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遣唐使には莫大な費用がかかるといわれていますが、一体どれくらいのものだったのでしょうか。参考になるもの(書籍、サイトなど)を教えていただくと助かります。

A 回答 (2件)

>なるほど、唐が負担するものもあるんですね。



日本からに限らず、朝貢使の費用は基本的に唐が負担しました。
従って、日本からの遣唐使が海岸に着いても、唐側は長安まで行く人数を制限し、「折角、海を渡ってきたのだから何とかみんなで長安まで行きたい」と希望する日本側とタフな交渉があったようです。

唐が負担したのは、海岸地帯から長安までの旅費・滞在費などで、しかも、朝貢品への「お返し」は貰った物の何倍にも昇りました。
留学生の滞在費も唐側の負担だったように思います(少し自信ありませんが)。

中華皇帝からすれば「皇帝の徳を慕って遙々遠い地方から貢ぎ物を持ってきたウイやつ。旅費を負担するだけでなく、何倍もの土産を下げ渡してやる。その代わり、ワシの臣下として忠誠を誓えよ」という感覚です。
(江戸時代の参勤交代は大名に金を使わせるのも目的だったのと好対照)

中国にとっては、「蛮夷の国が持ってくる朝貢品などには元々値打ちは期待していない(中国にはもっと素晴らしい物がイッパイある)。だが、貢いでくれる、その気持ちが嬉しい」という感じです。

唐朝廷の財政状態が良い時代には寛大に、遣唐使一行の多くが上京するのを赦していたのに、左前になってくると負担軽減のために上洛人数や朝貢品を減らすように強いたのです。
(でも、威信が何より大切なので、朝貢使自体の派遣中止は求めなかった)

この辺りの事情はNo.1さんも紹介しておられる東野治之さんの日本と唐の関係について書かれた数冊の著書に分かりやすく書かれています。

長く、くどくなりました。
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東野治之著『遣唐使船』に詳しく記述されています。


以下、自分の読書メモ(本の抜書き)です。

宝亀6年13年ぶりに遣唐使が任命された。大使佐伯今毛人は仮病で出発せず、副使小野岩根が代行。
小野岩根一行は4船で出航したが3船は海陵県に1船は塩城県に到着。
一行推定550人の内、長安入京許可されたのは43人。どの遣唐使もこの程度。費用と行路の安全確保は唐。朝貢品を渡して国内各地の見学希望、買物許可願い、留学生の受入れ申請などをする。

次の質問も参考になると思います。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2251328.html

日本側の負担は、造船費用と朝貢品が大半です。
派遣ごとに特別な船を建造しています。
山口博著『古典でたどる日本サラリーマン事情』では、費用を大胆に推測しています。
以下、読書メモです。

遣唐使大使の出張旅費は720万円。絁60疋、綿150屯、布150反。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
なるほど、唐が負担するものもあるんですね。
とても参考になります。

お礼日時:2008/05/14 21:10

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