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こんにちは。国語か文学か迷ったのですが、長塚節さんの短歌についてということで、こちらで質問させていただきました。

快き夏來にけりといふが如まともに向ける矢車の花

という句の「まともに向ける」の部分が擬人法なのだそうですが、意味がわからないのでなぜ擬人法になるのかもわかりません。
どなたか意味を教えてください。

A 回答 (2件)

まるで「気持ちの良い夏が到来したなあ」とでも言うかのように、真正面を向いて堂々と咲いている矢車菊の花



という句意です。
「真正面を向いて」の「真正面」が何に対しての真正面かは解釈によると思います。
太陽に対してかもしれないし、作者自身に対してかもしれません。
ただ、この表現が、あたかも矢車菊自身に意志があって、敢えて真正面を向いて咲こうとしているかのように言いなしているところが、「人でないものの動作を人の動作のようにたとえる」という擬人法の修辞技法に当たる、ということではないでしょうか。

擬人法といえば、「いふが如」の箇所ではないかなと、最初、思いかけましたが、これは、「ごと(く)」が明確に直喩を表しているので、ここを擬人法と取るのはやはり不自然ですよね。
「快き夏来にけりといひて」だったら、確かに擬人法ですがね。

「まともに向ける」を擬人法とするのも、かなり強引な解釈だとは思いますが、強いて言えば、上記のようなことだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど!「まとも」は「真正面」と取るのですね。
大変わかりやすく、疑問も一気に解決しました。
ありがとうございました!

お礼日時:2008/03/13 23:52

太陽が笑っている。

とおなじです。
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この回答へのお礼

同じというのは、擬人法を使っているという意味で、でしょうか?
私が伺いたかったのは、上記の短歌のどこが擬人法と言えるのかです。
できればそこをお答えいただきたかったのですが…。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/13 23:49

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