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 枯葉剤は、どこを狙って散布されたのでしょうか?ホーチミンルートでしょうか、クチトンネル(これは200~250kmにも及ぶようですが、どのように伸びているのでしょうか?)でしょうか、それともハノイ周辺でしょうか。

A 回答 (4件)

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。

その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート、つまり広い国道沿いや整備された道路沿いばかりではなく、山岳回廊地域をジグザグに走る山道やジャングルの間を縫うように走る小道のネットワーク、さらに海路の補給を遮断するためのメコンデルタのマングローブ湿地帯の湿原などだといえます。

 クチトンネルに関して言えば、まるで蟻の巣のようなその実態や詳細な配置図などは、米軍はもちろん、トンネルを構築したベトコンやNVA当事者たちも現在に至るまでその詳細は把握できない複雑なものでした。ということは、とりたててそこをピンポイントで狙ったということは考えにくく、やはり周辺施設や支援および補給ルートを広範に狙った作戦だといってよいかと思います。
 
 ことの是非やその後の国際的な批判や後遺症などの問題はこの際無視をして言わせてもらえれば、この作戦によって700万リットルの枯葉剤を含むエージェントイエロー・エージェントブルー・エージェントホワイトなどの除草剤は、南ベトナムのジャングルの20パーセント、国土のマングローブの森の36パーセントの計600万エーカーに散布されました。そのほとんどは現在でもまともに樹木は育たないほど荒廃し、さらには枯葉剤や他の除草剤による農地の死滅を嫌った農民が多数村や農地を捨てたことにより、結果的にベトコンへの支援体制や補給所が減少したことは数字にしっかりと表れていますので、ある意味効果的な作戦であったともいえます。

 以上、何かのご参考になれれば幸いです。
 
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枯葉剤が散布されたのは、ベトコンが隠れていると思われた、当時の南ベトナム共和国の南東部のメコンデルタの森林が中心です。

 枯葉剤によって確かに多くの樹木は枯死しましたが、一般的に信じられているように、枯葉剤によってベトちゃんドクちゃんのような畸形児が多く生まれたと言う話は、真っ赤な嘘のようです。 日本では、かつて稲作用にベトナムで散布されたものよりはるかに多量のダイオキシンを含んだ農薬を使用していましたが、それで死んだ人はおろか病気になったという人さえいません。 ダイオキシンは非常に毒性の強い化学物質だと喧伝されていますが、実際は非常に毒性の低いものらしいです。 白を黒にしてしまうマスコミの報道って怖いですね。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
ダイオキシンの毒性は、低いのですか。
しかし、日本の水田で使用されていた農薬の濃度が、枯れ葉剤の8倍もあったとは…。

お礼日時:2007/11/27 22:23

ジャングルなくして補給路を爆撃しようという計画が実行された。

ベトナムばかりでなくラオスにも散布。
実行はされなかったが第2次世界大戦末期、日本に散布する計画もあった(日本の7割は山林だから原爆より効果ありそうだが、アジア侵略の報い)

ベトナムでは後遺症で不妊や死産や障害持つ子供がいる。米兵にも障害起きる。
ベトナム政府は戦争犯罪で経済発展が遅れた理由と主張する。米国の裁判所は2006年「戦争犯罪ではない」という判決だした。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
日本に散布する計画もあったのですか。
アジア侵略の報いにより、枯れ葉剤ではなく原爆が投下されたのですね。

お礼日時:2007/11/27 22:28

枯葉剤は、ベトコンの地下壕壊滅のために散布されているようです。



従って、ホーチミンなどの市街地は散布せず、密林を狙い散布したものと思われます。ホーチミンルートもあるでしょうし、クチトンネルもそうです。
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