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お世話になります。

確か、昔の日本人の武術には回し蹴りが存在しなかった
と記憶しているのですが、
日本人格闘家が一般的にムエタイの様な回し蹴りを
使う様になったのはどの時点からなのでしょうか?

例えば現在は極真空手が空手では一番メジャーかと思いますが、
数十年前までは存在せず、昔ながらの琉球空手や(古流)柔術等では
ヒザを抱え込んでから
まっすぐ伸ばして足の裏で突くタイプの蹴りという
印象が強いです。
骨法ではスネをぶつける回し蹴りがあったらしいのですが、
昔は一子相伝だったはずで、一般的な格闘家の技とは
言い難いと思います。

そんなに詳しくもない私ですが、
数十年前、日本人対ムエタイの抗争の構図が出来て、
キックボクシングが誕生した頃、
藤原 敏男さんが活躍したという様な時代から始まった
技術革新なのではないか…なんて個人的には
思うのですが…?

A 回答 (7件)

こんにちは。


多分、おっしゃるようにムエタイが広まった頃じゃないでしょうか。

日本の古流武術では、柔術は元々甲冑を着用した状態を想定しています。
甲冑を着ると動作が重くなるのと、強打してもあまり効果がないので、有効な点をピンポイントで攻撃するか、関節を固めて動けなくしてしまう方が勝ります。
江戸時代になり、甲冑を着なくなっても、古流は対日本刀を中心に発展しましたので、回し蹴りは動作が大きく剣術で見切る目を供えた相手には非常に不利なのと、和服では大きく足を広げるのが結構厄介ですので、使いにくかったと思います。
#袴ならまだいいけど、着流しでは裾が足に絡まってしまいます。

なので、少なくとも明治中期頃までは使う人はまずいなかったでしょう。
一部の流派で技としては存在していた可能性はあると思いますが、使いにくかったと思います。
洋装が定着して、日本刀も無くなってから、となると戦後でしょうね。
それから、骨法は今伝わってるのは1派だけみたいですが、昔は真田骨法を始め、xx流骨指術とか結構あったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、甲冑や和服による制限ですかー!
そういう、文化的背景による要因があるとは考えた事がありませんでした。
ムエタイも元々戦争がらみで発展した(捕虜になった国王がムエタイを駆使して脱出したとかいう逸話があったはず)ようですが、タイは薄着だから回し蹴りも使えたんでしょうね…でもタイにも刀みたいな武器はあったはず…うーん。

お礼日時:2008/03/08 00:04

ちなみに中世ドイツの騎士格闘術に体術もあるのですがへそ以上の高い蹴りはありませんでしたし、蹴りかたも足の裏で踏みつけるようなものでした。

これは相手も自分も甲冑を着ているため、ハイキックができないことと体の重心あたりを押し倒すことでグラウンドダウンさせるのが目的でした。鎧相手でキックはダメージを与えることができなかったからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、武器を持たずに闘うという発想自体が、
つまりはそこまで殺し合いというほど命懸けの戦いというのは、
昔じゃないとありえませんね。
十分な殺傷能力の攻撃方法を持っている戦いならば、
蹴りというのはその為のつなぎでさえあれば良い…
蹴りによって勝敗を決める必要が無い。

回し蹴りというのは、割とスポーツよりな発想なのかも?
思っていたよりも(普及という意味で)近代的な技術だったみたいです。
それにしては、何の予備知識も無い子供でも、
友達とかを蹴る時は自然と回し蹴りを出すんですよね…。

日本刀ほどの切れ味は無いとされる西洋剣の戦闘ですが、
動画を見る限りスピーディーで、スリリングですね。

*
厳密な考証とかを知る事が目的で皆さんに質問させて頂いた訳では
ありませんが、色々と幻想や見聞が広がったので
非常に有意義でした。

お礼日時:2008/03/14 00:27

No2の方の回答で西洋剣は動きが遅く、ぶつけると折れるとありますが、相当にスピードは早いです。

また、剣は相手の剣と刃を当ててからたような業があるのが日本刀とは違います。
ちなみに水平の切りをスピードをすてず、そのまま一回転してきりつけることがありますが、このときは回転方向に頭を向けるその反動で体を回転させます。これはまわし蹴りとおなじです。回し切りは文献の中に残されているものは確認していませんが、前後のさまざまな構えや業、あるいは私自身の経験から、回し切りはあったと確信しています。

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>空手の発祥は沖縄であり、中国でも朝鮮半島でもありません。


>琉球空手といわれる所以です。

本来ここは回し蹴りについて書くところですが、NO.4にて指摘がありましたので説明します。空手(唐手)の発祥は確かに沖縄(琉球)ですが、更に起源を訊ねると中国の北京や福建省に辿り着きます。首里手の祖佐久川寛賀は北京に何度も渡って拳法と棒を修行しています。松涛館の型に左手を握り、それを右手で包む動作がありますが、これは「明」をあらわし、福建省で行われた拳法によく見られる特徴です。また那覇手の東恩納寛量先生、剛柔流の宮城長順先生、上地流の上地完文先生は戦前福建省に渡り実際に拳法を修行しています。剛柔流、上地流の三戦は福建省の白鶴拳、詠春拳などに見られる立ち方、歩法です。(福建では八歩連といいます。)

ヌンチャク、トンファーを福建省ではそれぞれヌンチャクゥン、トンクワーと呼びます。中国北方にもヌンチャクと同じ武器がありますが、シャオッコン、シャンチェコンなどと発音します。ですからヌンチャクは福建省から伝えられたと考えていいと思います。また剛柔流の鍛錬具であるチーシ、サーシもそのまま同じものが福建省にあり発音も似ています。ちなみに漢字では力石、鎖石と書きます。琉球は特に福建省の福州と交易が盛んでした。

三戦(サンチン)、一百〇八(イーパイリンパー)など型の名称は中国語ですし、クーシャンクー、ワンシューも中国人の名前から採ったと言い伝えられています。源流はやはり中国なのです。

>真剣白刃取り等という技があり、カラテキッズの映画に出てくる日本人俳優が飛んでくる矢を素手でつかむのを披露しますが、あれも実在です。

空手家が行う真剣白刃取りはそもそも極真がはじめ広めましたが、剣と対するのはどうするかという大山先生の発案と高弟たちの演武会での試みから生まれたものです。そしてその大元は柳生の無刀取り、塚原ト伝、武田物外などの日本武術家の逸話の影響があったと考えられます。また大山先生は大東流、合気道も修行されていました。日本の古流武術では真剣白刃取り、無刀取りは技として存在しています。弓矢取りも極真時代の中村忠先生が大山先生の初期の著書の中で披露しています。(英語版でも写真で紹介されていたと記憶しています)

もし琉球で真剣白刃取り、弓矢取りが行われていたのなら、なんという系統の唐手のどの先生がやっていたのか教えていただきたいものです。実際に空手を修行してみればわかりますが、元々空手(唐手)とは棒術から発展したものです。前屈立ちは棒で突いた時の立ち方ですし、上段受け、下段払いも本来はトンファーやサイを持って相手の打ってきた棒を受けるためのものです。もし琉球で対日本刀のために拳法が発達したのなら、なぜ現代に日本刀に対する系統だった技が伝わってないのでしょうか?沖縄では中国刀に似た二刀を使うことはありますが、対日本刀での練習はほとんど伝えられていません。日本刀に対する技が発達したのはやはり日本武術、柔術なのです。

ちなみにですが、空手の約束組手も日本の柔術の二人形を元に作り出されたものであり、自由組手も本土で発展しました。大学空手道部や、実際に当てあって組手を行っていた極真会の努力があって確立したのです。それを今沖縄の人たちが真似しています。琉球ではそもそも基本と型の練磨が主であり、約束組手、自由組手の練習方法が発達していませんでした。これも当時の中国拳法の修行の方法と一致しています。

>空手が恐れられたのは、空手は元々、戦国後期~江戸時代に対日本刀用の徒手の戦術として作られたからです。

これも間違っています。江戸時代の日本人からすれば、琉球は遠い島国であり、一部の藩以外交流はほとんどありませんでした。蝦夷と呼ばれた北海道もそうです。ですからほとんどの本土の者にとって琉球や唐手は遠い世界の話だったことでしょう。ですから唐手がどのようなものだったか、江戸時代の本土の者が知れるはずがありません。遠い世界の話で、しかも実体のわからないものをどうやって怖がれるのでしょう?

私が言いたかったのは昔から日本人は殴る蹴るというのが本質的に嫌いだったということです。相撲も本来殴る蹴るの技がありましたが危険だということで奈良時代に禁止されて今のような形になりました。日本の柔術では突きや蹴りは仮当てであることが多く、攻撃を一時的に止めるためのもので、最後は組んで投げたり関節技で動けなくする技術のほうが発達したのです。

これとは逆で中国では突き蹴りの殺傷の技術が発達しました。国民性の違いです。大正期に船越義珍先生が技を本土で公開された時から、そして戦中戦後を経て昭和40年代初頭まで空手は危険視され、映画や小説の中でも空手家は常に悪役として描かれました。現代においても空手は他武道に比べて暴力的に見られる時があります。私はこうした国民性を言いたかったのです。

>その由来は、琉球王朝は薩摩藩(島津氏)により支配された事に発します。
>その際、刀狩が行われ、現地では武器を一切取り上げられたのです。
>薩摩藩の日本人武士?の圧制や暴行から身を守る為に作られたのが空手です。
>武士は通常、刀を携行してるので、空手は対日本刀に特化しました。
>薩摩は示現流(自顕流)の鋭い一刀の切り込みで有名ですので、見切りの目はかなりの物だったでしょう。

確かに島津の禁武政策のため唐手が発達した歴史的背景がありますが、まったく琉球で武器が禁止されていたわけではないのです。拳と棒で知られた首里手の松村宗棍は琉球から薩摩に留学、示現流を修行し免許まで得ているのです。なぜ唐手を知っている琉球の者に薩摩の剣を教え免許まで与えるのでしょう?そんなに敵対していたのなら、なぜ敵側に自分たちの剣の理法、手の内を教えたのでしょう?禁武政策について巷間伝えられているものには誤りもあります。

また琉球では組相撲もありましたし古武術も伝えられていました。サイや鎌、棒、ヌンチャク、トンファーなどはなぜ取り上げられなかったのでしょうか?なぜ唐手の修行自体が禁じられなかったのでしょうか?琉球では唐手家はちょっとした名士として知られた存在でした。そもそも琉球で唐手が行われたのは島津の禁武政策だけでなく元々文化的に中国寄りだったこと、中国との交易が盛んで人の交流があったことのほうが大きいと思います。中国から逃れて琉球に住み着いた中国人も昔は多かったのです。

最後に、、、「琉球空手」ではなく、「琉球唐手」もしくは「琉球拳法」です。また「カラテキッズ」ではなく「カラテキッド(もしくはベストキッド)」です。実際に自分で修行されたり、もう少し基本的な知識を学ばれてから書かれたほうがいいでしょう。
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No3 様にちょっとだけ補足すると、空手が恐れられたのは、空手は元々、戦国後期~江戸時代に対日本刀用の徒手の戦術として作られたからです。


真剣白刃取り等という技があり、カラテキッズの映画に出てくる日本人俳優が飛んでくる矢を素手でつかむのを披露しますが、あれも実在です。
日本刀の早い振りを見極め、その隙を突いて徒手空拳で戦う武技が空手でした。当然本土では恐れられます。

空手の発祥は沖縄であり、中国でも朝鮮半島でもありません。
琉球空手といわれる所以です。

その由来は、琉球王朝は薩摩藩(島津氏)により支配された事に発します。
その際、刀狩が行われ、現地では武器を一切取り上げられたのです。
その為、薩摩藩の日本人武士?の圧制や暴行から身を守る為に作られたのが空手です。
武士は通常、刀を携行してるので、空手は対日本刀に特化しました。
薩摩は示現流(自顕流)の鋭い一刀の切り込みで有名ですので、見切りの目はかなりの物だったでしょう。
大ぶりになる上に大回転をやらかす回し蹴りは「斬りこんでください」といわんばかりの不利になるので、おそらく使おうとは考えなかったと思います。
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今よく行われているキックに似た背足やすねで蹴る回し蹴りは、昭和39年に大山道場(極真空手)とムエタイが試合をした前後に導入されたと思われます。



キックの生みの親とも言える野口修氏がタイ人を日本に連れてきた、タイ人はボクシングジムや大山道場に来たことがある、タイ人が大山道場でサンドバッグを蹴った時のフォームに驚いた、という証言があります。(タイ人と実際に試合をした誠道塾の中村忠先生、新空手の神永先生の証言。両先生とも大山道場出身)

野口修氏はムエタイの実力に驚き、国内のいろんな空手道場にムエタイとの試合を持ちかけましたが、いずれも拒絶され唯一引き受けたのが大山道場だったのです。大山道場からは、黒崎健時先生、中村忠先生、大沢昇先生の三人がタイに渡り試合をしました。結果は2-1で大山道場が勝ちました。

大山倍達先生の著書には、昔は前蹴りと横蹴りしかなかった、しかも帯以上、へそ以上の高さを蹴ると邪道といわれたそうです。ですが大山道場では中足による回し蹴りは行われていたようですし、沖縄出身で首里手、那覇手をともに修行された先生の著書(昭和42,43年)にも回し蹴りが紹介されています。ただ狙うのは脇腹とされ同じく中足での蹴りです。回し蹴りは今日では蹴りの花形とも言える代表的な技ですが、昔は前蹴りや急所蹴りが主であり、回し蹴りは変形技といった捉え方だったのかもしれません。型には今日のようなフォームの回し蹴りはありませんが、沖縄では型になくても他にさまざまな蹴りを修行したようです。(蹴上げ、関節蹴り、後ろ蹴り、二段蹴り、三角跳びなど)

ちなみにもともと本土では突いたり蹴ったりすること自体が大変危険視されていて、本土に唐手(空手)が紹介された時、唐手(空手)をやる者を警察に登録するようにという訴えが柔道家から出たくらいでした。それくらい本土の人間にとって突き蹴りに対する拒絶感情がすごかったんです。江戸時代までは神前や藩主の前で演武する際、高い蹴りはとても失礼なこととされていました。ましてや蹴りで頭を蹴ることは大変無礼なことでした。江戸時代にいろんな中国武術が導入されたと思われますが、しかしやはり日本的なもの、「柔(やわら)」に作り変えられています。ですから骨法が上段回し蹴りを一子相伝で伝えているという説にはすいませんが疑問を感じます。流派は互いに影響し合い、そして必ず枝分かれするものです。骨法と似たような技を持つ派が昔無かったところを見ると残念ながら信憑性に欠けると思います。

極真で最初に背足の上段回し蹴り(ハイキック)、背足やすねの下段回し蹴り(ローキック)をやったのは芦原英幸先生だと一説では言われていますが、添野義二先生のインタヴューによると、その芦原先生に蹴りを教えたのはタイで試合をした大沢昇先生だそうです。また芦原先生は黒崎先生の影響を強く受けたそうですから、やはり実際にタイに行った極真の人たち主導ではじまったのは間違いないと思います。

後ろ回し蹴りは、極真の初期の大会に出たテコンドーの選手の影響で大石代悟先生たちが修行研究を重ねたこと、加えて大山茂先生がアメリカで見たテコンドーの技術が元になっています。昔邪道視した他流派も今や極真のまねをして前蹴り、上段回し蹴りや後ろ回し蹴りなどの高い蹴りを出しています。

黒崎先生は目白ジムを興し打倒ムエタイを目指します。そして藤原敏男さんを育て上げ、昭和52年タイのチャンピオンを倒すことに成功、翌年にはタイのタイトルを獲得しています。キックの創生期に極真の果たした役割は大きいと言えると思います。

ムエタイの発祥の歴史についてはいろんな説があります。中国武術、フランスのサバット、ビルマ拳法に影響を受けている等、、、手技は明らかにボクシングからですが、足技については他国からの影響だけでなく国民性もあると思います。手に武器を持ちながら時に足で勇敢に戦ったということもあったそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはりキック誕生、いや、その直前の時期みたいですね。
具体的に教えて頂き、解り易いです。
なんにしても、極真あり、って感じで、さすが!と思います。
大山道場からは三人がタイに渡り試合をし、2-1で勝ち越した、
というのは凄いです。
私見ですが、「ムエタイのここ数十年の変化」よりは「日本格闘技界のここ数十年の変化」の方が大きいと思っており、
それでも完全なアウェイ、事前に研究した訳でもない空手家達が勝ち越したという事実は興味深いです。

高い蹴りはとても失礼な事とされていた…、という文化的背景も、
勝利至上主義の今日では考えられませんね。
昔は礼儀を重んじ過ぎ、でも、近年は軽んじ過ぎ…というところでしょうか。空手家を名乗る選手が、相手をKOしてガッツポーズするなんて、以前は有り得なかったのではないでしょうか。
思想というのも絡んでくるものなんですね。

確かに極真で中足による回し蹴りはあったようですね。
盧山初雄先生の三日月蹴りが有名だったとか。
ミドルキックは近代的、大山道場の回し蹴りは神秘的な感じがします。

非常に面白いです。

お礼日時:2008/03/09 15:03

またお邪魔します。


これは私はムエタイとやった事ないので、完全に想像の範疇を出ませんが。

もし、私が刀を持っていて回し蹴りを受けたとしたらとっさに刀で防ぐでしょう。
中・下段なら柄が上に来るようにして歯を外側に、上段なら普通に横面を受けるように(剣道でも切り返しという基本稽古があります)で受ければ、確実に相手の足は切断されてしまいます。

この受け方は日本の剣術ではごく普通のものだと思います。
こういう受け方をするのは、日本刀が細くて軽いからです。

#ちなみに外国の刀は太くて重く、まさに「叩き斬る」という表現がふさわしい刀法になるので、こういう受け方をすると弾き飛ばされるか刀が折れてしまうでしょう。

こういう受け方が得意なので、避けることをあまりせず、相手の動きは見やすいと思います。
不意打ちでなければ、刀の斬り込みを見れる人なら足を振り回した動きならゆっくり見れるはずです。
そういうレベルの人であれば回し蹴りを見たら前に踏み込むと思います。
そうなると相手は何もできません。
こういう状態を日本の古流では嫌ったのではないかと思います。

外国の大きい叩きつけるタイプの刀では振る早さも回し蹴りの方が早いのではないでしょうか。
つまり見切る目の問題ではないかと思います。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

なるほど、日本刀ほどの切れ味があるからこそ、回し蹴りでは不利となるのですね。
スネを鍛えたり、脛当て等で頑丈にしていれば、外国の刀なら折れてしまう危険性が
ある…そういう事も理由となりますね。

回し蹴りの普及の理由一つ取ってみても、色々な原因が絡んでいて
興味深いですね。

お礼日時:2008/03/09 15:11

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