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例えば腕を動かそうとすれば自由に動かせます。
「動かそうと思ったから動いた」の正体をたどっていくと、筋肉が腕を動かしているからです。でも自分では筋肉を動かそうと思って腕を動かしているわけではありません。

さらに元をたどると筋肉が動くのは脳内の電気信号が「腕を動かす」指令を出しているからだそうです。
でも自分では意識的に脳内で「腕を動かす」電気信号を発信させようと思って腕を動かしているわけではありません。
となると、なぜ腕は動くのでしょうか?

頭の中で腕を動かそうとおもった時点で電気信号が発信されるのだとしたら、「腕を動かそうと思うこと」と思うための電気信号はどこから発信されたのかとか、普段動かそうと思ったから動く体が実は電気信号で動かされているのなら人間と機械の違いってなんだろうとか考えてしまいます。
最後のほう少し哲学じみた話になっちゃいましたが、つまるところ、どうして思い通りに体は動かせるのでしょうか?

A 回答 (3件)

こんにちは。



>でも自分では筋肉を動かそうと思って腕を動かしているわけではありません。

「筋肉を動かせ!」という命令を出しているのは「一次運動野」というところです。
「一次運動野」は大脳皮質・運動野の最も外側に当たり、自分の意志で筋肉を動かすための運動神経といいますのは全てここに繋がっています。ですから、全身の筋肉に繋がっているのですから、そこに信号を送れば特定の筋肉を特定の向きで動かすことができます。

>でも自分では意識的に脳内で「腕を動かす」電気信号を発信させようと思って腕を動かしているわけではありません。

そうですね、
我々が自分の意志で身体を動かすときには何らかの目的があるわけですから、そのためには、どの筋肉をどのような手順で動かすのかといったことは何処かが別に指示を出してやらなければなりません。
この「運動命令の伝達機関」である一次運動野に対してこのような目的に応じた指示を行っているのは、
「運動前野」
「補足運動野」
「帯状回運動野」
といったより高次な運動野です。
このような、身体と直接繋がっている一次運動野以外の運動野を纏めて「運動連合野」と呼ぶことがありますが、それぞれの細かい働きといったものは説明を省かせて頂き、ここでは主に「運動プログラム」の作成が行われるということでご理解下さい。ここでプログラムが作成されることにより、一次運動野がどの運動神経にどのような順序で命令を出すのかが決定されます。そして、このプログラムは我々が「身体を動かそうと思うこと」によって作成されます。

>頭の中で腕を動かそうとおもった時点で電気信号が発信されるのだとしたら、「腕を動かそうと思うこと」と思うための電気信号はどこから発信されたのかとか、

「腕を動かそうと思う」というのは、我々が腕を動かす「目的」を考えたり、腕がどのようになれば良いのかといった「結果」をイメージするということです。そして、このように「目的」や「結果」の自覚されているものは全て「思考」に当たり、それは運動連合野ではなく、大脳皮質の「認知連合野(正式な用語ではありません)」で行なわれることです。では、我々が「そう思うための信号」、即ち「思考の切っ掛け」とは何かといいますと、それは「認知連合野に対する入力」です。
認知連合野といいますのは様々な入力情報に対してそれぞれの認知作業を受け持つ大脳皮質の「各機能連合野」であり、ここに入力される情報といいますのは、
「感覚器官からの外部情報」と
「記憶想起などの内部情報」
この二系統があります。
我々の大脳皮質はこのような複数の入力を基に認知作業を行い、それが「思考結果」となります。従いまして、「思うための電気信号」といいますのは、それは環境の変化や記憶の想起として発生しているということになります。

では、「思考結果」が得られたというだけでは、場合によっては「運動プログラムの作成」までは可能ですが、少なくともそこに理由、即ち「行動を選択するための動機」が発生しない限りそれが実行に移されることはありません。
この「動機」とは、
「外的誘因(環境や記憶からの作用)」
「内的導因(自分の欲求や必要性)」
この二つが与えられることによって成立します。
これを「行動選択の動機付け」と言い、これが行われることによって運動プログラムは実行移され、一次運動野から身体の各運動神経に対して適切な命令が下されます。
但し、この「動機付け」が大脳皮質の思考によって行われるということはほとんどなく、
それはむしろ、
「空腹(本能行動)」
「好み(情動反応)」
といった主に無意識の領域によって判定されるものです。
ですから、目の前にご飯が置かれ、環境に「外的誘因」が発生したとしますならば、「お腹が空いた」、あるいは「ご飯が好き」など、このようなものが「内的導因」となって動機付けが行われます。そして、脳内にその動機が成立したかどうかの判定を行う機能といいますのは、これは運動プログラムを作成する運動連合野の方にあります。

>普段動かそうと思ったから動く体が実は電気信号で動かされているのなら人間と機械の違いってなんだろうとか考えてしまいます。
>最後のほう少し哲学じみた話になっちゃいましたが、つまるところ、どうして思い通りに体は動かせるのでしょうか?

これまでを整理致しますと、
我々の神経系といいますのは、
「入力―中枢処理―結果出力」
という接続になっており、随意運動の中枢系に当たる大脳皮質では感覚や記憶などから必要な入力を処理し、運動野から運動命令を出力しています。そして、ここでは入力に対する認知作業から運動プログラムの作成までが全て自動で行われており、まして動機といいますのは無意識領域の判定です。
では、思考といいますのは意識に上り、そこでは原因と結果を自覚することができます。ところが、ここで行なわれる認知作業といいますのも、詰まるところ入力された感覚情報と脳内の記憶情報が勝手に反応し合っているだけなんです。
ならば、それは全てが「生命のシステム」であり、我々は自分の意志で動いているのではなく、「生命の意志」によって動かされているということになります。そして、このような事実から「我々生命に自由意志はない」という考えは現在の生物学でも意外に広く受け入れられています。
ですが、これは飽くまで「科学哲学」の解釈です。
科学の受け持ちといいますのは我々の神経系ではどのような反応が発生し、どうして動物の身体は動くのかというのを解明するところまでです。ですから、その結果に基づいてどのような解釈を行うのかというのは科学の仕事ではありません。
このように考えますと、我々生物には自分の意志というものがないのかも知れません。ですが、我々は行動を選択することによって自分の未来を変えることができるのですから、これを自分の意志と呼んでも一向に構わないわけです。ならば、それを意志とするかどうかというのは、これは科学では決定することができませんので、ここから先はどうしても哲学の力を借りなければ論議することはできないですね。

回答は以上ですが、どうして思い通りに動かせるのかという点に就きまして、やはりもう少し具体的な構造も説明しておかなければなりません。
実際に腕を動かすためには
「内側の筋肉(曲筋)を緊縮」させ、
「外側の筋肉(伸筋)を弛緩」させなければなりません。
このため、一次運動野からの運動神経は途中で2本に分岐しているわけですが、それだけではなく、伸筋の方に接続される運動神経では、その手前に(+)信号を(-)信号に変換する中継細胞がひとつ余分に使われています。
そして、多くの運動組織ではこれにより、
「曲筋には(+)信号」
「伸筋には(-)信号」が、
同時入力されるようになっています。
これは、(+)(-)の配線を逆にしておけばスイッチを入れただけで二つのモーターが逆回転を始めるのと全く同じ理屈です。ですから、そこには最初から全く逆さまの配線が繋がっているわけですから、右の腕の筋肉に「動かせ!」と命令するだけで二つの筋肉は協調し、腕を曲げるという運動が実現します。
この信号をOFFにしますと腕は元に戻りますし、伸ばしたい場合は別な回路をONにすれば良いわけです。そして、曲げる回路と伸ばす回路を同時にONにしますと、それで腕を静止させることができます。

一次運動野から全身の「運動筋(随意筋)」に向かって伸びる運動神経を「皮質錐体路」といいます。運動神経といいますのは脊髄からそれぞれの筋肉に分配されてゆきますので、それは一旦ひと纏めになって脳内を下向します。そして、この皮質錐体路はその途中で「小脳」と「大脳基底核」というところを経由しています。
この「小脳」と「大脳基底核」といいますのは、我々の脳内では「運動記憶」を司る中枢であり、ここには「過去にどの筋肉をどんな具合に動かしたか」といった結果が事細かに学習されています。ですから、一次運動野は腕を曲げるという運動プログラムによって筋肉に命令を出すわけですが、その信号が運動学習を記憶した小脳や大脳基底核を経由することによって、我々は前にやったときと同じように腕を曲げることができます。そして、それを何度も繰り返しますと運動学習が積み重ねられ、より正確に腕を曲げることができるようになります。
このようなものを「熟練運動」といい、例えば自転車に乗るとかキャッチ・ボールとするとかいったものは、みなその「手順」や「加減」といった細かい情報がここに学習されています。ですから、大脳皮質が自転車に乗れと命令をするならば、我々の身体は自転車にまたがった瞬間にバランスを執り、転ばないように直ちにこぎ始めます。そして、このような身体で覚えた運動記憶といいますのは相当の年数が経っても忘れてしまうということがありません。やればだいたい憶えています(身体が付いてゆきませんが)。

このような、運動命令を伝達する「皮質錐体路」に対し、その途中で小脳や大脳基底核が行う「運動の補正機能」を「錐体外路」といいます。そして、ここでは常時「様々な感覚情報の入力」を受けており、それは「運動補正のフィード・バック」に使われます。
例えば、
「自分の身体の姿勢(三半規管情報)」
「後どのくらいで届くか(視覚情報)」
「筋肉や関節はどのくらい動いたか(内臓感覚情報)」
小脳にはこのような感覚情報が全て入力されており、ここではそれに基づいて極めて迅速かつリアルタイムな運動補正が行われます。更に、ここからの信号はそのまま身体の筋肉に伝達されるだけではなく、その一部がもう一度一次運動野に送り返されています。つまり、この「錐体外路」といいますのは「ループ回路」を形成しており、一次運動野に補正情報を送り返すことによってその運動命令をリアルタイムに立て直しているわけです。

このように、どうして自在に動かせるのかということになりますと、身体末端の構造や接続もたいへん大きな役割を果たしていますし、運動の細かい補正は別の中枢が分担しています。ですから、大脳皮質はそこまで考えて命令を出す必要はありません。黙っていても上手くゆくようにできているんですね。
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この回答へのお礼

とても詳しくありがとうございます。
→「我々は自分の意志で動いているのではなく、「生命の意志」によって動かされているということになります。」
これと同じ疑問を持っていました。
私の理解が足りないせいか正直よくわからない部分もあるのですが、その説明を見ると脳の仕組みはとても機械的なんですね。自分の知らないところでいろいろ解明されているのは驚きでした。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/10 09:30

 経験と学習です。

「思い通りに動く」といいますが、たとえばキーボードを打とうと思ったときに全くノーミスで打てているでしょうか。「今はできる」という人でも、最初は思い通りに動いてくれない指にイライラした経験があるのではないでしょうか。これが何度も練習し、習熟してくると「動かそう」と意識する間もなく指が動くようになります。動かそうと思うことに対してどういう信号を送ればいいかを脳が学習した結果です。

 普通の人は意識もしていないですが、普段の動作もこれと同じです。ただ、その関連づけが非常に幼いうちに行われ、成長過程で少しずつ調整されているので気が付かないだけ。赤ん坊が無意味に手足をばたつかせているのもこの学習の過程と見てよいのだと思います。
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この回答へのお礼

確かにタイピングには慣れていますがミスタイプも結構あります。自分が意識しないうちに脳が学習していたとは、なんか不思議ですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/10 09:05

たとえば、小さな子供は立つことさえうまくできません。

これは体のバランスをうまく保つという運動ができないからです。

学習によって、うまく立てたり、歩くという運動ができるようになるわけです。これらはしだいに習熟によって無意識にできるようになりますが、立って歩くという(または腕を動かす)運動は意識が普通関与しています。脳が意識的に腕を動かす運動をさせているが、習熟しているため、普段は筋肉を動かすということをほとんど意識していないのです。その運動に必要な筋肉に筋肉痛がある場合は、注意(意識)してその筋肉をかばうような動きさえできます。このときは例外的に筋肉を意識しているのです。

>普段動かそうと思ったから動く体が実は電気信号で動かされているのなら人間と機械の違いってなんだろうとか考えてしまいます。

基本的に、仕組みはかなり違いますが機械と同じように説明可能と考えられています。以下参照。
>一次運動野を弱い電気刺激をすると対応した部位の運動を引き起こす。http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/31/inde …
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この回答へのお礼

筋肉を動かすときはほとんど無意識なんですか。リンク先のサイトを見てみましたが、各部位ごとの働きがわかってるんですね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/10 09:01

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