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 つい先ほど、You Tubeサイトでフィギュアスケート女子の過去の動画を観ておりました。
 私は40代後半の男性の者ですが、1980年にアメリカ・レークプラシッド五輪大会の女子フィギュアスケートの映像の中で、金メダルのペッチ選手、銀メダルのフラチアニ選手と4位のビールマン選手の演技をそれぞれを見ました。
 中でも、当時、初めてビールマン選手のビールマンスピンを見た時は驚きと衝撃を受けました。今では日本の荒川選手や安藤選手、浅田選手や武田選手、水津選手など、誰でもやる技ですが、当時は本家ビールマン選手以外は見かけませんでした。
 彼女のビールマンスピンは今の選手より回転に入る、回転速度が速いように思われました。フリーの演技を観ましたが、インパクトのある、あの独特の高度なスピンを持ちながら、何故、4位の終わったのが不思議でした。
 ペッチ選手、フラチアニ選手の演技と比べて、特に劣っている、むしろ上回っていたのではないかと素人目に思えました。しなやかな肢体を持ち、足も長く、今の選手のビールマンスピンよりも、数段、美しく見えました。当時の日本のトップは渡部絵美さんでしたが、細身でスラリ、手足の長い外人選手と比べると、どうしても芸術的要素で差を付けられてしまうと感じておりました。
 後に伊藤みどり選手がアルベールビル五輪で銀メダルを獲りましたが、その頃もカタリナ・ビット選手のような選手の演技と比べると、やはり、高度な技術(ジャンプ)で勝負するしかないのかなぁ?と思ったものです。
 話は戻りますが、ビールマン選手の演技の技術点、芸術点でも、遜色はなかったと思います。フラチアニ選手は地元アメリカの選手だったし、地元贔屓は理解できるのですが、銅メダルにも届かなかったのは何故だったんだしょうか?

A 回答 (1件)

レークプラシッド五輪の成績については、規定で12位と大きく出遅れたことが最後までひびいたんだと思います。


当時の採点方法では、順位点で成績が決まりますから、規定12位というのは致命的です。
むしろ4位になったのは、驚異的な追い上げと言えると思います。
ショート・プログラムは2位でフリー・スケーティングは1位なんですよね。

ttp://winter-olympic-memories.com/html/results/jp_3d/13_lake_placid/13_figure/13_figure_w.htm

ビールマンさんのフリー・スケーティングは素晴らしく、客席も一番盛り上がっていたように思います。
現在はビールマン・スピンを取り入れている選手が多いですが、質的にビールマンさんに及ばない選手も多いです。
ビールマンさんのスピンはスピードがあって切れ味もよく、軸がしっかりしていて姿勢も美しいと思います。
スピンが注目されがちですが、ジャンプも優れていて、女子選手で始めてトリプル・ルッツを成功させたのがビールマンさんだったと思います。
当時は2~3種類のトリプルで世界チャンピオンになれたような時代ですが、ビールマンさんはいち早くトリプルを5種類そろえていましたね。
スピン、ジャンプともに優れたバランスのとれた選手だったと思います。
今調べていてわかったのですが、レークプラシッド五輪の当時はまだ17歳だったんですね。
17歳とは思えない大人びたすべりで、芸術性も高かったと思います。
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この回答へのお礼

規定で12位?!でしたか。そこから追い上げての4位とは知りませんでした。今でも、他の選手のビールマンスピンを観ますが、本家には及びませんね。
 有難うございました。

お礼日時:2008/01/04 17:32

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