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私の両親(70代)はお金もなく障害を持っていますので私たち子供(40代)が仕送りしたり介護したりしています。
兄は裕福ですが兄弟格差の我が家はギリギリの生活をしています。
しかし一番近くに住んでいるので何かと援助してしまいます。
毎日の食事も作っています。
食品や衣類や紙おむつやらがなくなると買わねばなりません。
その時は親孝行だと思ってするのですがした後激しい怒りに襲われます。この親は私を虐待していた事もあります。
そんな親に何故こんな事をしなくてはならないのだと憎い感情で頭が割れそうなほどの感情が噴出します。
その繰り返しです。
親孝行などした後に喜ぶ親の姿を素直に喜べません。
毎日愛憎が渦巻いています。
こんな自分にもう疲れました。将来に希望など見えません。
現実から逃避したいですが逃げてはいけないと思います。
でも何もかも面倒くさいです。
もう親を放り出してしまいたいという気持ちで一杯です。
この心理をどう解消すればよいのでしょうか?
どなたかご教示お願いします。

A 回答 (8件)

#6です。


性被害のうち半数以上は近親者によってもたらされると言われています。
実際はもっと多いでしょうね。
その割合を把握することは不可能でしょうが、下記のサイトによれば、その半数近くが性交そのものによる被害です。
http://www2.wind.ne.jp/Akagi-kohgen-HP/SAworepor …
幼時における被害はしばしば深刻なトラウマとなって後年長く尾を引くのが普通でしょうし、それはごく当然の心理メカニズムと言えるでしょう。
性交にまで至らずとも実に卑劣な【犯罪】と言えます。

内容にもよりますが、その叔父に関しては、その時のことを「謝罪させる」ということも選択肢のうちに含めてよいと思います。
他の人のいる前でか、本人だけに伝えるかは状況によりますが、「>憎いです!あいつは殺してやりたい!!許せません!!」
という気持ちを相手に確実に伝えるということが重要ではないか、と思われます。
相手が謝罪するかどうかは重要ではありますが二義的な問題で、「自分の気持ちをわからせる」ということが最大の目的です。
個別の状況には大きな違いがあるはずなので、必ずしも最善の方法とは断言できませんが、poruteさんの意志や現在の環境、相手の状況などに照らし合わせて可能であれば、抑圧の(十分とは言えぬまでも)正当な解消手段のひとつと言えるでしょう。

心療内科はすでに訪れていらっしゃるようですが、こういった内容もお話になったことはおありでしょうか。
ともかく、poruteさんの今の(と同時にその時点での)気持ちを存分に打ち明けることができれば・・、黙ってきいてくれる人がいれば・・、という気がします。
再度心療内科の門をくぐってみるのもひとつの方法でしょう。
poruteさんの現状に則した具体的なアドバイスが得られる可能性もあるかもしれません。

お母さんに対してはあまり感情移入しないようにしたほうが良いでしょう。
今は介護してもらえるだけで十分彼女は幸せと言えます。
あまり気を移しすぎると反動がきて、結果的に好ましくない状況が醸成されてしまう可能性もあります。
それにしてもご立派な超自我性を発揮しておられると感じます。
人一倍の辛苦に対して逃げずに、ご自分で必死に乗り越えて来られたその後に訪れた精神の崇高性でもありましょう。
「感情を可能な限り内に籠もらせないようにする」
難しいでしょうが、また、逆のように感じられるかもしれませんが、これが基本的なコツになるのではないかと思われます。

何のお力にもなれませんでしたが、poruteさんがご自身で思考される際、わずかながらでもご参考になれば幸いと思います。
http://trauma.or.tv/index.html

この回答への補足

叔父は現在孤独な生活をしています。
家庭生活も仕事も破綻しています。
なので家族を大事にしてこなかったら晩年はこんなに淋しいのだと
教えてもらいました。
こんな兄弟を育てた祖母に問いたい位です。亡くなっていますが・・。

今不倫をしたりしている人たちに声を大にして伝えたい!!
全てが家庭で育てられるものだと。
人生の基盤が家庭にあって愛を与えられ愛を注げる人になる
そうして自分を救うのは自分しかいないってことも。

自分を頼りに生きてゆけるまでどんなに長い時間彷徨ってきたのでしょう。

そうしてこんな歳になってもフラバに苦しめられていますが
この心の叫びを皆さまに聴いて頂けた事で私も少し前進したかと思います。
ありがとうございました。

補足日時:2008/01/29 22:59
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この回答へのお礼

親の幸せを願うその裏で幸せになどさせるものかという気持ちが
どうしても抜けません。
催眠療法にでも行って過去の記憶を塗り替えたいくらいです。

ここで質問していると余計に神経が過敏になって
破滅思考に成ってしまうと解りました。
とにかくどんなことをしても途中で疲れてしまって
最初からリセットしたくなるのです。

よく過去の記憶をなくした青年がTVに出ていますが
あの青年は記憶をなくす前より温和になって別人だと言うことでした。
またドラマの「歌姫」もそんな感じでしたね。
同じ人間でも中身が変われば別人なんですね。
私もああなりたいです。

良かったなと思うのは物心着いたときから「何故生まれて来たのだろう?」「何のために生きてゆくのだろう?」という事を自分に問い続けている事でしょうか。
答えは出ません。ただ何か理由があって私は生かされてここに居るのでしょうか。

「感情を可能な限り内に籠もらせないようにする」
このアドバイスを自分なりに実行してゆこうと思います。

hakobulu様 長々とお付き合いくださってどうもありがとうございました。本当に感謝致します!!

お礼日時:2008/01/29 22:56

こんにちは。


NO3です。

>おまえが面倒なだけだろう。

身内 わが子だから言えるお父さんの想像力のない言葉でしたね。

介護者の疲れは介護される人よりはるかに心身ともに疲れます。

介護保険は使わなくても支払っています。
その制度を使わないのは時代と逆行しています(極論)

5人に一人は老人になりつつあります。
皆で助け合い支え合いましょうとの保険ではないでしょうか?

現実 要介護のお父さんです。

人手 時間 お金 エネルギーは必要です。

応援の介護を頼みましょう。

お兄さんに帰省してもらってお父さんを交え家族で介護員の件を話し合われてみてはいかがですか?

そして福祉事務所(ケアマネージャも含めて) 保健所(保健師も含めて)などにも相談 訪問してもらえるのなら来てもらって
皆なで支援体制をお父さんを交えて話し合う事も悪い事ではないです。

お父さんは我ままになっています。

「自分も心身ともの疲れが蓄積してきている」
「これからの介護面をもっと今以上に充実したいのでヘルパーや施設のショートスティーなどを利用してほしい」

「お父さんも大変だけど、我々(家族)にも少しの心身の休息を
ください その為にもお父さんも協力してほしいです」

「その方がこれから先 お互いの為にも絶対良い環境になります」
「お父さん お願いします」

とお父さんに伝えてくださいませんか?

少しずつの休息は本当に必要です。

私にはもう父親がいません(他界)
お父さんはたった一人です。

親孝行できなかったです。

この回答への補足

ここ2.3日平穏に過ごしましたが又今日は駄目でした。
自分の感情が安定しません。
これは性格だから薬を飲もうが関係ないのでしょうか・・
自己嫌悪に陥っています。最悪です。

この先は施設に入ってもらいたいのですが父が許しません。
父は自分で”どんな親でも親は親だ”と言っていました。
そして自分のことを大事にしないとお前もそうなるのだと
そういう事は常々思いますが
父には優しい言葉などかけられません。

前にカウンセリングを受けた時父が居ないと思って無視すると教えてもらいましたがその通りしていて益々無関心になりました。
感情移入しない方が楽だと思いますが私自身に
喜怒哀楽がなくなってきました。

親孝行って何でしょうか?
私だと子供たちが幸せに暮らしているのを見ているだけで嬉しいと思うのですが段々欲望があふれて来るのでしょうか?

ゆっくり休みたいです。

何度もご回答をありがとうございました。

補足日時:2008/01/29 22:28
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>現実から逃避したいですが逃げてはいけないと思います。


という気持ちと、
>もう親を放り出してしまいたいという気持ちで一杯です。
という気持ちの葛藤。
ということなのですね。

「>虐待されていた」という事実は重大な事実として認識する必要があります。
親であれ一介の人間にすぎませんから、子を育てることへの重荷に耐え切れず、虐待という形で理不尽な抑圧を子に加えることがしばしばあることは周知の事実でしょう。
理不尽な抑圧は内面に澱のように蓄積し、その出口を求めることになります。
それを抱えたまま生活するということは原理的に考えても辛いことであるのは当然です。
それが上手に発散できていたのかどうかは不明ですが、そういった抑圧を与えた者に対して、直接的にその抑圧に対する不満を吐き返すことが本来的には最も自然な解決につながると私は考えています。
親だからとか、育ててもらったからとか、理由にならない理由をもってその抑圧を濁そうとすること自体が心の傷をさらに深めることになるのです。
とはいえ、poruteさんとしては、現段階において障害を抱えているご両親に対してそれができるような状況にはないという判断をされるのではないかと思われます。
そこで次善策が必要になるでしょう。

1、
まず、
「>そんな親に何故こんな事をしなくてはならないのだと憎い感情で頭が割れそうなほどの感情が噴出します。」
「>親孝行などした後に喜ぶ親の姿を素直に喜べません。
毎日愛憎が渦巻いています。」
といったようなお気持ちが、極めて『正当なものである』ということに気付いていただきたいと思います。
「>もう親を放り出してしまいたいという気持ち」を誰が批判できるでしょうか。
繰り返しますが、あなたのお考えやお気持ちは全くもって正当なものと言えます。

2、
ご両親はporuteさんの自我というものを踏みにじっていたことがある。
もしかすると、そのことに気付いていない可能性すらあるかもしれない。
このことが更にporuteさんの辛い気持ちに拍車を掛けているようなことはないでしょうか。
虐待の記憶による苦しみだけではなく、その気持ちを理解してもらえない二次的な苦しみです。
本来であればご両親に直接ぶつけるのが一番良いのですが、おそらく難しいとお感じになるでしょう。
誰かに自分の気持ちを思い切り聞いてもらう。
この作業をぜひやってみていただきたい。
お兄さんに聞いてもらうのが一番良いのではないかと個人的には思います。
ありきたりの不満の表明ということではなく、虐待されていた時の辛かった気持ちを思い切り吐き出し、心の底にある恨みつらみを全て聞いてもらってみていただきたい。
実際にどうするということではなく、自分の気持ちを理解してもらう、あるいは誰かに伝える、ということは思いのほか大事なことです。
それによって憎しみが解消するわけではないでしょうが、ご自分の中に押さえ込まれていた感情を多少なりとも外に解放してやることができるからです。
成り行きでお兄さんに対する不満も噴出してくるかもしれませんが、それも隠さず素直に吐露しましょう。
不安があるようでしたら、話しをする意図をあらかじめお兄さんに伝えて理解してもらった上で話すという方法をとっても良いと思います。
また、過去の記憶を文章化してみることもお勧めします。
いずれにせよ、心の中に抑圧のまま押さえ込んでおくことは好ましいことではない、ということは確かです。

3、
介護に関しては、ご両親のためにやっていると思わないことです。
また、実際にその必要もありません。
poruteさんは「憎しみが渦巻いて」とは書かずに、「>愛憎渦巻いて」と書かれていますね。
つまり、完全に介護を放棄してしまうと、そのこと自体がporuteさんをさらに苦しめることになるような気がします。
自分自身がそういった気持ちに陥らないための介護である、と割り切ることです。
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この回答へのお礼

hakobulu様ありがとうございます!

私の考えは正当ですか?安心致しました。自分を責めるのは苦しすぎですからやめにしようと思います。私だって愛情豊かな親の元に育てられればこうはなっていなかったのですよね?

自我なんて踏みにじられっ放しでした。
お風呂に入って居る時には鞄から机から全部見られましたし服に草がついていたら男と何かしたのかと疑われ。。。そんな筈あるわけ無いのに。私は安心していられる場所がなかったです。
兄にも少し性的いたずらをされましたが翌朝母に言うとお前の勘違いだと言われ相手にもされませんでした。
初潮になったとき祝ってくれるどころかお前はませてるからだと汚らわしいもののように言われました。
父の弟にもいたずらされました。憎いです!あいつは殺してやりたい!!許せません!!
涙・涙・涙・・・・・・・・・

今幸せなのでもういいです。
昔のことですが・・。どうしても苦しいですね。
どうしたらいいのでしょうか?
今は母が可愛いですよ。私を親のように頼ってきます。
帰るときは泣きます。でも嫌悪感と哀れみが入り混じっていますね。

お礼日時:2008/01/28 00:08

 逃げないで踏ん張っている、えらいです・・。

私なら逃げそうです・・。しかもその憎しみの感情を出さずにいるからこそ、喜ぶ親の顔があるのでしょうね・・。

でも、頭が割れそうなほどの感情を押し込めるなんて。

たまには自分に正直に、愚痴りながらの世話でもいいんじゃないですか?
『虐待されて育った恨み、今晴らしていい??』とニヤリと冗談半分を言いながらオムツを替えてもいいんじゃない?そこまで感情を押し込める必要、あるかしら。もっと不真面目になってもいいような気がします。もちろん、本当に虐待しちゃおしまいですよ、絶対駄目ですよ。でもね、それくらいの愚痴、許されなくて、あなた浮かばれますか?

お礼なんていわなくていい、喜ばなくてもいいから、あのときの事を謝って欲しいといってやりなさいな。それくらい、言ってもいいんじゃないかしら。

確かに、親だって当時は色々事情があったのかもしれません。それを『当時は仕方なかった』という風に、ある意味正当化しようと(世間が)するなら、アナタの愚痴だって正当化されてもいいんじゃないの?愚痴りながら介護されるだけの事を、親はアナタにしたのだから。

私もアナタ同様、親が要介護になれば、兄弟はありますが自分が面倒を見ることになります、そして親に対して人様に言えない恨みがあります。
アナタのような理想的な介護はきっとできないし、出来てもしないと思います。寝たきりで逃げられないのなら、死ぬまで目一杯愚痴を聞かせてやるつもりです。

かなり過激なことを書きましたが、上手に自分の気持ちを無理せず伝える方法を試してもいいのでは、ということが言いたかったのです。
親業(おやぎょう)というものをご存知ですか。本来は育児に役立つ、子とのコミュニケーション方法を模索したものですが、これは伴侶にも、そしてもちろん他人に対しても役に立つ方法です。無理なく、自然に自分の思いを伝える方法です。書店にも関連の本が多く並んでいます。一読をお勧めいたします。

疲れているときは『何もかも面倒だ』と思うのは、育児中の者でも、会社員でも同じです・・。疲れ過ぎているのだと思います。

意識して、一時的に、それを放り出せる環境を作ってください。それが一番の薬だと思います。頑張りすぎないで下さい。本当に尊敬致します。

参考URL:http://www.oyagyo.or.jp/2007/syoseki/syoseki_01. …
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この回答へのお礼

genki-mama様 ありがとうございます!

父には兄からそれとなく言ってもらったことがあります。
心療内科に通っていたとき何故今こんな状態なのかとか私が昔どんなに辛かったかを言ってくれましたがその返事は”そんな昔のこと何言ってるんだ”という返事でした。

だから益々憎くなってしまったのです。
親業は受講しました。それだけではなく色々なセミナーにも行きましたがそれは自分がどうやって子供を育てたらいいのか悩んでのことです。
よく子供を産んだら親の恩が解るよと言われていましたが私は反対でしたね。こんな愛しいわが子にどうしてあんな酷い仕打ちができたのだろうと思いました。
大体母は私を中絶しに病院に行ったけどもうできなかったから産んだといいました。子供にとっては地獄の言葉ではないですか。。

やはり哀しいですね。でも仕方ありません。
自分が親を選んで産まれて来たそうですから私の修行なんでしょうかね。
でも私は愛情込めて子供たちを育てたと思っています。
でも私と両親の関係を見てきっといいものを与えていないだろうなぁ・・と思うのです。それできっとこの愛憎はここで打ち切りにしなくてはならないと思うのです。
愛憎の連鎖があったらつらいですから、、。

お礼日時:2008/01/27 23:57

私も親と子というパワーバランスが崩すのは自分が自立すること、その関係が自然に崩れるのは親が肉体的に衰えたときしかないと感じてます。


心に植えつけられた傷というのはやはり生涯に渡って影響するものです。コントロールされてきたものを自らコントロールするのには大変な苦労をしますけれど、やはり自分の力だけが頼みです。そしてそういう過程が生きるということなのだと思います。

そうはいっても、愛憎の葛藤は凄まじく、フラッシュバックに苦しんでます。介護だけは避けようとそればかりを唯一の「復讐」と計画しています。妹がいるのですが、これが私を反面教師としてきたのか、彼女がたまたま親からすれば可愛い子供だったのか、まぁ同類同志今でも仲良くやっているそうですが、私はもう関係ないです。妹も恩恵を受けてきたのだから、介護する義務はあると断じて思います。
もし新たに「遺産」を残さないなどとコントロールでもしようとしてきたら一笑に付しますけれどね(笑)。

私はいくら拒絶されても彼らにもらえなかった愛情を欲してきた分、彼らに十分「孝行」してきたと思ってます。今でも「内なる子供」が苦しんでいます。でも最近ちょっとだけ成長できていると感じてます。親への愛よりも自分を愛すること。まず先行させるべきことかもしれません。そして親に対する義務よりそちらの方が義務なんです。

>毎日愛憎が渦巻いています

これは自然なことです。子供が初めて触れる世界というのは養育者なのですから、愛着を求めるのは絶対的なものですからそれを拒絶された憎しみというのも絶対的なんです。そして双方は相関します。そして相反する感情が相互に拮抗しあうとき苦しみという感情が生まれます。どちらかに決めるというのは大変ですし不可能です。そのどちらの感情も認め、上手にバランスをとるのが肝要かなと思います。

ANo.2の方が大変素晴らしい回答を寄せてらっしゃいますよね。私も「良心」の反対語は「悪意」ではなく「憎しみ」だと思います。それでも愛するということが自分の本当ならば、まず自分を愛さないと人も愛せないというのはよく言われていることです。
過去を水に流し、親を許し愛すると決めても、まず自分を労わること。いや、理想論ですね(汗)。
という私はまだ許すことはできないので、介護は妹に任せようと思ってます。いやそれ以前に縁を切ることも考えてます。でもそれが本当の自分なんです。本当の自分に従えば苦しみも軽減するのでしょうか。いや、私の中の良心と縁を切った空虚を想像すれば、いずれも辛いことには変わりないでしょうね。
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この回答へのお礼

frau様 ありがとうございます!

同じような境遇の方からご回答を頂けて嬉しいです。
>そうはいっても、愛憎の葛藤は凄まじく、フラッシュバックに苦しんでます。介護だけは避けようとそればかりを唯一の「復讐」と計画しています。

なんてまったく同じように感じておりました。特に私は親と30年近く親元から離れていましたので浦島太郎と変わりません。
気づいたら親が年老いて介護が必要になっていたけど精神が追いついていかないのです。
テレビドラマで親子の情ものをやってたりして父が涙をこぼしているのを見ると(お前はどういう家庭を築いてきたんだよ!ふざけるな!)という気持ちになりますし、フラッシュバックで実際家にいけなくなり病院で薬をもらっていた時もあります。

>もし新たに「遺産」を残さないなどとコントロールでもしようとしてきたら一笑に付しますけれどね(笑)。

父には遺産はありませんが借金はあるようです。だいたい借金がなかったことなんてないのですから。早く全部放棄して終わらせたいと思ってしまいます。子供の頃は”子供には貧乏を味あわせないといけないんだ!”とその通りの生活でした。しかし自分は女と遊んでいたんです!
女に金を入れて家に入れなかっただけでした。
本当にふざけんな!!って言いたいです。
でも母も私にお前が居るから離婚できないといつも言っていたので憎かったです。
何か何処にもやれない思いをここで吐き出している感じですみません。
私は子供を愛せない親より親に愛されない子供のほうがずっと苦しいのだと思っています。親に素直になれない子供ほど辛いものはないって言う意味ですが・・。

お礼日時:2008/01/27 23:44

こんにちは。



大変な時だけにご自身の身体を少しでも休める様に出来ると良いですね。

他の回答者さんが答えられている様に役割分担 介護保険利用 
福祉課の協力などなど あらゆる方法を試されてください。

一人の老人の介護には最低 3人の介護者が必要だと聞いた事があります。

一人での介護は少しの間なら続くかもしれませんが、それ以降となると
介護者も倒れてしまう現実です。

そうなったら両者ともが大変です。

役割分担はこの先の事も踏まえてお兄さんとコンタクト 状況報告も
含めて続けてください。

介護保険の利用でケアマネージャーがプランをたてます。
ご自分の要望もしっかりと伝えてください。
週に何回訪問しお風呂や食事の用意など(市から給料をもらっているので縁慮しなくて良いです)をしてもらう。

ショートスティ(朝9:00位~昼過ぎ3:00過ぎ位まで老人ホームで過ごす。) その間に質問者さんが身体を休めること。

ロングスティー(6日位 老人ホームが預かり お世話してくれます)
介護者家族が身体を休めること。


介護保険を払っているのでどんどんその出来る範囲内を活用してください。

福祉課とのコンタクトもしていた方が良いです。

仮に将来 施設に預ける場合など情報源の場所でもあり、病院などなど様々な介護情報を持っていての橋渡しをしてくれたりの可能性もあると
思います。


大変な時期ですがどうか御身体を大事になさってください。

○ご自身の「休養」は不可欠です

少しずつの休める時を持って、乗り切ってください。

お力になれずにすいません。
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この回答へのお礼

zozzzz様 ありがとうございます!

介護保険の利用は考えているのですが父が受け入れません。
ディサービスも”行きたくないのに行かせるのか!”と怒ります。
そして”お前が面倒なだけだろ”と言います。
ですので私の心の中は憎い思いで一杯になります。
体が本当に疲れているときは父に対して(私にこんな大変な思いをさせているのはお前だ!)と憎しみが集中してしまいます。
そしてその感情が 自分の身体をおかしくしているようです。
激しい頭痛と吐き気がします。
それでヘッドホンをしてなるべく音楽を聴く様にしています。
zozzzz様、充分力づけられました!嬉しかったです。

お礼日時:2008/01/27 23:24

こんにちは。


質問者さんの心の中にある「憎しみ」は、それは親御さんに対するものではないです。その憎しみは現在の質問者さんの「苦しみ」から生み出されています。
ご自分の憎悪に対する嫌悪感とは、それは即ち質問者さんの「良心」であります。ですから、憎しみを卑下するならばそれだけご自分の苦痛を増やすことになりますので、そればかりを深く気に病むのはとても良くないと思います。ならば、いま質問者さんがなされるべきことは憎しみを非難することではなく、「ご自分の良心」を信頼し、それを心の拠り所にするということではないでしょうか。

さぞかしお辛いと思います。
私は同年代です。幸い両親はまだしっかりしていますが、長男のため何れどのような事態になるかは何時も不安に思っています。そうなったとき、自分がどうするかは正直言って分かりません。
質問者さんの憎しみは現在の苦しみから生み出されています。では、これから逃れ、目を背けるというわけにはゆきませんから、果たして現実問題としましては、やはりでき得る限り事態を改善し、苦痛を軽減する努力をする必要があります。
そのようなことは言われなくとも十分にご承知でしょうから、ここで整理しなければならないのは質問者さんご自身の心の中身ですよね。
このような事態を苦痛と思わないのは無理ですから、ご自分を非難してはいけません。質問者さんの憎しみは苦痛から生み出された幻です。宜しいでしょうか、質問者さんは親御さんを憎んではいません。まして親から虐待を受けたなどというのは現在の状況であるからこそ引き合いに出されたのではないですか。

さて、「親の虐待」には以下のようなケースがあります。
「親の悪意」
「親の未熟」
「子供の思い込み」
親だって人間ですから、子供に対して全て完璧というわけには絶対にゆきません。ならば、それが親の悪意でない限り、以下のふたつは認めてあげて下さい。質問者さんの年齢でしたら十分に受け入れられるはずですし、まして現在では立場が逆転しています。
質問者さんは現在、そのときの親御さんと同じ立場にあります。では、もし仮に虐待が事実であったとしましても、ここで復讐などできるわけがありません。ならば、質問者さんに親御さんを虐待することができないならば、親御さんに質問者さんを虐待することができたと思いますか?
親御さんは質問者さんを虐待してはいません。現在、質問者さんは介護を放棄できる立場にありながらそれをしないのは、ご自分の良心に従っているからです。これがどういうことかと申しますと、それは心に憎しみが生まれたからといって、それで質問者さんが親御さんを虐待していることには断じてならないということです。
質問者さんは今、その良心に苦しんでいます。では、もし親子間に何らかの行き違いが起きたならば、親御さんは質問者さんと同じように悩み、同じように苦しんだはずです。それが良心であり、親子関係といいますのは決して義務ではなく、この「良心」によって結ばれています。ならば質問者さんのなされるべきことは、いま全ての憎しみを非難することを止め、お互いの良心を信頼し、それを心の支えにすることではないでしょうか。

では、次に必要なのは「希望」です。
ひとりで悩んでいるのが一番辛いと思います。
何処にも希望が見当たらないなどと考えないで下さい。苦しみに惑わされてはいけません。
事態を改善するためには、やはり#1さんが仰るように兄弟で相談し、精神的・経済的な負担を軽減することが最も早急だと思います。もちろん、既に色々とおやりになっているとは思いますが、役割分担や介護保険・福祉政策の利用など、大切なのは親族が協力し、知恵を絞って考えるということです。これによって何らかの改善策が見付かるならば、それが質問者さんにとっての希望となります。まして質問者さんには兄弟に不満をぶちまける権利があります。ひとりで抱え込んでしまっては突破口は中々開かないと思います。

ろくなアドバイスもできなくて申し訳ありません。どうか心を強く持ち、何とか乗り切って下さい。
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この回答へのお礼

ruehas様、ご回答をありがとうございます!
そうですね親から受けた虐待は色々ありますが親戚もおかしい人が何人かいました。
ですので私は中学卒業して家を出ました。
何度も死のうと思いましたし傷もあります。
心の中で「いつか復讐してやる」と唱えて暮らしていました。

「親の悪意」「親の未熟」「子供の思い込み」の3点セットであったと思います。
ただ父は世間では偉そうな事を言っておりましたので内情は皆知らないと思います。
兄は大学院まで出て私は全て定時制です。
私のことを家の恥だと言っていました。
しかしそれは今思い出してしまって書いただけであってもう感傷に浸っている訳ではありません。
現実は両親は私が居ないと暮らしてゆけないだろうと思っているからなのです。ruehas様の仰る通り立場逆転していますね。

反面教師の両親を最後まで見てゆこうと決意はしています。
それですが時々優しい自分と鬼のような自分がよくもまあ一つの肉体に宿っているのかと恐ろしくなるんですよね。
普通それは誰にでもあることなのかも知れませんが私は激しいのです。

両親に愛を求めていて満たされなかった分を愛を与えることで解消するしかないのです。それは中々難しい課題です。

希望を持つこと。希望って何だろうか・・?
自分のフレームを外して物事を考えられたらもっと自由なのでしょうね。
ruehas様のご回答はその事を私に気づかせて下さったと思います。
また何回も読み直してみたいと思います。
長文のご回答をどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/26 01:26

心理の解消という意味ではお兄さんとよく話し合われた方が


よいのではないでしょうか。
あなたの気持ちはわかります。
お兄さんとあなたと応分の負担をして父親を介護するように
すれば、気持ちは楽になると思います。
あなたのいまの心境は被害者意識で埋め尽くされています。
なぜこんなに、なぜ自分だけが、なぜ誰も、なぜなぜ・・・
なのでしょう。
介護にかかる出費の明細をきちんと記録してこれだけかかる
ので分担してほしいとお兄さんと相談するのがよいです。
いずれにしても前向きに考えることです。放置するわけに
は行かないのですから。
がんばってください。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます!
兄は遠方に住み両親に毎月5万円を援助してくれています。
また介護車両なども購入してくれました。
我が家の倍以上の年収で地位もあり生活も違いますが兄弟仲は良いと思います。いずれもっと兄には負担がかかってくると思うので今は兄に対して何も望んでいません。
しかし兄は年に何回も帰省しませんので気楽な感じに思えます。
兄に対して羨ましいと思っているのでしょうね。
同じ兄弟でなぜこんなに違うのだろうと。。

お礼日時:2008/01/26 00:59

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