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ナショナルジオグラフィックが発見した「ユダの福音書」
この書物によって、ユダは裏切りものでは無かったと発表。

総本山のバチカンではこの事を認めたのでしょうか?
又キリシタンの方はこの福音書をどの様にお考えでしょうか?

A 回答 (3件)

信者ではないのですが、、、、



聖書が編纂されたのが4世紀以降だったようです。
それまで何百とイエスにまつわる話が存在しており、それぞれが「これがイエスの真実」として信じており、「これがキリスト教です」ってそれぞれが主張していたんですね。

それに対して憂いを持った人が、「唯一これだけがイエスの真実」と統一しようとして、沢山ある話の中からその人の思想に合致するものだけを選んで、聖書を作ったんです。

その人の思想と合致しないものは、焚書扱いにされた。
例えば、トマスの福音書とかマリアの福音書とかユダの福音書などは、その聖書を編纂した人からすれば、偽者だったわけです。
だから正典に取り入れないばかりか、燃やすよう各教会に指示したそうなんです。

ところが、神に関することについてたとえ偽と思われるものであっても、燃やしてはならない という掟がユダヤ教には存在しており、キリスト教はユダヤ教じゃないのですが、ユダヤ教から派生したもので、恐れ多くも神に関することが書いてあるものを燃やせとは、、、、到底できない と考えた人によって隠されたようなんです。

ということで、今に伝わる正典となった聖書は、ある個人の人の思想であって、真実だとはいえないわけです。

で、正典を作ったことで、それ以外の話を信じる人たちは、異端とされ迫害され消されていくことになったわけです。


で、ユダの福音書を読むと、グノーシス的思想です。
これは正典を作った人が嫌った思想なんです。
従って、バチカンなどは正典を作ってグノーシス派を排除した派閥なので、ユダの福音書が出てきたところで、「偽書」としてびくともしないわけです。

ユダの福音書では、ユダが唯一イエスを一番理解しており、イエスはユダに体からの解脱について協力を仰ぎ、その協力の結果ユダは人々から憎まれることになるってイエスから予測され、それを承知でユダは引き受けたって内容だったと思います。
しかも復活などは書かれていなかったと思います。

この内容は正典を作った側の話と違うので、当然2000年ほど前にこの世から消したはずの偽物の内容として、鼻でクスっと笑う程度だと思います。

肉体を地獄と考え、そこから解脱するって思想は仏教的ですが、キリスト教は仏教の影響も受けているので、当然そういう話もできるわけです。

じゃあ やっぱり偽書かというと、正典に取り入れられた内容も異教の神話なんです。
ユダヤ教じゃなく、ミトラとかゾロアスターとかエジプトの宗教とか、そこいらの影響を受け、その神話により神話的なイエス像が作られているんです。

というわけで、私は、どっちも真実じゃないと思います。
いわゆるファンタジーの世界 つまりフィクション。 文学。
文学だと空間や時間の超越が可能ですから。
で、現実は文学の世界と違いますので、文学の世界通りにはいかない。
それをいくとしてなんとかやろうとしても、無理。
でも、現実と文学の世界の違いがわからないと、できる ってなるんですね。

ピカチューになったと信じた子供が窓から飛んで堕ちて死んだ。
まさか堕ちるなんて 想像もせず、100%飛べると信じて飛んだんだと思います。
現実とアニメの世界との境界線を認識できないと こうなっちゃうんですね。
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この回答へのお礼

kigurumiさn回答有り難うございました

私の書き方が悪くて申し訳なかったのですが、私は本で出ている「ユダの福音書」は読んでいません。私がこの事を知ったのは、ナショナルジログラフィックと言うアメリカの番組で歴史上様々な物を発見した歴史ある番組です。それを見て興味を持ったのがきっかけです。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1 …
4月6日アメリカのワシントンDCでこの「ユダの福音書」の一部を世界に公開すると言われています(HPをご参考にして下さい)
私はキリスト教でもなんでもないのですが、学校で聖書を学んだ事があり、興味があって質問しました。

勿論私は聖書を信じている訳ではないのですが、この「ユダの福音書」をナショジオが発表されることで、今までのキリスト教が覆されるのかと思いました(笑)
他のご回答者さんのご意見を伺いと、「デマ」の書物って事なので、ちょっと残念でした(笑)世紀の大発見かと思ったのでwww
大変勉強になりました。有り難うございましたm(_)m

お礼日時:2008/01/31 13:28

ユダの福音書、パピルス写本は1970年代に発見され、2001年にようやく解読された幻の福音書で、世紀の悪役イスカリオテのユダの視点から語られた福音書です。


グノーシス主義によれば、人間の抱える根本的な問題は「原罪」ではなく「無知」であり、それを解決するには信仰よりも知識が重要と言っています。
ユダの福音書ではイエスは宇宙の神秘についてユダに教えています。
この中でイエスがユダに与えた啓示そのものはちっともキリスト教的ではなく、その発想はユダヤ系の哲学者やグノーシス主義者の系統に行き着くと言われていますのでカトリックの総本山のバチカンやキリスト教徒に取っては異端中の異端であろうと思います。
ユダの福音書によると、始めにすべてを超越した無限の神性があり、それから複雑な創造と流出の過程を経て天は光と栄光に満たされたとあります。
この神性は神という言葉さえ不十分なほど崇高であったとしています。
そして、地上の世界はネブロ(反逆者の意)またはヤルダバオートという下位の狭量で悪意に満ちた創造神が支配していて、私たちの世界が問題だらけなのはそのせいだとしています。
それが、ローマカトリック教会に取って突拍子も無い話で決して受け入れられないであろうことは想像するまでもないことです。
又、キリスト教徒が疑いも無く敵とするユダに空を指し示し、その星の一つを「見なさい、あれが、皆を導くお前の星だ」と告げています。
この福音書では、それほど、イエスはユダを、というかユダだけを認めていたと言うふうな記述になっています。
ずいぶん昔に信仰を捨てた私にとっては非常に興味深い福音書ではありますが、ほとんどのキリスト教徒に取っては不快で荒唐無稽な書物の範疇に入るのかも知れないという気がします。
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ユダの福音書は読んでいませんが、解説によりますと、グノーシス主義に基づいた福音書だそうです。



キリスト教が生まれた後、キリスト教は、2方向へ広がりました。
1つはアンティオキア(現在のトルコ)方面で、この流れが現在のキリスト教へつながります。
もう一方は、アレキサンドリア(エジプト)方面に広がり、そこでギリシャ哲学(崇高なる精神・知性と劣悪なる肉体・欲望と考える)と結びつき、グノーシス主義が生まれます。

ローマ帝国で優位に立ったのは、アンティオキア方面からギリシャ本土を経てローマに至ったキリスト教で、ローマ帝国でキリスト教が国教となるに従い、グノーシス派の考え方は、異端とされ排除されてゆきました。

その後グノーシス派の考え方は、ゾロアスター教やマニ教などの影響を受けた善悪二元論主義の考え方に移行しますが、当時の教皇庁や正教会からの弾圧を受けて消滅してゆきます。

聖書の編纂においては、グノーシス主義の文章は、全て排除されて、破棄されてきました。
そのため、基本的に現在のキリスト教会において、ユダの福音書をはじめとするグノーシス的文章は、全て異端の書とされています。
そのため、
>この書物によって、ユダは裏切りものでは無かったと発表
しても、そもそも異端の文章を根拠に正統性を主張しても、全く関係無いことでしかありません。
もし、現在グノーシス主義を謳う教派があれば、多少は違ってきますが、今日グノーシス主義を主張する教派が無いため、あえてコメントする必要も無いことです。
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