人生のプチ美学を教えてください!!

昭和47年山陽新幹線開業前の時刻表を見ますと山陽本線に下記のような中距離普通列車が三本見受けられます。
(下り)
大阪6:11→糸崎11:44(1433M)
(上り)
岡山6:06→大阪9:25(1422M)
広島14:57→大阪22:21(1338M)

これらの列車は新幹線岡山開業前までどのような電車で運転されていたのでしょうか。
考えられるのは、
1.岡山運転所もしくは広島運転所の80系
2.網干電車区の113系
のいずれかと思いますが、どちらで運転されていたのでしょうか?
1.ですと鉄道誌に記載されている「80系は昭和44年を最後に大阪口から撤退した。」との記事は間違っていると思います。

また岡山発の1422Mに対する見返り列車が見当たらないのですが、これは大阪→姫路(もしくは播州赤穂),姫路(もしくは播州赤穂)→岡山のように分割して運転されていたのでしょうか?

当時の事をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

80系ときて、いきなり113系ですか?


んんんんんんんん、なんとも残念!
オジサンは悲しい・・・・・(涙)

153系があったでしょ、栄光の153系が、、、、、。
153系こそが東海道~山陽の「雄」だったのですよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
当時宮原電車区の153系電車もありましたが、こちらはビュッフェ,グリーン車各一両連結の10両編成とグリーン車一両のみの10両編成。
この三本にはグリーン車の連結は有りませんでしたので、153系はないと思いましたが・・・・・・

補足日時:2008/02/17 16:02
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ええと、この時期の各駅停車に運用する急行型の電車は「グリーン車は


締切扱(=乗れない)」、または「ロ車ハ代用(=グリーン車にタダで
乗れる)」のどちらかで運用し、正式なグリーン車扱いはしない場合が
多かったんです。

これはグリーン車として扱うと「専務車掌」を乗車させなくてはいけない
とか、普通列車用グリーン券の発売区間に制限があるとかの問題があった
せいじゃないかと推測するんですが。

多分1433Mや1338Mは時間帯から考えて「締切扱」、1422Mは「ロ車ハ代用」
だったんじゃないかと思います。特に1422Mは急行「鷲羽」の間合い運用
だった可能性が高いので、ロ車ハ代用のお得電車だったんじゃないかと。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時刻表を見ますと、糸崎に到着した列車は12時43分の姫路行きとして折り返しておりますので、姫路到着後は列車番号を変えて113系快速に混じって、グリーン車営業の153系快速列車として運転された可能性もありますね。

お礼日時:2008/02/23 12:39

 かなり未来の話ですが、昭和57年5月の時刻表に、


 岡山6:06→大阪9:21(1420M)という列車があります。
 これは宇野線快速が宮原区担当だった時に、岡山から宮原へ帰る為の列車で113系が使用されていました。岡山へ送り込む列車は、
 大阪17:39→岡山20:43(大阪→姫路967M 姫路→岡山1485M)です。
 これが昭和47年に当てはまるかどうかわかりませんが、大阪持ちだった可能性は大きいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こうして考えて行きますと宮原の153系の可能性が高そうですね。

お礼日時:2008/02/23 12:42

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