日ごろから不思議に思っていたことなのですが、日本人は「宗教は非科学的だ」という言葉を耳にすることがあります。これは日本人が無宗教でいる一つの要因であると思います。日本人にとって「非科学的だね」といわれるのは、現代においては非常に侮辱的な言葉であると思います。では本当に宗教は非科学的なのでしょうか??
(1)宗教のどういった部分が非科学的なのでしょうか??
(2)私はここで言う「非科学的」というときの科学は「自然科学」を基準にしていると考えます。宗教(宗教学)は人文科学に属するわけですが、自然科学の視点から人文科学の研究成果を「非科学的」と判断できるものなのでしょうか??
(3)科学に無知な私が思い浮かべる科学は「実験により証明された事実(データ)を基に、そうした事実の間に法則を見出す営み」と考えています。このように、宗教は非科学的であることを、どなたか実験から証明された事実に基づいて、非科学的であることを立証した研究者をご存知なら教えていただけないでしょうか??またその科学的な実験方法や、その人の著作をご存知であれば教えてください。
どうぞ教えてください。よろしくお願いします。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
宗教が非科学的、といわれる理由の最たるものは、相互検証の否定です。
むしろ、反科学的、といったほうが正確なのかもしれません。
ほぼすべての宗教は唱える教義の絶対性を謳っており、それは他の宗教や哲学もちろん科学であっても揺るがされることはない、としているのが一般的です。──キリスト教原理主義者が『化石は神がその深遠な意思によって地面に埋め給うたもので、創世以前に生物など存在しなかったのだ』なんてな説を唱えているように、気の毒なほどに頑なな立場を取る向きが少なくないのです。
そんな訳で、より多くの検証に耐えうるものとして在るべくした結果、科学というものは時折パラダイム・シフトを起こしてしまうのです。
そこが余計に宗教(こと一神教的な視点を持つ)の立場からは、散々っぱら信じてたのに、それがある日ひっくり返るなんてことが耐え難い、という側面もあります。
とはいえ、案外多くの人々が、『科学は神の代わりに絶対的な真実を保証するものである』という勘違いをしているという側面もあり、新しい発見によっていままで定説であったものがたやすく否定されて(完全に棄却されるわけではないのですが、一般的な人からはそう見えるようです)しまうような世界のありようはなかなか受け入れがたい、という面もあるようです。
むしろ、おおよその人は反科学的な感覚を持ち、宗教の立場にある人はことのその傾向が強い。もしくは、強く反科学的な感覚を持つ人は宗教的な世界観に強く共感を覚える、というところでしょうか。
そして、宗教を実験的に非科学的であると証明しようとした試みについては寡聞にも存じあげませんが、キリスト教原理主義者たちと古生物学者たちとの間で『進化論を科学の教科書に載せるべきかどうか』という裁判は行われたことがあります(詳しくはスティーヴン・ジェイ・グールドの著作を)。
実験的な手法ではありませんが、数学者のクルト・ゲーデルが、無矛盾な公理系の存在…粗雑極まりない要約ですが『この世界が完璧な神に作られたものであるならこの世界には論理的なほころびはどこにもない』ことを証明するつもりが、『この世界からこの世界を見る限りはそれを証明できない』、ということを証明してしまった、ということがあります。つまり『絶対神の不在を数学的に証明してしまった』のです(とはいえ、後年はそれを本人が否定したがっていたようですが)。
また、近年、宗教の側から『科学的であるから自分たちの教義がよりもっともである』という科学への擦りよりや、科学による一層の権威づけが顕著になっているようです。
そのうち、「あなたに神と科学のお恵みあれ」なんて宗教がでてくるかもしれませんね(笑)。
ちゃんとした質問をしなきゃと考えて余所行きの言葉を使っていまったために、余計なことを書いて論点がずれてしまいました。そんな駄文の中から文意を読み取っていただいて、本当に感謝いたします。ありがとうございます。
>>むしろ、反科学的、といったほうが正確なのかもしれません。
なるほどおっしゃるとおり。確かに宗教は批判を受け付けられない体質がありますね。
>>『進化論を科学の教科書に載せるべきかどうか』という裁判は行われたことがあります(詳しくはスティーヴン・ジェイ・グールドの著作を)。
読んでみたいと思います。
>>数学者のクルト・ゲーデルが、無矛盾な公理系の存在。
非常に興味がある研究です。
本当につたない駄文から、文を読み取っていただきました。参考にさせていただきます。ありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
>(1)宗教のどういった部分が非科学的なのでしょうか??
仮説でなく信仰が存在している点です。
とにかく信じろというわけです。
信仰に疑いを持つと、ときに罰せられる。
本当かどうか、検証してはいけないのが原則の
ところです。
科学的な検証は、ときにそれを考えている人間
の感覚そのものを疑います。できるだけ客観的に
観測できるよう、各種測定器を使っていますが、
それを作っているのが人間なんで、測定器にも
何か間違いはないか常に考えに入れるようにしています。
出来る限り、理性的に考えようとしているわけですが、
さらにその理性的考えが正しいかどうかも
検証しようとしています。
>非科学的であることを立証した研究者をご存知なら教えていただけないでしょうか?
立証するも何も、宗教には「教えとその信仰」が主体で、
科学は「理性」が主体であることは明白です。
信仰のない宗教なんてないでしょう。
科学には理論がありますが、学校の勉強考えても
高校までやっていたニュートン力学に矛盾する
相対性理論を大学で教えて、どちらもある意味
正しいとか言っているわけですから、一定の
信仰など存在しないのは明らかです。
科学と神についての研究は、20世紀初頭に
ドロシー・スチムソンという女性研究者の論文に
始まったと言われ、比較的最近だと、マイケル
ハンター・・・だったかな。
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
私自身は宗教を信仰していまして、今ちょっと自分の中の課題としては宗教と他分野の対話や比較という部分なんです。科学と宗教というのが分かりやすいかなぁと思ったのですが、やはり一筋縄ではいかないようですね。もう少し自分なりの考えを探っていきたいと思います。
参考にさせていただきます。本当なありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
> 私自身宗教と非宗教の区別はいまだに分かりません。
宗教の> 定義もお任せします。それを含めて質問させていただきました。
任せられたって、科学の俎上に載せられるような一般的な定義なんてありませんよ。
だから、「無いでしょ?」なんです。
> なるほど。そういった立場を理解するには、どのよなものを
> 呼んだり学んだりすれば良いですか??
本気であったら、カール・ポパーの著書がいいでしょうね。「科学的発見の論理」など。
反証可能性、がキーワードです。
多少砕けるなら、竹内薫の「世界が変る現代物理学」とか、マーティン・ガードナーの「奇妙な論理」とか安斎育郎の「科学と非科学の間」なども、入門的には良いでしょう。
安斎育郎はちょっと左翼なのが鼻につきますが、その点は本論と関係ないので無視すれば済みますし。
> 私は『空想科学読本』という本が結構好きなんですが、あれ
> は非科学的であることを立証するために書かれた本だからこ
> そおもしろいのだと思います。ですから、宗教に対してのそ
> んな本があっても面白かろうと思い、質問させていただきま
> した。
エセ科学とエセ宗教と宗教は、いわゆる「科学」から見たら同類です。そして、エセ科学・エセ宗教と宗教を分けるものは、やっている人の意思です。この意思というものは、客観的に評価するのが難しいから、エセに騙される人が多々いるわけですね。
エセを「侮辱的」に扱うことは問題ありませんが、エセでないものを「侮辱的」に扱うことは、下品な話です。そして、「宗教に対してのそんな本」は、これを同時にやってしまう結果になります。
まっとうに科学を学んだ人は、そんなことに労力を費やすことはしないでしょうね。本業が死ぬほど忙しいんですから。
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。何度も丁寧な御返事感謝いたします。
>>カール・ポパーの著書がいいでしょうね。「科学的発見の論理」など。
>>竹内薫の「世界が変る現代物理学」
>>マーティン・ガードナーの「奇妙な論理」
>>安斎育郎の「科学と非科学の間」
いくつか購入させていただきました。入門編から徐々に読み進めていきたいと思います。
科学と宗教という対話が分かりやすいかなぁと思ったのですが、やはり一筋縄ではいかないようですね。もう少し自分なりの考えを探っていきたいと思います。
参考にさせていただきます。本当なありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
自然科学のカテゴリーに宗教の科学性云々に言及した論者や著書を求めても無理。
>サイエンティストというものは、本質的に理解能力をこえたものや、実現性の可能性がないと直感的に判断したことに関しては、避けて通るクセがあるものです。
これは超越的なものとの関わりを問われた際の科学者の答えです。
まあ、このノーベル賞学者の考えは、大方の自然科学者の共通したもんじゃないですかね。
10世紀とか16世紀とかの「自然科学者」は、もちろん、別ですよ。
重複に重複しますが、自然科学は「地上の事象」を扱う学問。
重複に重複しますが、宗教は、あくまでも「天上の事象」を説く教え。
両者に接点を求めても無駄の無駄です。
だって、対象の存在場所が全く違うのですから。
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。何度も丁寧な御返事感謝いたします。
私自身は宗教を信仰していまして、今ちょっと自分の中の課題として「無宗教」というものにおいていたら、徐々にずれて宗教と他分野の対話や比較というようなことになってきたようです。科学と宗教というのが分かりやすいかなぁと思ったのですが、やはり一筋縄ではいかないようですね。もう少し自分なりの考えを探っていきたいと思います。
参考にさせていただきます。本当なありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
(自然)科学的に宗教を調査した事例がもしあるとすれば、心理学関連でしょう。
「なぜ人間は宗教を信じるような精神構造をしているのか」という研究なら有るかも知れません。「宗教心理学」ってやつではないかとおもいます。
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。何度も丁寧な御返事感謝いたします。
>>「宗教心理学」ってやつではないかとおもいます。
私も気になっているのですが、まだまだ研究が進んでいないようで、なかなか良書にめぐり合えないんですよね。また宗教心理学のくくりも、宗教学なのか心理学なのかはっきりしないんですよね。もう少し私も探っていきたいと思います。
参考にさせていただきます。本当なありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
具体的な書籍を例示できませんが、考えたことを雑多に書き込んでみたいと思います。
#5の方には同意します。宗教は、反科学的であり、それは検証したり、反論するものに排他的であった時代があり、その影響が現代にも残っています。
ま、宗教が長い歴史の中でその性質をより排他的なものに変わらざるを得なかった…とも言える気がしました。
宗教は、様々な問題を取り込んでいるのに、それを解析する技術もそれを裏付ける数学的・統計的根拠もありません。 文字や算術を知る人がどれほどいたろうかという時代に、それらを広める術も限られるでしょう。
多くの国が君主制だったと思います。 そして、生活に不満や不安のある人がたくさんいたでしょう。
そんな人たちが、教祖と呼ばれる人の元に集ったら、為政者としては、安穏としていられないでしょう。
さまざまに妨害し、それでも収まらず、教祖を処刑。 しかし、それでも影響が残ったとしたなら、取り込むことを考えるかも知れない。
すなわち、教祖が命を賭して道を示した。人の罪を背負い、一度は死んだ教祖は、神に許され復活したと宣言し、これからは為政者とともに…と。
そのあとは、疑う余地を露呈することができず、ウソにウソを重ねるがごとく、頑なな姿勢にならざるを得なかった…なんてね。
ま、キリスト教徒は、キリストの復活を信じ、事実と疑わないらしいので、こういうことを書くと糾弾するだろうけど、そういう人は「おとぎ話」みたいなものと見てください。 ま、ひとつそういう見方もできるかも…という幅広い視野として。
神を創造神とします。
創造された様々な生物が存在しています。進化論というのは、どうやって今の形態の生き物が登場したのだろう、というアプローチをしています。
宗教では、意図的にそういう生物を創造したと、言います。
が、これは、 熱したフライパンに割った卵を落とし、目玉焼きを作ったという過程を説明するか、お腹がすいたから目玉焼きを作ったと説明するかのように、別にどちらかを取れば、どちらかが成り立たないという性質でもないように思いました。
しかし、進化論は神の絶対性を揺るがす可能性ありとして、認められませんでした。
創造神という生物を意図的に作る意志があったかどうかは、知りません。科学的には証明できません。 しかし、科学的に不在の証明は困難で、証明できないから不在と決めつけるものではありません。
もちろん、そんなものが存在するなら、それはいつから存在し、どう意志ができたか、そして具体的にどういう性質のもので、どう生物に関わってきたか、科学的に解明しようとするでしょう。
神はここにも存在するし、別のところにも存在する…という説明は、科学的に証明できない… とも言い切れないかも。
科学では、不確定性原理という理論があって、光子は粒でありながら、何十もある窓(スリット)を同時にすり抜けられる。つまり、同じ時間に複数の場所に存在できると、証明しています。 ま、余談です。
科学は、科学的に証明できないものを「ありえない」とも「分からない」とも結論づけます。科学は、科学的に解明できない世界があることを自覚しています。
仏教で輪廻転生を謳い、今ある生は試練に対峙し、様々な経験を積むためものだと教えます。
科学的に輪廻転生を説明できません。しかし、この姿勢は、生物学や倫理学に通じるものがあります。
もちろん、同時の人は、DNAや細胞なんて知るよしもありません。
正しくないから科学でない、とは言い切れません。実際、化学でフロギストン(熱素)という元素があると信じられ、障害になった時期もありましたし。
今ある宗教は、反科学的なところがあります。それは、その排他的で盲信させる要素によるものです。
しかし、もともとは、身の回りの疑問に回答を得ようとする思考体系の一つであったと思います。
宗教の反科学性は、技術的な限界と歴史的な位置づけの中での影響だったのであって、本来的には、今伝えられているものとは異質なものかも知れない…なんて思いました。
お返事が遅くなってしまいまして、申し訳ありません。何度も丁寧な御返事感謝いたします。
私自身は宗教を信仰していまして、今ちょっと自分の中の課題としては宗教と他分野の対話や比較という部分なんです。科学と宗教というのが分かりやすいかなぁと思ったのですが、やはり一筋縄ではいかないようですね。もう少し自分なりの考えを探っていきたいと思います。
参考にさせていただきます。本当なありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
(3)の問いを換言すると、科学的と非科学的の境は「再現性の有無」でしょう。
実験や観察というのは、自然科学でも社会科学でも可能です。
社会科学における再現性は、しばしば統計学的な処理が必要になりがちですけど、条件が整えば、誰でも検証できるというのは、説得させるに十分な証明法と考えます。
宗教の非科学的要素といえば、誰もが納得する根拠を以て神の存在を示せないことが代表的で、その他、奇跡もどういう条件で発現するのか示せないところにあるでしょう。
しかし、だからといって、宗教を全否定するものではありません。
カリスマ的な存在の予言(神託としての預言も?)が成立する要素の一つにプラシーボ効果があったかもしれません。 プラシーボ効果:偽薬なのに、効果があると言い含めると効果が出てしまうなどの思いこみによる効果。
宗教というのは、大きな概念ですので、おおざっぱに科学的・非科学的とは言えないと、個人的に考えています。
仏教におけるお香は、消毒、気持ちを安らげさせる効果があるなど科学的根拠もありますし。
宗教というものは、人の道徳意識、法律、倫理学、心理学、生物学、医学、物理学、化学などが分化していない時代の黎明紀の思考体系ですので、現代における位置づけと安易に比較できないものだと思っています。
実験による科学的立証法は、教会の権力が強かった頃は、軽視されていたそうです。
これに対し、実験による証明法を試みた人の代表格は、ガリレオ=ガリレイです。
実際には行われなかったそうですが、ピサの斜塔から落下実験を行った伝説は、有名でしょう。
天文学、錬金術(現代でいう化学)も占いや呪術と混同され、怪しげに考えられていましたが、現代では立派な学問になっています。
つたない文章から文意を読み取っていただきありがとうございます。
>>プラシーボ効果があったかもしれません。プラシーボ効果:偽薬なのに、効果があると言い含めると効果が出てしまうなどの思いこみによる効果。
初めて聞く言葉です。調べてみます。
>>宗教というのは、大きな概念ですので、おおざっぱに科学的・非科学的とは言えないと、個人的に考えています。
>>宗教というものは、人の道徳意識、法律、倫理学、心理学、生物学、医学、物理学、化学などが分化していない時代の黎明紀の思考体系ですので、現代における位置づけと安易に比較できないものだと思っています。
そうなんですよね。分かってはいるんですけど、そんな無謀に挑戦した人はいませんかね。
>>仏教におけるお香は、消毒、気持ちを安らげさせる効果があるなど科学的根拠もありますし。
けれども、こういった科学的な検証を宗教というくくりでまとめている人がいないんですよ。誰かそんな研究してる人いませんかね??
いろいろ参考になるご意見ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
宗教は科学的でないから、宗教と呼べるのです。
もし、神様、その他の存在が、誰もが納得できるように実証できるとしたら、それは宗教ではなく、立派な科学ですよ。
例えば仮に、私があなたに「私が神です」「私自身の手でこの宇宙を作った」と主張したら、あなたは信じないですよね。でも、あなたは科学的にそれを否定できますか?それと同じ事をあなたは質問の中で問いかけているんですよ。
宗教は科学だと主張する人は、そもそもがおかしいのです。宗教を信じる人々を侮辱していますね。
この回答への補足
回答ありがとうございます。補足させていただきます。
ちゃんとした質問をしなきゃと考えて余所行きの言葉を使っていまったために、文意がつたわらなっかようで申し訳ありません。私のミスです。
この質問しようと思ったのは、私は漠然とではありますが「無宗教や無神論」の立場を勉強したいと思っていました。哲学のカテゴリーでそういった質問をしたことがあるのですが、哲学的な人や書物を提示していただきました。そういった本を読んでいて、ふと思いついたのが「自然科学の立場から宗教を分析した本はないのかなー。」と思ったのがきっかけでした。科学音痴の私がいろいろ考えても始まらないから、思い切って質問しようと思ったしだいです。質問の文章を難しく考えすぎて、余計なことを聞かずにもっとシンプルに聞けばよかったですかね??
>>例えば仮に、私があなたに「私が神です」「私自身の手でこの宇宙を作った」と主張したら、あなたは信じないですよね。でも、あなたは科学的にそれを否定できますか?それと同じ事をあなたは質問の中で問いかけているんですよ。
>>宗教は科学だと主張する人は、そもそもがおかしいのです。宗教を信じる人々を侮辱していますね。
余計なことを書いたばっかりに、ご気分を悪くされたのでしたら申し訳ないです。ごめんなさい。
改めて質問なのですが、科学から宗教にアプローチした方はいらっしゃらないのでしょうか??ご存知でしたら教えてください。
くだらない質問かとは思いますが、よろしくお願いします
No.6
- 回答日時:
本来「非科学的」といわれて悪口だと思ってしまうのが問題なのですが。
宗教は科学で取り扱う対象ではないので、非科学的であって当然というか。定義からして非科学的というか。だからといって宗教が悪いとか劣ったものだということではないです。
ノーベル賞級の科学者(自然科学)で宗教を信じている人は一杯居ますし。
余談ですが、そもそも日本人が無宗教だというのが間違いです。初日の出に手を合わせたり、神社にお賽銭をあげたり、葬式をしたりしますよね。あれは全部宗教行動ですよ。
この回答への補足
回答ありがとうございます。補足させていただきます。
私自身ちゃんとした質問をしなきゃと考えて余所行きの言葉を使っていまったために、文意がつたわらなっかようで申し訳ありません。私のミスです。
この質問しようと思ったのは、私は漠然とではありますが「無宗教や無神論」の立場を勉強したいと思っていました。哲学のカテゴリーでそういった質問をしたことがあるのですが、哲学的な人や書物を提示していただきました。そういった本を読んでいて、ふと思いついたのが「自然科学の立場から宗教を分析した本はないのかなー。」と思ったのがきっかけでした。科学音痴の私がいろいろ考えても始まらないから、思い切って質問しようと思ったしだいです。質問の文章を難しく考えすぎて、余計なことを聞かずにもっとシンプルに聞けばよかったですかね??
>>宗教は科学で取り扱う対象ではないので、非科学的であって当然というか。定義からして非科学的というか。だからといって宗教が悪いとか劣ったものだということではないです。
>>ノーベル賞級の科学者(自然科学)で宗教を信じている人は一杯居ますし。
私もそういったことは理解していたつもりなのですが、文章に酔ってしまってあらぬ方向に行ってしまいました。申し訳ないです。
>>そもそも日本人が無宗教だというのが間違いです。初日の出に手を合わせたり、神社にお賽銭をあげたり、葬式をしたりしますよね。あれは全部宗教行動ですよ。
それも、学んでいます。日本人は自然宗教(自然崇拝ではなく、自然発生的に生まれた信仰。民間信仰等)はもっていますが、創唱宗教(教義や教祖がはっきりしている宗教。制度宗教・歴史宗教・成立宗教)に関しては警戒心が強いということですよね。
そういったことを勉強していたら、哲学以外の分野からはどのようなアプローチがあるんだろうか??と考えて質問にいたりました。私自身の文章に酔ってしまい、目的を見失ってしまうという自分の愚かさを露呈することになってしまいました。トホホ
改めて質問なのですが、科学から宗教にアプローチした方はいらっしゃらないのでしょうか??ご存知でしたら教えてください。
くだらない質問かとは思いますが、よろしくお願いします。
No.4
- 回答日時:
補足:
見当違いとは、結局は、「宗教は非科学的だ」云々と自然科学論争に持ち込んでいるのがということ。
そして、その根拠は、「宗教は非科学的だ」との批判があるという独断。
誰も、そういう事は言ってないと思いますよ。
「宗教は非科学的だ」は、ただ、日常の中での俗な会話。
俗な会話を根拠に科学論争するのは、見当違いという意味です。
この回答への補足
回答ありがとうございます。補足させていただきます。
私自身ちゃんとした質問をしなきゃと考えて余所行きの言葉を使っていまったために、文意がつたわらなっかようで申し訳ありません。私のミスです。
この質問しようと思ったのは、私は漠然とではありますが「無宗教や無神論」の立場を勉強したいと思っていました。哲学のカテゴリーでそういった質問をしたことがあるのですが、哲学的な人や書物を提示していただきました。そういった本を読んでいて、ふと思いついたのが「自然科学の立場から宗教を分析した本はないのかなー。」と思ったのがきっかけでした。科学音痴の私がいろいろ考えても始まらないから、思い切って質問しようと思ったしだいです。質問の文章を難しく考えすぎて、もっとシンプルに聞けばよかったですかね??
>>「宗教は非科学的だ」は、ただ、日常の中での俗な会話。
>>俗な会話を根拠に科学論争するのは、見当違いという意味です。
私は論争しようとなど思っておりません。俗物の私の悪い癖なんですが、気になってしまうんです。科学は俗な会話からの疑問には答えてくれないんでしょうか??
科学の立場から宗教を肯定的であれ否定的であれ分析している書物は存在しないのですかね??
どうぞ教えてください。
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