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こんにちは。この春から某中学校で学習支援員として勤務し始めた者です。まだあまり知られていない職業ですが、中学校の授業の補助をしたり、学習につまづきのある生徒をサポートする役目です。(まだ全国的なものではなく配置は市町村裁量)
それで普段はほとんど主担当の先生のサポート役ですが、中3の英語が極端に弱いという事で、高校受験に向けて中3英語の補講を行う事になり、その中で成績が中間クラスと一番下のクラスを受け持つことになったのですが、その事で戸惑っている事がありこちらに投稿しました。

真ん中から下のグループに教えるとなると、英語が好きでない子達がほとんどかな?と思うので、元々英語が好きでこのような仕事を選んで生きてきた私とはかなりギャップがあると思い、英語が分かるようになる
楽しさを伝える工夫に悩んでいます。
また昨年度まで指導していた英語の先生に対する不信感が根強く、一部の生徒は、先日私が初めて「英語の支援員です」とある教室に行っただけで、強い拒否反応(まだ何も関わっていないのに)を示している様子で、主担当の先生が企画した授業で出来るだけ沢山の人と会話をしよう、というペアワークを手伝おうと生徒数人に声をかけたら一人の男子に強く拒絶され、私を追い払うように「しっしっ。」と言われたのがとてもショックでした。普段からある程度関わっている生徒ならすかさず生徒指導する所ですが、あまりに子供っぽいその態度に(小学生でもあまりないと思う)呆れ、また勤務初日という事もあり、後から主担の先生にどういう子なのか訊ねるに止まりました。その子だけでなく、一緒に会話練習をニコニコやった子でも翌日廊下で声をかけたらしら~っとして挨拶を返してこなかったり、何か問題を抱えているのだと思いますが、彼らが具体的に何をアピールしたいのか、よく分からず困っています。

その事があるので補講の方も上手く指導して行けるか心配です。
同じように支援員をされている方や教師をされている方、子供に関わる仕事をされている方、あるいは反対に生徒さんでも良いので、ご意見を頂ければと思います。よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

アメリカに住んで40年目になりました。

 指導員養成の重要さを教えているものですので、私なりに書いてみますね。

じつは書こうか書くまいか迷っていました。 しかし、やっぱり書いたほうが良いなと思いましたので書いてみます。 

この仕事は初めから「中3の英語が極端に弱い」生徒を教えるのがこの補助教師、学習支援員の仕事だとされているのでしょうか。

私は一クラスの生徒数を二倍にしても良いから中一の生徒や英語の教え方を間違えて教えられてきた生徒には2倍の給料を払ってでも「教える事の出来る教師」を使わなきゃいけない、とこのカテで6年間言ってきました。

つまり、それほど難しい生徒を対象にしているのです。 それをこの支援員がしなくてはいけないと言う制度なのですか?

教師が英語の発音、聞き取りや会話が出来ないからと言うことを認めないままにして英語ネイティブのALTに金を払うなんておかしいとも言ってきました。

なぜ主担任の先生が責任を持って教え、あなたが一応出来る生徒を教えると言うことをしないのでしょうか。 それがこの支援員の仕事だと言うのでしょうか。 そうであれば私としては、じゃあなたがそれができるようになるような教育・訓練を受けていなくてはならないのではないか、と思いますよ。 そうでなければ主担任があなたに押し付けているだけではないかと思うわけです。

出来る生徒を教えるのは「誰でも」できることと私は信じています。 出来る生徒は素質的にも、また受身的に「教えられる」土台が出来ているからと判断します。 

でもやり方を知りたいのですね。 

それらの生徒は何人いるのですか? それらの生徒と個人会話をしてことはあるのですか? 生徒それぞれの弱点や壁を評価したのですか? 出来ない子には出来ない子なりの理由があるのです。 いろいろ理由があるのに「一つの方法」を頼りにしたって解決には程遠いと言う事です。 常識ですよ。

頭がいたいと訴える人30人いるところへ頭痛薬を上げれば良いと言う「方法」でその30人の頭痛が直ると言うのでしょうか。

問題児には問題児の問題点があるのです。 その問題点を見つけないでどうやってそれぞれの問題を解決できると言うのでしょうか。

面接するなり、試験を受けさせたり、また、授業での観察を専門的にして、彼らの性格、素質、弱点、壁、夢、そしておのおのの生徒の英語力(すべての英語力項目に関して)などなどなど(3回)細かく判断する事は、今回のようなSpecial Educationの常識です。 100項目くらいの要因となるだろうと判断できるリストくらいあると思いますよ。 それらの結果からいくつかのグループにわけてその一つ一つのグループを別々に教える事になるのです。

教壇に立って教えたい事を喋り捲るだけで教えるのが教えると言うものだと思っているのは大きな壁になっているはずです。 与えれば覚えてくれる、覚えてくれないのは生徒のせい、こんな事を50年もやっているから日本にはこの50年で何十億と言う英語教育の犠牲者がいるのです。

クラスを面白楽しくすれば良いといったって、「お遊び」で楽しいと思う子もいるでしょう。 逆にばかばかしいと思う子もいるでしょう。 生成は俺たちを馬鹿にしている、とかんじる子もいるでしょう。 そうなったらもう終わりなのです。

そのような子達を教えるには、まず生徒を評価する時間稼ぎとして、中一からやり直すのです。 ばかばかしいと感じる子がいれば、リストにマークするのです。 そして、ばかばかしいと感じるのはなぜか? 自分では出来る(と思っている)から、それとも、英語自体がばかばかしいと思っているのか、英語の価値を教えてもらっていないからか、理由はわかると思います。 リストにマークするのです。

英語のクラスは嫌いだけどヒップは好き、英語の文章が入っているカラオケには興味がある、と言う事もあるでしょう。 それらの生徒の数が多ければそれを一つのグループにすれば良いのです。 そして、発音の仕方とかを教え英語の価値観を植える事が出来ますね。

100項目以上もあるわけですから簡単な事ではありません。 簡単な事ではないからやるのですね。 主担任では出来なかったからやるのですね。 人のできない事をすれば良いと言うことにもなります。

出来ない子の扱い方、と言うことになるのです。 (上に書いたことはほんの一握りです)

彼らの価値観を感じる姿勢を持つ事も必要です。 タメ口、突っ込みを受けて立てる精神力と英語力も必要となるでしょう。 しかし、一言もしゃべれなかった子が自信を持って英語の文章を言えるようになったり、一つの英語試験の問題を解けるようになったりしたその瞬間、この世に二人の「成功者」が生まれるのです。 もちろん、その生徒とあなたです。
 
教える事での出来る教師になりたいですか? 誰にもできなかった事をやり通す人間になりたいですか? 

出来ない子ができるようになると自信は、出来ない子が持つのではなく教える者がまず持たなくてはなりません。 あなたがその自信を持つ事で相手に伝わるのです。 自信を持つのはなたであって彼らに自信を持たせるのもあなたなのです。 そして、彼らの自信を持たせる事が出来る自信を持ちたいですか。 

もしそうでしたら上に基づいた状況を書いてください。 実際にそこにいて生徒たちを見ているわけではないのでどれだけ適切なアドバイスが出来るかわかりませんが、私なりにお手伝いできる思います。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。
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この回答へのお礼

ずばっと言ってくださりありがとうございます。
考え方としては、私もナンバー8さんと同じ事を考えています。まさにその通りだと思います。でも本当に必要な専門的サポート体制が現実出来ていないんです。本来学習支援員は主担当の先生の補助的立場でしかありません。ある程度受け入れ体制が出来ている子供に対しては、支援員が入ることは色んな面で有効だと思いますが、元々生徒指導面で問題を抱えている子や、もしかしたら学習障害などがある子もいる可能性も考えると、いくら点数でグループ分けしたとはいえ、このように形だけの一斉補講が有効とはとても思えません。それに自分で言って申し訳ないけれど、私みたいな立場の者が担当するなんておかしいと思います(でも情熱はあるんですよ)。身分上私にはナンバー8さんが言っているような細かいやり方を主担当者に提案する立場にないので(責任は主担当者にあるので)、与えられた状況で私に何ができるか?を考えていくより他ありません。私が勤務し始めた時にはすでに学校で決まっていた流れなので大きな流れは変えることが出来ません。本当は、そんなに英語が心配だったら学校の英語教師総動員で関わればいいのに、と思いますが、英語科の人手が足りず、仕方なく学年の先生方でカバーしようとして、その穴埋めが支援員の私にまで回ってきたわけです。支援員を普通の教員レベルで使いたいのであれば、事前にそういう専門の指導法や訓練を受けさせるべきだと思いました。それで色々心配になりまずは校長と話しました。私が上の方のクラスに教え、本当に教科の先生が一番問題のあるクラスを教えるように変わるかもしれません・・・。

お礼日時:2008/05/15 14:58

#5ですが、ちょっと付け加えさせていただきます。


過去の経験からしますと、「勉強が出来ない」と思われている生徒でも、一から分かりやすく教えるとちゃんと理解してくれます。
私が全く授業にならなかったのは「リーダー」の時間でして(今はこういう区別をするのかどうかすら知りませんが)、すでに知識を身につけているということを前提として書かれている教科書をやらなくてはならないという段階ですでに無理な話でした。

それに比べて「文法」の時間はやりやすかったんです。よく理解している生徒には申し訳なかったですが、高校生相手に中学1年の最初のレベルから教えていくことが出来ましたから。
結局、分かってない生徒というのは、生徒自身の努力不足も確かにありますが、一番は最初に英語を教えた先生の教え方が低いレベルの生徒には不適当だった、ということになるような気がします。
授業中に「あ~、そういうことなのか!」という反応が返ってくるのはうれしかったですね。

だからこそ、本当であればそういう「お客さん」だけが対象の授業を出来るのであれば、最初から教え直すことが出来ればなんとかなるかも、と思うんです。英語を面白いと思える教材といっても、小さな子供相手の教材はだめでしょうね。生徒にも中学生という自尊心がありますから。

>普通のテキストが理解不能だった時の補助的教材として、何か少し楽しい雰囲気になれるものがあったらいいなあと
とのことですが、やはり「分かった、理解できた」ということが楽しさを感じるためのスタート地点ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2008/05/15 15:07

英語ではないのですが「死ぬほど嫌いだった教科」についての思い出です。



*何のためにやっているのか、必要性がわからない。
 生活上、無駄だと考えている。無くても生きて行ける。

*自分が何が・どこを理解していないのかすら理解できない。
 たぶん、解るとはどういうことなのかも理解していなかった。

*今何をやっているのか理解していない。「何を覚えればいいのか」を理解していない。

*基本的にボタンの掛け違いをしている。
 後になって考えてみれば、視点がまったくずれていた。

*とにかく嫌いで、しまいには教科書を開いただけで頭が真っ白になった。
 拒否反応。見るだけで辛い。見たくない。他の教科を2倍やったほうがマシだ。

*先生が面白いと多少は緩和されたが、先生を嫌いだと授業がさらに嫌いになった。

今は学生ではありませんが、この教科に昔ほど拒否反応はありません。
この先も一生苦手に違いないのですが、興味は多少あります。
自分には解らない世界だが、それなりの素晴らしさがあるんだなあ、解る人には面白いのだろうな、というのを知ったからだと思います。
大人になってから理解したのは、「何をやっていたのか解っていなかったことを理解した」「ボタンの掛け違いに気づいた」「その教科をやるとその先にどういう面白いことがあるのか知った」など。
しかし、センスが欠如しているので、この先も決して得意になることはありません。
別にそれで構わないと思っています。どの分野であれ、誰もが「得意な人」と同じレベルになれるわけではありませんから・・・・。

自分は教科によっては成績が良くて好きな教科もあったので、授業全部が苦痛だったわけではなかったのですが、勉強全般が苦手な子だと、学校というのは本当に苦痛でつまらない場所だろうなと思います。
体育が得意とか、絵が上手いとか、友達と遊ぶとか休職を食べるとか、別の分野で楽しめる部分があればいいと思いますが。
それと、勉強が苦手でも気にしてない子。

周りが出来ていて自分だけ出来ない状態が続けば気分的に面白くありませんから、中には気分的に腐る子もいるでしょうね・・・・。

それと、おっしゃるように、自分が苦労してないと何が問題になって、どこで引っかかっているのか理解しにくいんですよね。
たとえば当カテゴリですと「リスニングが苦手です」という悩みも多いのですが、悩んだことがないので今ひとつピンと来ません。
「その人にとって、どこが難しいのか」が問題なのかもしれません。

一方、文法は苦手です。
TOEIC700点以上取ってから、文法初級(中学半ば~高校1年程度?)の本をやったりしました。しかも苦手なので独学も無理で、教室に通って。
SVOO、 SVOCなんて未だによくわかりません(説明されれば理解できるようになりましたが)
文法用語からして覚えていなかったので、「説明されてもその説明が解らない」ということもありました。
副詞って何? 補語って何だっけ? まず用語から覚えないと(^^; 
でした。

doがなぜdoesになるのか? comeがcomesになるのはなぜ?
なんていうのは、引っかからない人には「三単現だから」で終わりなのですが、そこで引っかかってる人もいるみたいですよ。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa623767.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3440342.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2039776.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も苦手な事が数々ありますが、確かに言葉にするとそうなりますね。
何が分からないか分かっている子は良いけれども、何が分からないか分からない状態の子達に、一体どこでつまづいてこうなってしまっているのか気付くよう、そこから個別にゆっくり付き合ってあげられたら、と切に思います。

お礼日時:2008/05/15 14:13

昔々、新卒で地方の高校の英語教員となりましたが、交通の便の悪いところに住んでいる子で自宅から通うしかない生徒は優秀でもそこに通うしかないため、かなり出来る生徒と、それこそアルファベットもままならない生徒とが混在している状態でした。



素直な生徒ばかりなら教育実習以外は全く教えた経験のない新卒の私でもなんとかなったのかもしれませんが、そんなはずありませんからね。1学年2クラスの学校でしたが、1年生の1クラスで(しかも自分が副担をしたクラス)それこそ授業崩壊の状態になってしまいました。
そのクラスは他の先生たちも手を焼く状態でしたが(後で聞いたところによると担任はノイローゼになってしまっていたのだとか)、とりわけ私の授業はそれこそ地獄。まあいろいろありました。

で、そのときはもちろん自分の教え方に一番問題があるだろうが、授業を聞こうという気持ちが全くない一部の生徒が諸悪の根源だという思いが強かったのです。
今にして思えば、この時点で方向を間違っていたのかもしれないと思います。どうして授業を聞こうとしないのか。それは面白くないというのが一番でしょうが、その前に聞くことすら苦痛だからでしょう。
自分が大学の時に一般教養でとった電算機演習(当時はこう言いました)とか政治学(これは内容の難しさもさることながら、先生の講義の進め方と早口&小声&無表情というのが大きかった)などで自分もそういう経験をしていたのにもかかわらず、その経験を授業の場で活かせなかった。

聞いていてもワケが分からないことを黙って50分間座っておとなしくしているのは無理ですよね。回りの多くの人は分かっている状態なのに、自分は全く分からないという事実自体が苦痛ですし、まだ中学1年の4月というならまだしも、すでに相当レベルまで達している中での「ちんぷんかんぷん」ですから。

で、今回の質問者さんの場合ですが、本当はそういう子供たちに個別にでもabcから教えて行って、彼らが英語を徐々にでも理解できるようになりさえすれば、なんとかなるかもしれないとは思うんです。これまで全く無意味な音や文字の羅列だったものが、ああそういうことかと分かり、その喜びが次につながっていくんですよね。これは私がたった2年間しかなかった英語教員の時に実際にあるクラスで実感しましたし、後に知り合いの子供に家庭教師的に教えたときもそうでした。質問者さんご自身もそういう経験がおありのようですね。

ただ、今回の場合は主担の先生がいるわけですし、個別に関わるというのは難しい状況なのでしょうね。
ということで結局なんのアドバイスにもなってませんが、反抗的態度をとる生徒たちの気持ちも分かってあげるべく努力をしてみては、ということは述べておきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。先日の男子生徒につきましては、主担の先生と一緒に、生徒を呼んで指導しました。「急に話しかけられ恥ずかしくて、一緒に会話練習をしても自分が上手くできる自信がなかったので、友達の手前もあり勢いでそう言ってしまった。ごめんなさい。」との事でした。次回からは授業での関わりは大丈夫だと思います。主担の先生ともっと話し合う時間を作りたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/15 14:07

No.2で回答させて頂きましたmarcvaldです。


もう色々な経験をお持ちだったんですね。知らぬとはいえ失礼いたしました。
そうと知ればもう何も言う事はありません。
中学生という難しい年頃を相手にするのは大変と思いますが、同じ英語に関わる者として心からエールを送りたいと思います。
頑張って下さい。
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この回答へのお礼

すぐにご回答・反応頂き本当に嬉しいです。ありがとうございます。昔々、短い期間ですが中学校に勤めていた事もありました。でも、その時、数人の反抗的だった男子と上手く関われなかった事が、産後子供が病弱で退職してしまった後もず~っと私の悔いになっていて、あの時どうすれば良かったのか、ずっとモヤモヤしたままでした。主人も教員なので、色々相談できますが、目的は同じでも、私が主人と同じやり方をしてもやっぱり駄目だよなあと思い知らされる事が多いので、今自分なりの生徒との関わり方について考えている所で、まさに、今、あの退職した時と同じ問題にぶつかった、という感じなので武者震いデス。こうしたい、ああしてみようかな、こうなんだろうか?と、色々な気持ちと知識が今頭をぐるぐる回っている状態で、でもまだまだもやっと霧がかかっている所が多く毎日緊張して胸がどきどきしているのでこちらに来ました。付き合って応援していただきとても有り難いです。どうぞまた何か思い浮かびましたらご意見お願いします。

お礼日時:2008/05/14 08:13

私も英語を身につけるのに苦労しなかったので教え方が全然分からないのですが、自分の子が英語アレルギーなので、こういう取り組みには関心があります。



月並みではありますが、英語を遊びに変えたら、それまで興味を示さなかった生徒が発言をするようになったという話をテレビで見たことがあります。文法重視だった授業から脱して、屋外に出て、ジェスチャーゲームなどを楽しみ、「take a dump(ウ○コをする)」といった砕けた表現を教えるというものでした。

また、わが子の学校の英語のテストには必ず「これこれのテーマで、自由に英文を書きなさい。間違っていても書けば点数に入れます」という趣旨の問題があり、この問題でだけは子供も、思いきりブロークンな英語を堂々と書いています。

間違っていてもいいから、人に何かを伝えるために英語という手段を使い、それが通じたという手ごたえを感じさせる。そういう感覚を養うことができれば、次のステップに進みやすいのかもしれません。いずれにしても、中学の英語の教科書って、英語がわかる私たちから見ても、ちっとも面白くありませんよね。世の中学生たちには、あんなに大胆でクリエイティヴなユーモアが溢れているのに。
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この回答へのお礼

そうなんですよね。自分も同じ中学生男子の母親なので、いかに彼らが普段面白くて生き生きした顔を持っているか知っているので、英語の時間の「死んだ魚のような」目が気の毒でなりません。
一応主担の先生が教材を準備する役割になっていて、私は支援員という立場なので、主担の先生の考えを尊重しそれを受けて私が指導する事になります。まずはそのテキストにそって教えてみたいと思いますが、ただ、中間の子はともかく、一番下のグループの子達は、それこそ意味が分からなくて、まずはアルファベットかフォニックスから始まるような気もするので、普通のテキストが理解不能だった時の補助的教材として、何か少し楽しい雰囲気になれるものがあったらいいなあと思っています。一人でもやもやしていると何だか煮詰まってしまって苦しいので、みなさんとお話ししながら自分のスタンスやシミュレーションを考えたいと思います。お付き合い下さりありがとうございます。

お礼日時:2008/05/13 22:59

こんにちは。

私は学校の先生ではありませんが、子供に英会話を教えています。
国際交流が趣味の人間として、少しでも日本人の英語アレルギーを減らせればと思い、投稿させていただきました。
中学生と子供を比べるのは失礼かも知れませんが、授業についていけない生徒と、名詞・動詞等の言葉やSVO等の構成を理解できない子供。
何か共通点があるような気がしてなりません。キッズ英会話を見学してその要素を補習に取り入れてみてはいかがでしょうか。
幼児には幼児の、小学生には小学生の、中学生には中学生の、それぞれ楽しいツボがあると思います。
そこを上手くつけば、あるいは英語を楽しめるようになるかもしれません。
生徒の教師に対する反抗的な態度については、私は教師経験がないので何とも言えません。ゴメンナサイ。
少しでも参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私は支援員の仕事の他に自宅で英語教室と派遣で幼稚園にも行っています。ですから色々経験は積んできたつもりです。が、自宅の英語教室は英語に興味がある子が来るケースがほとんどなので、苦手意識の強い子に関わる機会があまりありませんでした。(苦手な子にマンツーマンでなら教えた事がありますが。)そう。仰るとおり、英語が苦手な子、不安が強い子というのは、英語の構造自体なかなか理解できないか、受け入れ難い子が多いなあと思います。それで自宅では松香フォニックスの教材を使って小6の生徒にそこを指導していますが、中学校にも上手くいかせるところがあればと思っています。「英語が苦手な」というキーワードで本を買い込んだので研究してみます。
適切なご回答、というより一人でモヤモヤしているので、話し相手になっていただける事が本当に嬉しいです。

お礼日時:2008/05/13 22:33

30年ちかく英語の教師をしています。



増田明美や室伏広治を育てた
滝田詔生というコーチをご存知でしょうか。
十分に手をかけて真心こめて指導しても変化しない生徒は、
そこまでの生徒なんだよ、と話しておられました。
高校の陸上部で体育教師として次々とオリンピック選手を輩出した
コーチであるだけに、その言葉には重さがあります。

真心こめて接することは大事ですが、
それに応えない生徒はいます。
生徒は機械や動物ではありません。主体性をもった人間です。
真心をこめて接すれば、教師があらゆる生徒を
思いのままにできると考えるのは教師の傲慢というものでしょう。
常識を使って判断することはどんな場面でも大切です。

手の施しようのない生徒はいるのです。
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この回答へのお礼

すぱっと言ってくださってありがとうございます。
私もそれは考えていました。
ただ、まだ関わる前から、私を試しているような態度が気になるので、もちろん出来る限り声を掛けたり色々なアプローチを試みるつもりですが、最終的にはある程度続けても同じような態度をとり続けるのであれば、勝手にすれば、という気持ちもあります。自分の態度にそれなりの評価と受験の結果を受ければいいと。仰る通り、私がみんなを変えて見せる!なんて思ったら傲慢だと思います。だから、次にそのクラスに行った時にでも主担の先生から少し時間を頂き、見放す訳ではないけれども、一番大切なのは自分のやる気であり、それに対する協力は惜しまない。でも、「来る者は拒まず去る者は追わず」というスタンスである事を、その学級やグループの子達に言ってしまおうかなあとも考え始めているところです。そこを分かっている子は小学生でも中1でももう感覚が大人に近く、逆境でもかえって伸びる子もいるように思います。前述の子達はまだ大人になりたくない、というか、都合のいいときだけ子供だったり大人扱いされたかったり、その中途半端な気持ちが態度に表れたということなのかな・・・。

お礼日時:2008/05/13 22:46

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