益再配分・最低就労保障がおこなわれた功績は、いまは変質してきているとはいえ、中国の知人と付き合うとよくわかるし、私も高く評価します。

封建制の衣替えをしただけの国民党では、とても、なしえなかったと思います。
国民党が移ってきた台湾では、国民党の封建的体質をきらう発言をこっそりする台湾人多数に昔会ったことがあります。

軍閥地主の顔が共産党幹部の顔に変わっただけみたいな不完全な部分はもちろんいまでもありますが。
それはともかく。
最初の全国制覇の旧体制のゆり戻しは、文化大革命の大破壊により完全に息の根をストップされました。
最初の全国制覇のプラス面は、2回目の全国制覇(文革)のマイナス面を基本的に上回っている、ということを私は感じています。
男女同権を謳歌する中国人女性と話すと、彼らもベースで、そのことはなんとなくわかっているように感じます。

巨大な中国は公正統治が困難で、汚職やヤクザ支配や地方総がかりの腐敗が横行しています。
伝統文化による倫理規範を喪失した中国には、個人個人の潜在意識に叩き込まれた確固たる倫理規範がなく、「私利私欲の短絡的充足が個人にとって善である」のが現状であり、トータルでは常に旧体制の方向に向かいたがる社会引力があります。

いい加減な国ではない、世界の中心で覇権を叫びたい、大中国を誇りに思いたい、そんな中国人にとって、
強力なカリスマで赤い手帳の規範を示した毛沢東がいまでも慕われる理由はここにある気がします。

日本人が、国家を亡国の危険にさらした天皇制を完全にはやめることができない、いまでも完全共和制になれない。のとどこか似ている気がします。
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この回答へのお礼

okwindanceさん、熱心に私の質問に答えて下さり、真に有難うございます。中国についての理解が深まり、とても嬉しく思います。

回答文を読ませて頂き、更に自分でも調べてみたのですが、中国では未だに言論弾圧や報道規制が為され、更には厳しいインターネット規制まで為されていることを知りました。しかも、ネット社会の拡大に伴いその規制もより強化されているそうで、大国の中国がそのようなものでどうするのか、と思わずにはいられません。
本当に非難すべきは毛沢東ではなく、共産党そのものであり、それに従ってしまう多くの人民であると私は考えます。(私が偉そうに言えた立場じゃありませんが・・)

多くの中国人民は共産党に騙されつつ生きている、もしくはその非に気付きつつも言葉にせず、本当の自由(正当な人権)を得られないまま日々を過ごしているのでしょう。
私も、母国である日本の事すら良く知らず、今まで生きてきてるのです。だから、私が中国に生まれていたとしても、「この国を変えよう」と自ら立つ事無く死んでいってしまうと思います。
ですが、内部から変えていかなければ国は変わりません。まずは人民がもっと自国を良く知り、冷静に他国と比較出来る目を持たねばならないでしょう。言うのは簡単ですが、かなり難しい事だと感じます。

しかし、
人民無くして国無し。多くの人民が本当の自由を得んとすれば、必ず中国は良い国家に変わっていくでしょう。それに伴って日中関係も徐々に回復することを願って止みません。

私が見逃している点や間違って解釈している点は数多く、「中国」について未だ0,00000001%程も知らないと思います。今後又この場で質問する機会があれば、小さな助言でも大歓迎ですので、気軽に回答して下さると嬉しいです。有難うございました。

お礼日時:2007/10/01 18:56

● 儒教における革命とは


天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、天が徳を失った現在の王朝に見切りをつけたとき、革命(天命を革(あらた)める)が起きるとされた。

● 共産主義革命とは
共産主義革命(communist revolution)とは共産主義思想の一段階である。社会主義革命後、高度に発展した生産力によって、人類の社会は更に発展し、搾取機構としての「国」を廃絶する。共産主義革命はそのような共産主義社会を打ち立てる革命である。

● 文化大革命の歴史的意義
社会主義体制が成立し、次に経済的な発展をどのようにして「行うべきかで共産党内で意見が分かれた。 欧米経済先進国を知る小平や林彪は重商主義を提唱したが、守旧派である毛沢東はの農業こそ国の根幹であると考え、重農主義から抜け出ることは出来なかった。 
毛沢東の存命の間は重農主義が勝利を収めたかに見えた。 しかし彼の死後、小平は二度目の復権をし、工業化による産業基盤の整備発展を行っている。
 
● 中華人民共和国では、何故儒教の革命理論が受け入れられなかったか。
共産主義では労働者が資本家を打ち倒すことが革命であり、君主論とは全く相容れないものである。 
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この回答へのお礼

回答、真に有難うございます。
参考とさせて頂きます。

お礼日時:2007/10/02 10:34

毛沢東が国民から支持、崇敬されているのは、かれだけの功績ではありませんが共産党が農民に対し農地解放、分配を行ったからです。


国民の殆どが貧しい農民である中国において農地を分配することは画期的な喜びをあたえました。

この記憶が指導者としての毛沢東への崇敬となったのです。
この地盤があるところに画一的教育、洗脳教育がなされた結果が文化大革命でした。
文化大革命には地方の青少年の都会へのあこがれを利用し、都会の青少年には地方への知識の下放を薦めることを名目としましたから紅衛兵の熱烈な支持がえられました。

しかし都会から下放された紅衛兵は貧しい農村の実情に驚き、都会へ帰還する事を望みましたが「つて」のある者以外かなわず、また知識階層はつるし上げに会うだけで知識の地方への伝達など出来ませんでした。

こうして文化大革命は破綻しましたがそれらは地方団体の失敗とされて中央は知らされなかったのです。
後年知識階層の人々は文化大革命の失敗を毛沢東に帰することには躊躇いがあるようです。
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この回答へのお礼

回答、真に有難うございます。
詳しくて的確な回答をして下さり、良く理解できました。

お礼日時:2007/10/02 10:31

 No.2です。

補足まで。

 共産主義教育が恐ろしいのではなく、純粋培養教育が恐ろしいのです。共産主義純粋培養教育です。

 民族主義純粋教育(戦前の日本の初等教育。旧制中学校以上になるとそうではなかったようです。昭和になってそのバランスが崩れました。)
 金正日崇拝教育(北朝鮮の教育は、共産主義ではありません。単なる個人崇拝ですね。)
 ヒトラーユーゲント

 純粋培養は、暴走しても止めることが困難ですます。
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この回答へのお礼

忠告、真に有難うございます。
成程、そうでしたか。意味を取り違える所でした。もっと詳しく調べてみようと思います。

お礼日時:2007/10/01 19:10

貴方の質問の回答にはなっていませんが、貴方の意見に同感なので書かせていただきます。



>権力闘争に文化破壊を使うとは。これ程まで愚かな事はないですね・・

この愚行はお隣の中国ばかりでなく、日本の明治維新でも起こっています。明治の初期に江戸時代の文化が否定され、凄い勢いで忘れられて行くことに危機感を抱いた大学の先生方が、旧幕の関係者を招待して諮問会を開き、その聞き書きを残しています。

「旧事諮問録」:江戸幕府役人の証言 (岩波文庫)

自分たちの文化を否定した日本人の愚行の反省になると思います。時間がありましたら読んでみて下さい。この本は時代小説家の種本としても定評があります。
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この回答へのお礼

貴重なアドバイス、真に有難うございます。
他国を知ることも必要ですが、まず自国のことを良く知ることが重要ですよね。時間があれば、読ませて頂きます。
現在の日本も数多くの愚かな行いの上に存在する、という事実も忘れてはいけないのでしょう。

お礼日時:2007/10/01 19:04

文化大革命は基本的には、権力闘争であり、歴史上の有名人を批判する振りをして、現実の政敵を批判します。

思想の改革ではありません。

儒学における革命とは「易姓革命」であり、王朝の姓名が変わることを言います。
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この回答へのお礼

御回答、真に有難うございます。
権力闘争に文化破壊を使うとは。これ程まで愚かな事はないですね・・。

お礼日時:2007/09/30 19:26

 No.1の方の、以下の部分だけ訂正すれば良いかと思います。



<<伝統文化の教育も受けられない・受けていない、辺境・地方の若年・貧困層を扇動・動員したものです。>>

 中華人民共和国成立後に教育を受けた、全国の都市・及びその周辺の若年層(紅衛兵:大学生・高校生が主体。一部中学生くらいの子供まで・・・。共産主義教育の純粋培養世代です。)を扇動・動員したものです。

 文化大革命によって権力を確実にした毛沢東は、『下放』によって紅衛兵を辺境・地方の農村に送り込んで、文化大革命を収束させました。

下放
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%94%BE
この記述のNO.3の上山下郷運動を見てください。

上山下郷運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%B1% …
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この回答へのお礼

御回答、真に有難うございます。
彼らは自分達が行っている事が正しいと思いながら文革に参加していたのでしょう。共産主義教育とは恐ろしいものです。

お礼日時:2007/09/30 19:22

一般人なので、あまり詳しくは無いのですが。


儒学の「革命」は
天下の覇権は天命として天子に授けられる。
天子は天命を善政として水のごとく全土に浸透し、民を潤す。
しかしながら治世が不適正になり、乱れて、民が苦しむのであれば、
水のごとき天命をいれる皮革袋を新しいものに変えるように、
別の者に天命が授けられる。

文化大革命は、少数幹部独裁の政権内部の内部抗争で、毛沢東が、中国の豊富な伝統文化を背景とする学識経験者層を支持母体とするライバル幹部を排除して、圧倒的・絶対的優位を取得維持するため、伝統文化の教育も受けられない・受けていない、辺境・地方の若年・貧困層を扇動・動員したものです。
このため、「否定するのは正しい意義がある」というむちゃくちゃなスローガンと毛派の後ろ盾により、文化・社会構造を破壊しつくしました。
旅行や転居・職業選択の自由も無い社会で、紅衛兵になれば都会が見れる・行けるというだけで、地方の貧困青少年が身を投じたのは当然です。
否定したのは中国の伝統文化(儒学はその主体)だけでなく西洋文化も、医学・技術・管理機構・何から何までつるしあげと自己批判と退陣をせまりました。
およそ、教育・医術・技術・行政など、少しでもインテリ的・文化的・権力的感覚で捕らえられるところは混乱と破壊が蔓延しました。
文革で、人生を狂わされた人間は、若年の家族もふくめ、非常に多数で、私の中国の知人の半数以上が、かなりの影響を受けました。インテリ層はほぼ100%ではないのでしょうか。しかし、後難を恐れ、多くを語ろうとはしなかったです。
文革で中国の成長は10年以上ストップ・後退したともいわれます。
毛沢東の「一将功なり、万骨枯る」
「文化大破壊」ですね。

この回答への補足

okwindanceさん、詳しく回答して頂き真に有難うございます。
内容から察するに、「毛沢東は中国の伝統を否定する事により自分の地位、権威を回復しようと目論んだ」という事でしょうか。確かに大躍進政策は目も当てられない結果に終わりましたからね・・・。
この文化大「革命」の革命とはすなわち、ただの「破壊」という意味であることが分かりました。
更に理解を深めるために、補足説明をお願いしたいのですが。
私はこれ程までに悪政を行ったのに、中国人は今だ毛沢東を「建国の父」と崇めている、という事実が解せません。もちろん、受難した多くの人々には憎悪の対象であると思います。ですが、それでも中国の世論において、毛沢東に対し中国人がそれ程批判的では無いのはなぜなのでしょうか?
okwindanceさんには中国に知人がいらっしゃるようで、その辺の事情にもお答え願えないでしょうか。
質問を拡大させてしまい、真に申し訳ありません。

補足日時:2007/09/30 19:16
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この回答へのお礼

↑すみません、補足の欄にお礼を載せてしまいました。失礼致しました。

お礼日時:2007/09/30 20:08

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