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なぜ、体罰はダメなんでしょうか?

もちろん、体に影響がありすぎるほどのひどいもの
(怪我したり、生死にかかわるようなもの)は ダメだとは
思いますが、影響をあまり与えないぐらいのものだったらいいと思いますが
いかがでしょうか?

A 回答 (10件)

(1)体罰を受けて育った子どもに粗暴傾向が強く見られます。


暴力で言うことを聞かせることを学習させている、ということですね。

(2)高い確率で大人の(強者の)顔色ばかりうかがう子どもになります。
言い換えれば、正しいかどうかより、権力関係を優先させる子どもになる確率が高まるということです。

(3)短期的に効果が得られるように見えるので、指導する側が、自分の誤りに気づきにくくなるためです。
そのようにして、誰も指導者のミスリードを修正できず、体罰がエスカレートして大きな怪我や命を落とす事件が今もなくなっていません。


なお、誤解が著しいので補足しますが、「迫力ある指導」と「体罰」は別物です。
「緊急避難」と「体罰」も別物です。

言葉による指導は、年齢が低くても重要です。
それによって子どもたちは言葉を獲得するという面もあるからです。
しかし、年齢が低いと即効性がないので、言語以外の手段で、「迫力」を出すことは、さらに重要です。

「大きな声」「厳しい表情」「手を握りしめる」などが一般的と思いますが、これらは体罰とはならないでしょう。
「手の甲をつねる」は意見が分かれますが、個人的には、小学校低学年くらいまでは、怪我につながるなどの緊急性の高いケースに限って用いても良いのではないかと思います。
それが体罰にならないためには、直後の愛情表現(抱きしめる、など)のフォローとセットである必要があると思いますが。

生徒間暴力などの緊急事態に、教員が体を張って止めに入るのは当然です。
その際にグーで殴れば過剰防衛でしょうが、羽交い締めにするくらいの実力行使は不可避なケースがあるはずです。
それを「体罰」とは言いません。
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体罰は効果がありますし、体罰が必要な場合もあると思います。


例えば、瞬間的に危険を回避させるときなどは効果的です。
ところが、体罰にはいくつか落とし穴があるんです。

・効果があるので体罰でなくても良いものまで体罰で片付けようとする傾向に陥りやすい。
・体罰は一種の暴力ですから感情と結びつきやすいです。したがって教育や躾けなどで言われる体罰と感情的暴力との差を自分の中で判別しにくくなったり制御できなくなる。中にはある種の快感やストレス発散的な要素も含まれていたりする。
・上のような危険性を十分理解して行っても、自分が躾けられた方法を躾ける立場になったときに使う傾向があり落とし穴に陥る危険性がある。
・体罰による躾けや教育がうまく相手に届かないで歪んでしまった場合の危険度が高い傾向にある。

…まだいくらでもありますが、かなりあぶない方法であることは事実です。
(他の方法があぶなくないという意味ではありません)

そう考えて、体罰をふり返ってみると、例えば学校教育の場合、教師の力量が高まっていけば、体罰を行う必要性は、ほとんどない環境に近づいていくだろうと思います。
現在では、状況や環境や教師の力量や生徒の状況などは、まったく考慮せずに、「体罰は絶対にいけない」となってしまっていますから、理由や必要性や妥当性を考える余地はありません。
学校は、「体罰でなければ伝えられない教育は放棄しなさい」ということですから体罰による教育はできません。
(体罰でなければ伝えられない教育が学校にあるかどうかはともかくとして)

家庭教育でも、極力体罰はない方がいいと思います。
しかし、学校教育のように、親が始めに「体罰は絶対に悪」という発想を持たない方が良いです。
そういうステレオタイプに陥ってしまうと逆に弊害が出てくる危険もあります。

「だめ!」と注意しながらビシッと手の叩くような躾は自然です。
こういうときには親は本気に怒るというときに頬を叩くのも自然です。
体罰の危険性を自覚しながら、自然にできる自分であることが必要だと私は考えています。
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No7・・訂正


「人様に迷惑をかけないような人間・・」は誤り。
「人様に迷惑をかけるよな人間」に訂正。
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ちょうど今、テレビでやってますね。


体罰と言う言葉を使いますが、罰ではなくて、言って聞かないから叩くだけです・・。教育の専門家とか言う人が云々言っておりますが、全くだめですね・・。多分子供を育てたことがないのでしょう。
叩く事には二通りあります。救う為に叩くのか、憎しみで叩くのかです。片方は使わないといけませんし、片方は使ってはいけません。
教育の専門家が間違ってるのは、罰としてしか見れないからです。多分、叩かれたこともないのでしょうね。
親にしてみれば、叩いてでも教えてやる!言ってわからなければ、体で覚えろ!と言うところです。
学校の先生が叩くのは、親の代わりにですので、感謝です。
小学校で学級崩壊が起きるのは、叩かないからですね。
子供を教育しようと思えば、怖いものがなければいけないのです。
それがなければ、やりたい放題になるのです。
警察がいないのと同じことでしょうね。社会や、人間関係にはルールがあります。それを教えたり守らせたりするためには、怖いものは必要なはずです。子供を育てたければ、人様に迷惑をかけないような人間にしたくなければ、叩きましょう!
親には涙を流しながらでも叩かないといけない時だってあるはずです。
ちなみに、うちでは布団叩きを使用しております。子供もそろそろ叩かれるのはわかるみたいで、一目散に逃げます・・。机の下に逃げ込む物、押入れに逃げ込む者、相手もなかなか考えておりまして、振れない所を選んでます・・・。w
ビンタは、慣れすぎて余り効果がありません・・・。
でも子供って面白いですよ。叩かれても叩かれても、又するのですから・・・w。そうやって、大人になっていくものだと思います。
それと、言ってわかるような歳になれば、自然と親も叩かなくなります。叩く必要がなくなりますのでね。
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私の考えるところ、体罰肯定の意見は、


(1)過去に体罰をされた自分を肯定したい
(2)自分が体罰をしたい(他の手段は面倒くさい?)
の二つの原因から出ているもので、
体罰が他の手段よりも効果的であるという根拠があるから
主張しているものではありません。
これをすると痛い、ということが刷り込まれるとしなくなるだろう、
というのはあまりにも素朴すぎる考えだと思います。
人間は条件反射で生きる生き物ではないのですから。

例えば、犬のしつけで体罰を使うと
犬との間にうまく信頼関係ができずに
効果が上がらないことはよく知られた事実です。
犬に無効な暴力が人間に有効であるとするならば、
人間は犬よりも原始的な存在だということになるでしょう。

仮にすでに信頼関係ができているならば、
体罰の意味を子供が理解することも可能かもしれませんが、
その場合は体罰でなくても理解する可能性はあります。
逆に信頼関係がないところで体罰をしても
された子供が納得することはなく、
鬱屈した感情のみが残るでしょう。

体罰にメリットがあるとするならば、
それは体罰をする人間がすっきりするということです
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体罰はリスクが大きいんですよ。



悪いことをした子供に、身体的痛みを覚えさせることで、それが悪いことなのだと認識させるのが体罰です。

問題なのは、悪いことの定義です。

今の時代、モンスターペアレントなんかが蔓延っていたりして、本当に悪いこととは何なのかを認識し、教えることができる大人が減っています。
これはもちろん学校の教師にもいえることです。

もし、子供が本当は悪くなかったのに、間違って暴力を受けた場合、単に言葉で注意されたときよりも、子供が受けるダメージはかなり大きくなります。

そういう意味でも、体罰を行う側に勘違いがあったときのために、言葉や態度で解らせたほうが「無難」だという感じでしょうか。

とはいえ、言葉や態度よりも、体罰のほうが手っ取り早く子供を躾けられ、且つ殴られる痛みも教えることができるため、体罰自体は必要です。

個人的な意見としては、体罰は親である私がきちんと行うので、学校等の教育現場では逆に行ってほしくないです。
基本的に他人の善悪感情を信用していませんので。

要は、殴ってもいいが「悪いこと」の判断は誤るな、という意見です。
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今日は。


私は、体罰を否定しません。(限度がありますが)
一番いけないのが、体罰が心罰になることです。
相手の心に、傷を付けてはいけないと言う事です
生意気言ってすいません。
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  それは今の世の中を見れば分かると思いますが?


 先生もあたらず触らずで、親も何かにつけ学校に文句です。
大人でさえ仕事でも上司にこずかれたぐらいでも暴力、怒鳴られても暴言をはかれたと大騒ぎです。昔の教育(道徳)は通用しないある面で腐敗した国に成りましたよね?
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人が人の言うことを聞くときは、


「お金」
「恐怖・脅し」
「セックス・愛」
だそうです。

これは大人になっても変わらないそうです。
あなたは、自分の子供にどれで「悪いことを悪い」と理解させますか?
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この回答へのお礼

人の言うことを聞くときは、他にもありますよね。

興味があるとき

だと思います。

いかに興味を持たせて 言うことを聞かすか・・・。
大変だけど。

お礼日時:2008/06/19 17:36

まず、限度をわきまえない体罰が多かったこと。


ちょっとした体罰でも、親が学校などにのりこんでいったこと。
体罰反対って訴える人がいること。
などがあげられるでしょうね。

そもそも、悪い事をした子供に手を挙げることは、子供自身も認めているでしょう。
しかし、それに対して暴力教師とか、子供の非を無視して訴える親がいることが大きいんでしょうね。
また、そんな体罰を与えられたことのない、ケンカやスポーツなども
あまりしたことのない教師が手おあげると、行き過ぎて暴力になるケースも。

良くも悪くも子供って馬鹿ですから、多少の痛い目もありだと私も思います。
私も、よくぶたれましたし・・・(笑)
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この回答へのお礼

私も多少の痛い目はありかと思っているのですが、
今の風潮が 完全 体罰は ダメなような感じなので どうかと
思いました。

お礼日時:2008/06/19 17:35

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