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小学3年生の子供が学校の英語の授業で数字を習ってきました。授業でフィリピン人の先生は「12」のことを「twoteen」と教えたというのです。これはフィリピンの言い方なのでしょうか?あるいはフィリピン以外の他の地域でもこういう言い方をすることはあるのでしょうか。子供に「間違っているので聞き間違えをしたのだろう」と答えるのか「こういう言い方もあるがスタンダードな言い方ではない」と答えるべきかわからなくて困っています。ちなみにその先生は一回限りの講師で、学校では英語の授業を試験的にしているようなので、もうその先生には質問できないそうです。手元の辞書にも載っていません。ご存じの方はどうぞ教えてください。

A 回答 (10件)

実は私も気になって、もうちょっと調べていました!


タイの2つの大学のサイトの英語訳にtwoteenがありました。Twelveの代わりに使われていました。
それを聞いて笑う英語母語話者はまだたくさんいると思います。
しかし、フランス語では、70を60+10、80を4x20とよんだり、90を4x20+10(QUATRE-VINGT dix)と表すのはご存知だと思いますが、すでにスイスやベルギーの仏語圏では、Septante (70), Octante (80, Huitante スイス) and Nonante (90)と新しいロジカルな言い方が生まれ、定着し、公的に許容されています。
言葉は生き物なので、「正しい」ものはないと思うのです。ただ、一番伝わる言い方、人に心地よく聞こえる言い方、相手のために一番いい言い方は常に考えていかなくてはならないと思います。
英語教育に関してはいろいろな考え方があると思いますが、生来どうなるかによっては、大学で英語の文献が読めるぐらいの知識的なレベルも必要な場合もあれば、知識よりも少ない語数でスムーズなコミュニケーションが必要になる場合もいろいろかと思います。
小学生の間は、英語が好きになること、いろいろなインプットがあること、いろいろな文化のことを考えて、差別意識をなくすこと、そして中学生になってその後ろに潜むいろいろな規則を発見していき、社会科で歴史や文化を深く学び、それを表現する日本語力をつけてくのはとても楽しいことだと思います(私はそうでした!)
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この回答へのお礼

タイの大学の事例を調べて、それを例に挙げていただき、ありがとうございます。この回答は、twoteenが実際に使われているということを証明するものであり、非常に参考になりました。
Riccotaさんの英語教育のスタンスや、日本語力に関するお考えには私も同感です。

フランス語の数字で思い出しましたが、石原東京都知事が「フランス語は数をを勘定できない言葉だから国際語として失格している」という失言とそれをめぐる裁判がありましたね。
参考HP:
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/toppagejp.html
数の数え方
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/chottobenkyo.h …
英語の例で、南北戦争の最中の1863年,ペンシルヴェニア州ゲティスバーグで行われたリンカーン大統領の有名な演説の例がでていて、当時、20を「スコア」と言ったということが紹介されて興味深いですね。

お礼日時:2008/03/01 01:39

非常に興味深い回答があるようで、特に#8さんの「タイの2つの大学のサイトの英語訳にtwoteenがありました。

Twelveの代わりに使われていました。」について、是非そのサイトを紹介していただければと思います。
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No.8へいただいたgerard55さんのコメントの中のURLを拝見しました。

ありがとうございました!
フランス語の見解、1)私の間違い:フランスでもラテン語の流れからかつて存在していたものが淘汰されたのであって、あとからseptanteが生まれたわけではないことを訂正させてください。すみませんでした。(言い訳させていただければ、スイスフレンチの友人らから「僕たちがロジカルにフランス語を訂正したんだ」と自慢され続けてきたので信じていました。ネイティブだからといって言語史学者ではないのに。悪しきネイティブ信仰)古英語が残っている米語と同じですね。(移民先では古い言い方が残るという原則があります)
2)誤解されるかもしれないので訂正です。septanteのロジカルな数え方のほうが正しいとは思っているような書き方をしてしまいました。60+10と話しているときに別にいちいち計算しながら話しているのではなくて/soixante-dix/という一まとまりの音韻を70と認識しているだけのことだと思います。だから変わりはないはずです。ただ、言語変種の定着が地域によってばらつきがあるということを言いたかったのでした。
言語変種をさげすむことは、例えば外国語アクセントの強い日本語を話す外国人をさげすむ気持ちに通じてしまう、という怖さもあります。ボランティアで移民児童に日本語を教えていますが、「変な日本語!」といじめられる生徒は少なくありません。World Englishesの考え方は、英語だけではなく、広く応用されていってほしいと思います。
タイの大学のサイトなのですが、URL先がきれてしまうので、googleで検索してタイ文字が出てくるサイトを確認してください。
フィリピンの方は、現地ではoneteen, twoteenを使っていて、ご自分でも汎用的な英語はeleven, twelveであることをご存知なのかもしれません。とっさに出てこなかったのではないかと推測しています。地方方言と標準語を使い分けるのはどの地域でも一般的に見られることなので、そういうことではないかなと思っています。
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Gです。

 締め切っておられなくてよかったです。

>中学生になったら、日本の文部科学省が採用した教科書を「標準」として使用し、これに基づいた英語で受験しなければならないということを考えると、いくら教科書や学校の教え方に問題があるといっても、従わなければならないわけですから(少数の、私立や海外で教育を受けさせられる層は別として)、現実とのギャップをうめるためには、家庭でいかに子供と話しをするかが大切かと思います。

私は今の英語教育に改革が必要だと6年間このカテで言い続けていますが、本当に悲劇としかいえないでしょう。 でもそれが現実である以上、親御さんに頑張って欲しいと思っているところに、「現実とのギャップをうめるためには、家庭でいかに子供と話しをするかが大切かと思います。」おっしゃってくれて本当にうれしいです。

自分の子供ためにすべてを投げ出してくれた私の両親への感謝の気持ちと同じです。 

このカテを通してもっともっと、自分の英語力のために英語力を高めるだけでなく次の世代のために自分を分け与える事が出来るように努力を惜しまない人間になりたいと私は思っています。 
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この回答へのお礼

再度お返事ありがとうございます。
中学以上の英語教育が悲劇なら、逆に小学校の英語には自由度があり、twoteenもGlobal EnglishでOKということですね。
次世代を見据えてのご回答に感謝します。

お礼日時:2008/03/01 01:23

Gです。

 ucokさんへのお礼を読ませていただきましたので私ももう少し書かせてくださいね。

アメリカで使われている英語ですら世界中で一般的な表現として使われているわけではないのです。

50年前から「正しい英語」として教えられている英語を6年間習ってきた何十億の日本人のどれだけ使えるようになっているでしょうか。 この何十億と言う日本人の中の何十億と言う日本人が犠牲者になってきたのです。

正しい英語、正しい文法といわれて覚えさせられた英語の中にも一般的には絶対と言っていいほどの表現が存在する事に対し、今回の表現に対しどれだけ「批判」をするでしょうか。 教えるレベルの人が言った時にはしないのです。 もっとも知らないからしないと言うことでもあるでしょうが、知っているとしたらなぜそれを「しない」と言わないのでしょうか。 中途半端な批判をしてもそれは意味のないものとなってしまうのです。 私みたいな人間やネイティブや英語が分かる人たちでこれからの英語教育の向上を説に考えている人たちが批判しているのです。 ネイティブの疑惑の念が本にもなっていますね。 そして、批判するだけでなく向上するための解決案や一般的に使われている表現を紹介しているわけですね。

英語に恐怖を持たないように導く事も英語教育の一つであるはずなのです。 少しくらい間違ってもいいからとにかく使うようにと教えない、文法にこだわりすぎて一言を言えなくなるような日本人を作り出すことも根本から変える必要があるわけです。 試験で丸をとるか「バツを食うか」が英語を使えなくしてしまっていることもよく知られたことですね。

一つの表現に関して「ありえない」と言う事はないのです。 「ありえない」と言えるだけの英語に接している人はいるわけはないのです。 私が属している特殊社会では私の英語自体を変えなくてはならないのですね。 そしてそこで使う英語表現を知っている日本人はまずいないでしょう。 どうやってその社会では「使わなくてはならない」表現を知らないからと言う理由で「ありえない」とは言える筈はないのですね。

40年前はほとんどの日本人が実際に使われている表現に接することはまれだったのですね。 だから英語の先生には異論をいえなかったわけです。 しかし今は違いますね。 

もっと一般的な例を持ってくると、絶対に使わない、と言っていいほどの「詩」の中での表現は間違っているとでも言うのでしょうか。

実は今ここデトロイトで、「吾亦紅」と言う曲を聞いています。 この曲が紹介される前にこの表現を知っていた人は日本人でどの位いたでしょうか。 この漢字、読める人はどの位いるでしょう。 (われもこう、と読みます) 今月が終わるまでにこの表現を知るようになった人は、youtubeを見た人の数だけを見ても200,000人以上いる事になります。 

日本語でも英語でも「絶対に言わなかった」と言う表現が毎日のように使われるようになっているのですね。 もちろん、誰かが始めなくてはならない事で、そして定着しなくては一般的表現とはならないでしょう。 しかし、いつまでも、「ありえない」「正しくない」と言っていては、言葉を使えなくなってしまいますね。

表現は死んでいくのもありますし行き続けるものもあるのです。 このGlobal Englishと言うものの存在ですら知らない人もいるわけです。

ucokさんのおっしゃる事に100%同意します。 英語を言葉の一つだと言う事を認識しないで自分の知っているものだけを「正しい」とし、知らないことを「正しくない」と言い、しかも一般的に使われていない表現を「正しい」といっている人こそ「あってはならない」のです。

エレベーターの事をliftと言うのはアメリカでは使いません。 しかし、間違っているのではないのです。 単に「使われていないから相手には分かってもらえない、だから使わない」なのです。

イギリスの英語にあれだけの「訛り」があっても誰も英語を知っている人は間違いだとは言いませんね。 そういう風に言うんだ、と言うだけのことなのです。 

英語の知識とは「幅」を知り、その幅を広げる事が実は英語力ともいえるわけです。 アメリカ人がアメリカ英語だけが正しいんだと言う「馬鹿」がいれば、その人の英語力がそれだけ低いと言うことに過ぎないのですね。

東北弁を見下げているのに関西弁はOKとする人がいるのはおかしい事ではないでしょうか。 そして、東京弁だけが正しいと言う事は決してないでしょう。 出張で日本に行き関西から帰ってくると私の「標準語」は東京人から見たらかなり乱れていると言います。 大阪の人たちから見れば東京弁は「なまっている」のです。 だからと言っておかしいと言うことでは決してないでしょう。

文法学者さんの文法的ではあるが意味が通らない英文の方が「使ってはいけない」と言えるのです。

『いたいけな子供たちに「絶対、正しくないわよ」とは教えたくはないのです。「試験じゃバツになっちゃうわねえ」程度でいいと思うのです。』、「微笑ましく見守っていても、やがて正しい言葉を覚えます。」なのです。

日本人ですら、学校を卒業し社会人になれば「社会人」としての表現を覚えていくのですね。 

子供「うそを言っちゃいけないよ」と教えて、そしていつか「社会に生きていくにはマナーがありお世辞もあり本当の事を言わない方がいい」と言う風に教え子供は大きくなっていくのですね。 

一二年たったら絶対に言わない「おいしいでちゅ」でも幼児であればいいのです。 そして、いい大人が親になって幼児に「おいしいでチュか?」と堂々と言うのですね。 誰も批判はしないですね。

お子さんはoneteenが一般的に使われる表現ではない、と言うことを必要であれば頭の隅にいれておいてあげればいいのです。

ではまたの機会にお会いしましょうね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
言語に幅があること、進化し、退化することはごもっともだと思います。成長するに従って適応力を身につけていくこともその通りだと思います。
中学生になったら、日本の文部科学省が採用した教科書を「標準」として使用し、これに基づいた英語で受験しなければならないということを考えると、いくら教科書や学校の教え方に問題があるといっても、従わなければならないわけですから(少数の、私立や海外で教育を受けさせられる層は別として)、現実とのギャップをうめるためには、家庭でいかに子供と話しをするかが大切かと思います。

お礼日時:2008/02/28 14:54

#1ですがお礼を拝見しました。



>しかし、先生も、小学校の講師に採用されるときに、試験があるはずなので、標準英語を話すと思うのですが。

「試験があるはずなので、標準英語を話すと思う」というのが、そもそも私は疑問なのです。まず、その授業が「標準的な英語」を要求しているものなのかどうかが怪しいからです。

例えば我が市の公立小学校には、10年以上も前から「使う言語は英語を原則にして、さまざまな国の文化について学ぶ」というコンセプトの授業があり、世界各国から来た講師が母国について教えてくれていますが、皆さん、英語はかなりいい加減です。それでも授業中は、日本人の担任も片言の英語で生徒たちに語りかけ、「外国語で外国人とふれあう」ことを体験させます。

小学校に英語の授業を取り入れるのに際して、さまざまな世論や議論が湧き起こりましたが、「正確さ」よりも「英語に親しむ」ことを重視する方向に落ち着いたと解釈しています。なので、学校側も、「親しませる程度に英語を話せる人」という条件で講師を採用しているのかもしれません。前置きが長くなりましたが、そのあたりは、学校側にポリシーを確認したうえで、今後の授業のあり方について、ますます活発な意見が交わされればいいと思います。

>twoteenという言い方は、今度は私自身が気になってしまい、疑問を氷解させたい気持ちが続いています・・・

これも学校を通じて講師に確認すれば、疑問は氷解できますよね。ただ、申しましたように、世界では一般的に通用しませんし、ネット検索しても「12」という意味でまじめに使われている様子はありません(ヒットしたのは、わざと間違えて使っている例ばかりです)。でも、世の中には不思議な方言がたくさんあるわけで、ひょっとしたら「twoteen」という言い方が通用する村などがあるのかもしれません。

そういうことを考えると、私としては、いたいけな子供たちに「絶対、正しくないわよ」とは教えたくはないのです。「試験じゃバツになっちゃうわねえ」程度でいいと思うのです。言葉を覚えたての2歳児が「蚊に刺された」を「カニにさされた」と言ったからと、必ず訂正させる必要があるでしょうか。訂正させる人もいるでしょうが、微笑ましく見守っていても、やがて正しい言葉を覚えます。英語を始めたばかりの児童にも、同じように接したいと私は考えています。その点は既にご理解いただいていると思いますが、くどくなって失礼いたしました。^^;;
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この回答へのお礼

再度お答えいただきましてありがとうございます。
公立小学校で、世界各地からの講師が母国について話しをするということは初めて知り、参考になりました。教科書の英語と世界のあらゆる地域で話されている英語の区別をするという教え方はごもっともだと思います。質問を読んでいただければわかるように、「スタンダードな(教科書に採用されているような、の意)」言い方ではない、という言い方はしますが、「正しくない」という教え方は私も絶対にしません。
「これも学校を通じて講師に確認すれば、疑問は氷解できますよね。」
というコメントですが、実は新しい進展がありました。
昨日、いえに遊びに来た子供のクラスメイト数人にこの件に関して質問したところ、「12はtwoteenだと英語の先生はいった」と全員口をそろえていうので、おそらく講師はそういったのだと思います。その講師は派遣で一回限りの先生だそうで、担任にお願いして、コンタクトをとってもらい、英語講師の回答が得られたとしても、彼女は堂々と教室でこのように教えているのですから「何が問題?」と答えられてしまう可能性はあります。こちらの受け取り方の問題ですね。

お礼日時:2008/02/28 14:45

なんかの勘違いではないですか?お子様の。



知り合いのフィリピン人はこんな言い方はしません。

少なくとも英語の授業で教える立場の講師は標準とされる英語を教えなくては本末転倒ですから。

なので、自信をもってそれは聞き間違いであり、正しいことを伝えるべきでしょう。

万が一、そのような表現が限られた地域で実際に使われていたとしても、それはもっと成長して違いを理解できるときに説明するべきかと。

twoteenの間違いのレベルは極めて高く、例えばoftenの発音が二つ使われているような違いとは全く次元が違うものですので、くれぐれも軸がぶれないようにお子様にお話されることをお勧めします。

基本を間違って覚えると後での修正がややこしくなるので。
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この回答へのお礼

お答えいただきまして、ありがとうございます。我が子もいずれは英語を入試を受けることになるので、その前提となる教科書英語をマスターさせなければならないかと思うと、確かにもっともなお答えかと思います。
Global Englishというのは、ある地域での、いってみれば「方言」の集成のようなものだと理解しましたので、マイノリティには違いないですが、twoteenという言い方はどこかに存在する可能性もあるわけですから、これを機に「標準」という概念と、「多様性」についても家族の話題にしていきたいと思います。

お礼日時:2008/02/28 14:23

アメリカに住んで40年目になりました。

 私なりに書いてみますね。

確かに聞き間違えたと言う可能性はあると思います。 oneteen, twoteenとなりそうだけど英語ではそうならないとは言わずに、、、、、と言ったけど、と言う感じですね。

しかし、#2さんもおっしゃっているGlobal Englishに関しての事だったのかもしれませんね。 私ものこの表現をする動きがあった・あることは知っています。 また、先生の日本語の表現がはっきりしたものではなかったのかもしれませんしね。

いろいろな国で、いろいろな社会や業界でそれなりの表現方法をしてその社会だけで通じる文法(社会文法)と言うものがあるわけですから、自分の知っている文法や表現方法とは違う、その表現方法を知らない、と言うだけで「ダメです」「正しくないです」「正式には」「間違っています」などと言う事はそれ事知識が浅いと言うことに過ぎないと言うことを知っておいてください。

このGlobal Englishが世界中で何らかの理由で広まり普通になれば、oneteen, twoteen, fiveteenと言ってもおかしくないと感じるようになるかもしれないのですね。

全然と言う日本語の表現がそうでしたね。 昭和(平成?)にこれが肯定文にも使う人が出てきたときには「間違っている!!」といった人が非常に多かったですね。 でも今はどうでしょう。 自分はそのようには使わないにしろ、それを使っている人に対して何も言わないですね。 言葉とはそういうものなのです。 

ですから、学校で教えてくれる試験のためだけの英語文法と同じく、使われない文法があってもおかしくないと思いますよ。 ただそれが「一般的に正しい」「一般的に使われている」と教えるのであれば、それは大きな問題だと思います。

ちょうど自称文法学者さんたちが専門用語立て続きに使って英語文法を説明できても英作文をすると、とんでもない、回りくどい、何を言っているのか分からない、誤解を起こす、相手の気分を壊す、教える立場の人としてはみっともない表現を「一般的に使われている」と平然として教えようとするよりはいいのではないでしょうか。 これからも文法中心の授業にぶつかることがあるわけですから、このようなことを思い出してもらって先生の言っている事を鵜呑みにしないでgerard55さんに確かめるようにする事もできると思います。 

少なくともお子さんに「興味を持たせた」わけですよね。 英語について一緒に話せる機会が作れたわけです。 eleven, twelve, thirteenそしてfifteenと言う表現を教えてあげるいい機会となったのではないでしょうか。

子供さんには一応、そういう言い方をする英語が非常にマイナーだけど存在するけど覚えなくてはならない表現ではないよ、誰にでも分かる一般的な表現はeleven, twelve, thirteen, fifteenだよと教えればいいですね。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
そもそも最初の質問は、我が子によると、フィリピン人の英語の先生は「11はeleven、12はtwoteen、13はthirteen(以下は辞書の英語と同じ)といった」そうなので、12だけ、こういう言い方もするものかと疑問に思ったのです。
「このGlobal Englishが世界中で何らかの理由で広まり普通になれば、oneteen, twoteen, fiveteenと言ってもおかしくないと感じるようになるかもしれないのですね。」
その通りだと思います。子供は日常にあふれている英語(時に和製英語)に興味を持ち出しましたし、家族の話題にもなっていますので、その意味で今回のことはいい機会になりました。

お礼日時:2008/02/28 14:15

いろいろな地域で話される英語を許容しようとWorld EnglishesとかGlobal Englishesと呼ぶ方向がありますが、oneteen/twoteenもGlobal Englishesの一つのようです。

植民地化された地域などで「ピジン英語」と(蔑まれて)呼ばれてきた変種の英語ですが、現在の社会言語学では、言語の一種として認めていこうという考えが支持されています。米語も英語も地域によって変種があるので、アジアの変種だけを間違いと呼ぶのはおかしいと思いますが、多くの英語母語話者が、「なまっている」「間違っている」と指摘し続けてきているのも事実です。

もし、Twelveに訂正されたいのならば、いろいろな種類の英語があって間違いじゃないけれど、世界的にみるとtwelveと言う人の数が多い、という程度でいいのではないでしょうか。小4にもなると、すべてが「正しいかどうか」で割り切れないということが分かってくるようです。
小学校でボランティアで英語を3年間教えてきましたが、長いお休みが入るとたいていの子供が忘れてしまっているので、あまり気にしなくてもいいと思いますが、英語はいろいろな人々とのコミュニケーションツールだということをお話しするいいきっかけになるかもしれません。他の言語や文化にも興味を持ってくれるとうれしいですね。

参考URL:http://moriartys.com/te/GloblecEE/
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この回答へのお礼

World Englishes(Global Englishes)という存在を知り、たいへん勉強になりました。社会言語学の歴史的認識の知識とご自分の体験をふまえてお答えいただき、ありがとうございます。英語の多様性を教えるという方向で子供に話しをすればいいということもよくわかりました。

お礼日時:2008/02/28 13:55

私は初耳です。

面白そうなので検索してみましたが、それらしい言い方が通用しているという気配もありません。ちなみに、受験で使ったらアウトです。

でもね、そんなことは考えるだけ馬鹿馬鹿しいですよ。小学3年生といえば、「英語はおもしろい!」ということさえ学べばじゅうぶん。むしろ、小難しいことを考えさせたら逆効果。

私なら、「へえ、私は初耳。辞書にも載ってないのにね。そういう言い方もあるのかなあ。いろんな人に聞いてみたら?」、これで終わりですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
たしかに小学校での英語教育って、日本語以外の言葉があるんだよっていうことを体験させるというのが趣旨だと思いますので、ucokさんのおっしゃる通り、あまりこだわらない方がいいのかもしれませんね。しかし、先生も、小学校の講師に採用されるときに、試験があるはずなので、標準英語を話すと思うのですが。
twoteenという言い方は、今度は私自身が気になってしまい、疑問を氷解させたい気持ちが続いています・・・

お礼日時:2008/02/27 00:14

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