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精神科に勤めているものです。
教えて頂きたいのですが、皆様の病院で、患者さんが隔離拘束されており、症状が落ち着けば、拘束解除になると思います。
拘束解除解放する際に、何か目安や基準みたいなものを活用されておりますでしょうか?

当院では、先日隔離解放した患者さんが、解放された次の日にスタッフに暴力をしました。この件でカンファレンスの結果、病状が良くなかったから、Drがいけない!!という、全く次に繋がらない進歩性を感じないカンファレンスしか行えませんでした。私は、このとき、何か基準、目安が拘束解除の際にあれば、その基準を目安に、次に繋がるカンファができると思った次第です。

A 回答 (7件)

気になったことをひとつ。


ドクターと思われる方については、御礼を丁寧にかかれるようですが、患者さんと思しき人には、一言も御礼を書かれないようですね。
ドクターに噛み付きたいのなら、御自身のお勤めの病院の先生と、一度徹底的に議論を戦わせることが、解決の糸口では。
他所の病院の専門家と、戦っても、何の打開策は編み出せないでしょう。
それとも、あなたの評価や、人格的な評判が影響して、御自身の言いたいことが、話し合いにも出せないのでしょうか。
患者不在でいくら議論されても、患者自身、看護師という職業に偏見を持っている場合もあり、看護師の言う事をきちんと聞くとは限らないと思います。いうなれば、御礼を書かないあなたの患者への偏見が、病院内暴力を患者が振るうという、不信感を導き出しているのでは。
患者は野獣ではありません。お互い理解試合、信頼しあう関係なら、暴力を振るわれるという事態など起きないでしょう。
看護というのは、まずは心の看護だと、自分自身に言い聞かせてください。
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これ以上説明しても無駄のような気がしますので、これが最後です。



>私共は一度謙虚に試しても良いと思いますよ。試した所で、患者さんに物凄い悪影響を及ぼすと思わないのですが。

お好きなように試してみればいいんじゃないでしょうか。
仮に何らかの基準を設けたとして、その基準を満たしているかどうか、すべての人の意見が一致するほど医療は浅くはありません。そういう意味で、基準など設けたところで結局は同じことです。

>そうでしょうか?基準がないからこそ、漫然とした行動制限を許しているのでないでしょうか?だって、結局、その個人個人の感性、経験により行動制限が評価されるってことですね?では、そういった感性が育っていない職場ならどうでしょう?だれが、評価するのですか?

評価するのは言うまでもなく精神保健指定医です。行動制限を指示するのも指定医なら、それが適切に行われているかどうかを評価するのも指定医です。もう少し、精神保健福祉法の勉強をしてください。

そもそも、どのような場合に行動制限を行うかについては昭和63年の厚生省告示第130号に明確に定めてあります。つまり、あなたの最初の質問の答えはすでに厚労省が示しています。法によって明確に基準が定められている行動制限の開始や解除に、これ以上いったいどんな基準を設けようというのですか?法に定められたとおり、適正に運用するのがわれわれの務めです。

>看護って、誰がいつでもどこでも同じようにできることではないのですか?それが看護サービスじゃないんですか?

だれでも同じことができるというのがあなたの看護観ですか。他の人にはまねできない、自分だからこそできる看護を提供しようとは思わないのですか。患者から「受け持ちの看護師があなたでよかった」と言われたくはないのですか。それでしたら私とはそもそも医療に対するスタンスがまったく違います。私は患者から「先生が主治医でよかった」と言われたいです。
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この回答へのお礼

>行動制限を指示するのも指定医なら、それが適切に行われているかどうかを評価するのも指定医です。もう少し、精神保健福祉法の勉強をしてください。

勿論です。その貴方様の言われる指定医の評価が曖昧だから言ってるんですよ。何を基準に隔離拘束を解放したんだよくわからず、結局現場の看護師が暴力振るわれて・・・・。それで慌てて隔離拘束の指示を再度だして内服薬変更したりして、それが看護師には何となくゴメンネってポーズをされてる感じで。。看護師はドン引きですよ。

>他の人にはまねできない、自分だからこそできる看護を提供しようとは思わないのですか。私は患者から「先生が主治医でよかった」と言われたいです。

私も一般科に勤務しているなら言われたいですよ。
確かに看護計画には書けない、その人の気配りがあると思う。そういった些細な気配りは、プランには載せられない。
でも、精神科なのにそんな事考えて仕事していたら、患者の混乱を招くだけだと思いませんか?精神状況が違うんですよ?
SにMRの患者さんだったらどうなりますか?
その患者さんは混乱しませんか?関わりが統一できないことで他の患者さんまで巻き込み、被害的な言動までに発展して、混乱するのは目に見えているじゃないですか?
まあ、ドクターにはあんまり関係ないかもしれませんが。

>先生が主治医でよかった

貴方がどのようなドクターなのかは知りませんが、貴方が患者になった際、せいぜい良い?Dr、Nsに幸運にも受け持ってもらえると良いですね?

わたしは、そう言ったプライマリーDr、Nsの宝くじのような不平等さを患者さんに与えたくないのです。

お礼日時:2008/06/28 11:41

>では、お聞きしたいのですが、隔離拘束された患者さんを解放する場合、どうされているのですが?自分の中で基準がありませんか?


私はただそれを、紙に書いて皆で話し合った方が良い。と思っているだけです。一つの叩き台があれば次に繋がるじゃないですか?

もちろん、自分の中で基準はありますよ。
ただそれは文章化して他人に説明できるほど単純ではありません。
医療というのはそういうものです。

質問者さんは大きな勘違いをしているのように思いますね。患者の行動を制限するのは、患者に問題があるからだけではありません。その患者を行動制限せずに処遇するだけの力量がわれわれにないからですよ。

ある看護師がいくら話を聞いても興奮の収まらなかった患者が、別の看護師が話をしたらすぐに落ち着いた、というようなことがよくありますよね。私が行動制限を指示するかどうかを決める際には、そのとき勤務しているスタッフの力量はかなり重要な判断材料のひとつです。

>要するに先輩方の話している内容が、曖昧なんですよ。
紙に書いて、残せば後輩が続けるじゃないですか?

自分自身で経験して、自分自身の基準を持つべきです。
そしてそれはあなただけの基準であって、他の人が利用できるものではありません。

>まあ、こんな議論はもう過去の話で、既に導入している病院はあると聞いています。失礼ですが、私はその情報が欲しいのです。

クリパスのようなものを考えておられるのかもしれませんが、行動制限をそういったものにあてはめようとすることは間違いです。そういった基準を作れば、必ず行動制限の解除に対して慎重になり過ぎてしまい、結果として漫然とした行動制限を許すことになります。
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この回答へのお礼

度々のご返答ありがとうございます。
>クリパスのようなものを考えておられるのかもしれませんが、行動制限をそういったものにあてはめようとすることは間違いです。

申し訳ありませんが、遭えて噛み付かせて頂きます。「クリティカルパスに当てはめるのは、間違い」と言い切れる。その自信が貴方様を含め、私の職場の諸先輩の言動こそ、私には、怖いと思います。私共は一度謙虚に試しても良いと思いますよ。試した所で、患者さんに物凄い悪影響を及ぼすと思わないのですが。

>自分自身で経験して、自分自身の基準を持つべきです。
そしてそれはあなただけの基準であって、他の人が利用できるものではありません

貴方様と同様に考えていられる同僚はとても多いと思います。
私の考えの方が少数派でしょう。しかし、上記のような体験、経験を後輩に伝達する方法が、口頭や、または今まで通り、職人よろしく後輩が先輩の技術を見て盗む?って・・・・。これって、一般企業人から考えれば、努力の怠慢ですよ。また、「他の人が利用ができない基準」「自分自身の基準」この言動も、当院では、結局看護計画を無視した、スタッフの単独行動にしか発展していないと思います。
患者さんは「00サンは、良いって言ったのに、何でお前はダメって言うんだよ!!」みたいな・・・。貴方様の病院でのカンファの実態はどうですか?結局、長いものに巻かれろ的な、カンファになっていませんか?「あの人が言ってるんだから・・・」みたいな・・・・。
これってとても全く批判的要素の入ってない、議論として成立してないですよね?

私には、ある程度基準がなければ、スタッフの行動、看護?が今までの精神看護のようにまとまりの、発展性のないものになってしまうと思います。

>そういった基準を作れば、必ず行動制限の解除に対して慎重になり過ぎてしまい、結果として漫然とした行動制限を許すことになります。

そうでしょうか?基準がないからこそ、漫然とした行動制限を許しているのでないでしょうか?だって、結局、その個人個人の感性、経験により行動制限が評価されるってことですね?では、そういった感性が育っていない職場ならどうでしょう?だれが、評価するのですか?
看護って、誰がいつでもどこでも同じようにできることではないのですか?それが看護サービスじゃないんですか?

お礼日時:2008/06/26 22:13

5年ほど前に過服薬自殺未遂で本気で生死の境をさまよい、1週間意識不明を経験した者です。


自分の意識がなかった上、胃洗浄は間に合わず血液洗浄(=要点滴)となりましたが、私が暴れたらしく、保護室の上に両手両足を縛られた完全拘束状態でした。
意識が戻ってはっきりしてきた頃、外され(ちなみに医療用テープのようなもので巻きつけられていたようでした)、一般病室に移りました。

しかしその後大人しかった訳ではありません。自分でも理由は解らないのですが、引きつけかてんかん状態に一度だけなりました(肺炎を併発していて酸素マスクをつけた状態でしたので、それに対してパニくったような記憶が…)。でも看護師が対応しただけで、保護室には戻りませんでしたね。
まあ、それから1週間ほど、ベッドから降りられない日々は続きましたけど、相部屋でした(隣の拒食症の女子高生と仲良くなったり…あ、当方当時20代後半女性です)。

隣の部屋は男性の相部屋だったようですが、四六時中何か叫んでる若い男性の声が聞こえましたが、その部屋には2週間ほどいましたが(同じ閉鎖病棟の中でも、行動を制限されてる人とされてない人と別れてた)、その方が保護室に移動されたのはたった1回だったような。
あ、あと相部屋のおばちゃんがナースコールを押し続けてずっと看護師さんと話をしていて、私は寝たふりしてたんですけどさすがに長時間はもたずバレ、そのおばさんは諭されてその晩だけ保護室で夜を過ごしたようでした。

その数年後、今度は軽いですがやはり過服薬で別の病院に入院。最初のうちだけ保護室でした。でも拘束具はなし。薬が身体に回りすぎていて、1人でトイレに行けない状態だった、という理由だけだったらしいです。
私より後に若い女性が再入院してきましたが、その方も最初の3日間だけ保護室。出てからは医師が出してる薬しか飲んでないはずなのにラリった状態ではありましたが一般と一緒でした。

以上の自身の経験から。
その場の判断で、一般の方と別けなければいけない場合拘束具使用、あるいは保護室という拘束になるのでは、と思いました。
最初の入院、退院後に書類を確認したら、拘束具を使用した理由と詫び文みたいなのが混ざってました。おそらく両親の了解を得て、文面で示してから…だったのではと。
すいません、私は「患者側」の者なので「カンファレンス」の意味が解らないのですが(調べれば出てくるんでしょうが、それでも理解できるか…)、もしその例の患者さんが、医師だけでなく他の患者にも暴力を振るう状態になったら、再隔離も仕方ないのでは?なんて思いました。他の方の回答にある通り、この場合も程度によると思いますが。

今は十分反省して、障害者枠で会社に勤めちゃんと社会復帰してます(というか、入院時もアルバイトはしてたんですけど)。
参考にならなかったらすいません。
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隔離・拘束に何らかの基準を設けようという発想自体が間違いです。



隔離も拘束も、それ以外に代替する方法がない場合に最小限の範囲で行われるものであって、何らかの基準をクリアしない限り解除しないという発想では、漫然とした行動制限を許すことになります。
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この回答へのお礼

ご助言ありがとうございます。
では、お聞きしたいのですが、隔離拘束された患者さんを解放する場合、どうされているのですが?自分の中で基準がありませんか?

私はただそれを、紙に書いて皆で話し合った方が良い。と思っているだけです。一つの叩き台があれば次に繋がるじゃないですか?

いつも話し合いが終わり、それでこの件も終わり。
それでまた次の患者さんの時には、また曖昧な記憶から、曖昧な話し合い。で曖昧な結果。
要するに先輩方の話している内容が、曖昧なんですよ。
紙に書いて、残せば後輩が続けるじゃないですか?
まあ、こんな議論はもう過去の話で、既に導入している病院はあると聞いています。失礼ですが、私はその情報が欲しいのです。

お礼日時:2008/06/25 02:46

あまり、患者さんで暴力を振るったからと、保護室に入れられているところを見たことはないですが、一晩、保護室に入って出で来る人もいれば、ずっと保護室で暮らしている人もいます。


一晩反省させて、出てくる人の場合、反省している態度が表れていることだと思います。沈んでいるとか、落ち着きが出てきているとか。
ずっと暮らしている人というのは、粗暴な態度が続いていたり、集団で生活できない拘りや、目つきや様子があるからでは。
両者の間には、わかっている場合と、そうでない場合があります。これは洞察力で見抜くしかないでしょう。
行動の結果というのは、動機の部分が消失してしまえば、起こりません。このあたりの分析は、先生でしょう。
あとは、大勢の人の観察ですね。ものがわかる、というのには、理性の働きがあります。理性がきちんと働いているか、見極めることだと思います。
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精神科にお勤めであればよくわかってらっしゃるかと思いますが,患者さんをパターンに当てはめることは不可能ですし,それを行ってしまってはまともな治療にはなりません.



つまり,拘束解除についても,基準を設けるという考え方ではなく,ひとりひとりの経過を考慮しながら,解除するかどうかを皆で話し合って決めていくことこそが大切だと思われます.

カンファレンスでDrに責任を押しつけているところをみますと,そういう意見,つまりプロ意識(責任感)に欠けている方が多い職場のようですね.まるで他人事のように感じます.

質問者さんはそうならないように,がんばってください.
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この回答へのお礼

アドバイス有難うございます。

患者さんの個別性を考慮する事は、大変重要だと私も思います。
カンファレンスを行うことで、その一つのカンファレンスから、色んな事が学べていると思う。そして色んな事に応用できる考え方が生まれているのに、その経験が積み重なっていないと強く感じます。

私は、基準、評価表などを作成することで、患者さんを一つのパターンや枠にあてはめようとは全く思っていません。
しかし、もし一つの基準を設けられれば、その基準に経験が積み重なっていくと思うのです。
現在のような何もなく、個人の経験、勘などに重きを置くカンファレンスでは、結局その患者さんだけにしか通用しない考えで終ってしまう。これでは折角の経験が勿体無いです。
つまり、なにもない所から話し合っても結局、看護師のいい加減な記憶、経験からだけしか導かれない。看護も予想もいい加減なものと言われても仕方がないと思う。
もし、なにか基準があれば、そこに経験を付け足していけば、次の看護に活きていくと思う。

お礼日時:2008/06/24 13:32

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