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若い頃(?)、一時、美術研究所で油絵とデッサンを習っていました。
当時、同じ部屋で描いていたのは殆どが10代から20代前半の芸大・美大を目指す受験生たちでした。確かにモチベーションはあがっていましたね。

私は(自分で言うのもなんですが)、絵は生まれつき?得意でした。

小学校の時から図画・美術はずっと5ばかり(5段階で)、コンクールでもほぼ必ず金賞を取っていましたし、校長室にも飾られていたこともありました。
極めつけは小学校入学後に描いたはじめての写生画が「大人びていて小学生の描く絵ではない」という審査員全員一致の理由でコンクールに落選したことです。
以後は努めて小学生らしい絵?を描いたので軒並み金賞を取り続けましたが。

さて、通っていた美術研究所に教えにこられる講師は殆どが東京芸大を出た方で(一部、多摩美や武蔵美の方も)水準は高かったです。
その方たちが私の描いた絵を観て口を揃えて「色彩感覚は抜群。実にいい色を出している。画面・構成にも惹かれる。絵というものを先天的に分かっているのかも。ただ、惜しいかなデッサン力が足りない」・・・

そして石膏デッサンをやりました。画学生が日夜必ず修練する、あの胸像たちのです。
しかし・・・
どうしても形がとれない。同じものを何枚、何十枚描いても、です。
たまに自分では会心のものが描けたと思い、他の人たちのと並べると一目瞭然でヒドイのです。形が弱く、光と影の表現もなってない。自分自身で(オレは今迄これほどまでに形音痴の基礎のしっかりしてない弱い絵を描いていたのか・・・)とひどく落ち込みました。
そして、それ以後、次第に絵を描くことをやめてしまいました。

勿論、絵を観ることは好きです。
古典の光と影、印象派の色彩、キュビスムの画面構成・・・
アカデミックなことをしっかりやった人の絵が必ずしもいいとは思いません。デッサンは強靭でも色彩に魅力のない絵や、反対に色のハーモニーは素晴らしいがあたかも塗り絵のような表面的な絵、また、確かにどちらも両立はしているがどことなく面白味に欠ける、等々・・・

絵とは一体、なんなのでしょうか?
よく言われるように、趣味で描くぶんには基礎は無くても伸び伸びと楽しければいいのか?私の様に、昔は「井の中の蛙」で自己満足だった者がなまじっか正統的なアカデミズムを学んだ為に厳格なルールや決まりごとに縛られて今度は反対に楽しくなくなってしまったような例も・・・

最近、少しですが再び絵筆をとってみたいと思うようになりました。
そしてもう一度、あの石膏像の木炭デッサンに挑戦してみようとも思うのです。(なんだか昔、満足に描けなかったのが悔しくて・・・)
まさに、リベンジ!
こんな私に経験者の方から是非、アドバイスを頂ければと思いました。
宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

jupitanさん 今日は。



>絵とは一体、なんなのでしょうか?
よく考えてみると、答えが出てこない。単純に考えると、自己表現。

デッサンの話ですが、デッサンって訓練ですよ! 昔それを目の当たりに見ました。少し話が長くなるのですが。

私に弟がいます。彼が高3になって、突如、美大に行きたい、デッサンを習いに行くと言い出しました。驚きました、それまで絵なんか描いてない子なんです。小中とも、私のほうが賞をいただいたりして、まだましなほうなので、本当に呆れました。機械いじりが好きな子だったので、工学部に行くとばかり思っていて、青天の霹靂でした。
都内の某美術学校に通い、一年ちょっとした頃、偶々見せてもらったら、驚きました。うそ!本当にあなたが書いたの?!あの、絵なんか書けなかった、下手ピーな子が!素人目には上手な方が描くデッサンと遜色がないのです。弟いわく、デッサンは訓練だから、数をこなすと誰でも出来るんだそうです。話だけだったら私も半信半疑です。論より証拠。しっかり見てしまいました。
一浪で希望のところに進学しましたが、「美大って子供の頃から絵が得意で凄い子が行くところ」というのは常識じゃないことを知りましたよ。

jupitanさんもまだまだ今後長く絵に親しまれるなら、デッサン集中してされてみればいいのに。きっと何かつかんで、絵も変わってこられますよ。差し出がましい話、失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

とても貴重な(ありがたい)ご意見を頂き感謝しています。

>デッサンは訓練だから、数をこなすと誰でも出来る・・・
>美大って子供の頃から絵が得意で凄い子が行くところというのは常識じゃないことを・・・

なるほど、と思いました。(でも、とても弟さん思いのお姉さん?ですね・・・)
今度は是非デッサンに集中してみます。仰せのように何かをつかみ自分の中で絵が変ってくるかもしれません。

お礼日時:2008/06/20 07:50

厳しいことを言うようですが、それほどの動機がなくても


長く続けていける人が最終的に素質のある人なのだと思います。
私も似たような経験を持つため同情してしまうのですが、
私とアナタと違うところは幼少期にほとんど褒められていない
ことと、一度も心の中で絵をやめてしまおうと思わなかったことです。

それはなぜかと言われれば私は絵が巧いなどと一度も思ったことが
ないからです。そりゃ人より勉強もしたし専門的な学校を卒業
しているのでその辺に歩いている人より巧いかも知れませんが
そこら辺に歩いている人でも長く続けていればそのうち巧くなる
ものです。それはテクニックといわれるもので、絵そのものの
魅力にはあまり関係ありません。
それに、私は巧くなりたいといつも思ってはいるのですが、
他人に決められた巧さだとか、良さはどうでもいいと思うように
なりました。自分の目標とする絵の完成に向かって
一歩づつ前進していけたらと思い絵を描いています。

私の経験での感想ですが、色彩感覚が鋭い人はモノトーンでの
デッサンや写実的なデッサンや彩色画が苦手な人がたまに見受け
られます。
たぶんですが、色彩を自由に感じられる人は形体に縛られない
で色を決められる才能が備わっているため型にはめられた形態
に嫌悪感ないし、窮屈に感じるのではないでしょうか?
それと、システマティックに教授する教室とあいまって
精神的な閉塞感にさいなまれたのではないかと推測します。

私は思うのですが、デッサンが苦手だったのではなく
絵を描く種類の選択を誤ったのではないかと思います。
絵を描くにしてもイラストやデザインや彫刻(大きい意味で)
映像や写真など色々選択肢はあったと思うのです。
一つダメだったからといってあきらめてしまうのは
出会いのタイミングが悪かったか天に見放されてチャンスを物に
出来なかったか。そんなものです。
深く考えずに絵が巧くなりたかったら何も恐れずにしっかり楽しむ
こと。これに尽きますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

文章、拝見致しました。まさに、継続は力なりだと思います。
一つのことを長く続けておられる人のみが言うことの出来る貴重なお言葉と思いました。

私の場合、ひらめき型(または天才肌?汗)だとも。こつこつと地道に努力するタイプではないようです。
一つの絵を完成するには確かに根気のいる作業です。石膏デッサンなどはまさにその極致だと。
また、これには感覚的なものやインスピレーションなどは殆ど不要です。ただひたすら地道にもくもくと描き込むという作業・・・空間の中で対象をしっかりと捉え、形の正確さ、質感、量感、陰影・・・といったものを表現。
確かに上手い人のデッサンを見ると感動すら覚えます。
でも、石膏デッサンのスペシャリストにはなりたくはない=石膏デッサンが上手くても、いざ、彩色画が醜い絵を描く人を何人か知っていますし。驚いたことに彼らは私に聞くのです「ここの色はどうやって出したのですか?絵の具の配合を教えてください」と(何と、メモに色の割合を書き取っていました)・・・私は思わず「え?」(そんなもの、勝手に手が絵の具を混ぜるのに・・・どうして出来ないのだろう?)と不思議で仕方ありませんでした。そして、よどんだというかくすんだ色ばかりの絵を描いていた彼は翌年、武蔵美の油絵科に入りましたが・・・

まあ、当時、私は他にやりたいこととかもあったりして、絵は片手間な感じ(要は中途半端)だったのも否めません。同じ部屋でそれこそ絵に命をかけていた芸大・美大志望の彼らからすれば私などは単なる趣味程度・お遊びにしか見えなかったのかも知れません。

>色彩感覚が鋭い人はモノトーンでのデッサンや写実的なデッサンや彩色画が苦手な人がたまに見受けられます。

確かにモノトーンの世界にも色彩感は出せると思うのです。また、デッサンは線だけではなく彩色の段階でも(色だけでも)出来るものでしょうし。デッサンにしても油絵にしても描き込むことは苦にならないのです。むしろ、時間をかけて丁寧に描き込むので味のある?雰囲気のある絵が完成します。
でもまあ、確かにあまり深く考えずにしっかり楽しみながら描くのが長く続けられていいようですね。

お礼日時:2008/06/19 09:46

たとえば、



ボクシングの素質ある男がいて、
動体視力や筋肉の俊発性や技の組み立てのセンスが
抜群だとします。その種の測定イベントが小学校からあるとして、
絶賛されたとします。
大人になってボクシングジムに入門します。
まず毎朝のロードワーク10キロとか20キロがあり、
入念な柔軟体操や1000回2000回という腹筋運動があります。
根性が足りなくてこの初歩練習についていけなければ、
見込みがぜんぜん無いと言われて追い出されます。
どんなに素質があってもスタミナや心肺機能が足りなければ
勝ち目が無いからです。

絵の世界ではデッサンが初歩練習であり
1000時間ぐらいかかります。
あなたは根性が無くてはやばやと挫折したのです。
つまり、素質があろうが無かろうが基礎練習は
必要と言う事を理解していない。
再開するならこれを踏まえて、
今度は地道に続ける事ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

例にもあるような仰せのことや厳しいお言葉は確かに一理ありです。事実、石膏デッサンは嫌いで逃げていましたから。
今度、再開する時は一つひとつ地道にステップを踏んでいきます。最初は辛くて厳しいのは分かっています。でも、日々のトレーニングだと思って頑張ります。

私は素朴派のアンリ・ルソーの絵が好きです。
彼は典型的な日曜画家で、アカデミックな絵の勉強は全くしていないにも関わらずあのような不思議な魅力に溢れる絵を描きました。勿論、持って生まれた絵のセンスが抜群であったのはいうまでもありませんが。
要は上手いヘタではないんですよね。本人が好きでどれだけ続けられるかだと思うのです。情熱やアイデアやセンスやヒントや、きっとそういったものを絶やさないというか。
売れてるデザイナーや漫画家だって、きっと基本的なことを日々欠かさないと思いますし。(音楽家が毎日の練習を欠かさないのと一緒ですね)
デッサン力と色彩感覚の両方に優れているとまさに「鬼に金棒!?」だとは思いますが、では、それらを手に入れたとしてもさらにいろいろと悩みは尽きないのでしょうけどね。でもまあ、今はきちんとデッサンを習得することにだけ専念する所存です。

お礼日時:2008/06/18 20:25

>絵とは一体、なんなのでしょうか?



表現手段の一つ、、、ですかね。

>よく言われるように、趣味で描くぶんには基礎は無くても伸び伸びと楽しければいいのか?私の様に、昔は「井の中の蛙」で自己満足だった者がなまじっか正統的なアカデミズムを学んだ為に厳格なルールや決まりごとに縛られて今度は反対に楽しくなくなってしまったような例も・・・

その二つは矛盾しませんよね。あえて言うなら、デッサンはアカデミズムとかそんな大げさなものじゃなく、単なる基礎技術です。

それより問題は、あなたが言われてそれをやっていたことですね。自ら必要だと思えば達成基準を決めるのは自分であり、妥協するかどうかは自分が決めればいい話ですよね。

あえて問いますが、なぜデッサン力が必要なのですか?

>最近、少しですが再び絵筆をとってみたいと思うようになりました。
>そしてもう一度、あの石膏像の木炭デッサンに挑戦してみようとも思うのです。(なんだか昔、満足に描けなかったのが悔しくて・・・)

描いて楽しい絵を描いたほうがいいと思うけど、、、

自分が何も変わってないのに同じやり方をしたら、また、同じ挫折になるだけだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

デッサン力とは自分にとって生活の基盤とでも・・・つまりそれがしっかりしていると行動や生活全般までもがしっかりするような気がするのですね。(ちょっと考えすぎ?絵が下手でもデッサンもむちゃくちゃな人でも勿論、きちんと生活できてる人は沢山いますよね・笑)

今度はこれまでの人生経験?を多少でも活かしデッサンも絵も楽しく味のあるものを描きたいと思います。

お礼日時:2008/06/18 19:57

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