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先日の秋葉原での加藤智大の無差別殺人の事で、父親が、記者から、「道義的責任をどうするのか」というような事を言われていたような気がしますが、25歳になった息子の起こしたことの責任を親が引き受けて被害者の方に慰謝料を払わなければならないのでしょうか。法律的にはどうなのでしょうか。道義的にはどうなのでしょうか。分かる方、教えてください。

A 回答 (4件)

はじめまして、法律勉強中のものです。



結論から言うと、

法律的には子といえど、成人の事に親の責任はありません。
(但し、その子に精神的病気があり、事件前から親が「成年後見人」に
 なっていれば、親の法的責任が生まれます。事件後の精神鑑定で
 異常診断されても、その前の事件は親の責任対象にはなりません)

道義的の部分は文字どおり、道徳的・心情としてどう?という
問いかけ的なもので、気持ちがあれば払う人もいるでしょうが、
義務や責任はないので、払いたくない・払えないであれば必要なし。

但し、本人には刑務所に入る、民事で金銭を訴えられるはあるでしょう。
(それを見かねて親が助ける・・もある意味結果として道義責任を果たす
 事になるでしょうね)
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この回答へのお礼

一生懸命育てた我が子が道を踏み外した場合、その責任を育てた親に問うのは間違いだと思っていたので、法律が責任を問うていないというのであれば安心です。ありがとうございます。

お礼日時:2008/06/22 11:39

記者が馬鹿なんです。

この種の事件は家族・親類もまた被害者です。
そんなことを常識です。
こういう質問するのは、メディアの暴力でしかない。
日本の記者は全般的にジャーナリストとしてのレベルが低いです。
会見の質問が、ワイドショー的なものばかり。
道義的責任なんか、この世の誰も取れるはずがない。
死んだ人間を生き返らせることはできないわけで、不可能を求めるのは
無理なんです。
しかし日本の記者は特に馬鹿なんで、
被害者の父がカメラの前で泣いて謝るような
絵づらを撮りたがる。それは単なる傲慢なる、営利主義であって、
ジャーナリストの風上にも置けないあさましい行為です。
またメディア全般としても、反省の言葉が重要だと思って、その有無を
クローズあっぷしますが、あんな事件を起こすやつが反省するわけはない。
今後、口で言ったにしても、本心じゃないのは明らか。
犯人に言葉ってのは大半は真実というより、相手に信じさせたい事なのです。
それをメディアが解釈もなく垂れ流しにするのが、アジアの悪しき儒教的価値観というべきものでしょう。
肉親、特に両親にこの責任を求めるというのも、
儒教的な価値観の表れといっていい。核家族化、分断が進んだ
現代社会の現実に合わない要求です。

法律的には、未成年なら民事訴訟で親を訴えるというのは聞いたことがありますが、
今回はすでに25歳にもなってるので、本人に対してしか民事訴訟も起こせないと思います。
もちろん事件に親の影響が考慮すべきほどに強ければ、親にそそのかれたような、共犯に近ければ別ですが、
今回はそうではないわけで、ま、訴えたとしても、却下されるでしょう。

そういう場合も、
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成人している以上、親の責任は問えないので、


道義的などと言っているのです。
親が慰謝料を支払う義務はありません。
17人もの被害者の方々に支払う能力のある家庭はまずありません。

道義的には仮にも息子の犯した犯罪です。
親なら相当感じます。
まず死刑と思われ、息子を失います。、
また、近隣、親戚から冷たい風当たりがあります。
それが生涯続くのです。かなり辛いと思います。
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親には法的な責任はありません。

道義的な責任もありません。


>記者から、「道義的責任をどうするのか」というような事を言われていた

これが事実なら、その記者は馬鹿です。
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