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太平洋戦争中、ソ連が日本に参戦してきたことがきっかけとなり敗戦受諾が決まったのでしょうか?
それとも敗戦受諾が決定していたあとにソ連参戦が決まったのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

三番さんのご回答が正しいと思います。


日本は和平工作をソ連を通じて行おうとしたがのらりくらりとはぐらかされているうちにソ連が攻め込んできた。原爆二発の上にソ連の参戦。これで日本は無条件降伏受諾を余儀なくされました。
ただ、三番さんの「ソ連の参戦はだれが見ても明らか」はどうかと思います。「参戦の可能性はあった」程度でしょう。ソ連はナチスドイツに国土を侵略され疲弊し、もう極東に戦力はまわせないだろうし、日本との中立条約は守られると信じていました。だからこそ和平の仲介を頼んだのです。
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日ソ中立条約があるからソ連は中立だと思い込んでいた日本政府は、ソ連の仲介により連合国との停戦を実現しようと外交的に努力していましたので、ソ連の対日参戦で最後の希望を砕かれ、敗戦受諾が決まりました。


ソ連が参戦するのは、誰が見ても明らかな状況だったのですが、なぜ日本政府がそうしたかは、かなり理解に苦しみます。
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ソ連の対日宣戦布告は8月8日で、日本のポツダム宣言の受諾は8月15日ですので、ソ連の参戦のほうが先です。

満州国進行開始は8月8日からで、樺太占領開始は8月9日からになります。
ただし、そのときには8月6日、9日のアメリカによる原爆投下があり、8月10日には全世界にポツダム宣言の受諾を通告しております。
たぶん、ソ連の参戦は日本政府の降伏方針には大きな影響は無かったと思います。
アメリカはソ連参戦前に日本を降伏させようと焦っていたとは思います。
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ソ連の参戦は1945年2月のヤルタ会談ですでにほぼ決められてました。


ドイツが降伏したのが5月。
それ以降も日本は強硬派が本土決戦を唱えてましたので敗戦とは直接関係はないでしょう。
ただソ連の参戦は広島の原爆の直後ですので、アメリカにすべての利権を取られないように日本がポツダム宣言を受諾する前に参戦した、と考えるのが自然だと思います。
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